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袖振り合うも他生の縁  作者: 雨天然
袖振り合うも他生の縁
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◆まよい少女

伝承唄


悲しみの大地があった

リーンの息吹、大地なぞりて緑成し

リーンの癒し、病気を治して

リーンの愛は、約束作った

賢者と王に大陸を残して

リーンは一人、門の中


女神はいつでも見守っている

 リーン大陸の最東端にある田舎。見渡す限り畑ばかりで民家も少ない、素朴な村。

 太陽が照りつける畑と畑の間にある細い道を、息を切らせて走る生き物がいた。小柄な少女だ。白いローブのフードを被った小さな頭が見えた。

 のどかと言えば聞こえは良いが、ただ退屈なだけのこんな村に来訪者が来るのは実に珍しい事だった。来たとしても大人、それも年配者が多く、子どもが一人で息を切らせてやってくるような村ではない。

 畑仕事をしていた中年夫婦は、はて? と顔を見合せた。

 走っている少女は構わず止まらず見向きもせず、村の広場まで走り抜けた。村の誰もが、珍しそうに少女を注目した。遠慮のない好奇の目に、少女はローブのフードを目深に被り直した。

 顔立ちから見る年の頃は十代前半。それよりも若いのかも知れない。フードから僅かに覗くクリっとした猫のような目と小さな鼻と口。可愛らしい顔立ちの小柄な少女だった。だからこそ、なおのこと目立つ。愛らしさとは裏腹に履き潰してボロボロのブーツ、身に纏っているローブの裾は泥で汚れていた。

 旅をしてここまでやってきたのがその様子から見て取れた。ところが見たところ、親や仲間らしい人物は彼女の周りにいなかった。

 注目が一向になくならない事に彼女はうんざりしながら、キョロキョロ辺りを見渡した。

 目当ての家がわからない。少女は悔しそうに唇を噛みしめ、近くの中年女性――例に漏れず少女の事をじろじろ見ていた――に声を掛けた。


「すみませんっ! この村、すごい学者様が住んでいるって聞いたんですっ! その人はどこに!?」

「え、ああ……あの家に用があるのかい?」


 勢いに面食らいながらも尋ねられた女性はわかりやすく指差しながら、少女が言っているであろう学者の家を教えてやった。

 少女はありがとう! と言うや否や、パッと駆け出した。少女が広場からいなくなると、徐々にいつも通りの平穏さを取り戻していった。


「あの家に用があるなら仕方ないねぇ」


 誰もがそんな風に納得の行く落とし所をつけ、元に戻るのだった。



 教えられた家は、少女からすると学者らしくない質素な家だった。辺りの民家となんら変わりない。あえて違いを挙げるならば、大きい事のみか。村の雰囲気には合っているものの、そもそも学者は学都で立派な豪邸を構えているという認識のある少女からすれば、学者らしくない家と言う印象が強く出てしまった。

 目的の学者が、妙なこだわりを持つ偏屈な人物だったら――僅かに不安を覚えた。少女は心を落ち着かせるように、教えられた名前をもう一度頭の中で呟いてみた。

 サイ・フリート。

 それが学者の名前だった。そして、少女はそれしか知らなかった。

 名前以外のことも聞けばよかったと、少女はため息をつく。

 続いて、少女は自分の格好を見て、更にため息をついた。みすぼらしい。汚らしい。

 あまりのみすぼらしさに、本当に門前払いを受けるかも知れない。少女は学都にいた学者たちを思いだしながら、そんな想像をし、ごくりと生唾を飲み込んだ。しかし、緊張しながらも手は扉をノックするために伸ばされた。

 少女は自分を勇気付ける。悲観的に考えるべきではないと。仮に門前払いを受けても、何度でも食い下がればいい。もしそれでも駄目なら、別の方法を考えるのだ。

 少女は意を決し、勢いよく扉を叩いた。


「あの! すみません! サイ先生はいらっしゃいますかっ!」


 力強いノックの音に家主が気付いたのか、家の中で何かが動く様子が少女にわかった。

 少女の手が緊張で震える。少女は扉を叩いた手を、きゅっと胸元で握り締めた。手を押し当てた胸がバクバク音を鳴らしていた。

 ――ゆっくりと扉が開かれた。

 家の中から、大きな影が現れた。少女は中から出てきた人を見て、顔をこわばらせた。

 狭い扉から顔を出したのは、普通の人間よりも大柄な、何より金色の立派な鬣に覆われた凛々しい雄ライオンの顔を持った人――獣人だった。

 獣人は大陸に住む四種族の一種であった。人間よりも二周りは大きい立派な体躯とこの世界に住むどの種族にも勝る力と体力。人間よりも寿命は長く、衰えもあまりない。ただ、どうでもいいところで繊細で、暑さにひどく弱い。少し暑い日になると、動けなくなる。それ以外は肉体的には優れた種族。獣人の里は遥か西の森の中だが、力仕事では彼らの右に出るものはいないので、人間の村でもたまに見かける存在だった。

 そんな獣人を見て、少女の震えは手から全身に広がった。鳥肌も立ち、嫌な汗がこめかみから流れた。

 学者について何も知らなかったが、獣人が現れることを少女は想定していなかった。少女の頭は真っ白になった。

 獣人の目が、すっと細められる。


「なんの用だ」


 獣人は、その姿に見合った威圧感のある低い声で震える少女に尋ねた。ぶっきらぼうな物言いだった。

 少女は口を開けたまま、小さく声を漏らした。しかし、何を言っているかは、獣人は勿論、少女自身もわからなかった。

 少女は落ち着きを取り戻そうと、口を閉じ、ぐっと唇を噛んだ。


(……だめだ。おち――落ち着け、落ち着くのよ。ここで怖がるのは駄目なの)


 少女は自分がここまで来るのに必要最低限のことは全て――恐怖も諦めも、放棄してきた事を思い出し、自分を鼓舞してきた。


(今持つべきものは、勇気。ただそれだけ!)


 少女は口を開け、長く息をついた。獣人は黙ってそれを見ている。

 少女の手は相変わらず震えているが、身体に強く押し付けているので、傍目にはわからない程度のものとなった。少女は再び意を決すると、真っ向から獣人を見据えた。


「あああの! あなたがサイ先生ですか!? 実は――」

「いや、俺は違う」


 少女の言葉は終わる前にあっさりと否定されてしまった。あまりにも呆気ない切られ方に、少女はぽかんと獣人を見たままへなへなと座り込んでしまった。張り詰めていた何かが一気に抜け、立っていられなくなったのだ。


(え、だってここ学者先生の家なんじゃ……)


 そう思っても、少女は声さえも出せなかった。


「あっはっはっは!」


 ぽかんとしている少女の背中に笑い声がかかった。若い男の声だった。獣人はため息をついて声の方を見た。少女ものろのろと、そちらを向いた。

 声の通り、若い男だった。年のころは、二十代前半。白髪のような銀髪。整ってはいるが、どこといって特徴もない顔立ち。細めで背丈も普通の青年は、釣具とバケツを持って大笑いをしていた。

 少女は更にぽかんとしてそれを見ていた。大笑いされているというのに、感想が出てこない。今はただ頭の中が真っ白なのだ。


「おかえり」


 獣人がその男に声をかけた。先ほど少女にかけたのよりかは幾分か柔らかい声だった。

 男はバケツを持った手を挙げ、挨拶をした。笑いが止むと、男のその目は遠くをみるような穏やかな目だったことに少女は気付いた。


「ああ、ただいま、ジェラルド」

「……また、あの魚釣ってきたのか?」

「美味しいからいいじゃないか」

「もう飽きた」


 男は笑いながら少女を通り過ぎ、獣人と並ぶ。大柄な獣人と並ぶと、平凡なはずの男がやたら小さく見えた。青年は釣具を玄関に置くと再び少女の下へ戻り、腰をかがめた。

 優しげな目が彼女のフードの下を覗き込んだ。少女はハッと我に返り、顔を隠した。

 それを見て、男は口端をくいっと上げた。挑発的な笑いとは正反対に、その眼差しは相変わらず遠くを見ているようで穏やかなものだった。


「ごめんよ、お嬢さん。こいつはやや女に対して人見知りをするやつなんだ。ぶっきらぼうに対応されただろうが、別に歓迎しない権利は彼にはないんだぜ。ここは僕の家だ。安心して立ち上がるといい」


 そう言って、男は少女を立たせてやった。少女はようやく自分の頭が元に戻っていくような感覚を覚えた。


(僕の家? さっきの獣人は同居人? ……ってことは?)


 少女は疲れた足に力を入れて立ち上がり、青年をまじまじと見て口を開いた。


「あなたが、サイ・フリート?」


 その問いに青年は朗らかに笑った。少女も釣られて笑顔になった。

 青年は一つ頷いた。


「いや、僕も違うぜ」


 少女はまた脱力した。その反応に青年はまた腹を抱えて大笑いした。


(頷いたじゃない! 今頷いたじゃない! どっちよ!)


 少女の目に涙が浮かんだ。泣くもんかと心に言い聞かせ、涙ぐむ程度で止めているが、彼女は今にも泣き出したい気分だった。

 青年は先ほどよりも短い笑いで止めると、もう一度少女に手を伸ばしてやった。


「いやいや、悪いね。しかし、サイはここに住んでいる。今ちょっと外出しているけどな」

「だったら……早くそう言ってよ……」

「はっは、だから謝っているだろう? 悪かったね」


 全く悪気がなさそうに青年は笑った。嫌でも憮然とした表情になってしまうのを少女は感じた。


(いやなやつだわ。子どもだからって馬鹿にして)


 少女がぶすっと顔を背けていると、青年が「あ、痛っ」と声を漏らした。何かと見ると、青年の頭を後ろにいた獣人が叩いたようだった。

 青年は笑いを止め、子どものように唇を突き出して文句を言いたそうに獣人を一瞥すると、再び少女に向き直った。向き直ったときには、子どもっぽい表情は消えていた。優しげな顔だった。少女は困惑した。


「まぁ、そうむくれるなよ、お嬢さん。いい時間だ、笑ったお詫びとして我が家でサイを待ちながら昼食でもどうだい? そんなにボロボロになるほど、大変な旅をしてきたんだろう?」


 ウィンクをし、少女の手を引いた。やや強引なその行動に少女は眉を寄せるものの、身体は正直だった。

 腹が自重せずに音を鳴らし、少女は赤面した。聞いた青年はまたおかしそうに笑った。

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