◆禁忌の異世界
細い指が紋様をなぞる。
「……これでいいわ」
サイの言葉と同時に、壁の一部に薄く線が入り、扉が浮き出てきた。まるで生きているかのような、奇妙な光景だった。
「どこにでもいけるようになったわ」
「え! どこでも? それじゃあ、遺跡の外とか――」
「ああ。勿論、この部屋から繋がっていない場所にはいけないわよ」
レシィは僅かに肩を落とした。勿論、無茶なこと言った自覚はあったが、それくらい出来そうな気がしたのだ。散々見てきたこの古代遺跡の仕掛けを見ていたら。
「それって……どこでもって言わないんじゃ」
普通の扉と変わらないのではないか。しかし、サイは首を振った。
「この部屋はこの遺跡の全ての部屋と繋がっているのよ。繋がっているというのは私たちの常識を遙かに越えるわ。隣接している部屋というわけではないの。例え、この部屋からうんと離れたところでも、この遺跡内部であるならば、この扉と繋がっているの」
サイは目を閉じて、扉の形になった壁に手を触れた。扉が横に滑って開かれた。まっすぐな通路が見える。レシィの記憶にも新しい場所だった。
「ここは――」
「私とキットで分かれたところよ」
サイは扉をすっと横に撫でた。するとその動きに合わせて扉が閉まった。また触れて、扉を開ける。
今度は扉の先から青い光が見えた。レシィは顔を覗かせた。入り口付近だった。
「す、すごい……」
「ただ、行きたい先の扉が壊れていたら使えないけれど……何にせよ、入り口まですぐに戻れそうね」
扉が再び閉められた。
結局、一行は遺跡の探索を進めることを決めた。リュープは見つかったが、それが目的の父親である確証はない以上、決めつけて探索をやめるわけにいかない。ジェラルドはリュープを連れていくという話には難色を示したが、何も言わなかった。
「じゃあ、どこに行く?」
「そうね。行けそうなところ片っ端から、準々に行ってみる? 解読できなくて、よくわからない部屋もあるけれど」
「片っ端から……ねぇ」
サイの指が紋様の上を踊る。紋様が点滅を繰り返す。キットは腕を組み、唸った。
「……誰かが通った形跡みたいなのはないのか?」
「あるならやっているわ」
「それもそうか」
「任せてくれるなら、こっちで適当に行き先決めるわよ」
「それがいい。任せた」
キットから了承を得られると、サイの指が止まった。点滅をしていた紋様の一部が、他よりも光度を上げて止まった。
扉に触れる。扉は動かない。
「……ここは開かない。次」
ぶつぶつと呟きながら、サイは扉に触れたり紋様に触れたりと手を動かした。
三、四回ほど繰り返すと、扉がすっと横に滑った。開いたようだ。
扉の奥は暗く、先は見えない。深い闇が続いているように見えた。
キットが銃を取り出し、明かりを銃口に灯した。魔灯はふわりと浮くと、音もなく扉の奥へ飛んでいった。深い闇が続いていると思いきや、そこまでの広さはなさそうだった。ただ、異様に天井が高い。キットの魔灯がゆるゆると天井に上っていった。かなりの高度のようだった。
キットは明かりの行方を目で追い、サイに尋ねた。
「何部屋なんだ?」
「わからないわ。解読出来なかったわ」
「それでも行くのか? レシィの父親たちが行きそうな部屋か?」
「わからない部屋ほど惹かれるものよ、遺跡探査人は」
と、サイはもっともらしい表情で応えた。
(……それって、サイ先生がただ行きたい部屋なだけなんじゃ)
キットとサイの会話を聞きながら、レシィは腕に抱いたリュープを抱いた。ちらりと後ろのジェラルドを見る。
彼は何も言わない。相変わらずの強面は、昨日のような激しい感情はなく、いつも通りの淡々とした表情を保っていた。
「まぁ、一理あるかもな」
キットは銃を構えながら、扉の向こうへと足を踏み出した。
一歩。
「――え。うわああああああああ!」
扉を越えて一歩踏み出したキットが勢いよく部屋の突き当たりまで進んでいった。手足をじたばたさせながら、しかし足の動きとは全く関係なく進むキットの様子に誰もがぎょっとした。
間もなく、どしんと大きな音が部屋の先から響いた。キットは動かない。床から僅かに足を浮かせて、壁に張り付いていた。レシィは目を丸くした。
「…………ぃだい」
「キット! 大丈夫?」
「待って!」
呻くキットの元へ駆け出そうとするレシィをサイは手で制した。
荷物を背負い、扉の縁にしっかりと手をかけ、サイは慎重に扉の向こう側に身体を運んだ。すると、サイの身体が部屋の先に吸い込まれるかのように、宙に浮いた。扉の縁を掴む彼女の手が、キットのように部屋の奥まで行くことを阻止しているようだった。
「…………なるほど。これは、気持ち悪いわね」
壁に張り付いているキットを見ながらサイはそう呟くと、手をパッと放した。レシィが声にならない悲鳴を上げた。サイはキットと同じように部屋の奥へと吸い込まれて行った。
――そして、部屋の奥の壁に足を張り付かせしゃがみ、ゆっくりと立ち上がった。
レシィはいともえとも付かない声を上げてサイを見た。
サイが壁に張り付いたままのキットの手を引いた。キットは引かれるまま、そしてサイのように壁に足を着けて立ち上がった。
サイの手がキットの顔に翳される。緑白色の明かりが灯る。癒術をかけられているのだとレシィにはわかった。
(でも、なにこの光景)
キットとサイは何の抵抗もなく部屋の壁に垂直で立っているのだ。信じられない光景に、同じ部屋でこの奇妙な光景を見ているジェラルドに助けを求めた。
「俺にもわからん」
レシィが何かを尋ねる前にジェラルドはきっぱりそう言い切った。レシィは口を噤んだ。
壁に垂直に立つサイがレシィたちを見上げて声を上げた。
「扉、この部屋の天井に繋がっていたみたいだわ!」
「天井?」
「そうよ! レシィは危ないからまだ来ないでちょうだい! ジェラルド、縄持っているでしょう? そっちの部屋の柱にでも何でも構わないから、くくりつけて気をつけて降りて来て!」
ジェラルドは一つ頷くと、荷物から縄を取り出し適当な支柱を探した。
サイの言葉をうまく理解出来ないレシィは恐々と扉の向こうを覗いていた。
「……こんなところか」
ジェラルドが縄を持ってレシィの横に戻ってきた。レシィは黙ってそれを見る。
縄がジェラルドの手から放たれ、部屋に投げ入れられた。
縄は床に付かない。巻きを減らしながら、するすると部屋の奥の壁――キットとサイの元まで吸い込まれていった。宙に浮いて、ぴんと張る縄。
レシィはリュープを片手で抱き直すと、その縄に触れた。普通の縄だ。
部屋の奥からキットが声を上げた。
「リュープを投げろ。こっちで受け止めるから。それから縄を伝って降りてこい」
「え! 降りる? ね、ねぇ! だ、大丈夫かなぁ?」
「大丈夫だ」
不安はあったが言われた通り、レシィは片手で抱いていたリュープを扉の向こうへやるように押し入れた。リュープが吸い込まれるように部屋の奥へ行く。キットは壁を自由自在に動き、宣言通りそれを受け止めた。
レシィは縄をぎゅっと掴み、意を決すると、扉の向こうの床に足をつけた。そして、一歩更に踏み出す。
不意に身体を襲う浮遊感。足が滑るようだった。レシィはぎゅっと縄にしがみつき、ようやく身体で理解した。今、自分はジェラルドから見たら、身体を横にいて縄を抱きしめながら宙に浮いていることだろう。
扉は、この部屋の天井だったのだ。サイの言葉を思い出した。
身体が理解すれば、レシィは無様にいつまでも縄にしがみついていることはなかった。
器用に床――と思ったが壁に足をつけ、壁を蹴りながら降りる。すぐにキットたちの元へ降りることが出来た。
ジェラルドも合点行ったようで、レシィが使った縄を回収し、縄を使わずにその巨体を宙に踊らせて飛び降りてきた。着地の音を聞き、レシィは思わず少し肩をすくめて構えた。
「なんつー部屋だ」
一番最初に入り、痛い思いをしたキットは鼻をさすりながら、片手でリュープをレシィに渡した。受け取りながら、レシィはキットの鼻のあたりを見た。血の痕があった。どうやら、思い切り鼻をぶつけたようだった。天井を見上げる。扉がぽっかり開いていた。
(あの高さであの落ち方じゃ、鼻の骨とか……折れたりしたのかな)
レシィはこっそり身震いをした。
キットの手が鼻から離れると、レシィは思わずその形を確認した。元通りのようだった。サイの癒術のおかげだろう。
サイは早速部屋を調べだしていた。床に指を滑らせる。紋障壁のときのようだが、ただ床を触っているだけのようだった。
高い天井の部屋だと思ったが、中に入れば、それが広い部屋だったことにレシィは気付いた。明かりは部屋の奥へ奥へと目指し、小さくなっている。光源が離れ、この辺りも暗くなっていった。キットがもう一つ明かりを作ろうと、銃を取り出した。
――不意に、部屋の奥へ向かっていた明かりが掻き消えた。




