◆古代の足跡
ぶぅん。
風を切る音が聞こえると、ジェラルドの目の前にいた魔物は勢いよく吹っ飛んだ。倒れ伏した魔物が生きているか死んでいるかはわからないが、ぴくりとも動かなかった。レシィは呆けてその戦いを見ていた。
(ジェラルドって……すごい)
呆けながらも、慣れたはずの生理的恐怖心が沸いてきてしまいそうになるのをレシィはぐっとこらえた。
ジェラルドがオーネの自警を引き受けていることは聞いていたが、それをレシィがお目にかかれた機会はこの三ヶ月間、一度もなかった。いや、正しくは出会ったあの日に遭遇してしまった魔物を倒したときに一度だけ見たが。
とにかく、どんな魔物でも一撃なのだ。斧を振るうだけではない。拳で殴って吹っ飛ばすこともあった。隙がなく、落ち着いていて、それでいて凄まじい力を出す。
サイがいる遺跡までの道中。レシィは大人の言うことをおとなしく聞く。大人から離れない。そして、魔物が現れたら身を潜めて、絶対に戦うなんて馬鹿な真似はするな。――と、キットに何度も言われ、約束通り大人しくジェラルドの近くで、彼に守られていた。一番の特等席でその戦いぶりを見ていた。怖いが、獣人の彼が頼れる戦士であることはよくわかった。
(それに比べて……)
「……っと! ……あ。……よっ、と!」
レシィは無遠慮にじと目でキットを見た。キットは少し離れた所で、もう一匹いた小鬼の攻撃を危なっかしく避けて逃げていた。相変わらずの丸腰だ。ナイフ一つ持たない。二人でレシィの里まで旅していたときは護身用に短刀を持っていたが、それでもキットは戦わない。逃げる。魔物がいない道を通る。そうやって二人で旅をしてきた。
それは別に悪いことではなく、レシィもそうやってきた。普通はそうやって旅をするものだ。だが、こうも目の前に頼れる戦士がいて、その戦士以上に大口を叩く奴が逃げてばっかりでは、レシィには酷く恰好悪く見えた。
(確かに全部避けているけどさぁ)
勘が良いのだろうか。魔物の攻撃は一撃も食らわず、すべて避けている。
しかし、やはりその動きが情けない。へっぴり腰で、危なっかしい。とにかく恰好悪いの一言につきる。レシィにはそう写った。それでも、恐らくジェラルドが戦いやすいように、敵を引きつけているのだとわかるので、レシィは黙っていた。
「……うわっ!」
「あ!」
ぼんやり見ていたらキットが足をもつれさせ、尻餅を付いた。レシィは血の気が引いた。魔物は嬉々として、転んだ間抜けに武器を振りおろした。
――が。寸でのところで、勢いよく何かが飛び、魔物の頭に突き刺さった。魔物が倒れて、その頭部を見ると、投擲用のナイフが深々と刺さっていた。やはり、ジェラルドの物だった。どこかで見た光景だ。レシィはほっと息を吐いた。
ジェラルドは表情も変えずに、ナイフを抜いて、その刀身を軽く振って拭う。そして、まだ尻餅をついたままのキットを無理矢理立たせた。
「お前も、戦う気がないなら、俺のそばを離れるな。面倒だ」
(うわ、怒ってる。これは絶対怒ってる)
無表情だが、いつも以上の低い声音でキットに注意をするジェラルドの様子に、レシィは口元を押さえた。僅かに口元がひきつってしまったからだ。
「……はい」
キットも言い訳できないようで、頭を垂れて、大人しく頷いた。ジェラルドはふんと鼻を鳴らすと、ずんずんと先を行ってしまった。残された二人はどちらからともなく顔を見合わせた。
「キットださーい」
レシィはキットが何かを言う前にきつい一言を残し、小走りでジェラルドを追いかけた。キットは口を曲げて、大股でその後ろについていった。
「ださいは酷いんじゃないか?」
「だって本当のことだもん」
「華麗に避けてただろ」
「ぜんぜん」
レシィは半眼でキットを見た。
「ねぇ、キットずっと思ってたけど、前に使ってた短刀は?」
「あんなものおいてきたよ。使う必要ないだろ」
キットは肩をすくめた。もっともだ。使わなくてもジェラルドが入れば道中は何の問題ないだろう。レシィはため息をはいた。
「もしかして、キットって戦えないの?」
「なんだよ」
「だって、里に一緒に行ったときは短刀持ってたけど、全然使わなかったし、今なんてとうとう持ってきてすらないし……」
レシィは幻滅したと言いたげに目を閉じた。
「ジェラルドは勿論、サイ先生もすごく強そうなのに。キットだけ何か……悲惨。ださい」
「悲惨とか言うな。お前だって人のこと言えないだろ。シーリル人なのにまともに魔法使えないじゃないか」
ふふんと意地の悪い笑いを見せて、キットはレシィをからかった。レシィは顔を赤くしてムスっとした。
「う、うるさいな! 仕方ないじゃない。ハーフだし。そういう勉強しなかったし! っていうか、そういうのすっごい大人げない。さいてい。キット最低」
レシィはばしばしとキットの腕を叩いた。キットは痛いとは言わずに、むしろ楽しそうに笑った。
「はっはっは、なんとでも言え。大体、お前がそういうなら、僕はしがないおもちゃ屋さんだ。戦わなくて当然だろう。それに――」
そう言って、不意にキットは立ち止まり、真剣な表情をした。あの優しげな遠い目をして自分の胸に手を当てると、空を見つめた。
「僕は平和主義者だから、な」
言ってたっぷり余韻に残すと、目を閉じて、ふっと微笑んだ。
レシィは胡乱気にキットを見つめ、何も言わずに彼を通り越した。呆れた表情のまま前を見ると、ジェラルドが立っていた。
ジェラルドは、浸っているキットを見てしばらく黙っていたが、レシィに視線を移した。
「……あいつはひどい才能がなくてな」
ジェラルドの重い口が開かれた。
「根本的に、だ。前にせめて護身用にと、剣術を教えたんだが……なんというか」
ジェラルドは、重いため息を吐いた。
「……ひどかった。悲惨だ」
「馬鹿! そういうこと言うな!」
キットは同居人の悲痛な言葉に喚いた。レシィはほらみろと言わんばかりに笑った。
「やっぱり運動音痴なんじゃない」
「誰が運痴だ。失礼なこと言うな」
「だってそういうことでしょ」
レシィはニヤニヤと笑った。珍しくキット相手に口で勝てている。そう思ったのだ。キットは勝ち誇った笑みを浮かべるレシィを忌々しげに鼻を鳴らした。
「ハンッ! 勝手に言ってろ。僕の真価はこういうところじゃ発揮出来ないんだ」
それだけ言って、先頭を歩いて言ってしまった。レシィは吹き出した。
「そういう負け惜しみ言っちゃって恥ずかしくない?」
上機嫌にその後をついていこうとレシィは足を踏み出した。その足をジェラルドが呼び掛けて止めた。
「レシィ」
「ん?」
振り向けば、ジェラルドは神妙な面もちだった。
「……事実だ」
「え?」
止まったままのレシィとは反対に、短い一言を残し、ジェラルドは歩み始めた。きょとんとしたままのレシィに先を急ぐぞと言いたげに顎でしゃくる。レシィはハッとしてジェラルドを追いかけた。
「どういうこと?」
「あいつは戦えないんじゃなくて、戦っていない。そういうことだ」
(……どういうこと?)
晴れない疑問にレシィは首を傾げて、心中で同じ質問を繰り返した。経験上、ジェラルドはそれ以上語らないだろう。キットは拗ねている。
(あーあ、からかわなきゃ良かった。キットって面倒くさい。おとなのくせに)
もやもやを残したまま、レシィは大人たちのあとを追った。




