◆ グレンフェル宝石商
夕食を終え、キットたちが部屋でくつろいでいると壁についている宝玉が光った。
メモに何かを走り書きしていたサイが嬉々として宝玉に触れると、宝玉からアランの声が聞こえてきた。
『キットさんとジェラルドさんは、お暇かな?』
指名されキットとジェラルドはソファーから立ち上がる。
キットが呼ばれるのはわかるが、自分が呼ばれるのはよくわからない。ジェラルドはキットを見た。キットは何か感づいたようで複雑な表情をしていた。
「ああ、大丈夫だ」
すぐに答えなかったキットの代わりにジェラルドが声を上げると、少し離れていたが宝玉に声が届いたようだった。
『そうか。では、『懐かしき語らいの場』で待っています、と伝えていただけますかな。そういえば……キットさんなら分かると思うので。では後ほど』
それだけ言うと宝玉は光を失った。
サイは首を傾げる。私は行かなくていいのかしら? そう言いたげにキットを見る。キットは頷いて、待っていてくれとだけ言って部屋を出た。
(……わからんな、さっぱり)
ジェラルドも黙ってキットについて部屋を出た。
足音が響く。いつもの歩調と違う。廊下のせいか。
いや。
――キットが怯えている。前を歩く彼の背を見て、ジェラルドはそう思った。
「何をそんなに怯えてる」
背後から声をかければ、キットの身体が震える。
キットは足を止めて振り向いた。
「ちょっとな……」
いつもならば真っ直ぐ向かってくるはずの目を逸らし――後ろめたい証拠だ――、キットは言葉を濁した。
何も言えなくなったキットを、ジェラルドは黙って待つ。急かすことも、言葉で遮ることもしない。
熟考の果て、キットはようやく重たい口を開いた。
「『昔話』をすると思う」
ジェラルドの反応をうかがうようにキットは彼を見上げた。ジェラルドは何も変わらない。何を思うわけではない。
いや正しくは、「遂にか」と思った。そしてどんな話でも受け入れる覚悟は出来ていた。それを念じ、キットに注ぐように心の中で唱えるが――実際彼がどういう風に自分たちの『心』を捉えているかなど、ジェラルドには理解できない――、彼の表情は一切晴れず、曇り、緊張に強張ったままだった。
「もう少ししてから部屋で話そうと思ったけど、アランに先を越されると思う」
「そうか」
「ここに住んでいた馬鹿な女の話だ。しょうもないと思うけど」
「それは俺が決める」
「アンタは呆れるかも知れないし、気味悪がるかも知れない。それが怖――」
ジェラルドは思わず盛大なため息を吐き出した。
「キット。何故こういうときは俺の心を読もうとしない。そんなことは絶対ないと何度も唱えているだろう」
呆れを示すようにはっきりと告げれば、キットは更に表情を曇らせ、またも思考に入っていった。
目を閉じ、天井を見上げ、背後を振り返り。
煮え切らない様子をいくつも見せ、ようやく覚悟が決まったのか、キットはいつもの挑発的な――強がりの――笑みを浮かべてジェラルドを見返した。
「ここで心の声を聞くのは卑怯というものさ」
――ジェラルドが溜息を押しとどめるのを苦労したのは言うまでもない。
溜息の代わりに数度自分を落ちつかせるようにジェラルドは瞬きをし、
「どうかな? どのみち俺からすれば、お前のそれは、ふん縛られて魔法をかけられるのとなんら変わりない」
「知ってるよ」
厭味を込めた言葉を放てば、即座に答えが返ってきた。見れば挑発的な笑みの形は変わらないまま、表情が曇った。自嘲を隠そうと、キットの表情が引くつくのをジェラルドは見逃せず、目を閉じた。
「だが、構わん。持っているものを好きに使えば良い。使わないのもお前の自由だ」
それはとうの昔に許したことだった。サイも許しているだろう。だから時間を共に過ごした。思考だか感情だかジェラルドには知る由もないが、キットはその情報を悪いようには使わない。ジェラルドはそう信じている。
「……そうか」
キットは背を向け、再び足を前へ向け、そして数歩歩くと思い出したかのように振りかえった。
「そうだ。最後に一つ」
「なんだ?」
ジェラルドはとうとう我慢ならず苛立った。
この男の臆病さは何とかならないものか。それでキットを嫌うほど嫌な面でもないが、非常に苛立つ。出してはいけないところで蛮勇を奮い、こういうところで臆病になる。いや、臆病だからこの男は簡単に命を投げ打とうとするのだ。いい加減にしろと怒鳴りたくなるのを堪え、ジェラルドは話を促した。
キットは遠くを見るような目でジェラルドを見る。口は変わらず好戦的だが、目はどこか虚ろだった。
「アンタ、ここに住んでたんだ、昔」
そう言って、キットは部屋をノックした。
急に明かされた秘密。ジェラルドは眉をひそめた。疑問も一気に浮かんだ。
しかし、彼が口を鋏むのを許さないように、部屋からアランの声が聞こえた。キットもすぐに扉を開ける。先ほどまで躊躇していたとは思えないほど素早く流れる動作だった。話の続きは、アランも混ぜてするつもりらしい。ジェラルドは黙って従い、思考をめぐらせた。
ジェラルドの記憶に、ここに住んでいたという話しは存在しない。ということは、キットのみが知る、『前世の話し』であることはすぐに想像ついた。
ジェラルドとキットは前世から縁のある間柄だった。ジェラルドもそれを教えてもらい、知っていた。しかし、細かなところまで教えてもらったことはない。知っているのは、前世で二回の縁があって共に過ごしたということだけだった。今でもそれが嘘か本当かはジェラルドにはわからない。一度、その事を聞かされたっきり、それ以来キットはあえて口には出さなかった。正しくは、出したくても出せない。そうやって一人で悶々とした日々をキットが過ごしていた。そのことをジェラルドだけでなくサイも知っていた。
それ故のこの旅だ。この旅は、そういったことも含めて彼が色々話そうと決意したから始まった旅だった。
ならばこれはこの旅に必要な出来事なのだろう。
(……考えても仕方ないか)
ジェラルドは僅かな苛立ちを掻き消し、キットの動向を見守るように、彼を後ろから眺めた。
通された部屋は、小さな談話室のようだった。家具も少なく、テーブルとソファがいくつかあるだけの、こじんまりとした静かなサロンだった。
アランが入ってきた二人に顔を向けた。
「思ったより早かったですね、キットさん」
「これでもゆっくりきた」
「なるほど」
分かり合ったように会話する親子。何故この親子に自分だけが呼ばれるのか、ジェラルドには計り知れなかった。しかし、先ほど明かされた秘密は関係しているのだろう。
アランは部屋で酒の用意をしていたらしい。
白いクロスが引かれたテーブルには、見るからに高そうな酒とつまみが乗っていた。
(一体何なんだ……酒盛りでもするのか?)
流石のジェラルドも憮然とするしかない。その様子に気付いたアランが苦笑した。
「母さんはまた、説明をしなかったのかな」
「……」
「ああ、そうだ。俺は説明なしでここに連れてこられた」
「……ちょっとはした」
「俺がここで住んでいたことだけな。しかも、聞いたのはついさっき、部屋に入る直前だ」
拗ねたように口を曲げるキットをジェラルドは半眼で睨んだ。
アランはかつかつ笑った。こうしてみるとクライブの笑い方はアランのそれと似ていた。
「説明したって言わないよ、母さん」
「……わかってる」
キットは後ろめたそうに顔を伏せた。
「さぁ、どうぞ。座って、ジェラルドさん。母さんも」
てきぱきとセッティングをし、アランは穏やかに笑った。
「昔みたいでしょう。こうやって三人で飲むなんて」
席に促し、酒の蓋を開ける。かぐわしい香りが漂った。実に美味そうだ。ジェラルドは大人しく席に付くことにした。
キットは違った。立ち尽くしてアランを見ていた。その目は申し訳なさそうだった。
アランは黙って、穏やかな顔でキットが席に着くか口を開くのを待っていた。
「アラン……」
「なんだい、母さん」
「お前は完全に気付いてるんだな。ジェラルドが、ホセだって」
「ええ、気付いてます。そして、その事も含めてお話をしよう。昔話です。ジェラルドさんだって、さっきから待っている。座って、母さん。夜は長いが、時間は有限だ。私も彼もあなたじゃない。残念ながらね」
優しげだが、反論を許さないような強い声でアランはキットを座らせた。
座った二人はアランから美しい装飾が施されたグラスを渡され、そこに並々とぶどう酒が注がれた。
アランが手酌をしようとするので、ジェラルドが酒瓶を持った。
アランは照れくさそうだった。その反応の意味するとこは、ジェラルドにはわからなかった。キットは未だに複雑そうだった。
三つの杯に酒が注がれると、アランは優雅にそれを掲げた。
「それでは、三十年ぶりの再会に、乾杯」
ちん。
無理矢理鳴らしたその渇いた音。
母と息子と、居候の『昔話』が明かされる合図だった。
「さぁ、母さん。話しましょう。そういう約束だったでしょう」




