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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
袖振り合うも他生の縁
40/61

◆亡霊たちの舞台

 レシィの心が落ち着くまで待ってやるわけにはいかない。

 酷かも知れないが、とサイはキットとレシィを促した。意外にもレシィはすんなり頷き――泣きながらではあるが――キットと共にサイの後についていった。

 いつまた何が来るかわからないのだ。彼女もそれを分かっているのだろう。聞き分けの良い子でよかった。サイは入り口へと急いだ。先導役は自分が買うべきだ。

 全員の不安の通り、道中で何体かのドールと遭遇した。

 幸いにもあの男の魂が中に入っている様子もなく、非常に単調な、決められたような動きで自分達に向かってきただけだった。それらはすべて、ジェラルドが闘気で一掃した。体力の計り知れない獣人の彼も非常に疲れた様子だった。

 何度かの交戦も退け、リュープと出会った部屋まで戻れば、レシィは幾分か落ち着き、何度もその目を拭っていた。真っ赤に腫れた目と一切弱音を吐かずに走る彼女の姿は弱々しいものだった。


(……こんなことになってしまうなんて)


 まだ幼い少女に甘えを許さない事態になってしまったことにサイは申し訳なさを感じた。

 ドールという存在が出た時点で引き返すべきだった。その存在の重さを熟知しているのは自分だけで、判断を下すべきも自分だったのだから。サイは歯がゆさを噛み締めながらも扉の設定を急いだ。入り口付近にこの扉と繋がる扉があることは、すでに知っている。サイの指が迷いなく動く。

 扉はすぐに開かれた。青い光が扉の奥から漏れてきた。入り口の魔法鉱石が発する光だ。

 あと少しで地上に出ることが出来る。地上に出たら、すぐにこの遺跡を封印しなくてはならない。敵は魂を自由自在に動かすことが出来るのだ。再びドールに乗り移って、地上で暴れまわられたら大事件だ。そもそも、ドールを言う存在自体が禁忌だというのに。

 サイを先頭に四人は切り立った道を落ち着いて渡った。サイの後ろにキット。キットの後ろにレシィ。そして、最後がジェラルド。ジェラルドが殿で警戒しているが、追っ手の気配はないようだった。幸い、魔物もいない。

 あと少しだ。

 そう思った矢先に、後ろのキットが声を上げた。


「おい、大丈夫か。レシィ」

「…………ん」


 振り返り見ればレシィが虚ろな表情を見せていた。それに気付いたキットが声をかけたようだった。

 声を掛けられてもレシィはふらふらとし、危なっかしげに道を歩いている。よろけて魔法鉱石の海に落ちたら、死んでしまう。

 キットがレシィの腕を掴み、引き寄せる。溜まった緊張と疲労で身体が休息を求めているに違いない。大人のサイでさえも、今すぐにでもここに寝転びたい気分だ。しかし、それをするわけにはいかない。あと少しだ。


「あともう少しの辛抱よ」

「そうだ、レシィ。あと少――」


 キットの言葉は不自然に止まり、目がカッと見開かれた。サイの背筋がざわりとあわ立った。ジェラルドの鋭い声が響く。


「キット!」


 キットの身体が力を抜かしてぐらりと崩れる。その様子がサイの視界の端にゆっくりと飛び込んできた。そのままキットは膝を付き、蹲った。

 反して、彼の横でふらついていたレシィはすくっと真っ直ぐ立っていた。しかし、目は虚ろのままだ。虚ろのまま、蹲るキットを見下ろしていた。

 異様だ。キットは一体どうしたのだ。そんな疑問はすぐに解けた。

 レシィの手に握られたものを見てサイは息をつめた。

 彼女の父親の短剣だ。薄ら青く光る刀身に赤い血が滴る。抜き身の短剣がレシィの右手にはあった。キットの足元に血溜まりが出来ていく。


「レシィ!」


 サイは叫んだ。滅多に漏れない悲鳴のような裏返った声が出た。一体何が起きたというのだ。

 その悲鳴に、レシィの目が正気の色を取り戻した。からんと乾いた音がして、握られていた短剣が地面に落ちる。

 レシィは自分の右手を見て固まった。


「わ、わ、わた……わたし……っ!」


 がくがく震えるレシィをジェラルドが肩を掴んで押さえた。何故、キットを刺したのか。自分でもわかっていない様子だった。サイも混乱していた。事態がつかめない。頭が置いてかれそうになる。

 しかし、今すぐやるべきことは明白だった。

 サイは癒術を施すために急いでキットに駆け寄った。


「キット、見せて!」


 広がる血溜まりにサイの顔は青ざめた。傷の手当をしなければならない。サイの手がキットの肩に掛かった。

 ――ぱん。

 と、乾いた音が響いた。

 手が払われた音だった。キットの手が、サイの癒しの手を払いのけた。

 キットは蹲って震えている。肩を震わせ――――笑っていた。

 異様な様子にサイとジェラルドは困惑した。

 キットの笑いは止まらない。くつくつと笑って震え、よろめきながら、彼は立ち上がった。

 伏せられていたキットの顔が上がった。


「いきなり当たりだぁ!」


 突如、キットは奇声を発した。

 げはっと血を噎せ返し、荒い息を吐く。そんなキットの様子を三人はぎょっとして見た。

 青白い顔に笑みを浮かべ、目には爛々と妖しい光を湛えていた。その目が辺りを見渡す。

 睨め付けるように。いつも瞳に宿る、穏やかな光はない。あるのは狂気だけだ。

 まるで、別人のようだった。


「ああぁぁ、痛みだ。痛い。酷く痛い……だが、あの時よりも痛くない……素晴らしい、素晴らしいぞ」


 狂人としか思えない彼の様子に三人は言葉を失った。

 狂人は構わず、ぎろりと周りの人を順々に見据えていった。その目がサイを見て止まった。笑みが深まる。


「やぁ……サイ・フリート。貴女が言った『永遠の魂』は、これだな?」


 サイは息を詰めた。


「な、に言って……」


 困惑に衝動的な言葉を発するが、その言葉の記憶がサイにはあった。どこで出たか、どこで言ったか。忘れるわけもない。わかるのに、その頭は置いてかれていた。

 目の前の狂人は笑い続ける。


「素晴らしいぞ……こいつは確かに本物だ。こんな人間がいたとは。素晴らしい! これだけの歴史を築ける人が存在するのか!」


 ジェラルドは放心状態のレシィを背に庇い、前へ出た。レシィに背を向けたことを咄嗟に危険だとサイは思ってしまったが、彼はそんなことは一切考えてもいない様子で、キットを睨み据えた。


「貴様、さっきのやつだな。まだ生きていたのか」


 ジェラルドが渋い顔を見せれば、狂人は血を流しながら可笑しそうに笑った。傷口を押さえているのか、それとも笑いで腹を抱えているのか、わからない姿だった。


「まだ生きている? くーっくっく。馬鹿め! 単細胞の獣め! 私は何にだって乗り移れる!」


 狂人は脂汗を流しながら、赤く染まった両腕を天に上げて吼えた。


「我が魂は……不滅だ!」


 サイはようやく混乱から我に返り、鋭く狂人を睨み付けた。

 ドールと巨人を動かしていたやつが、今度はキットに乗り移り、遺物のように操っているようだった。レシィもそうやって操って彼を刺したのだろう。レシィが呆然としているのもわかった。

 まさか、そんなことまで出来たとは。予想もしなかった事態になった。緊張するサイを尻目に狂人は笑い続ける。


「さぁ、どうする! 私を殺してとめるかな! でもこの男は生体だ。殺せば、分かるよなぁ? リュープになるぞ、お前たちの誰かがな。おっと……そもそも殺せまい。お前ら皆、こいつが大切だよなぁ? 今は意識を乗っ取っているが、まだこの男は生きているぞぉ?」

「卑怯者め……!」


 笑い続ける狂人に怒りがこみ上げてきた。サイは柳眉を逆立て、歯を剥き出しに唸った。しかし、だからと言って手出しは出来なかった。一刻も早くキットを回復しなければ、彼の体力がもたない。癒術を施してやりたかった。


「なんとでも言ってくれて構わない。負け犬の遠吠えを聞くのは実に心地いい! さぁ、どうする? あまりモタモタしているとじわじわと私はこの男の意識を乗っ取るぞぉ? いや、その前にこいつが死ぬかな! 殺すか! 死なすか! そしたら、レシィ! お前もリュープの仲間入りだ! 父親と同じだ!」


 狂人はくるくる回る。それもすぐ終わる。ふらついて肩で息をしていた。その息も細くなってきた。当然だ。大怪我をしているのだから。

 狂人の言う通り、何をするにも急がなければならなかった。このままキットの体力が尽きれば、彼を刺して致命傷を与えたレシィがリュープになってしまう。キットを死なせてしまうのだけは絶対に避けたかった。だが、この狂人が大人しく癒術をかけさせるとも思えなかった。サイは迷う。焦りで手が震えた。

 ジェラルドが更に一歩前へ出た。まさに猛獣の表情だった。今にも飛び掛りそうな殺気を身体から放ち、狂人を睨み付けた。

 狂人は不愉快そうな表情を見せ、嗤った。


「獣人がヤるか? 構わないぞ。さぁ、好きに殺せ。貴様もリュープだ! 次はどちらに乗り移るかな? サイ・フリート! レシィは乗っ取りやすかったぞ。貴女はどうかな? どうあがこうが、貴様らは絶対に私に勝てない! ここで死ぬ!」


 狂人の挑発にジェラルドはまた一歩前へ進む。彼の行動がわからない。ただ、殴りかかるのではないかと思うほどの形相だった。


「やめてジェラルド! 下手なことしないで! キットなのよ!」


 サイの静止の言葉を上げた。

 しかし、ジェラルドはそれを無視し、大きく息を吸い込んだ。ぴたりとそれが止むと、


「キーーーーーーーーット!」


 彼は大きい――大きすぎる声量で吼えた。サイは思わず耳を押さえた。闘気とは別に、びりびりとし、鼓膜が破れるような吼えだった。遺跡の入り口中にそれは木霊し、まるで闘気を放ったかのようだった。

 驚いたのはサイだけでなく、レシィも、キットも、その場にいた全員が動きを止めた。彼もおかしくなってしまったのだろうか。サイはそんなことを思ったが、ジェラルドの目はキットのそれとは違って正気を保ち、いつも通り――いや、強い苛立ちに満ち溢れていた。


「目を覚ませ、キット! 起きろ! 帰るぞ! もううんざりだ!」


 ジェラルドは怒鳴った。怒りを爆発させていた。ここまで怒鳴り散らす彼を、サイは一緒に暮らしていて見たことがなかった。それほど苛立っていた。

 狂人もその気配に臆して圧され、ジェラルドから離れようとした。


「み、耳でも潰すつもりか……! そんなことをしても、無――」


 その足が止まった。足だけではない。腕も口も。

 ――全てが止まり、震えだした。

 狂人の顔に一瞬の焦りが浮かぶと、口が震えだした。身体の震えは次第に大きくなり、がくんと上体が仰け反った。悪魔に憑かれた狂人は狭い道で震え続けた。

 その目が、突如釣りあがった。


「カスな魂で、僕を乗っ取る、つもりか……」


 キットの口から小さな声が漏れた。身体は震えている。それを押さえつけるように、キットの腕が動いた。己の身体を腕で抱き、押さえ込む。彼の身体にマナが収束していくのを、サイは見た。

 キットが歯を食いしばって唸った。


「三百年、早いんだよ、クソッたれ……!」


 放つ言葉が引き金になったかのように、キットの身体に集っていったマナが弾けた。

 キットの身体の大きな震えが止まる。彼は力なく倒れた。

 何が起きたか、サイには理解出来なかった。呆然と立ち尽くしているとジェラルドが素早く顎をしゃくった。


「早く。早く、癒術を」


 ハッとして、サイはキットを起こした。腹部から血が大量に流れていた。呼吸回数は多いが、大分息が薄くなっている。ぞっとするほどの死相が浮かんでいた。慌てて――しかし細心の注意を払い、癒術を施す。

 ギリギリのところだった。癒術は何事もなく彼の身体を癒していった。

 腹部表面の傷が塞がる。内部も間もなく完全に元通りになるだろう。呼吸の状態も落ち着いてきた。キットの状態は最悪の危機を脱した。しかし、青白く脂汗を流す様子は、無事とは言えないだろう。流れた血までは元に戻らない。すぐにでも休ませなければならない。ここではない、落ち着いた場所で。

 ジェラルドが膝を付いて、汗で張り付いたキットの前髪をそっと払った。


「……意識は戻ったな?」


 キットは目を閉じたまま頷いた。


「……ああ、戻った。ついでに、あいつも、消し飛ばした。僕の魂に、力に、負けて、消し飛んだ」

「嘘でしょう……。精神力で、人の魂を消し飛ばしたっていうの?」


 彼は、先ほど集ったマナで乗っ取ってきた男の魂を消し飛ばしたのだと言う。そんな簡単なことなのだろうか。それとも、長い歴史を生きた魂の持ち主だからこそ出来たと言うのだろうか。信じられないとサイは呟いた。

 キットは苦しげに眉を寄せながらも、にやりと笑みを浮かべた。


「……本当さ」

「ジェラルド。あなた、そんなことキットが出来るって……」

「知らないさ。だが、たかが卑怯者の魂に、こいつが乗っ取られるわけないからな」


 一体、何を持ってそんなことが出来ると思えるのか。何の根拠もない事を確信を持って強く言うジェラルドの様子に、サイは頭を押さえた。腕の中を見れば、キットが満更でもなさそうに笑みを浮かべている。思わず、呆れた。


「なによそれ、ったく……」


 嘆息すれば、一気に疲れがやってきた。笑ってしまいたいくらいだ。グッと堪える。息をつくにはまだ早い。急いでこの場から離れるのだ。

 地上へ。

 あのシーリル人はドールと巨人を同時に操っていたのだ。恐らく魂を分けることが出来るのだろう。他にも魂がどこかにあるのかもしれない。また同じように身体を乗っ取りに来るかもしれない。

 ――と、小さな声が聞こえた。


「キッ……ト」


 レシィの声だった。

 それを聞き、キットが上体を起こそうとした。サイはそれを介助した。

 レシィは立ちすくんで泣いていた。ぽろぽろと涙を零して泣いていた。離れた場所で、近づけずに立ち尽くしていた。赤く染まる掌を返して上に向けたまま、汚い手だと言わんばかりに、手を宙に彷徨わせていた。

 キットはふっと表情を緩めた。ゆっくり目を開け、レシィを見た。


「レシィ」

「……キット……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 レシィはごめんなさいと何度も繰り返した。それしか喋れなくなったかのように。何か声をかけようにも、サイには言葉が思い浮かばなかった。

 キットは微笑みを絶やさない。レシィに手を伸ばす。まだ多少の痛みはあるだろうに、手を伸ばす。微笑を浮かべてはいるが、彼の表情はどことなく引き攣っていた。


「レシィ……大丈夫だ、気にするな馬鹿」


 囁き声に近いが、力強い声。レシィは床に手をついて泣いた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……あああぁあっぁあ……うあ、あああああっ」


 嗚咽が木霊する。ジェラルドの吼えのような声量はないが、確かに空気を震わせた。

 キットは彼女を安心させるためまた何かを言おうと口を開きかけ――


「……いや、でも、流石に、ちょ……っと……――」


 そのまま目を閉ざした。


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