◆ 昔話と今話
ジェラルドがテラスに出れば、柵にもたれ掛かってぼんやりとトゥーンの街を見ているキットの背中がすぐに見えた。
不遜な態度で、時には生意気という度さえも越えるふてぶてしさを持ち、なかなか決して弱みを見せない彼は、最近よくこうして小さく背中を丸めている。
今は特にひどく小さい背中だなとジェラルドは感じた。
黙って横に並び、夜のトゥーンの街を見る。魔灯で明るく色づいた過去の遺跡と今の営みを併せ持つ町並みは、統一感はないもの、眩く輝かしいものだとジェラルドは感じた。トゥーン特有の景色だ。
「僕とアンタはあの部屋で今日みたいに語り合ったこともある」
自嘲さを含んだ声音でキットは唐突に語りだした。
「すごく幸せだった。嘘みたいな奇跡だったさ」
「……そうか」
「さっきも言ったように、僕らは夫婦じゃないぜ。安心してくれよ。いや、安心もくそもないか。僕が勝手に……無理矢理ここにお前を置いていたんだ。何の説明もなしに。そしたら、愛想尽かされた」
先ほどのやるせなさを押し隠した顔よりも穏やかな顔だが、キットの声は疲れていた。
出てくる言葉の端々から申し訳なさと自己嫌悪が伺えた。ジェラルドはそれを黙って聞いた。
「当然だよな。でも怖かったんだ。自分が前世の記憶持っていて、前世で一緒に暮らしいて、また一緒に暮らしたくて、とんでもない時間探していたんだなんて……あの時は説明できなかったんだ。だって……なんて説明すればいい? 自分で考えても気持ち悪い。どれだけ執着しているんだ。嘘でも本当でも狂人だ。だから、どうしていいかわからなかったんだ。なんでそれまで気付かなかったのか不思議なくらいだ。見つけて暮らしたい、その前にやること話さなきゃならないこと沢山あったことに、何故気付けなかったのだ」
キットは遠くを見つめた。
「絶望的に、ただ使命感だけで探していて、その先で……見つけたらどうしようとかさっぱり考えてなかった。一緒に暮らしながらも説明とか考えるのが嫌でずっと逃げ回っていた。僕達の前に現れた時のレシィと一緒さ。だから、当然の結果だ。エイダの苦しみはな。でも、ホセは違う。ホセはエイダの事がなきゃ、癒術で身体を癒して、最後に本当に、自分のための人生を歩めたかもしれないんだ。それを……」
「……」
「エイダのせいで、彼は早く死んでしまった。帰ってきてくれたのに。一人で死んでしまった。僕のせいだ。彼の死は。僕のために命を落としてしまった……僕が奪った。彼の人生を……」
僕が、僕が。何度も呟き、キットは静かに涙を零した。ずっと言いたくても我慢していたことなのだろう。涙が頬から落ちると、彼はきゅっと自分の唇を噛み、嗚咽を噛み殺した。前を見たまま目をぐっと見開いて、鼻をすするのを堪える様子を、ジェラルドは見て見ぬふりをしてやった。
このまま慰めるのは容易い。気にするな。そんなことない。仕方なかった。いくらでも安い言葉は掛けられる。しかし、それでは意味がない。だからこそのこの旅なのだ。
すべてを知って共有するために。
ジェラルドは、キットと同じように前を見たまま問いかけた。
「つまり、お前が言っていた俺に対する罪というのは、俺の前身……ホセを死なせてしまった一連の事か?」
「……ちがう、それだけじゃない」
キットは首を振った。
「それはホセに対する罪悪感だ」
「……」
「ジェラルド、僕は今でも不安になるんだ。いつかまたアンタが……いや、アンタたちが僕を見てうんざりしてどこか行ってしまうんじゃないかって」
「おい」
「確かにアンタたちには関係ないことだけど、僕はひどい恐怖を感じる。いやでも、無意識にそんなことを考えてしまう。自分で一緒に暮らして、笑いながら恐怖を感じる。逃げ出したい、その罪悪感で、苦しい。エイダの頃と何一つ変わらない。進まないと、また同じこと繰り返してしまう気がする。どうしたらいい。アンタらに再会出来た僕にはもう……終わりしか見えない。もう疲れた。死んでも生き返って死んでも生き返って。その度に失敗する。これ以上自分の失敗の歴史を重ねたくない。僕の心の弱さ故の過ちは、命が終われば、もう二度と過ちを犯さず済む。終わりに追われる事もない。でもアンタたちを見ていると、もっと一緒にいたくなる。生きたくなる。一緒にいれば罪悪感ばかり募っていく。罪悪感が膨れ上がると過去を思い出す。違う。本当は僕は――……」
「落ち着け」
ジェラルドの静かな喝が激昂していたキットを止めた。キットは我に返った様で、顔を紅潮させていった。
流石のジェラルドも呆れ、深いため息をついた。なんて女々しいやつだ。
「……普段からそんなことばかり考えているのか?」
「……気を抜けば、こんな思考ばっかりだ」
背中を丸め、消え入りそうな声で呟くキットからジェラルドは眼を背け、再び夜景に目をやった。鼻を鳴らす。
「お前は、お前の言った通り、何も乗り越えていないのだろうな」
「……ああ、そうだ」
キットの口元が皮肉めいて歪んだ。本人が指摘するのと、他者に指摘されるのでは羞恥心も不甲斐なさも段違いだ。それがましてや、弱みを余り見せたくないであろう自分からの指摘だ。
そんなキットのいたたまれなさなどジェラルドは気にも留めず――気付いても、訂正したりする気はない。事実だし、彼にはそれを乗り越えてもらわねばならない――、言いたい事を言うことにした。
「なら、このまま終わるなんて選択肢、悔しくないのか?」
「え?」
キットは顔を上げてジェラルドを見た。ジェラルドは夜景を、遠くを見ていた。その目が僅かな怒りを燃やしていることにキットは気付いた。
「俺は悔しい。お前と生きたいのに、お前はいつまでも一つ前の生の失敗を乗り越えられないで死にたいとか言い出した。悔しくてたまらん。サイもきっとそう言うだろう」
「……悔しい?」
「そうだ、悔しくないのか? お前は。仮に死ねる方法が見つかったとして、そんな情けないお前で終わって、悔しくないのか? 自分が情けないっていうのは、わかっているんだろう?」
「……」
「俺の見てきたお前はいつだって反骨精神で立ち向かってきた。この前の戦いだって、命を投げ打つという方法は許しがたかったが、絶対に負けるものかという強い力であの多くのドールを一人で倒し抜き、最後は失った意識さえも復活させて、あの下衆な魂をその誇り高い精神力でぶっ飛ばしたじゃないか。そうやって困難に打ち勝ったじゃないか」
「……」
「そのお前が、結局気高き意思とは正反対な死を迎えたなら俺は悔しい。ああ、すごく悔しい」
(悔しい。そんな悔しさ、俺はごめんだ)
ジェラルドは淡々と、しかし力強い心の声を発して呟いた。
キットは顔を伏せ、考えた。
悔しさ。逃げたい感情ばかりで、その事を彼は考えたことなかった。しかし、言われれば確かにそうだった。悔しい。
このまま、この情けない自分で終わって良いのか? 確かに生きるのは辛い。しかし、このまま終わったら自分もジェラルドも、そしてやはりホセも悔しいだろう。それでは結局のところ、自分さえも救われない。ただ終わるだけだ。
キットは自分の内からゆっくりと浮いてきた小さな力を見た気がした。
水の中から小さな気泡が上がっていくように。
夜景を見ながらキットは黒い胸の内から、透明感ある泡が浮かび上がり光を放っていく感覚を描いた。それは全てを照らし、黒く淀んだ物を消し去るわけではないが、確かに小さな力となったのを感じる。
普段はあまり口を開かないジェラルドが、饒舌だ。決して酒に酔ったせいではない。
「強くなれ。男だろ。何度疑ったって構わん。何度不安になったって構わん。俺達は離れない。だからお前の言う失敗や過ちなんてありえない」
「……ジェラルド」
「俺やサイのために強くなれ。今のお前には俺達がついているんだ。ホセだかなんか知らんが、そんな奴ら目じゃない。俺を信じろ。サイを信じろ。お前の不安を何度だって晴らしてやる。だから俺達と生きて――」
不意にジェラルドの太い腕が動いた。何事かとキットは目を瞬かせる。
(喝入れだ)
ジェラルドの『声』にキットは反射的に背中を強張らせた。避けなければ。思ったが身体はすぐには動かず、どんっと勢いよく背中が叩かれた。息を詰める。
「……ってぇ!」
「その情けない失敗を乗り越えてくれ」
力を抑えて叩かれているとは言え、獣人の腕で不意に背中を叩かれれば、とてつもなく痛い。キットは涙目になりながら、自分の背中を擦り、恨みがましくジェラルドを見た。
ジェラルドはニヤリと口元を歪めていた。
「そのための旅だっただろう?」
からかうような口調にキットはムッとした。
「……わ、わかってるさ! でもな、不安になるとあれほど!」
「かまわん。だが、絶対お前の恐れるようなことはないんだ」
ジェラルドの不敵な笑みが崩れ、優しい表情が現れた。ライオンの猛々しさとは懸け離れた、慈愛に満ちた笑みだった。
「不安になったら、それを何度でも思い出せ。何度でも言ってやる」
「ジェラルド」
「何度でも起こしてやる。俺もサイも、な」
再びジェラルドは腕を振り上げ、背中から喝を入れようとした。今度こそ、キットはそれをさっと避けた。
ジェラルドは腕を止め、キットを見た。
睨み合うように対峙し、そしてどちらからともなく、くつくつと笑い合う。
「……悪かったな、ジェラルド。でもありがとう。少し、楽になった。少しだけどな」
「面倒な奴だ。しかしまぁ……お安い御用だ、相棒」
ジェラルドの手が、くしゃりとキットの頭をかき混ぜるように撫でた。
「……昔を思い出して、その感情に引き込まれることなんて、誰にだってあることだ」




