◆縁があったらまた会おう
翌々日の昼時にキットは目を覚ました。
「う……ふぁぁぁぁぁ」
大間抜けな欠伸を漏らして、キットが伸びた。日の光が目に刺さっているのか、眩しそうに目を細めている。そのままにしておけば、また寝てしまいそうだった。
「おはよう」
声をかければ、目を大きく開けてキットがジェラルドの方を向いた。
「ジェラルド……ああ、よかった。僕は本当に生きていたんだな」
キットが心底安心したように胸を撫で下ろす。
彼のその意外な言葉に、思わずジェラルドは軽く目を瞬かせた。
彼が生きていたことを良かったと言うとは思わなかった。自らを傷つけてそれを示したりはしなかったが、彼は常々何かを小難しく考え、心に闇を抱き、内側で幾重にも自分を傷つけ、死にたがっていた。それを押し隠し、暮らしていた。それがわからないではなかった。サイもジェラルドも、何となくわかっていた。だからこそ、そのさっぱりとした清々しい普通の感情が意外だった。
水を入れたカップを手渡しながら、思わず笑みを噴出した。
「ああ。まだ死なせない。説教もしていないからな」
軽くねめつけると、水を飲もうとしていたキットの手がびきっと固まった。何に対する説教か、思い出したようだ。えーっと、と声を上擦らせ、視線を彷徨わせる。その視線が、はたと何かに気付いたように、止まった。
「そうだ! レシィ!」
何日も寝ていたというのに、キットは勢いよく起き上がる。案の定、床に足をつけた途端に身体をふらつかせていた。
キットが、レシィと同じようにジェラルドの横を通り過ぎた。
ふらつきながらも部屋から飛び出ようとする背中に、ジェラルドは声を掛けた。
「レシィなら出て行った」
「…………」
あたかも今日の天気の話題のように、何事も無いように投げかければ、キットの足が止まり、ゆっくりと振り向く。口を半開きにして、呆然としていた。
追い討ちをかけるつもりで、ジェラルドは彼女の言い訳を投げた。
「元々、父親が見つかるまでの約束だったしな」
「…………」
キットはジェラルドを見て呆けていたが、暫くすると頼りない足取りで部屋から出て行った。
三階に上がれば、そこはほんの数日前と変わらぬ姿を見せてくれた。
窓から入る光に照らされ、埃がきらきらと舞う。椅子も机も寝台も、そのままだった。戸棚の中には、この三ヶ月で彼女に買い与えた何着かの服が入っていた。彼女が作った玩具や、作りかけの玩具も机の上に置きっぱなしになっていた。何一つ変わらぬ日常がそこにあった。
机の上においてある玩具の横に、折りたたまれた紙を見つける。キットは迷わずそれを手に取った。
ころん。
硬いものが床に転がる音がした。音の方を見れば、指輪が一つ転がっていた。レシィにあげた指輪だった。キットは指輪をぼんやり見ながら、紙を広げた。
『キットへ
目が覚めたみたいなので、ホッとしています。
この手紙を読む頃には、私はもうこの部屋にはいないと思います。
もっとみんなと一緒にいたかったけど、どのみち、パパが見つかるまでの約束だったし。それに、今は一緒にいたい気持ちより、ここから逃げたい気持ちの方が強いです。
本当にごめんなさい。いっぱいいっぱい怪我負わせてごめんなさい。大変な目にあわせてごめんなさい。
それでもパパを探してくれてありがとう。
ここにいると心がどうかしてしまいそうだから。だから、卑怯だけどここから逃げます。みんなが寝ている間に。
三ヶ月間、とっても楽しかった。今までありがとうね。いつかまた会えるといいな。ううん、会いたい。それに、やっぱり皆と一緒にいたい。
でも、出て行きます。逃げるしか思い浮かばなかった。
さようなら。またね。
レシィ・レーン』
キットは二度三度とそれを読み返し、紙を閉じた。手紙をポケットに入れ、床に転がった指輪を掴む。宝石は辛うじて残っていたが、細工の部分は傷だらけで、曲がってしまっていた。
もう一度、手紙を開く。
「本当、まるで……僕を見ているようだ」
父をがむしゃらに探してここまでたどり着いた少女。出会ったときから――あの健気さ。あの無鉄砲さ。真っ直ぐさ。弱さ――、かつての自分を思い出ささせた。家族を直向に探し続けた自分を見ているようだった。とても、よく似ていた。
その彼女はひとまず逃げる道を選んだ。また向き合うために。
それは心配ではあるが、選択から逃げ続けた自分よりも尊ばれる行動ではないか。キットはそう思った。
では、自分はどうするか。
もうここまで来ては、誤魔化しして微温湯の生活を続けることは出来なかった。彼女よりも長い時を生きている自分が、このままではあまりにも情けないではないか。
覚悟は気付けば出来ていた。
キットはくるりと踵を返した。
扉を開け放つ。
「ジェラルド! サイ!」
階段を駆け下り、家族の名を呼んだ。
彼らは呆れたような表情で、各々部屋から出てきた。キット自身も苦笑せざるを得なかったが、ぐっと堪え、いつものように挑発的な笑みを浮かべた。
「旅に出るぞ!」
はっきりと言い放つ。するとジェラルドはあからさまにため息をついた。
「レシィを追いかけるとか寝言言うようだったら、説教を増やすぞ」
尤もだ。キットは心の内に僅かに生まれた動揺をグッと押し隠し、首を振った。
「それは目的の一つではあるけれど、あくまでついでだ。あの馬鹿、人が折角作って贈った物を置きっぱなしで出て行ったからな。しかも一人で勝手に、挨拶もなく!」
胸の前で固める拳の中には指輪があった。
「でも、本当の目的はそれじゃない。――アンタたちに話したいことがあるんだ」
キットは表情を引き締めた。震えそうになるのを堪える。人によっては、こんなことに何一つの決心も要らず、容易にこなせる、当たり前のことだろう。しかし、自分はそうはいかない。
決意表明の時だ。
「確かに『事情』は説明したけど、あまりにも曖昧だった」
同居人である彼らに話したのは、『自分が何度も繰り返される生の記憶を保持している』こと、『人の心が読める』こと、そして共に暮らす彼らが自分の前世において大切な存在だったという事。たったそれだけだった。それだけでこの二人はついてきてくれているのだ。
それ以外は全てはぐらかしてきた。多くのことを隠し、そのくせ大きな望みを持っていた。向き合うのが怖くて。自分自身の選択の他に、巻き込んでいる二人に対してもあまりにも不誠実だった。逃げは過去にすでに犯した過ちだった。
ジェラルドとサイは黙って聞いている。その心が何を思っているか。今は聞かない。
「もっと一緒にいたいから。キットとして、ジェラルドとサイと一緒にいたいから」
一呼吸置いた。口は閉じない方がいい。きっと言葉を飲み込んでしまう。指輪を握り締める。少女の持つ勇気が感じられた。最後の一押しをくれた。
「『今までのこと』、色々知ってもらいたいんだ」
一緒に生きたい。
キットは今、確かにそう思った。辛くても、もう少し生きてみようと思った。一緒に生きられるなら、不誠実のまま微温湯の中で溺れ死ぬよりも、辛くても生きていける。
数日前までの憂いが全て吹き飛んだわけではない。
しかし、霧の中を抜けるように、確かに今一歩踏み出した。
恥ずかしい『全人生』の中で一番大きな一歩だったかもしれない。キットは強くそう感じた。
「……馬鹿ね。あなたほんとうに」
サイがふっと微笑んだ。
「でも、私も知りたい。聞きたいわ」
「ようやく……だな」
ジェラルドも深い笑みを見せた。
キットは頷いた。
「色々な場所に行こう。今まで僕が行ったところ、見てきたことを話そう。一緒に来てくれ。それで、また。一緒に、生きて欲しい」
それは大層な夢。人らしからぬ、もっとも人らしい希望。
キットは目を閉じた。
レシィ。お前も。いつか。
窓から西風が吹いた。目を開ける。
空の青さが眩しかった。
遥か東の空を見る。
あの空の下には平穏があった。
いつかまたその安らぎを手にするために。
「また、いつか……」
会いたい。
自分達にはきっと縁がある。レシィはそう信じて西を目指した。
――――――
第一話「袖振り合うも他生の縁」 完
長くなりましたが、第一話はこれで終了です。
十年前の作品なので至らない点しかなく、いつかこれを書き直して本にするつもりです。そのときまでは掲載しておきますが、もしかしたらその後は消すかもしれません。
第二話以降は『なろう』では掲載します。二話は一話よりも前に書いたのでもっと至らないかもしれません。
ここまでお付き合いありがとうございました。




