表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
袖振り合うも他生の縁
39/61

◆亡霊たちの舞台

 レシィは短剣を携えて静かに駆けた。猛獣を宥める自分は、まだ飛びつく許可を下ろしていなかった。まだ獣は唸っている。大人しく、その身体をいつでも走られるように構えている。レシィ・レーンという身体を走らせているのは、野獣の強い憤りではなく、冷静な自己の指示でだ。

 巨人は再びジェラルドと戦っていた。

 ジェラルドも敵の気を引いてキット達を守ろうとしているのか、どんなに微力でも積極的に闘気を使った攻撃を加えている。また、巨人もそれを僅かに恐れ、闘気を溜めることを許さないよう、息もつかせぬ攻撃を繰り出している。どちらも決定打を叩けずに、小競り合いをしていた。

 両者は小さく、静かに、そして素早く動く彼女に気付かなかった。気取られないように、レシィは動いていた。巨人の背後まで来ると、短剣を口に咥え、レシィは巨人の左足に捕まった。

 本当に大きい。なんて大きい生き物なのだろう。初めて近くで見て、レシィは生唾を飲んだ。足の太さはレシィの身体を簡単に隠してしまう。レシィは腕の回らないほど太い巨人の足をよじ登った。

 駆け出す前までは怖くない、そう思っていたが、レシィは自分の中から恐怖が湧いてくるのを感じた。途中で気付かれて殴られるかもしれない。拳で潰されるかもしれない。気付かれずとも、動く足に振り落とされるかもしれない。振り落とされて、運が悪ければ踏まれてしまうかもしれない。

 それでも、レシィはよじ登ることはやめなかった。一歩、よじ登る毎に、臆することを捨てる。今までだってそうしてきた。恐怖を押さえつける覚悟は、父を探そうと思ったときから持っていた。

 獣は一切怯えることなく、歯を剥き出しに唸っている。まだか、まだかと。飛びつく瞬間を見計らって唸っている。レシィはそれに応えるべく、巨人の左足の傷口――ジェラルドの闘気が傷つけ、キットが先ほど触れた傷口に指をかけた。

 巨人の身体からすれば小さな傷だが、レシィの手がしっかりと掴まれるほどには深い傷だった。そこにしっかりと指を掛け、左手で自分の身体を支えてぶら下がった。

 この体勢は長くはもたない。

 すぐさま、口で咥えていた短剣を右の手に持ち替えた。かちり。音がした。指輪と短剣の柄が当たった音だった。闘志が湧く。

 レシィはどこまでも冷静で、自分を鼓舞するような声は上げなかった。ただ満身の怒りを込めて腕を振り上げ、素早く短剣を傷口に刺す。

 驚いたことに、鋭い刃は傷に易々と食い込み、更に深い傷を作った。

 一度も触ることを許されなかった、父の愛用の短剣だ。何故、触れさせなかったか、ようやくわかった。驚くべき強度と鋭さだった。

 ぐっと力を込める。硬い感触が手に伝わった。

 傷口の奥には密かに青い小さな光があった。サファイアだ。それには気付かなかったが、レシィは魔力を全開にした。


(さぁ、やれ!)


 食いつけ。

 レシィは猛獣に許可を下ろす。猛獣は一吼えし、牙を剥き出しに駆け出した。

 その瞬間。

 傷口から冷気が吹き抜け、それは次第に硬い氷へとなっていった。レシィは傷口から手を離し、両腕で刺した短剣に捕まった。短剣はレシィの全体重が掛かっていると言うのに折れることなかった。却って氷に包まれ、更に強度を増していった。

 氷はどんどん広がっていく。巨人の左足の傷口から膝へ、足首へ。


(まだだ! もっと! もっと!)


 巨人は一歩足を踏み出そうとして、その足が自由でないことを知った。ようやく自分の左足が凍り付いていっていることに気付く。巨人の声が上擦った。


「なにぃ! いつの間に!」


 巨人の怒号を聞いても、レシィはマナを集めて氷に変えることに集中し続け、


(もっと! もっと……!)

「凍れぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」


 強く吼えた。その声に呼応するように、氷は強く冷たく巨人の足を固めていった。

 もう冷静さはない。ただ凍らせることに全力を出した。

 氷は急速に成長し、蔦の様に巨人の足の自由を奪う。とうとう、氷が床と巨人を縫いつけた。しかも、それだけで終わらなかった。氷の拡大は留まることを知らない。レシィの意志がそのまま篭ったかのように、床から右足へ、左足から腰へと伸びていった。

 キットも目を見張る。部屋のマナがレシィの使う魔法に収束されていっていた。暴走することなく、氷が作られていく。

 巨人は舌打ちをして、足にぶら下がるレシィを叩き落とそうと、自由に動く腕を振り上げた。

 気付いたレシィは素早かった。短剣からパッと手を離し、軽い身のこなしでその腕に飛び乗った。土壇場で発揮した反射神経だった。

 巨人の腕に捕まる。その腕にも傷があり、僅かに凍り付いていることに気付くと、レシィはすぐさまそれに魔法を加えた。先ほどのような強力な魔法は扱えなかった。小さな氷が出来ただけだ。いつも通りの自分の魔力だった。だが、噛み付くのをやめなかった。


(パパを殺したお前を許すもんか!)


 この手が、この拳が、父の成れの果てを潰したのだと思うと、レシィの体内から怒りが蘇る。

 逃がさない、離さない。絶対に倒すのだ。

 その意志を示すように、右手をぐっと握り締め、巨人の腕を叩いた。びくともしない。それでも構わなかった。叩き、抵抗し続けた。

 巨人の腕が強く振るわれた。レシィの身体が宙に投げ出された。


(あっ!)


 受身を取る間もなく、レシィの身体は床に叩き付けられた。キットに倒された動かぬドールにぶつかり、転がる。一瞬、意識を失いかけるが、ぬめる黒い液体が身体に付着し、痛みとは別に不快を感じてレシィは意識をしっかりと持ち直した。


「まだ、まだ……」


 ふらつく視界に酔いながらも、レシィは両手で踏ん張って立ち上がった。全身が痛くても、涙一つ流れなかった。涙は父の仇を討つ武器にはならない。手を伸ばす。捕まえるように巨人に向かって掌を広げ、マナをかき集めた。

 その肩を、そっと掴まれた。振り向く。

 キットがいた。


「もう十分だ。よくやった」


 レシィはハッとして、ジェラルドを見た。ジェラルドの斧に強い闘気の塊が溜まっている。

 巨人は動けない。レシィの作り出した氷は、その魔法の制御者を失っても衰えることなく、巨人を固めていた。巨人は自分の腕で氷を叩く以外に壊す術がないのか、必死に氷を叩き割っていた。


「くそ! くそ!」


 巨人の悪態。それをかき消すように、鈍い大きな音が響いた。氷を叩き壊そうと力を込めすぎたのか、その力強い腕が自身の足まで叩き砕いた音だった。

 ぐらりと前のめりで揺らぐ上体。体勢が崩れるのは早かった。

 地響きを起こして、左足が折れた。倒れる巨人。

 ジェラルドの闘気が溜まった。今までにないほどの威力なのは見ただけでわかった。離れているのに全身がびりびりと震え、空気の振動で裂傷を起こすのではないかと思うほどレシィの肌が痛くなった。


「頭よ! 頭を狙いなさい!」


 サイが叫ぶ。ジェラルドは跳び上がった。

 斧が振り下ろされる。

 強い風圧と振動する部屋。激しい音を立てて床を割りながら、強い闘気が倒れた巨人の頭部にぶつかった。その衝撃に、レシィたちは身を屈めて身体を庇った。

 耳をつんざく破壊音がいつまでも響き続けた。

 粉塵だけでなく瓦礫も舞い上がる。

 降り注ぐ瓦礫から身を守り、粉塵が晴れるのを待てば、晴れた視界の先には頭を吹き飛ばされ、四肢を酷く損傷させて動かなくなった巨人が倒れ伏していた。

 皆、一言も声を発さない。巨人に注意し、張り詰めた空気が流れた。

 ジェラルドが更に一撃、動かない巨人に闘気を放った。

 巨人は無抵抗にその一撃を喰らい、残された身体は粉々に破壊された。

 ところどころ凍りついている瓦礫の山には、レシィが巨人の足に刺した短剣が、恐らく足だったのだろう場所に刺さったままの状態でそこにあった。瓦礫の上で凛と立つそれは、無傷のまま変わらずほの青い光を放っていた。

 終わったのだろうか。

 サイが緊張を解いたようで、その場にどさりと腰を落とした。キットとジェラルドも続いて深く息をついた。

 レシィは立ち尽くして、巨人の亡骸を見ていた。呆然としていた。


(終わ……った?)


 瓦礫と短剣を見てもレシィには何の感慨も湧かなかった。一人だけ時が止まったかのように感じられた。怒りを出し尽くした身体は空っぽになったようだった。獣もいない。終われば何かしらの達成感があるかと、僅かに思っていた。しかし、残ったのは空虚感だけだった。

 ぼうっとするレシィの頭にぽんと優しい感触を感じた。肩越しに見上げる。キットが変わらずそこにいた。


「よくやった。お前のおかげだ」


 キットの優しげな顔がレシィの目に写り込むと、それがみるみるうちに滲んでいった。

 レシィは自分を落ち着かせようと大きく息を吸い込むように口を開け――しゃっくりを起こした。嗚咽が溜まらず漏れた。目から溢れた涙は熱く頬を濡らしていった。顔を歪ませて泣くが、もう声は出なかった。ただひたすら涙を零し、声を上げるかのように口を開けて息継ぎをする。

 もう武器はいらない。

 そんなレシィをキットは抱きしめた。

 リュープはもう跡形もなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ