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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
血分け合うも他生の縁
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◆ 旅立ち

 馬車を走らせ、ハーレフ山脈の峠の宿に着く頃には辺りは真っ暗になり、空に星と月が煌きだす時間になっていた。

 なじみある峠の宿で馬車を止め、キットとジェラルドとサイは宿に入っていった。

 扉を開けて中に入ると、暖かい光と共に香ばしい食事の香りがキットたちを迎えた。宿に入ってすぐの食堂は、峠を越えてトゥーンもしくはオーネに向かう途中の旅人たちでそれなりの賑わいを見せている。席に座り、各々食事を楽しむ様子は暗い峠の中だというのに、街の食堂となんら変わりなかった。

 サイに席を確保してもらうよう頼み、キットとジェラルドは宿を営む主人の元へ行った。

 宿の受付をしていた老人は、キットとジェラルドに気付くと読んでいた本から顔を上げ破顔した。


「こりゃキットさん……それにジェラルドさんじゃないかい。こんばんは」

「やぁ、トマじーさん。こんばんは」


 トマと呼ばれた宿屋の主人は、宿のカウンターから出てキットの元へ、杖を付きながら歩み寄った。慌ててキットも歩み寄る。


「出てこなくても大丈夫なのに」

「いやいや、いいんだ。ジェラルドさんにはこの前世話になったばかりだしのう。カウンター越しで話すわけにはいかんじゃろ」

「トマじーさんは義理堅いなぁ」


 キットは苦笑を漏らした。

 世話になったというのは、時折峠に集団で現れる魔物たちをジェラルドが退治したことだ。彼はオーネの守備をしているだけでなく、峠の宿の魔物退治もしている。

 ジェラルドにとってはそんなに骨折れる仕事でもない。気にしないでくれ、と彼は呟いた。

 無愛想な様だが、トマは気にした様子もなく、頷いた。


「そんなことより、二人一緒っていうのは久々じゃないか。どうしたんだい、キットさん」

「僕たちだけじゃないです。サイも、今食堂の方で席とってもらってるんだ」

「おや、サイ先生もか! 仕事か? トゥーンのグレンフェルさんとこまで行くのかのう?」

「そこも、行く……というところです。またちょっと戻ってくるかも知れないが、基本的にはしばらくオーネから離れることにしたんだ」

「なんと……まぁ」


 トマは目を丸くして驚いた。


「そりゃ、寂しくなるし……何より不安があるのぅ……」


(ジェラルドさんがいなくなるのか……どうしたものか……魔物退治……)


 ため息と共に吐き出されたその言葉にキットは顔を曇らせた。トマが言っている不安というのは、魔物退治を頼んでいるジェラルドがいなくなることだ。

 勿論、今まで――ジェラルドに頼む前までも魔物がこの峠の宿を襲ってきたことはある。魔物たちが活発になる時期もある程度わかっているので、用心棒を一時的に雇ったり、突発的な襲来でも、ちょうど滞在している旅人に頼んだりするようにしている。故に対処出来ないわけではない。しかし、ジェラルドがいないだけで断然手間や金もかかることになる。


「ジェラルドにも一緒に来てもらいたかったから……悪い、トマじーさん」

「いや、いやいや。いいんじゃって。すまんのう、つい考えてしまった。そんなことよりキットさんたちの旅の安全を考えるべきなのに」


 トマは申し訳なさそうに頭を掻いた。キットはそれに首を振る。人里から少しだけ離れ、ここで旅人たちのために生きているトマたちにとって、その事は何よりも気がかりなことに間違いないのだから。


「トマじーさんたちにとっては重大な問題だ。それでさ、代わりにグレンフェルの人たち何人か常駐できないかどうか掛け合ってみるよ」

「本当かい! そりゃ助かるぞ! いや、ほんとに!」


 キットの申し出に、トマの落ち込んだ目は一気に輝いた。


「ありがとう、キットさん」

「ううん、突然な話だったし、そこ心配だったんだ」


 トマに握手と感謝をされ、キットもほっとした。

 すると、食堂の方から大きな活気のある声がかかった。


「キットさんじゃないかい!」


 恰幅の良い身体を揺らしながら女――トマの息子の嫁のメリーがやってきた。

 この宿の食堂を一人で切り盛りしている非常に明るい、度胸のある女性だった。どういうわけかキットを気に入っており、キットが来ると息子を迎えるように大歓迎する。その熱烈っぷりに彼は苦しげな笑みを浮かべるほかない。

 メリーはどんっと音がするのではないかと言うほど勢いよく駆け寄り、キットの身体を抱きしめた。


「ひさしぶりじゃないかいっ!」

「く、苦しいです……」

「あら、ごめんなさい」

「これ、メリー。お前は本当に加減を知らないのう」


 毎度のことにトマも呆れを隠せない様子だった。

 義父に諌められ、メリーはさっとキットから身体を放す。しかし、愛情たっぷりの様子は隠れることなく、今度は上から下までキットを眺め、そして満足げに頷いた。


「ちょっと痩せたかい? キットさん。ちゃんと食べなきゃ。今日は肉多めによそってあげるよ」

「お。それは嬉しいや! ありがとう、メリーさん!」

「久々だものぉ! それくらいはしちゃうわよ!」


 メリーは丸い頬を紅潮させ、キットの背中を強く叩いた。

 キットはつんのめりそうになるのを堪え、なんとか笑いを浮かべた。

 緊張が全身に走る。彼女の心の『声』だけは聞きたくない。その行動と同じくらい全力で、多くの『声』がこちらに向かってきそうだ。それはひどく疲れる。キットはそう感じ、意識をメリー以外のどこかに集中させた。

 人の心を読む力。

 キットには人にあまり言えない特殊な能力が備わっている。

 その一つとしてキットには他人の思念を聞こえてしまう力がある。それがどれくらい特殊なものか、キット自身はわからないし知るよしもないが、少なくとも彼が今まで出会った中で自分ほどしっかりと他者の思念を捉えられる者は一人としていなかった。

 強い感情であればあるほど、爆風を受けるような強い衝撃と共に無秩序な騒音が頭に響き渡ってくる。今では意識的に聞こえないようにすることも可能になったが、非常に強い感情や自分に向けて襲ってくる感情・思念ともなると、キットは敏感に、無意識に捉えてしまうのだ。

 ほどほどの集中力で聞こえなくなるのだから、メリーもそこまで強い感情があるわけではないと分かっているのだが、肉体的な強烈さから、キットは彼女の前ではいつも心の耳をさっと閉じていた。

 そんなキットの事情などおかまいなしにメリーは明るい笑顔でどんどん話を進める。トマも、後ろで黙ってみているジェラルドもどことなく気の毒そうにキットを見つめていた。


「最後に会ったのはいつだったかしら? 三ヶ月くらい前?」

「そ、そうだな。……ああ、そうだ!」


 三ヶ月。その単語にキットはハッとした。宿主たちに聞きたいことがあったことを失念していた。


「トマじーさん、メリーさん。三ヶ月、僕と一緒に来た青髪のシーリル人の女の子覚えているかい?」

「はて?」

「あ!」


 キットの質問に両者は別々の反応を示した。首を傾げたのはトマで、メリーは手を口元に当てて何か思い出したように声を上げた。


「そうだったよ! すっかり伝えるのを忘れてたよ! 来たんだったよ、その子が!」

「見たのか!」

「ちょうど先週、一人でここの峠を越えようとしてたからね、キットさんはどうしたんだい? って言ったら一人だって……一旦うちで保護しようと思ったら、さっとどっか行っちゃって……それをキットさんに連絡しようと思ってたのに、私ったらすっかり……!」


 メリーは今更慌て、右往左往した。

 聞いたキットも苦々しげな表情を浮かべてジェラルドを見た。

 ところがジェラルドは涼しげだ。軽く肩をすくめ、


「……まぁ、ここでつかまるとは思っていなかったが、宿も借りずに峠を越えたか」


 事も無げに呟いた。

 キットはその反応に眉を寄せ、ため息を吐いた。


「そんな危ない旅してるならすぐ追いかけりゃよかった……あの馬鹿」

「……しかし、レシィが出たのは深夜だ。ここに着くのはちょうど昼過ぎくらいだろう」

「深夜! それも初めて聞いたぞ! そんな危なっかしいことやってるならすぐ追いかけた!」

「元々彼女は一人でオーネまで来たんだ。大丈夫だろう」

「非力でろくな魔法も使えない子ども一人で! 何が大丈夫だって言うんだ!」

「非力で魔法も大して使えないと言えども、俺達とあの遺跡を潜り抜けたんだ。この辺の魔物なんてもう大して怖くもないだろう。火事場の馬鹿力ならぬ馬鹿魔力だってある」

「でも何かあったらどうするんだ!」


 尋ね人に関して温度差があるキットとジェラルドは口論を始めた。最も喧嘩腰で噛み付いているのはキットのみで、ジェラルドは飄々と変わらぬ様子だった。

 キットの剣幕からメリーもかなりまずいことをしたと思い、俯いてしまった。

 トマもどうしたものかと黙っていると、その後ろからサイが怪訝そうに近づいてきた。


「一体どうしたの?」

「ああ、サイ先生。よかった、二人が」

「ごめんなさい、私ったら」


 口々に説明しだすトマとメリー。そしてサイに全く気付かないキットと、気付いているけどキットの相手をして口を鋏めないジェラルド。

 サイは小さく嘆息し、一番冷静さに欠けているキットの頭を軽く叩いた。


「こら、キット」

「あ、サイ」

「他のお客さんにも見られてるわよ。ジェラルドはいるだけで目立ちやすいんだから」

「俺のせいなのか?」

「それで? どうしたの?」

「…………」


 心なしかしょぼくれたジェラルドをサイは最後まで無視し、キットに話しかける。キットも感情的になりすぎていた自分に気付き、落ち着かせるように息を吐き出した。


「……レシィが、深夜に家を出たなんて初めて聞いた」

「あら? 言ってなかったかしら?」

「サイも知ってたのか!」

「出て行ったのは知らなかったけれど、起きていなかったし、なら夜出たってことだって思っていたわよ」


 またしても自分とは違う温度にキットは唇を噛んだ。


「サイがそういう反応ってことは、お前もレシィは一人でも大丈夫だって思ってるんだな……」

「元々彼女は一人でここまで来たじゃない。それに、あの遺跡を一緒に探索し、あの人形や魔物たちと戦ったのよ? 夜の峠はそこそこ危険かも知れないけれど、他は街道を通っていればそんなことはないし、そこまで心配するほどでもないわよ。私とジェラルドが一人で旅出たってそんなに心配しないじゃない、あなた」

「あいつとお前らじゃ全然違うだろ!」

「敏感だし、身軽だし、身を隠したり気配を消したりするのは得意だわ。キットだって知ってるじゃない」


(心配しすぎよ。普通に格闘だって逃げだってよくやってのけたじゃない、あの子)


 聞こえてきたサイの『声』にキットはハッとし、頭を振った。


「……そうだけど……いや、そうだ。わかってる、僕が冷静じゃないだけだ」


 確かに、ジェラルドとサイの言うとおりだ。キットは心の中で唱えた。

 冷静に考えれば、心配する要素は特にない。慌てて喚き散らすような不安もない。力や能力だけで考えるならば、油断をしていない限りはまず危険なことはない。しかし、キットにはあの少女が一人でいると考えると淡々としていられない。

 手紙を残しただけで、挨拶もせずに一人で家を飛び出した少女を思う。人知れず真夜中に飛び出し、宿も取らなかったとなると、本当に逃亡するようだ。

 そこまで考え、キットはあの少女がどれほどオーネや自分たちから逃げ出したかったか改めて理解した。

 そして、怪我をして寝込んでいたとはいえ、あの少女が心底苦しんで出て行くときに気付けなかった自分に、キットは嫌気がさした。

 心が聞こえたって、何も役立たない。それを思い知らされる瞬間、キットはひどく苦痛を感じた。

 キットはもう一度息を吐き、メリーに向いた。いつも明るいメリーが困ったようにおろおろしているのを見て、キットは安心させるように笑った。


「ごめんなさい、メリーさん。今更だけど、気に病まないで欲しい。こっちも忙しさにかまけて今日ここに来るまで聞かなかったわけだし。それに、ジェラルドたちの言うとおり彼女は一人でも平気だから」

「本当にごめんなさい、キットさん……」

「大丈夫。僕が冷静じゃなかっただけで、落ち着いて考えれば彼女は実に逃げ足が速いし、旅慣れている。一人でも大丈夫だ」


 自分にも言い聞かせるように、キットはメリーに微笑みかけた。

 サイとジェラルドは顔を見合わせ、困ったように肩をすくめる。すぐさま、ジェラルドがキットに手を伸ばして頭をぐしゃぐしゃ撫でれば、顔がムッと歪むのをキットは隠さず、斜め上――ジェラルドを睨み付けた。

 小さなやりとり。

 その間にサイはトマとメリーに一つお辞儀し、食事を部屋で取ると伝えた。

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