◆縁があったらまた会おう
◆◇◆◇◆◇◆
私は幸運な命なのかもしれない。また家族に出会うことが出来たのだ。共に暮らすことが出来たのだ。彼らとの生活は、毎日が楽しい。世界に色が灯ったようだった。全てが色鮮やかに見える。しかし、その影で、私はずっと罪悪感や未来への不安に苛まれてきた。幸せでありながらも、逃げだして消えてしまいたいという気持ちが強かった。いや、幸せだからこそ、それが壊れるのが怖くて逃げ出したいのだ。
それでも、私がその行動を起こさなかったのは、やはり彼らがいたからだ。彼らが側にいてくれる。それだけで、生きていたいと思える。それは死にたい気持ちと同じくらい強いものだった。
どちらを取ればいいのかわからない。恐らく、自分を消せば、私を苦しめる全ての憂いから解き放たれるだろう。生き続ければ、苦しみは延々と続くだろう。私はまだどちらを取ればいいか、決められずにいた。今もまだ。それが新たな苦しみを生むことは理解していたが、やはり、生きる決意を捨てることも、死ぬ決意を捨てることも、私には出来なかった。
だから、今日もこうして目を覚ます。
何万回と繰り返したこの行為を、今日もまた――。
◆◇◆◇◆◇◆
目が覚めた。少なくとも、彼はそう感じた。
しかし、何かが変だ。起きたと言うのに、身体が動いていない気がする。目が開いているかもわからない。ただ、意識だけが宙に浮いている。そんな感覚だ。
この感覚は、あれに似ている。何度か感じたことがある、あれに似ている。
命が潰えたときの感覚だ。ということは、自分は死んだのだろうか。彼はぼんやり思考した。
それも暫くしたら違うことに気付いた。命がなくなる瞬間はこうやってぼんやり宙に浮いた感じがするのだが、その後はもっと、底知れない穴に落ちたような感覚が襲う。
真っ暗な宙に意識だけが投げ出され、ただ無抵抗に落ちていく。身体がないはずなのに、五感、いや六感が研ぎ澄まされ、意識が多くのものを感じ取る。混乱の時間だ。
そして、やがて意識さえも失う。暫くすると、またいつの間にか意識が戻るのだ。
あの気持ちの悪い感覚は、地上に落とされている感触なのかもしれない。今はその感覚が一向に来ない。
ならば、自分は死んでいないのかもしれない。しかし身体が動くとも思えなかった。一体何がどうなったのか。彼は無理矢理にでも身体を起こそうとした。
すると、身体がぐっと上に引っ張られた。ものすごい力だった。
何かから抜けた。彼はそう感じた。
そうこうしていると、更に強い力で彼の身体は引き釣られていった。
抵抗も出来ない。一体どこまで引き釣られるのか。一気に景色が流れていった。
――そこで彼は自分の目が開かれていることを知った。
ハッとして手を見る。しかしそこに手はなかった。それどころか身体の輪郭もない。引き釣っているものの正体も見えない。この景色も、景色とは言いがたい。真っ白の光の中、自分の身体が勝手にが引きづられているのだと理解した。
まもなくすると、更にまばゆい白い閃光が彼の目を覆った。
声がする。
「それをどうぞ」
女の声だった。冷め切った、冷淡な声だったが、嫌いな声ではなかった。耳に妙にすんなりと入る声だった。懐かしいとも感じる。
「特別です」
それとは何か、特別とは何か。わからなかったが、彼は女の声の方へと見えない手を伸ばした。
すると突然、景色が現れた。今度こそ本当に目が開かれたかのようだった。
――そこは薄暗い無機質な部屋の中。目の前には金髪の男がいた。
細身で細面の男だ。憔悴しているせいもあってか、ひどく目が落ち窪んで見えて、とても健康そうには見えない。その金髪の男が嬉しそうに長椅子にすがり付いていた。
「これだ! これだ! ランドルフ! これだよ!」
金髪の男は興奮した様子で、こちらを見た。この口が勝手に動く。
「こ、これが? え、この長椅子が、そんなに価値のある遺物なのかい?」
「ははっ! はははっ! そうだ。そうだ! これはな、ランドルフ! 魂を! 魂を身体から解放出来る遺物なんだよ! 間違いない! ――ああ! ほら、みろ。この文字だ。この紋様は調べがついている! 間違いない!」
続いて、金髪の男の興味はその長椅子から、ガラスのような容器の中に移った。その容器の中には、緑色の髪の男が入っていた。とても美しい造形をした男が、水に満たされた容器の中で薄目を開けて微笑を浮かべていた。
「見てみろ! ここにもあったぞ! さっきから一体何体目だ……すごい、すごい遺跡だ。特にこれは美しい。まるで人だ。大広間にあったなりそこないとは違って、美しい……人だ!」
「いや正直、気味が悪いな。というか、これらがもしあの古代兵器だとするなら、まずい。僕達は禁忌を見つけてしまったことになる。あのサイ・フリートは古代兵器を研究して学都から追い出されたと聞いた。やはり引き返そう。これは学都に渡した方が良いかもしれない。安値で買い取られるかもしれないが、それでも貴重な遺跡だ。そこそこの賞金を得られるだろう。下手なことして、学都で今後遺物を買い取ってもらえなくなるのは困る。出よう」
すると、金髪の男は絶句した。眉を寄せ、何度も首を傾げ、こちらの顔を覗き込む。
「え、お前は何を言っているんだ?」
「……だから、ここを出るべきだと」
「だからなんでそうなるんだ! 馬鹿か、お前は! いいか! 言っただろう! これは!」
金髪の男が激昂して長椅子を叩いた。
「これは、魂を自由にする遺物なんだよ! それで何を怖がる必要がある! 売り手だなんだ。そんなちんけな考えにどうして結びつくんだ! そこを越えた人になれるんだよ! 何故それがわからない!」
金髪の男の言葉に、今度はこちらの開いた口が塞がらなかった。金髪の男は天を仰いだ。
「まだわからないか! これさえあれば、我々は永遠の命を手にすることが出来るんだぞ! 身体から魂を解放されて、好きなものにその魂を宿すことが出来る! 肉体の死など、意味のないものになる! 絶対なる支配者の鍵だ! 王になれる!」
喜びに発狂する男に、わけがわからないと首を振る。
「いや、意味がわからない。落ち着け、お前少し疲れているんじゃ……」
「いいか、ランドルフ! もし俺が、これを使って魂を解放し、その魂をこの古代兵器……いや、他の人に移したとしよう。それで、俺がその人を操って邪魔な人を殺す!」
宙で何かを毟り取る動作をし、金髪の男は吼える。
「すると、どうだ? 殺した瞬間、自分の魂を逃がせば、俺はリュープにならない。だって殺したのはその肉体だ。殺したのは俺じゃない! この兵器を使えば、逃がす必要すらないからもしれない!」
「…………」
「人を殺せる。俺の目の前に立ちはだかる邪魔な奴らは皆消すことが出来る。これを支配者の力と言わずして、なんという! 女神など怖いものか!」
「……ラタス。お前、それを正気で言っているのか」
「正気だとも!」
とても正気とは思えない口ぶりで金髪の男は笑う。
「お前だって、散々不当な目にあってきただろう! 今この力を使えば、誰もお前に逆らえない! 俺達は本当に自由な支配者になれる! 誰も俺達を脅かさない! この力があれば、お前の願いである娘との穏やかな生活が簡単に手に入るんだぞ!」
びくりと、この身体の肩が震えた。それを見て、金髪の男はにやりと笑い、背を向けた。長椅子に口付けをするのではと思うほど顔を近付けて、撫でる。
「さぁ、使おう。俺達が見つけた、俺達の力だ」
その言葉を聞きながら、ゆっくり金髪の男に近付く。彼は遺物に夢中になっていた。
その隙に、手を伸ばして、一瞬で羽交い絞めにした。
飛び掛られた彼は吼えた。何をする。そう叫び、激しく抵抗し、この手を振り払った。
それでもこの身体は何度も男を取り押さえようと試みた。
揉みくちゃになる。床に転がり、馬乗りになり、馬乗りされ。殴り、殴られ。
金髪の男が上に乗っかってきた。その腕がこちらの首にかかった。ぐっと力が篭るのを感じた。息苦しい。首を絞める手を引っかくが、男は首を絞めながらこの頭を床に打ちつけた。興奮している。理性の欠片もない魔物同然の、凄まじい形相だった。悪魔だ。
手が床についた。首を絞める手への抵抗をやめた。しかし上に乗っかる男は一向に力を緩めなかった。
意識が遠ざかる。遠ざかる意識の中、この手が震えながら、自分の腰に伸ばされた。指に慣れ親しんだ感触が伝わった。力の入らない腕で、それを引き抜き、一瞬だけ力を出し、どんと男の腹を突いた。
上の乗っていた男の目が見開かれた。首から手が離れる。男は震えながら、自身の腹を見た。
男のわき腹には短剣が深々と刺さっていた。腕を少し引く。衣類に赤黒い染みが広がっていった。男の身体の重みがどいた。
頭の中は真っ白だ。身を起こし、手を見た。短剣に血がべっとりとついていた。思わず悲鳴を上げ、それを投げ捨てた。
「お、のれ……ラン、ドル……」
男が床に伏していた。ずりずりとその身を引き摺って、長椅子の方へと動いていった。その途中で傷ついた表情がこちらを向いた。恨み、悲しみ、動揺、茫然、嘆き。すべてが入り混じった目がじっとこちらを見ていた。
何をしたのかわからない。悲鳴を上げておきながら、男の目を見ながら、この頭は未だに忘我の境にその身を置いていた。暫く視線を彷徨わせ、そしてようやく気付く。男が身体を引き摺った床には血の痕がついていた。
耐え切れずこの足は立ち上がり、男に背を向け、部屋の外へと出ていった。
大した距離を走っていないのに、呼吸が整わない。本気で疾走していた。いくつかの部屋を全力で駆け抜け、紋障壁に触れる。壁が退き、青い光が目に飛び込んだ。悲鳴を上げながら、駆けた。
「女神様! 女神様! どうかお許し下さい!」
切り立った大地を駆け抜け、目的の場所へついた。見たことがある。遺跡の入り口だ。濃いマナと焦りに、全身から汗が吹き出る。
腕を挙げ、手を天に伸ばした。救いを求めるような仕草だった。
「どうか、どうかお許し下さい!」
その手にマナが集り、それが天井に向かうと、組み合わさっていった。
複雑に、滅茶苦茶に。雁字搦めに。外からも内からも、誰も何も、出入り出来ないように。
その背に、不意に妙な気配を感じ、慌てて振り返った。
女がいた。誰もいなかったはずのそこに、細かな紋様の描かれた美装のアーチを背景にして、長い黒髪で目鼻立ちの整った美しい女がいた。無表情でこちらを見ている。その冷たく底知れぬ気配を持つ姿は、大広間やあの部屋にあった古代兵器を髣髴させた。
この女が何者か。直感でわかった。わからざるをえなかった。恐怖にこの身は戦慄いた。
女の手が伸ばされた。細い指が大きく開かれ、視界一面が手で覆われた。目の前が暗くなる。
「お許し下さい! お許し下さい! 友を止めようとしただけなんです!」
叫ぶ。ただただ叫ぶ。
叫びも虚しく、身体の自由が効かなくなった。恐怖だった。
まず目が見えなくなった。耳も聞こえなくなった。そしてすぐに身体の部位の感覚がなくなった。闇の中へ落とされた。そう思えたのは一瞬だ。次第に、何もなくなっていった。自分が誰だったのかさえも思い出せない。私は誰だ。誰だ。私は。レ――。
最後に何か大切なものの名前を呼んだ気がする。だが、それも闇へと溶けていった。
私は、誰だ――。
「落ち着いて。『あなた』は自分が誰だかわかる」
声が聞こえた。ふっと意識が浮上する。彼はそう感じた。
いつの間にか、景色はまた元に戻り、真っ白な空間に漂っていた。自分を溶かす闇はもうない。端からそんなものはなかった。今まで一体何を見ていたのか。
「焦らず、正しく想起しなさい。自分が誰なのか。そして、正しく目を開けなさい」
冷たい声質だが、不思議と落ち着けた。その声に従い、思い出していく。
すると、手が現れた。両手がぽぅと浮かび上がり、やや白めの肌が手のひらから腕へと伸びていった。身体が作られていく。そう感じる。
「そうです。正しい姿です。いつも過去ばかり見て自分を見失っているから、果たして正しく戻れるか、不安でした」
言葉通り、正しく目を開ける。目の前に黒髪の女がいた。声と同質の冷たい無表情を浮かべた女だった。
姿を現した彼はゆっくり自分の身体に触れていった。しっかり手に馴染む感触。彼は自分の名前を思い出した。
女が問うた。
「名前は?」
「……キット。僕の名前はキットだ」
名前を唱えれば、全ての感覚が元に戻った。




