◆亡霊たちの舞台
巨人だった。
柱のように太く堅固そうな二本の足は、大きさが違うだけで、確かに正しく人のそれだった。その先には人の腰、腹、腕が二本――これもまた太く、大きかった――、分厚い胸、首、そして大きな顔が確かにあった。逞しい身体つきも、一つ一つのパーツの大きい顔立ちも男性寄りだった。
人間の男性よりも頭三つ分ほどは大きくて、レシィの二倍くらいは身長のあるジェラルドでさえも喉を見せて見上げるような大きさだ。あの巨大ボブゴブリンよりも大きい。誰もが口を開けて見上げていた。キットもサイも驚きだけで開けているわけではない。上を見上げれば自然に口が開いてしまうのだ。高い天井ぎりぎりまであるその全容を見るのは、まるで塔を見上げるようだった。レシィが爪先立ちをして手を伸ばして、ようやく巨人の膝に届くか届かないかだろう。
巨人が足をぐっと持ち上げ、一歩踏み出す。
ジェラルドはハッとし、更に後ろに大きく跳んだ。
巨人は音を立てて床を踏み締めた。地鳴りが響き渡った。続いて太い腕がしなる。ジェラルドの避けた先とすれすれを薙いだ。
唖然とする四人の耳に哄笑が二重になって届いた。ドールと巨人が笑っていた。
「何とか起動が間に合った。く、くっくっくっくっく」
いつの間にかドールは立ち上がっている。愉快そうに笑い、手を頭上に翳していた。頭上にはマナが溜まっていた。苛立ちしか見せていなかった顔に喜色が浮かんでいる。
巨人の口から大きな声が降って来た。
「サイ・フリート。残念だったな。お前の言う通り、確かに私は遺物の力で魂を肉体から解放した。しかし、こうして魂を自由自在に操り、出し入れ出来るようにし、様々なものに乗り移れるようになったのは、偏に――」
ドールが溜めていたマナが炎の渦に姿を変えた。ドールは高らかに笑う。
「私の才能の賜物だ!」
炎の渦が容赦なくキット、サイ、レシィの元に向かって真っ直ぐ放たれた。
左右に散り散りになって避ける三人。運悪く、レシィはサイとキットとは逆の方に跳んでしまった。
キットの叫び声が響く。
「レシィ!」
「大丈夫!」
レシィは応え、すぐさま身体を真っ直ぐ立たせた。短剣を構えてドールをしっかりと見据える。
全身が心臓になったかのようだった。駆け出してキット達の方へ逃げたかったが、不用意に動けば狙われる可能性は十分あった。リュープは何も知らない様子でふるふる動くだけだった。
(やっぱり荷物の中にでも無理矢理押し込んでおくべきだった)
ただでさえろくに戦えもしないのに、こうして片腕が塞がっている状況は恐怖に近かった。
巨人の足が再び持ち上げられた。低空で大人三人を目掛けて足蹴りを繰り出された。伏せる以外避ける方法はない。三人は姿勢を低くし、その攻撃を避けた。
「腰を落ち着けている暇はないぞ!」
ドールの高らかな声を共に炎が放たれた。
次の瞬間、一体が爆発を起こした。
これにはレシィも巻き込まれた。襲い来る強い衝撃に、咄嗟に氷の壁を作って身を守ろうとした。しかし、氷は一瞬で溶け、ただの水と化し、そして消えた。
爆風に吹き飛ばされる。
叫ぶ間も、あっと声を上げる間もなく、壁に叩き付けられた。レシィは短剣とリュープを落として、床に蹲った。一帯の空気は熱くなり、息も上手く出来なかった。
(痛い、すごく痛い……熱い……)
咳き込みながら、なんとか立とうと試みるが、苦しくて膝に力が入らなかった。レシィは涙を堪えた。
――すると、一帯の空気が一気に冷えた。
「……これが、最後だ」
風と共に届いたのはキットの声だ。ジェラルドとサイを庇うように立ち、銃を構えて立っていた。彼の周りから強い一陣の風が吹き、熱い空気が流れていった。冷気を含んだ強い烈風だった。
キットが使える最後の魔法だ。
レシィは生唾を一つ飲んだ。すぐにどういう状況か理解した。
もう次の一発は使えない。使って倒れてしまったら、彼を庇いながら戦える人はジェラルドしかいなくなる。その状態でこの二体と戦うのは至難の業だろう。
冷えた空気と頼れるキットの最後の魔法にレシィは意地でも立ち上がろうとした。短剣を右手で取る。リュープを抱きかかえようと左手を這わせながら顔を上げ――、ぞくりと身体を震わせた。
リュープはすでに近くにはいなかった。身体を前後に揺らしながら、前へ進んでいた。そのリュープの側には足があった。真っ直ぐな足を下から辿っていくと、ドールの顔があった。
時が止まった。自分の中の時が止まったように、レシィには感じられた。それほど静かな瞬間だった。
ドールはじっとリュープを見ていた。苛立ちと悦びが交じり合う奇妙な表情だ。口元が笑っているのか、引き攣っているのか。レシィにはわからなかった。
その表情がすっと消えた。無表情になった。まるで――ドールのようだった。
「まだいたのか」
ぽつりと呟かれ、その爪先がつんとリュープを蹴る。呟きもその動作も不似合いな行動だった。
レシィは固まったままだった。どう動いていいかわからない。
サイがメイスをドールに向かって投げた。しかし、それはいとも簡単に受け止められてしまった。
ドールは一切サイを見ない。
代わりに、巨人が腕を振り回した。
サイと近くにいたキットが飛び退き、ジェラルドはその腕に斧を振り下ろした。
びくともしない。ジェラルドは眉をひそめた。
それを払いのけるように、更に巨人の腕が振られた。ジェラルドと巨人の攻防が続く。
巨人に対して、ドールは静かにリュープを見下していた。先ほどまでの熱のあるぎらぎらした双眸とは打って変わり、凍りつくような冷たい目に凝視している。
その様子に一切関せず、リュープは身体を揺らして動いていた。無関心に、ただ身体を揺らしていた。
ドールの整った口がゆっくり動き、声が発せられた。
「とっくに魔物の餌にでもなっていると思っていたぞ。友である私を殺しておきながら――」
レシィは息を詰まらせた。ドールの言葉は続く。
「まだ生きながらえていたか、ランドルフ」
つん、ともう一度爪先でリュープを蹴り、ドールはリュープに手を伸ばした。
レシィは腰を上げた。
「触るな!」
叫んで勢いよく飛び掛れば、どうやらドールの右腕にしがみつくことが出来たようだ。しかし、振り払われる。それでもレシィはまた飛び掛った。
(ランドルフ! ランドルフって言った! パパの名前!)
父なのだと知った。このリュープが父なのだと理解した。
父が友を、棺桶の人を、このドールを殺した。今このドールはそう言った。
レシィは死に物狂いでドールに掴みかかった。
きっとこのドールはリュープを壊すだろう。口にはしていないが、レシィにはわかった。
リュープ。それは人だったものの残滓。残滓がその身体をなくせば、それで全てが終わるのだ。残滓に輪廻転生の権利はない。人殺しに与えられた、女神からの罰だ。
ドールの左手がレシィの頬を打った。それでもレシィは手を離さなかった。痛みで涙ぐみそうになるのをグッと堪えて、レシィはドールを睨んだ。
ドールは邪魔をする少女に煩わしそうにもう一度手を挙げ、止まった。そして、気付いたように口をほうと動かした。
「そうか。貴様、シーリル人だと思ったら、ランドルフの娘だな!」
ドールが再び表情を見せた。にやりと嗤いを浮かべ、レシィがしがみ付く右腕を強く振るった。レシィの身体は再び強く壁に打ち付けられた。ドールもジェラルドと同じくらいの力があるのだ。
「父を探してここまで来たか! 不愉快なほど似ている執念深さだ!」
苛立ちで興奮しているのか、妙な悦に入り興奮しているのか。理解出来ない声を上げてドールは笑った。
レシィが離れ、自由になった右腕を再びリュープに伸ばす。手を大きく広げて、リュープの身体を鷲掴みにした。リュープがドールの目の高さまで持ち上げられた。
リュープは掴まれながらも身体を揺らしていた。何もわかっていないのだ。
「ああああああ!」
レシィは意味のない声を張り上げた。強く打ち付けたせいか、恐怖のせいか、すぐには足で立つことが出来ず、レシィは這って腕を伸ばした。
「やめて! 離して! パパを放して!」
「目の当たりにしろ! 自分の父親の残り滓が全て潰えるところを!」
レシィの主張は虚しく、ぐっとドールの手に力が篭る。例え、負傷している手でも簡単に潰すことが出来るだろう。
レシィは目を閉じて悲鳴を上げた。
「やめてぇぇぇぇぇ!」




