◆亡霊たちの舞台
大広間から喧噪が聞こえる。閃光、爆音、超音波。それらに背を向けて、サイは駆けた。
唇を噛み締める。苦々しい表情を、彼女はこの遺跡に入ってから――いや、入る前からか――何度か浮かべていたが、今の表情は一層深く、本来の柔和な表情が欠片も見当たらない渋面だった。
彼女は今、苦悩していた。しかし、走る足に迷いはなかった。
扉を抜けて、その先へ。
昨晩、休憩を取った場所だ。漆黒の壇とそれを飾る柱が変わらず部屋の中央にあった。どのような用途に使われる舞台かはわからない。詳しく舞台の周りの紋様を調べてみれば分かるかもしれないが、それどころではない。
サイは部屋の壁を全て扉に変える準備をした。設定すれば、紋障壁はすべてが扉になる。ここの壁はすべての部屋と繋がるのだ。自分が目的とする部屋の可能性が高そうな場所と、この部屋の壁を全て繋げる。壁に触れ、手を滑らせ、その作業を広い部屋一周分、彼女は行った。
壁が一切なくなり、全て扉に変わって道が開けると、部屋はいつしか奇妙な姿に変わった。一見すれば、天井が浮いている部屋のようだった。サイはぐるりと部屋を見渡し、真ん中の漆黒の壇に駆けた。
腰のポーチから十数個ほど宝石――ダイヤモンドなど強い魔力を有した宝石だった――と青く光る粉が入った小さな薬瓶を取り出し、自分を囲むように宝石を並べ、その上に粉を振りかけた。
小さな魔法陣が出来た。
粉が燃え、青い炎が彼女の周りに浮かび上がる。熱くはない。その代わりに高まるマナを感じながら、サイは目を閉じた。視界が閉ざされれば、感覚が敏感になっていった。
自分がやってきた扉から、微かに喧騒が聞こえる。頭が掻き乱されそうになる。サイは驚異の集中力でそれを乗り越えた。
――探査だ。
これから大規模で細かい探査を行おうとしていた。彼女は遺物を探していた。
目を閉じて探査を行っていたサイの瞼がぴくりと動いた。目を開く。青い炎はふっとその姿を揺らがせて消えた。
サイは迷わずに多くの扉の中の一つへと走っていった。手にはメイスだけを持ち、邪魔な荷物は全て扉の前に投げ捨てた。
駆けるサイ。喧騒はもう聞こえなくなっていた。
扉を抜けた先は一本の短い通路だった。通路の両側にはそれぞれ一つずつ扉があり、それぞれ部屋と繋がっているようだった。
足を止めて息と気配を殺し、サイは目を閉じて再び集中した。
目的の部屋――遺物が稼働している部屋を探す。このくらいの距離ならば、宝石の補助がなくとも探査は出来た。
「…………」
どうやら、右の部屋に稼働中の遺物が二つほどあるようだった。手にしていたメイスを、その手に確かめるように握り直しながら、彼女は部屋に近付いた。部屋の扉は触れればすぐにでも開く。しっかりと稼動していた。
息を整える。時間はかけない。時間はないのだから。決心と沈静を一瞬で行い、扉に掌を翳した。扉は反応する。あとは少しの動作で扉は開く。
サイは躊躇しなかった。
素早く、小さく手を動かして扉を開けると、転がるように、静かに部屋に侵入した。
広い部屋だ。さきほどの広間よりは幾分か狭いが、天井も高くがらんとした空間だった。マナも満ち溢れている。
部屋には緑色の髪を持つ人の型をした者と、その奥に稼動している大きな遺物があった。
部屋の内部はマナが通い、仄明るい。大型の遺物の全容が見て取れた。高い天井の天辺まで届くほどの大きさだ。下部は壺のように丸みを帯び、安定した型をしている。それが上部になればなるほど、細くなり、搭のようになっていた。遺物の下から、搭の先端に向けてマナが流れている。
それに触れて立っている人型のそれは、扉とサイに背を向け、サイには全く気付いていなかった。
背丈は一般的な人間男性くらいだろうか。キットと同じくらいの身長だが、彼よりもやや体格は良さそうだ。ぴったりとした黒い服を着ている身体にはしっかりとした厚みがあった。
最も目につくのは、やはりその輝いて波打つ緑色の髪だろう。肩の辺りまでの美しい髪だ。ちらりと見える肌の色は、やや白めだった。
緑色の髪。人間には出しえない髪の色だった。ならば、シーリル人だろう――とは思わない。当たり前だが、散々この遺跡の中でシーリル人以外の特殊な色の髪の持ち主達は見てきた。いや、遺跡に入る前から彼女は知っている。
まず間違いなく、ドールだ。
禁忌の遺物。誰も知らない、ごく一部の学者――本当に限られた人間しか知らない、古代兵器。研究対象。失脚の原因。出会いの象徴。
サイ自身、ドールを知っているとは言え、研究は途中で終わっている。多くは語れない。
語れるのは、人と全てが酷似しながら、人を遥かに越えた身体能力、頑丈さ、万能さ、美しさを全て持つと言う事。そうでありながらも、他の遺物のように命令や設定に忠実に動くのだ。
研究を何十年続ければ、その全てに触れることが出来るのだろうか。途方もない緻密な遺物に、当時は心が躍ったものだ。うっとりとその肌を撫でたこともあった。当然、学都を追い出され、魅力的なそれから引き離された時は、悔しさで身を引き裂かれるようだった。
――今も、もう一度触れたいと思う気持ちがないとは言い切れない。
解き明かしたい。そう願う心もしっかりとある。しかし、そんなことは、今は、どうでもいいことだった。その後に出会った彼らの方が、サイにとっては大切だった。
サイは気配を殺したまま、慎重に歩を進めた。
迷いはない。急がねばならない。
サイはゆっくりとドールの真後ろ――を通り越し、迂回してドールの真横に並んだ。
ドールは気付かない。目を閉じたまま、遺物に触れていた。遺物を使っている間は膨大な集中力を要するのだ。大きい遺物になればなるほど。
それにしても――。
美しい横顔だ。すっと通った鼻筋、伏せられた切れ長い目と、その下に影を作る長い睫。整えられた凛々しい眉。薄いが型の良い唇。笑みは浮かべていない。恐らく男なのだろう。パーツの型と配置がすべて美しく見えるように計算されている。瞼を上げれば、宝石のように輝く瞳が覗くのだろう。場合が場合でなければ、もう少し見ていたくもなる。
しかし、サイは相手の目が閉じられていることを確認すると、メイスを持つ腕を振り上げた。
躊躇なく、振り下ろす。
硬い音が部屋に響き、ドールは弾かれたように目を開けた。無表情のまま、音の方、サイを見た。
それでもサイは一心不乱にメイスを振り上げ、振り下ろし、ただひたすら殴った。
――大型の遺物を。
サイはドールを見ていなかった。
ドールの目が見開かれた。濃緑色の輝く瞳が一層妖しい光を増した。
ドールが遺物から手を離して、サイに手を翳した。大型の遺物は稼動し続けたままだ。止まらない。しかし、遺物を駆け巡るマナの流れが緩やかに、そして細くなっていった。
ドールの手にマナが溜まっていく。サイは見向きもせずに、メイスを打ち下ろし、遺物を殴り続けた。
マナが火球に変わる。大きな火球だ。確かな熱を発しながら、それが放たれた。ようやくサイは目だけをドールに向けて素早くその攻撃を避ける。火球は壁に当たると、掻き消えた。
そして、体制を立て直すや否や、サイは大型の遺物の影に隠れ、再びそこを殴り続けた。
ドールの手に再びマナが溜まっていく。先ほどよりも、大量のマナが集っていた。
「言っておくけれど、あまり強い魔法を使うと、この遺物が壊れるかもしれないわよ」
サイの言葉に、ドールの指がぴくりと動き、溜まっていたマナが霧散した。サイは遺物を殴りながら口元を歪めた。
「なれないドールのフリなんてやめることね。あなたが誰か……私は理解できたの」
ドールが地を蹴った。突進する勢いでサイに向かっていく。太くも細くもない男の腕がサイを殴ろうと振り上げられた。
サイの動きの方が素早かった。殴りかかろうとする腕を身体を捻って避け、サイはドールの顎を目掛けて、両腕でメイスを下から上へと振り上げた。腕に振動が伝わる。硬い。とても硬い。広間で殴ったドールよりも硬い気がした。
ドールは僅かによろめくが、すぐに体制を立て直した。
サイも動く。振り上げたメイスを、今度は頭を目掛けて打ち下ろす。しかし、それはドールの腕によって阻止された。競り合い。力比べではサイの方が不利なようだった。
ドールはぐっと腕に力を入れて押した。サイは笑う。秘密を耳打ちするように、そっと呟いた。
「あなた、――――ね」
ドールに隙が出来た。サイはすぐさまドールを横殴りした。
「わかりやすい人ね」
ダメージ自体は少なそうだったが、無表情だったドールが顔に感情の色が滲み出てきた。焦りだ。
ドールは腕を横に薙いだ。サイは軽く後ろに飛んだ。
大型遺物の周りを、二人は戦いながら周回する。サイが遺物から離れずに戦っているのだ。時折、ドールを攻撃しながら、大型遺物も殴る。しかし、遺物は傷ついていない。それでもサイはドールと遺物を殴りつけていた。威力ある魔法が使えない以上、殴って壊すしかない。
何度も防戦を繰り返していると、ドールの腕が不意をつき、サイの首を捕らえた。
息が詰まる。サイは眉を寄せて苦悶した。ドールは容赦なく、両手でサイの首を絞めた。
「…………る、もん……か」
首を絞められても、彼女の腕は戦う意志を見せた。自分の首を締め上げるドールを睨み据える。穏やかな印象を受ける垂れ目が強い闘志を見せた。
サイの両腕が上がる。腕がサイを締め上げるドールの両腕の間に差し入れられた。あっという間に、サイの脇がドールの腕を捕らえる。ぐっと力が篭った。少しの隙も与えず、サイの足が持ち上がり、ドールの胸を蹴った。
後方に宙返る細い身体。サイの足――無茶な状態からの鋭い蹴りが、確かにドールの顎にも入る。踵がドールの頭上天辺に振り下ろされた。落ちる勢いに任せて、ドールの腕にサイは全体重をかけた。
ドールの腕が、サイの首から離れた。
床に転がりながら、咳き込む。難は逃れた。サイの視界が涙で霞んでいた。
「げほっ……っ……」
サイはすぐに立ち上がった。すぐにドールと対峙する。たかが首を絞められた程度で死ぬわけにも、倒れるわけにもいかなかった。
離れた広間では、彼が戦っている。家族を守ろうと戦っている。死のうとして戦っている。サイはそれをわかってしまった。
ならば。研究対象よりも大切な彼を、自分は助け出さねばならない。
全てを奪われて行き場もなくなった自分に居場所を与えてくれた、優しく繊細で傷つきやすい彼。本当に些細なことを気にして傷つく。ちょっとした失敗で小さな怪我をさせたことに、彼は異常なまでの罪悪感に感じていた。サイは――恐らくジェラルドも――、すぐに気が付いた。そんな彼が、罪滅ぼしのように命をかけて守ろうとしているものを、見捨てるわけにはいかない。
例え、彼が自分達を大切に思うあまりに、助けを求めることも期待することも、信じることもしなくても、自分は彼を助けるまでは死ぬわけにはいかない。
ましてや、逃げるわけ、ないのだ。
彼に頼まれようと逃げるなんて選択肢はない。それをちっともわかっていない、信じない彼に、サイは苛立って目を拭った。想い合う気持ちに負けているなど一度だって彼女は思ったことはなかった。
助ける。死ぬものか。私が助ける。必ず。
サイはドールに目もくれず、メイスを振り上げて遺物に飛び掛った。ドールが忌々しげに舌打ちをし、再びサイに殴りかかった。
――偶然にも。
ドールが振るっていた腕、サイの胴を狙って振るわれていた腕が、サイに避けられ、そのまま勢いを失うことなく遺物にぶつかった。
遺物が凹んだ。確かに、形を歪ませた。
その瞬間。遺物の下から上へと流れていたマナが、完全にその流れを止めた。
ドールは自身の腕を、遺物を殴ってしまった腕を見つめて呆然とし、対するサイは会心の笑みを浮かべていた。
「……これで、私が倒れても……キット達は助かる」
大きく息を吸い込んだ。柳眉が釣りあがり、口元が引き締まった。メイスを構えなおす。
「さぁ、覚悟は良いかしら、この引きこもりの下衆人形ッ! 例え、あなたがどんな兵器を使おうが私はすべて叩き壊すッ!」
力強い哮り。
ドールは歯がみした。苛立ちに肩を震わせ、拳を握り締めた。
「クソアマがァァアァァァァ!」
大陸で使われている公用語の絶叫が、ドールの口から迸った。




