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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
血分け合うも他生の縁
56/61

◆ 昔話と今話

 ホセはエイダの養子でも再婚相手でも愛人でもなく、中途半端で奇妙な関係のままグレンフェルで三十年過ごした。

 生活としては悪くないどころか良い生活だったが、いつも中途半端で釈然としない。何故エイダが自分を保護し、手厚く支援をしてくれるのだろう。妙な下心もなく、ただ家にいてくれるだけでいいと言い、エイダは何も教えない。ホセは常に疑問を感じていた。

 彼の疑問が強くなれば、エイダが見計らって沢山の仕事を与えた。

 すると、忙しさと充実感にホセからその疑問が薄れていった。グレンフェルの仕事をエイダと進めていくのはホセとしては悪くない人生だった。

 しかし、気付けばホセは五十歳になっていた。グレンフェルで仕事をしていたために、それなりの財も得られた。それが例え、自分に情けをかけてくれる女の財に近しいものであっても、全て失う前よりも多くの物を得られていた。

 そして、自分の人生は一体なんだったのだろうとホセは考えるようになった。

 生まれてから、二十二の頃に計略にはまり、家族が皆死に何もかも奪われるまでの第一の人生。エイダに保護されてから始まった第二の人生。どちらの人生にも「しこり」が残っていた。第一の人生では騙した者への復讐が、第二の人生ではエイダへの疑問が。

 考えていく内に、彼は「人生の決着」をつけに行く事を決意した。

 それはもうエイダに仕事や理由などを課せられても流されないほどの強い意志となって、彼女に告げられようとしていた。

 一方、エイダはその頃焦りを抱いていた。

 人生はおおよそ上手く行っているが、ホセとは壁を感じるようになっていた。自分への不信感にも近い思念をしっかりと感じ取っていた。三十年貯まった疑問がじゅくじゅくと膿みながら成長しているのを感じていた。

 また、自分の年齢にも焦りを感じていた。アランも結婚をし、孫も生まれた。何かする度に昔よりも身体が動きづらくなったと感じてきた。老いという恐怖がじわじわと襲ってきていた。

 二百年生きたエイダだが、この年齢まで生きたのは初めてだった。殆どの人生を短命で終えていた為、もうとっくに未知の世界に入っていた。

 ホセから感じる不穏な予感。自分の老い。

 それらはようやく出会えたホセとの「終わり」を感じざるを得なかった。だからと言って、それを口に出すことも憚れ、エイダは一人でずっと耐えた。

 しかし、ホセからの「決別」を聞かされたときに決壊した。



 毎朝、いつも通りの朝食を済ませ、庭へ出る。のどかな朝だ。エイダは庭園の朝露残る草花に触れながら、その穏やかな時間を堪能していた。

 つい昨日まで視察も兼ねて旅に出ていた。たかが数日と言うのに酷く疲れたものだ。年老いてからは長旅も中々叶わなくなり、近場の短期滞在ばかりになりつつある。昨日の夜に帰宅し、そのまま疲れ果てて寝入ってしまった。そして、旅から帰ってきたばかりの今日は特に何もない日だ。良い骨休みになるだろう。孫たちの為に何かを作るのも良いかもしれない。いや、折角だからお菓子でも作るか。それならば皆で楽しむことが出来る。

 決まれば早速エプロンを取りに行こう。エイダは鼻歌交じりに通用口へまわり、自室へと戻る。昔ならば大して気にならなかった階段の上り下りも、ここ最近はやや疲れるように感じてきた。自分の老いに歯がゆさを感じながらも、準備をし、再び階下に降りようと、玄関ホール前の階段の元へ行こうとした。

 階段には息子とホセがいた。


「気をつけて」

「ああ。……世話になったよ」


 ホセがアランに頭を下げているのをエイダは見た。そして、階段を下りていく。

 手鞄と上着を持ち、帽子を被り、靴は丈夫そうな物を履いていた。

 玄関ホールには大きな旅行鞄が二つも置いてあった。使用人がそれを持ち、ホセを待っているようだった。ぞわり。と、エイダは悪寒を感じた。


「ホセ!」


 名を呼べば、ホセは一拍足を止め、――しかし、また一歩階段を降りて行った。


「お待ちなさい、ホセ!」


 もう一度、先ほどよりも大きな声で呼びとめれば、今度はちゃんとこちらを向いた。

 ホセと目が合う。


(…………エイダさん。すまない)


 エイダは階段まで駆けた。息はすぐ切れる。荒い息で数段乗り、片手を手すりに、もう片手を思い通りに動かない膝に置く。アランに後ろから肩を抱かれた。自分の動きを止めようとしている意思も感じられた。エイダは肩にかかる手を振りほどき、ホセに近寄った。


「待って、ちょっと待って!」

「……」

「待って、ホセ。まさか」

「……ああ、出て行くよ。トゥーンを、グレンフェル家を」


(さよならだ)


 迷いのなくなった『声』にエイダは背筋を震わせた。腕を取り、縋る。


「待って、待ってホセ。まだあなたには、その、まだいてもらわなければ、グレンフェル家の為にも」


 いつからそんな話が出ていた。その予感はあっても、こんなに突然。頭は混乱に陥り、舌がうまく回らないのをエイダは感じた。

 エイダが縋った腕は一瞬躊躇われたが、ゆっくりと引き剥がされ、


「悪いが当主に退職の旨も伝えた」

「アラン!」


 息子に非難の声を上げるが、彼は申し訳なさそうな顔をするだけで首を振り、ホセを止めようとはしなかった。

 エイダはホセを見た。

 ホセはエイダから視線を離し、前を見ていた。もう彼女を見ようとしないかのように、顎を引き、真っ直ぐ、真っ直ぐ。


「家を出る理由は何? ねぇ。何故、私に相談してくれなかった?」

「相談をしようと思うと、その都度、あなたの口で丸めこまれて、相談にさえならなかった」

「そ、それは」


 言葉を詰める。彼の指摘は的確で、図星をついた。その動揺も押し隠せないほど、エイダは混乱していた。

 確かに、ここ最近。いや、正しくは数年間だ。数年間、ずっと彼からその予感を感じ、その度に上手いこと根回しをしたり、言葉巧みにエイダは彼を引きとめ続けた。

 ホセはエイダの様子を一瞥だけし、やや皮肉気な笑みを浮かべた。


「流石は心読の貴婦人だ」

「待って」

「あなたには恩義を感じている」

「なら、待ってちょうだい。少しくらい話しあってからだって良いじゃない」

「大の男が独り立ちするのに、赤の他人の許可が必要なのか? そっちの方がおかしい」

「赤の他人! なんてこと言うの! 三十年近く一緒に暮らしてきた仲じゃないの!」


 エイダは叫んだ。

 玄関にいた使用人たちだけでなく、廊下にいた者たちも仕事に手がつかない様子で彼女たちの様子を見ていた。『声』が色めき立つ。

 ああ、煩わしい。エイダは首を振り、必死にホセの腕を引きとめた。

 ホセの眉が煩わしげに寄せられ、苦虫を噛み潰したような表情が浮かび上がった。


「だから、おかしいと言っているんだろう……」


(いかれてんのか、アンタ)


 響いてきた『声』にエイダはハッとしてホセを見上げた。ホセは険しい表情でこちらを見ていた。


「俺とあなたの関係はなんだ」


 問われた短い一言。ホセはアランに視線を移し、


「息子とも違う」


 エイダに視線を戻し、


「愛人でもなければ、使用人や秘書とも違う。この距離の近さはまるで夫婦関係のようだが、男女関係ですらない」


 淡々と述べられる言葉の隙間から、異常だ、異常だ、と『声』が響く。エイダの心臓が高鳴った。


「別にそんな関係になりたかったわけでも、それを望んでいるわけでもない。ただ、あまりにも中途半端すぎて、俺は、一度たりとも納得できていない」


 ぐっと腕を押され、離される。エイダは抵抗も出来ず、力なく後退した。段差に躓く。寸でのところで後ろからアランが支えた。足にまるで力が入らず、エイダは支えられるまま呆然としてホセを見つめた。


「いいか。あなたは孫もいる女で、俺は息子より少し年上なだけの、結婚すらしていない居候だ」

「そんな……」

「じゃあ、俺たちの関係は何だと言うのだ」


 家族だ。エイダが口を開く前にホセが先を制した。


「この期に及んで、まだ家族だとか友人だとか言うなよ。出て行くなと言うなら、二十八年前に俺を引き取った理由を教えてくれ」


 強い語調だ。怒鳴るまでいかずとも、ホセの言葉からは苛立ちが滲み出ていた。

 エイダは息をのみ、呼吸を一つし、


「言ったところで、あなたは出ていくし、私をいかれ者扱いする理由が増えるだけ……」


 震える声で出せた言葉は、そんな言葉だった。ホセは鼻を鳴らした。


「それを判断するのは俺だ。とにかく、俺はこの街から出ていく」


(そして、あの女に復讐してやる)


 エイダはハッとなり、眉を釣り上げた。


「そんなことの為に!」


 エイダの叫びは再びホセの足を止めた。あまりの声の大きさに、ホールの中でその叫びは反響した。

 彼の言う、あの女とは、彼を計略にかけて家族や財産を全て奪っていった女のことだ。たった一度だけ見たが、魂から腐りきった魔性の女だった。今はどこで何をしているかもわからない。

 そんな下らない者のために、この家を出ていく。

 エイダは頭がどうにかなりそうになった。


「冗談じゃない。そんな下らないことの為に私を捨てていくというのか!」


 アランは勿論、聞き耳を立てていた使用人たちもエイダが何を怒っているのかわからないとばかりに目を丸めていた。会話を聞く限り、噛み合っていないのだから。


(奥様はどこかおかしい)

(何を突然)

(いかれている)


 反響するのは自分の叫び声だけでなく、人々の『声』もだ。煩わしく、心が苦しかった。


(まただ。薄気味悪い)


 唯一、エイダの言う言葉を理解したホセからも『声』が届く。それが一番の苦しみだった。

 やめてくれ。気味悪がらないで。いかれているなんて言わないで。そんな底なしの泥沼から救ってくれたのが、アンタだったじゃないか。何故突き落とす。気味悪い、いかれている。そんなのは自分が一番よく知っている。助けてくれ。私を、助けてくれ。助けてくれたじゃないか。なのに、何故、何故そうして突然。


 ――前もそうだ。


「そんなの許さない! 許さないッ! 私は百年苦しんだ! どんな苦行だったと思っている! アンタの言うとおり、私はもう七十近い老人! いつ死んだっておかしくない! どんなに長くとも、あと十年もすれば、またアンタと会えなくなる! そしたら、また始めから! 次は何年苦しめばいい! 次の約束はいつ! アルファも見つかっていない! 一人は嫌だ! それをそんな下らないことのために!」


 エイダは手すりを拳で叩き、ホセに向かって吼えた。


「あと数年、私のそばにいてくれるだけでいいんだ! アル!」


 叫んですぐに、エイダは我に返った。

 誰もが――ホセもだ――目を丸めて発狂している先代当主夫人を見た。


(今なんて?)

(アル? 誰?)

(え? 何今の?)


(……俺は、アルじゃない)


 エイダのみがうるさく感じる、水を打ったように静まり返った空間に最初に音を漏らしたのはホセだった。


「あなたの言っていることはわけがわからない。でもこれは俺の人生だ」


 ――人の絆に亀裂が入る時。実際にその亀裂は目に見えるわけでもなく、音が聞こえるわけでもない。

 しかし、エイダの耳にびきりと何かにひびが入る音が聞こえた気がした。


「百年が何だかわからんし、百年に比べたら数年っていうのはほんの僅かかも知れないが、これは俺の人生だ。俺の人生なんだ。あの日、狂わされてからここまで来た俺の人生なんだ。そして、人は自分の人生に決着をつけなければならない」


(ようやく目が覚めたのかもしれない。今まで何故ここに留まっていたのだろう)


「俺は出ていく」


(エイダ。あなたに対して決着をつけるのが、あまりにも遅すぎた)


 ホセは振り向かずに階段を降り切った。エイダの視界は天地が混じり合ったかのように歪んでいった。

 使用人に手鞄を渡し、何か一言告げる。荷物を持っている使用人は困惑し、ホセとアラン、エイダを何度か見て、荷物を持ち、外に出て行った。

 エイダには階段を下りる気力がなかった。それどころか立っているのもままならなくなり、手すりにもたれかかり、ずるずると力なく腰を落としていった。

 ホセがエイダの方を向いた。


「あなたは一人ではない。息子夫婦、あんなに可愛い孫もいる。もう充分だろう」


(何か理由があるのかと思った。しかし、奥方はイカレ者だったんだ)


 それだけ言うと、ホセは揺るぎない歩調で玄関から出て行った。

 エイダは力なく泣き続け、そのまま倒れた。


 

 両者は別れを向かえ、百年ぶりの再会が幕を閉じた。


 そして、エイダは、壊れた。

 ホセに拒絶されて迎えた終わりで、精神的に病んだ。老いてもグレンフェル宝石商のために身を粉にして働いてきたのが嘘のように、一日中寝台に横たわり涙を流しながら天井だけを見つめる生活を送った。時折動いたと思えば、窓の外を覗いて誰かが帰ってくるのを待ち、そしてまた泣いた。

 孫やアランの嫁も、自分の息子であるアランですら認識できないようになった。もう亡くなったはずのヘルガを呼ぶことさえあった。

 また、自分さえも保てなくなった。グレンフェルの女傑が見るも無残な姿になった。ただ、涙を流して過去を悔いるだけの老婆になった。

 アランがどんなに世話をしても、エイダが元に戻ることはなかった。

 その荒んだ生活が一年ほど続いたある日、ホセが突然戻ってきた。彼は憑き物がおちたような顔でグレンフェルに帰ってきた。

 復讐しようとした人物が、もう既に死んでいたことを知り、彼の『決着』が唐突に終ったのだ。だから、彼は帰ってきた。残りの人生を、自分に新たな人生を与えてくれたエイダに捧げる第三の人生のために。

 ホセの姿を見たエイダの目は見る見る内に生気を取り戻した。実の息子であるアランが出来なかったことをホセは一瞬にしてやってのけた。

 それを目の当たりにし、自分がそれだけ大きな存在であったことを嫌でも感じ、ホセは心苦しささえも覚えた。

 未だに第二の人生の疑問は晴れず、目に見えないが息苦しいほどの強い束縛感もあるが、それでも自分のせいで倒れ伏したエイダのために、ホセは献身の看病を行った。

 ホセの心が通じたのか、エイダは以前のように笑うようにもなった。

 しかし、ある日。

 エイダはグレンフェルの屋敷から飛び出した。



「まるでわからん。何故、逃げた」

「…………」


 キットは黙った。険しく暗い表情で床を睨んだまま押し黙り、


「…………わからない。この頃の記憶は、殆ど曖昧なんだ」


 小さくそうそう吐き捨て、酒を飲み干した。話している間にも一回飲み干している。急に飲む速度が上がったからか、キットの顔は紅潮していた。アランは酒瓶をキットからすこし遠い位置に置き直した。

 ぼんやり離された酒瓶を見たまま、キットは呟く。


「でも、その家出の間に、ホセは死んでいた……」


 ぽつりと出た声は上擦っていた。


「なに?」


 ジェラルドは眉をひそめた。


「病気だったんだ。治療すりゃいいのに、僕を待って……僕が帰ったとき自分がいなかったらきっと寂しがるって、僕を待って、死んでいったんだ……ずっと僕にぶつけたかった疑問を抱いたまま、何も知らずに死んでいったんだ……」


 ぽつりぽつりと告げられる物語のあっけない結末に、ジェラルドは言葉を失った。


「願わくば、もう一度あなたに会えることを。次こそは、心通わせられますよう……に」


 キットが震える声でそう囁いた。その言葉が誰の言葉か、聞かずともジェラルドには理解出来た。


「夜風に当たってくる」


 キットはそれだけ言い残すと、勝手知ったようにテラスへ出た。

 ジェラルドもアランも止めようとは思わなかった。

 しばらく二人は黙って、自分のグラスに残った酒をゆらゆらゆらゆら揺らしていた。

 最初に口火を切ったのはアランだった。


「僕にとってホセはね。目の敵に近かったよ。ホセを引き取ってから、やはり色んなところから陰口を叩かれたからね。父の名誉を守ろうと必死だった僕からすれば、ホセは邪魔者だって思ったことさえもある。おまけに実の息子以上に大事にして。気が狂ったってホセのことは覚えているのに、僕のことや父さんの死も曖昧になって」


 懐かしむように、揺れるグラスの酒の水面を見つめ、アランは独白した。


「でもホセは……昔に一度だけ、父から聞いたことがあった、母は誰かを探していると。その人だと理解したよ。父が許してやれといった、母の大事な人だったんだと理解できたよ。まぁ、母が出て行った後でだが」

「……」

「母はずっと、ホセを探すためだけに生きてきた。その事を僕は何十年も見てきたのにね。気付くのが遅かったですよ。……何にせよ、その事をホセに伝えるべきだったんだ、母さんは。だけど逃げ出した」


 グラスを見つめるアランの横顔は穏やかなものだった。深い皺が刻まれた老獪の口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。


「ホセはね、死ぬ最期まで言ってました。何故自分を探していたのか。大事にしてくれていたのか。『家族』なんだから腹を割って話してほしかったとね」


 アランは変わらず穏やかな顔で、ジェラルドを見た。そこでようやくジェラルドは気付いた。アランの目は後悔の色で濃く染まっていた。


「次は心を通わせたいと。願っていました」

「……」

「だから、これは……ホセとの約束を果たすために必要なことだったんですよ、ジェラルドさん。母の代わりにホセの死を看取った者としてのね。ホセの言うところの『人生の決着』です。母を、キットさんを泣かせることはしたくなかったんですがね。それでもやらなければならないことだった。僕と母さんのためにね。しかしさっぱり正しかったのかどうかわからない」

「……アラン殿」

「これはホセと僕とエイダ・グレンフェルの願いだ。過去の願いだ。脆く崩れ去った歪な家族の落とし所を、今を生きるお二人にぶつけただけだ。キットさんは、あなたがホセであることを僕に言わなかった。それは過去との決別ではないかと僕は思うようになってきた。となるとこれは……今を生きているキットさんに、また過去を思い出させるだけの、つまらない時間だったのでは……」


 早口で言い切り、アランは深いため息を吐いた。姿勢を正してソファーに腰掛けていたのを崩し、背もたれに頭を預けた。だらしない格好で、天井を見上げる。


「母さんにはもっと辛かっただろうに……」


 アランの弱々しい独白にジェラルドは何を返せばいいかわからない。

 重荷を背負った人に声をかけるのは容易ではない。不用意で不必要な言葉は、更なる重荷を負わせることになる。

 しかし、アランは勘違いをしている。ジェラルドはそれを感じていた。

 再び訪れた沈黙の中、ジェラルドは考えた。自分よりも遥かに生きたこの二人の苦悩を。自分が見てきたキットを。キットがいつも抱えている罪悪感を。

 そして、意を決した。



「いくつか言えることは……」


 ジェラルドの重い口が開かれる。


「アラン殿、あなたも我々と同じく今を生きている人間だ」

「……」

「そして、キットは未だに過去の何かに囚われて死にたがっている。それを晴らす為に、俺達は今こうして旅をし始めた。今を共に生きるためにだ。だから……これはその過程として必要なことだったと俺は思います。故に――」

「……」

「俺はアラン殿がこの場を設けてくださったことに、感謝をしている」


 ジェラルドの声は真摯で、キットのように心を読めずとも、それが真から出た言葉であることはアランにはわかった。


 ――憑き物が落ちる。


 アランはそんな言葉を思い浮かべた。エイダの死に際に話された、過去の恩人の話しに出てきた言葉だった。その人物と暮らしていくうちに、自分の中の苦しみ悲しみ、囚われていたものすべてから解き放たれていった。エイダが、そう穏やかな顔で言っていたことはアランの記憶にははっきりと残っていた。

 ジェラルドは立ち上がった。


「キットのところへ行っています」

「そうか」


 アランは目を閉じた。静かな気配がのっそり動くのを感じた。

 ホセ……――。

 アランはホセを思い出す。

 疎ましく、邪魔者と何度も感じた男だった。しかし、その反面。兄妹のいない自分にとってホセは兄のような存在でもあり、母を支えるために共闘するパートナーでもあった。

 狂気の中を彷徨っていたエイダを救ったのは、ホセだった。そして、そのエイダに苦しめられていたアランを解き放ち、元の形に戻してくれたのも、彼に間違いなかった。故に、これもまた運命なのだろう。

 アランは口元に笑みを浮かべた。再び天井を見つめるために開かれたその目は、波紋一つ立たない静かな湖畔のようだった。


「あとは、孫を見るだけということかな、僕も」


 持っていたグラスと、ジェラルドが置いていったグラスをぶつけた。

 ちん。

 小気味良い音が、静穏な部屋に響いた。

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