◆亡霊たちの舞台
どん。
不意に衝撃音がレシィとドールの近くでした。
レシィはハッとして目を開けた。目の前でドールがぐらりと身体を揺らした。ドールの足ががくりと崩れる。
「あ……ぎ……」
軋んだ音を漏らし、ドールは膝をついた。持ち上げていた腕はぶらりと垂れ下がり、リュープも零れ落ちる。次第にドールは膝で体勢を保つことも出来なくなり、前のめりでばたりと倒れた。
レシィは引き攣った悲鳴を上げた。
ドールの後頭部から前頭部にかけて、太く鋭い氷の柱が刺さっていた。どくどくとそこから何か黒い物が流れていく。まるで血のようだった。
レシィは引き攣った悲鳴を漏らし、口を手で押さえた。戦慄走る光景に吐き気がこみ上げてくる。
「……成功。最後の魔法を、無駄に使うかよ」
キットが険しい表情のまま、しかし口元に笑みを浮かべて呟いた。 彼が一度編み出した魔法――炎を薙いだ鋭く冷たい氷の烈風を離れた場所で固めて戻し、無防備になったドールの頭に叩き込んだのだった。巨人とジェラルド、レシィとドールとの攻防もあってか、成功したようだった。
落ちたリュープは何事もなかったかのように身体を動かした。レシィは涙を零してホッと息を吐いた。
「よくも、貴様! 人間風情が!」
安堵も束の間、声と共に強い衝撃がキットへと向かっていった。ジェラルドと対峙していた巨人がキットを標的に変え、足を振るった。
キットは咄嗟に身体を逸らしたが、それで全てを避けきることが出来ず、白目を剥き、見たこともない勢いで吹っ飛んでいった。壁に強く身体を打ち付けられ、キットはぐったりした。その身体に巨人の拳が迫っていった。容赦ない追撃だった。
「キット!」
サイが血相を変えてキットに飛びついて転がった。
キットが倒れていた壁に鋭く拳が突き刺さる。響く轟音。
間一髪でサイとキットはそれを避けることが出来た。
代わりに、遺跡の壁に穴が開いた。巨人に殴られ、壁が崩れたのだ。通ってきた通路が見えた。
サイは目を見開いて震えた。
「嘘でしょう……ただの拳で、遺跡の、壁……あの壁も……」
あまりのことにサイの言葉は途切れ途切れとなった。レシィもその恐ろしさが嫌でも理解できた。
今まで全て避けていたが、正解だった。魔法の守りもない生身の人体が、今の威力で殴られていたら、確実に圧死する。身が引き千切れるかもしれない。
驚愕に打ちひしがれながらも、サイはすぐさま行動を起こしていた。淡い緑色の光がキットの腹部を包んでいた。ぐったりとしたまま動かない彼に癒術を施しているのだ。
彼女の様子からまだ大事に至っていないことは、離れた場所にいるレシィからもわかった。しかし、意識は失っているようだった。
意識を失った場合の癒術は難しいとされている。どこを負傷したか、見極めて適切な癒術を施さなければならないからだ。ただの怪我よりもずっと神経がいる。この状況で、サイが繊細な癒術を施させるのか。癒術をかけているからと言って油断は出来ない状態だった。
集中し、無防備になるサイに巨人は更なる追撃をかけようとしていた。
振るわれようとする、巨人の左の拳。右の腕はジェラルドと攻防を繰り広げていた。人ならば動き辛く苦しい体勢でありながらも、意に介さず器用に動く太い腕に、ジェラルドもすぐにこちらに駆けつけることは不可能だった。誰も彼女たちを守れない。
意を決するのと動き出すのは同時だった。
迫る拳にレシィは飛び乗った。驚くほど自然に身体が動いた。恐怖はあったが、このままサイたちが潰されるのを黙ってみているわけにはいかなかった。
レシィが巨人のこぶしの上で強く足を踏み鳴らせば、巨人は煩わしそうに舌打ちをし、その拳を振るい、レシィを落とした。
腰を強かに打ち、レシィは床に転がった。
「貴様は黙ってみていろ!」
怒号と共にその拳の標的が変わった。一度大きく引かれると、レシィの方へ向かって伸びてきた。
サイが悲鳴のような声で名前を呼んでいるのが耳に入る。拳がこちらに迫り来るのも捉えていた。しかし、レシィは先ほどのように、自然に身体を動かすことが出来なかった。
潰される。その恐怖に全身の肌が粟を立てた。
――ところが衝撃は彼女の元には来なかった。
自分に向けられると思った拳が、自分の横を通り過ぎ、地面に突き刺さる。再び轟音を立てて、今度は床がその拳の威力を受けていた。拳の周りに大穴を作っていた。
レシィは腰を抜かしたまま、その拳が突き刺した場所を見た。何もない。誰もいない。
拳の硬く突出した部分が、ぐりぐりと床に押し付けるように擦り付けられる。そして、ゆっくりと――そこまで緩慢な動きではなかったかもしれない。しかし、どういうわけか、レシィにはそれが遅い動きに見えた――持ち上げられた。
床の穴は拳の影でよく見えなかったが、拳が離れれば、次第に影が小さくなり、光に照らされていった。
そこにはべっとりと何かが張り付いていた。半透明のそれは光を受け、きらきらと小さな光を反射させ――、
「あ、ああ……ああああっ」
レシィは壊れたように声を上げ続けた。
リュープだ。リュープが潰れていた。その小さな身体を床に張り付かせ、潰れていた。ただ潰れているだけでなく、身体の中心部はすり潰され、千切れていた。
ぱらぱらと頭上に細かな滓が降り注いだ。
レシィの目からボロボロと涙が溢れ続けた。
意味のない音を口から漏らしながら、床に這い蹲って凹んだそこへ、レシィは身体を動かした。潰れたそれは、残された動く意志さえも奪われて、床に張り付いている。そっと触れると、残った身さえもぽろぽろと崩した。
彼女の中で何かが決壊した。
「ああああぁぁああぁあ……いやぁああぁぁぁああぁあぁあああ!」
(パパ――――――ッ!)
レシィは声の限り叫んだ。言葉にならないが、確かに父を呼んで泣き叫んだ。拳で出来た穴に身を蹲らせ、身体を震わせた。
サイの癒術が効いていたのか、キットが目を薄く開け、そして苦しげに眉を寄せて目を閉じた。
サイも言葉を出せずに、ただキットの回復に集中した。
ジェラルドは歯を剥き出しにして、斧を持つ手にグッと力を込めた。
「予定より永らえ、感動の再会も果たした。良かったじゃないか。くっくっく」
無慈悲で無機質な声が響く。哄笑は目に見えない追撃だった。
レシィはそれを掻き消すように叫んだ。
すると、彼女を中心に大きな冷気の渦が現れ、巨人を襲った。氷の旋風だ。巨人の身体を覆い包むほどの巨大な竜巻だった。規模だけで言えば、キットが放った最後の魔法以上だった。
巨人は僅かに驚き、氷から身を守るように顔を背けた。打ち払うように腕を振るう。
冷気は掻き消えた。見かけほど大した威力もなかったのかもしれない。しかし、僅かに巨人の腕を凍らせていた。
「……ハーフでもシーリル人か」
巨人は感心したように小さく呟いた。
その背に声がかかった。
「おい、余所見している暇はないぞ」
ジェラルドが斧を構えていた。
声に反応し、ちらりとジェラルドへと向いた巨人は目を見開いた。
ジェラルドの斧には闘気が溜まっていた。彼と彼の斧が何倍も大きくなったかのように、斧の周りには強い闘気が集っていた。
びりびりと震える気配に巨人は慌ててジェラルドを正面に見据え、腕を振り上げた。
――遅い。
振り下ろされる前に、斧が下から上へを振り上げられる。
風圧と共に、強い闘気が巨人を襲った。巨人は振るった腕を引き戻し、身体を庇うように両腕を交差させた。
吹き荒れる強風。巻き上がる粉塵。
轟音が部屋に響いた。遺跡の床を、壁の一部すらを巻き上げながら、闘気は巨人にぶつかっていった。




