◆禁忌の異世界
頬に触れる冷たさに気付いて、レシィは目をうっすら開けた。薄暗い。遺跡の中だ。
「気が付いたか」
声をかけられ、レシィはゆっくりと身を起こした。
(頭……痛い……)
触ってみれば、ぶつけたようで少し腫れていた。
「ぶつけたか?」
声の主はキットだった。キットはレシィのすぐ横にいた。ジェラルドとサイの姿は見えない。はぐれたわけではなさそうだ。証拠に彼らの荷物はそこにあった。どうやらキットは荷物番をしているようだった。荷物に囲まれて、リュープもいた。
頭を押さえるレシィの手を退けて、キットがそこに触れた。
「少し、腫れているかな。まぁ、大丈夫だろう」
「ここ……は?」
ぼんやりとしたままレシィは辺りを見ようと、首を動かそうとした。――が、キットに唐突に頬を掴まれて動かすことが出来なかった。
「はにふんのお!」
痕が付きそうな力で掴まれてレシィは抗議の声を上げた。完全に目が覚めた。目の前の頬を強く掴む男を睨む。
キットも半眼でレシィを睨んでいた。今にも小言を言いそうな顔だった。
「あのな。お前が床を足でドンってしただろ?」
「……うん」
「マナこめただろ? 足に」
「おぼへへはい」
「し、た、の! そのせいで、遺跡の装置の一部が作動して、僕らはここに落っことされたんだ!」
言葉の最後に キットはレシィの額を空いている手の指を指で弾き、ぴしりと叩いた。レシィは反射的に小さく声を上げ、目を閉じた。暫く硬く目を瞑っていたが、追撃は来なかった。一発だけらしい。お叱りの度合いによって回数が変わることをレシィは知っている。ちなみに同じ事をこの三ヶ月の間に何度かされた。一番多い回数で四発だった。
キットの手が離された。レシィは痛む頬を押さえて眼をあけた。目の前にはやたら顔を接近させたキットが、未だ半眼で睨んでいた。レシィも先ほど――落とされる前のこともあったので、負けじと睨み返した。
暫く睨みあっていると、キットはため息を吐いた。眼光が和らいだ。レシィもホッとした。睨み合いでキットに勝てる自信はなかった。普段は遠くを見るような穏やかな碧眼が鋭くなると妙な迫力があったのだ。
もうこれ以上、小言はないだろう。
そう思ったが、キットは笑顔を見せなかった。
「…………いいか。まだ後ろを振り向くなよ。ある程度、覚悟が出来てから振り向くんだ」
「な。なによ、それ。どういう意味よ」
「振り向けばわかる。でも、振り向くには少し覚悟がいる」
(じゃあ、振り向くしかないじゃない!)
キットの神妙な表情と言葉にレシィは生唾を飲み込んで、ゆっくりと振り向いた。
目の前の光景に言葉を失う。
大きな筒型をしたガラスのような素材の、中が密閉された容器。下の方から魔灯のような明かりで照らされ、煌めく水がその中を満たしていた。目の前の容器の中は水だけだった。
しかし、その横の同じような容器の中には――。
「うそ、これ……昨日の……」
水で満たされた筒の中で、宝石のような目を見開いて微笑む女がそこにいた。赤い髪がゆらゆらと水の中で遊んでいた。
その横の筒にも。その奥の筒にも。
部屋中にずらりと並ぶ容器の中に、それらが浮かんでいた。
レシィは恐る恐る女が入っている容器に手を伸ばした。女の足はやはり人のそれとは違って、いびつに歪んだ肉塊だった。女はずっと微笑んでいる。レシィが目の前で手を振るが、目は動かない。開きっぱなしで焦点もあっていなかった。
その横の容器を見てみる。後ろからキットがついてきているのにレシィは安心した。
女のいた容器の横には、同じ顔の女がいた。肌の色は真っ黒だった。日に焼けてなる色ではない。黒で染めない限りこうはならない。髪の色が真っ白なことと、足が生えているところも先ほどの女とは違った。人と同じ様に、確かに足が二本あり、股から生えていた。人の格好をしていた。
均整のとれた肢体だ。美しい裸体にレシィの頬が染まったが、すぐに我に返って後ろを振り向く。キットも同じように女を眺めていた。
「へんたい」
「馬鹿なこと言うな。ま、ラインだけは素晴らしいと思うがな」
「馬鹿はどっちよ」
レシィはぷくりと頬を膨らませて、次の容器に足を向けた。
次の容器は整った顔の男がいた。肌の色は血の気のない白だった。その男の胸まで見て裸体であることに気付くと、レシィはバッと勢いよく顔を背けた。顔が更に赤くなった。
「見ても大丈夫さ。ぴったりとした服を着ている感じだから。局部は晒されていない」
キットから笑いが含んだ声がかかった。レシィはゆっくりと容器の中の男に目を戻した。確かに。一見、裸体のようだったが、彼の言うとおり肌と同じ色のぴったりとした薄い服を着ているようだった。
肌も見たところ滑らかで、汚らしい物は一切ない。この男もますます作り物めいていてレシィは不気味さを感じた。
ほかの容器に目を移す。
「その奥のは見ない方がいいかもな。本当にしっかりと裸だ」
からかったようなキットの声にレシィは覗きかけた首をそっと戻した。
容器の中にいるそれらは、それぞれ何かしら形が違っていた。肌の色、目の色、大きさ、体格。何かしらに違いがあった。足が肉塊のようなものも、その肉塊の大きさが違っていた。最初に出会って戦った赤い女もよく見れば違っていたのかも知れない。
どこからどうみても人のような者も容器の中に入っていた。肌の色、形、大きさ。すべてが完全に人そのものだった。
ただ、総じて言えることは、どれも似たように整いすぎた顔に、優雅な笑みを張り付けていることだった。水の中に入っているというのに苦悶一つない。肌も滑らかすぎる。皺一つなく、不自然だった。
「ねぇ、キット……これは一体何なの? 古代遺跡ってこんなのがあるの?」
「わからない。昨日も言ったが、僕もこれは初めてみる。こんなの一度も見たことがない」
髪も目も肌も真っ青な女が入った容器の前で、レシィとキットは立ち尽くして、言葉をぽつりと交わした。
やはり女は動かない。どんなに無遠慮に眺めようが、微笑んだままだった。
レシィは想像した。この女が動くところを。想像は容易に出来た。昨日散々見たからだ。くるくると回る姿。手を優雅に動かす姿。ぴたりと動きを止める姿。手を伸ばす、笑みを深める、一歩前へ出る。そのつるりとした陶器のような腕に、手に、指先に、マナが溜まっていき、そしてそれが炎を生み出す。
想像はどんどん深まる。
今目の前にいるこの動かない女が、突然動き出したら。この容器をまるで撫でるように触れて破壊し、目の前に躍り出てきたら。
いや、目の前のだけではない。レシィはぐるりと自分の周囲を見渡した。同じようなモノは沢山いる。それが一斉に出てきたら――。
(――怖い)
レシィがぶるりと身体を震わせた。
容器と容器の間で、何かの影が動いた。レシィは身構えた。肩をぽんと叩かれる。心臓が跳ねた。キットだとわかっていても、どきりとしてしまった。
「大丈夫だ。サイだ」
「ああ、キット。レシィ。見つけたわ」
キットの声とほぼ同時に、容器の間からサイが顔を覗かせた。
「あ……。サイ先生……よかった」
レシィは盛大に息をついた。しかし、だからといって恐怖感は消えなかった。周りにはまだそれらはあるのだ。
「おかえり、サイ。どうだった?」
サイは先に部屋の中を調査していた。ジェラルドの姿は見えない。彼を置いてレシィたち呼びにきたのだ。
サイはキットの質問には答えず、首で奥を指し示した。
「こっちへ来て。…………ああ、レシィ。何も触らないでね」
その言葉にレシィは大人しく、申し訳なさそうに頷いた。




