◆縁があったらまた会おう
一体ここはどこだ。キットは困惑した。身体は見えるが、そこにない。これほど不安定で不確かな身体の感覚は初めてだった。
そもそもこんなに真っ白な空間は『生まれてこの方』、一度も見たことがなかった。遺跡でもない。地上でもない。ここはどこだ。
ハッと顔を上げる。
女がまだ佇んでいた。無機質な表情でじっとキットを見詰めていた。
キットは身体を震わせた。口も震えながら開かれた。
「女神……様?」
直感的に湧き出た言葉をそのまま漏らせば、キットはそれが正しいと確信した。
女は質問に対して肯定も否定もしなかった。
「正しく自分を認識できましたね」
ただそれだけ呟いた。本を読んでいるかのような、感情の篭らない声音だった。
平坦な声に、心の奥底から感情が溢れ出そうになるのをキットは感じた。その瞬間、頬だと感じる部分に温かいものが流れた。キットは動揺した。
女は何も言わない。黙ったままキットを見ていた。
耐え切れず、キットは口火を切った。
「どうして――」
積年の疑問をぶつけるために。
「どうして、私をお見捨てになったのですか」
女はやはり無表情のままだった。何一つ変化しない冷たい表情で黙っていた。
キットは女に縋りついた。みっともなく縋りついた。
「私が一体どんな罪を犯したというのですか。正しくは生きていなかったかも知れない。ですが、多くの人を差し置いて貴女に見捨てられるような大罪とは一体何なのですか」
心の奥底に溜めていた全てを吐露し、泣き続けた。
「何故、私だけずっと記憶を持ち続けなければならなかったのですか。何故、皆と同じように転生をさせてくださらなかったのですか。何故、私は他者の心の声なぞ聞かねばならなかったのですか。何故、私に救いは来ないのですか。何故、私だけがこのような目にあっているのですか」
すると、女は僅かに眉を寄せた。ほんの一瞬だった。しかし、それは女が初めて出した表情だった。
それに気付かず、キットは「何故」と「どうかお許し下さい」と繰り返した。
女は黙ってそれを聞き、キットの声が擦れ消えたのを見届けてから、口を開いた。
「私は一度もあなたを見捨てた覚えはない。信じる信じないはあなたの自由ですが、私は一度たりとも、例えあなたが信仰をなくしても、見捨てた覚えはない。いつだって側で見守っていました」
キットは唖然として泣き腫らした目で女を見つめた。雷をその身に受けたように、衝撃を露わに、言葉も出なかった。
女は無表情のまま、淡々としていた。女の言葉は続く。
「あなたを見続けていました。大陸に住む他の誰よりも。だから、あなたは私に連れてこられて今ここにいるのです。それに、あなたは罪を犯して記憶を保持しているわけではない。偶然、あなたがそうなっただけ。あなただけが記憶を保持しているわけではない。あなたの他に四人いた。内一人を除いて、皆リュープになる道を選んで、人を殺した。最後の一人は大陸で今も生きている」
「そんな――!」
衝撃の内容にキットは血の気が引くような感覚を持った。自分のほかに、自分と同じ存在がいるなど、思いもしなかった。頭を殴られたようだった。
すると、ぐんと背中から引っ張られる感覚がキットを襲った。キットは言葉を詰めた。
女は冷たく言い放つ。
「初心者にしては長時間の滞在をしましたね。そろそろ限界だと思いました」
「え、は?」
キットは自分の身体が薄れていくのを見た。女が何を言ったのか、身体に何が起きたか、まるでわからない。理解が出来ないまま、目の前の女の姿もぼやけていった。次第に小さくなっていく。
いや、自分の背中が引っ張られているのだ。女から遠ざかっているのだ。キットは気付いた。しかし、抵抗することは一切出来なかった。
声だけが聞こえる。代わらず無機質な声だった。
「いきなさい。どんな生き方でも、あなたの命がある限り、いつだって私はあなたの側にある。それは約束された絶対の真実」
「待って! 待ってくれ!」
キットが懸命に腕を伸ばすが、指の先から光に溶けていった。次第に腕が消え、四肢が消え、辺りが真っ白になった。背中を引っ張る力は止まらない。
キットは光の中に消えていった。
「キット? キット?」
「はっ……」
名前を呼ばれてキットは目を開けた。目が覚めてすぐに感じたことは、全身が汗でぐっしょりしている不快感だった。身体が熱い。頭も朦朧としていた。
「大丈夫? 何か夢でも見ていた?」
顔を覗き込んできたのはサイだった。サイだけではない。ジェラルド、そしてレシィもキットを心配するようにベッドの周りに取り囲んでいた。
「ここ……は……」
「あなたの部屋よ。……まだ熱があるわね」
「キット、キット……」
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
この泣きそうな『声』はレシィだろう。
キットは混濁して再び閉ざされようとしている意識の中で、レシィを探した。
伝えたいことがあった。いや、伝えるべきではないのかもしれない。だが、何でもいいから、安心させてやりたかった。今、安全な場所に帰ってきても不安でたまらない少女を放っておけるわけなかった。酷いことをさせてしまった。やはり、遺跡にいれなければよかった。出来れば戦わせたくなんかなかった。
しかし、反して身体は疲れきっていた。意識が途切れる。
名前を呼べただろうか。
キットは再び眠りに落ちた。




