◆亡霊たちの舞台
強烈な一撃の余韻は耳鳴りのようだった。
やったのか。とは誰も漏らさない。遺跡のすべてが、何もせずとも圧迫するような雰囲気を醸し出し、かつての人々の住居を異世界に感じさせて存在するように、まだそこにはえも言われぬ存在感があった。
ジェラルドは闘気を放った後も隙を見せず、粉塵で見えない先を目を細めて見詰めた。
キットは、サイの手で起こされ、粉塵の先を見据えた。レシィも目を真っ赤に腫らしてすさまじい形相で粉塵の先を睨んでいた。
程なくして舞い上がる粉塵の中から太い腕が現れた。ぶぅんとそれが振るわれる。視界を遮っていた粉塵が晴れた。
誰ともなく舌打ちと苦々しい声が漏れる。
巨人が再び姿を現した。左足から右の胸、そしてその上を庇っていた腕に大きな一太刀の傷を残しながらも、すくりと立っていた。
ジェラルドは呻いた。
「マジかよ」
彼が滅多に出さない俗語を漏らせば、周りは焦りを感じざるを得なかった。サイもキットも絶望的な表情を浮かべていた。
「ケダモノ種族風情がよくも! 大事な身体に傷をつけてくれたな!」
痛烈な一撃を喰らったはずの巨人は変わらず大きな怒声を上げた。痛みを感じている風はない。ただ身体を傷つけられた怒りを表していた。
頑丈と言う度合いではない。ジェラルドの闘気の威力は絶大で、古代文明の壁さえも破壊する威力を持っていたはずだった。それがたった一つの傷を作るだけで、苦痛一つ味わわせることなく終わってしまうのは、脅威以外の何者でもない。
「痛覚とかないのかよ……」
「痛覚? それは人が持つ、つまらん感覚だ。私は痛みを一切感じることなく、闘い続けることが出来る! 自由の魂と衰えない身体! それを持ち合わす私こそ、最強!」
キットは悲観的な呟きに、巨人は居丈高に吼える。
サイは焦りを隠せない様子だった。
「ジェラルドの闘気が効かないんじゃ、勝ち目がないわ。――逃げましょう。隙を見て、逃げなきゃ、殺される」
キットは首を振った。
「むしろ背を見せて逃げる方が危ない。僕が魔法を使えるならともかく、補助が効かないのに逃げるのは、危険すぎる。それに、勝ち目がないわけじゃない。傷はついた。倒せなくはないんだ」
「馬鹿言わないで。傷がついたから何だって言うのよ!」
「いや、嘘じゃない。ジェラルドは最大まで溜めなかった。せいぜい、さっき遺跡の壁ぶっ壊した時よりちょっと強いくらいだろう。全力のアイツはもっと強い。完全に闘気を溜めて、溜まりきった最大の状態で叩き込めば……」
「その溜める時間をどう稼ぐっていうのよ! あなたも私も、逃げるのが精一杯でしょう!」
ぐらりと身体を傾けたキットを支えながら、サイは怒鳴った。
巨人は笑い声を残し、ジェラルドと対峙した。腕がぐっと引かれ、勢いよく振り下ろされる。地響きがした。
ジェラルドは難なくそれを避けるが、しかし表情はむっつりしたままだ。状況は劣勢と言わざるを得なかった。
レシィはキット達の会話とジェラルドの戦いを見ながら、一つの決意をしていた。
(私が時間を稼げばいい)
自然に出た確固たる意志だった。不思議と疑問や失敗の不安は一切なかった。むしろ、自分の中には怒りしかない。レシィはそう考えていた。
(倒さなきゃ、気がすまない!)
全身が心になった気分だ。全身が私憤で覆い尽くされ、それ以外考えられなかった。
冷静ではない。しかし、怒りが満ち溢れながらも、それを一歩下がって静かに見ている自分がいることにも気付いた。それとこの身体は別物のようだった。自分の中にこれほどの強い気持ちがあったことに、自分の身体から離れてみている自分はひどく驚いていた。
悲しみよりも怒りが上回った、理性を失った猛獣のような自分に怖ささえも感じた。そうは思いながらも、今自分は猛獣の自分を撫でて宥めているのだ。こうしてもう一人冷静な自分がいなければ、今すぐにでも噛み付きに行っていた。
手でかちっと金属同士がぶつかる音がした。指輪と短剣が触れたのだ。それは合わさる牙の音のように聞こえた。短剣も指輪も、それぞれマナブースターがついていた。それがレシィを奮起させた。もう片手を塞ぐ物はない。壊されてしまった。奪われてしまった。
(刃を突き立てなきゃ、許せない!)
作戦も力もない。しかし、仇を目の前に何もしないで見ていることだけは絶対に無理だった。例え、巨人が今の二倍大きくなろうとも、硬い拳が身体にぶつかって来てもと想像しても、怖いとも感じない。
一矢報いる。ただそれだけしか考えていない。
そんなレシィの耳にキットの声が飛び込んだ。
「僕はもう魔法は使えない。サイ、お前も無理だ。でも、あれをぶっ壊すには『誰か』が時間を稼がなきゃならない」
「……まさか、命を賭けてまた何かしでかすつもりじゃないでしょうね」
ぐっと抑えながらも語調の強い声をサイは出した。キットは首を振る。
「必要なのは、命じゃない。やる意志と自信だ。命を賭すのは、愚か者だけでいい。やり遂げるという自信と勇気が必要だ。それともう一つ――」
レシィはキットを見た。キットはジェラルドと巨人の戦いだけをじっとみていた。
「無謀な一撃は無意味で無益だ。より不利になるだろう。必中で確かな一手を、絶対の自信と勇気と覚悟で決める。それが、鍵だ」
「そんな理想論、今言っている場合じゃないでしょう」
「いや、今だからこそ、必要なんだ」
焦燥感を露わにするサイとは正反対でキットはひどく落ち着いていた。
(キット。あなたも私と一緒なのね)
レシィは静かに心の中でキットに声かけた。彼も自分で自分と言う猛獣を抑えながら、戦いを見ているのだ。そして、それを自分にそ知らぬふりをして伝えて、その一撃を託そうとしている。レシィはそこまで確信した。何故、それを許してくれたのかはわからない。しかし、それは有り難いことだった。
「落ち着いて見るんだ、サイ。あいつは、あの巨人はさっきから魔法を一切使っていない。これはある意味、好機かもしれない。魔法を放つ様子がない分、ジェラルドはある程度のペースを持って戦えている」
「でもそれを上回る身体と力が、あれにはあるわ」
「そうかもしれない。でも動きもそこまで速くなく、ただ耐久力と腕力があるだけだ。そう考えるんだ。無茶な体勢は出来ても、細かな動きも出来ていない。あの巨人がさっきからしているのは、拳を振るうことと、足蹴りするだけだ」
その言葉と同時くらいに、巨人は左足を軸に、ジェラルドに回し蹴りを入れようとした。ジェラルドはその身体に見合わぬ身軽さで巨人の足元に向かって転がった。
「くっ! ちょこまかと!」
ジェラルドは再び闘気を溜めて軸足に向けて一撃を叩き込んだ。軽く溜めた闘気では、小さな損傷を残すだけで、大した傷はつかない。実際、巨人はびくともしなかった。
キットの目が鋭く細められた。
「痛覚がないから、あんなに思い切り一撃を喰らっても、ちっともそれを感じていない。それに、いくら痛くなくたって、傷を負っていることには変わりない」
キットは強く頷いた。
「勝機は、ある」
レシィは黙って聞いていた。その間に幾分か落ち着いてしまうかと思ったが、そんなことはなかった。怒りはいつまでも小さな身体の中で煮え滾っていた。
キットがあまりにも冷静に言うものだから、サイも徐々に落ち着いてきていた。それだけの力強さがキットの言葉にはあった。
「ある、のかしら。勝機。でも、確かに……」
「あるさ。それをやり遂げるんだ。巨人は、動きがそこまで早くない。マナが扱えるかはわからないが、恐らく魔法は使えない。察知能力も低い。そもそも感覚が鈍いんじゃないかと思う。ジェラルドが溜めていたあの闘気にも気付かなかったくらいだ。痛みは感じないが、傷はつく。足止めが出来ればいい。そして、軸足は傷ついている」
キットの言葉が頭の中にすっと入っていくのをレシィは感じた。
足止めだけで済ませてなるものか、そう思う猛獣と、足止めだけで十分だ、そう宥める自分。両者は代わらず共存しながら鬩ぎあっていた。ただ、両者に共通して、状況を覆して一矢報いる一撃を喰らわせるという意識はあった。そのためにも、キットが提供していく情報はレシィには必要なものだった。
己の力を過大視しない。出来ることは限られている。自分の強みは、父を探す旅の中でしっかり学んでいる。素早く動けること、逃げること、気配を殺すこと。魔法はそこまで期待出来ないが、使うとするならば一番得意とする、氷を操ることだろう。氷の魔法で何が出来るか。レシィは冷静に考えた。
時折、巨人とジェラルドの戦いの喧騒を交えながら、キット達の会話はまだ続く。
「ジェラルドがしっかり闘気を溜められるだけの時間は、さほどかからない」
「……さほどって言っても、その時間を肉弾戦だけで稼げるとは思わないけれど、やるしかないのね」
サイは拳を構えた。しかし、その手はそっとキットに押さえ込まれた。
「お前は、最後の保険だぜ。さっきも言っただろう。お前は最後まで生き延びなければならない。癒術を使える者として」
すると。
それだけ言って、キットは駆け出した。サイが止める間もない。痛みがあるのか、脇腹を押さえて、巨人の足に向かって走った。大分、遅い走りだ。何より走るのも辛そうな動きだった。
しかし巨人は気付かない。
対するジェラルドの動きが一瞬止まった。キットの行動に虚をつかれたようだった。
キットは巨人の左足にしがみついた。まるでよじ登るかのように、巨人の足についた傷口に手をかける。その場所を見て、レシィはハッとした。
「キット! よせ! 危険だ!」
ジェラルドが声を上げたことで、巨人は足元に気付いたようだった。
巨人は自分に引っ付く小さな人間を見てせせら笑った。
「何をしている?」
「足止めだよ、見ての通り」
いつもの、挑発的な笑い。それがちらりとレシィの方を向いた。ほんの一瞬だ。僅かな動作に気付いたのはレシィだけだろう。ただ頭がぐらついたような動作だった。すぐに笑みは巨人に向けられる。
巨人にはその笑みが悪あがきの苦し紛れに思えたのだろう。酷く愉快そうに笑い声を上げた。
「非力すぎる! それで私の足を止めようだと?」
巨人は左足を軽く振った。
「うわぁぁ!」
人で言えば、石を蹴る程度の動作だろう。それでもキットの力ではしがみ続けることは出来ずに、勢いよく身体を飛ばされてしまった。
サイは飛び出した。キットの身体が壁に激突しないように、その身を挺して守った。
追突して、転がる二人。サイはキットを庇いながら、身を起こした。
巨人はもうジェラルドの方を向いていた。相手にもされない。虫けらのような扱いだ。それもそうだ。この中でまともに戦えるのは、ジェラルドしかいない。
「やっぱり無理よ! 逃げるべきよ!」
「いや、無理……じゃない」
キットが強
それに気付いて声を上げようとしたサイの口を、キットは素早く覆った。




