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Fallin!  作者: 逆井 傘
New beginnings
9/21

8話

 週末、俺たちは霊探しを休んで買い物に向かった。アテナの学校のための持ち物を準備するためだ。アテナが街中歩いて本当に目立たないのか不安だったが。周囲の人間は、アテナの容姿を目で追っている様子はあったものの、妙な噂は立っていなかった。流石にゼウスが自分で宣言しただけはある。魔法万能すぎやしないだろうか。鞄、教科書、筆記用具、大きな弁当箱などを買ってゆく。もう少し女の子らしいデザインの弁当箱もあったのだが、アテナはそれを見てこう言った。その弁当箱じゃ足りなくない? 足りていないのはお前の女子としての自覚だ、なんて突っ込みを入れながら、予定よりも早く買い物を済ませることができた。幸いうちの高校はそこまで校則は厳しくないから、ペンダントとかも大丈夫だろう。

 日曜日、予定が空いてしまった俺たちは家でだらだらと過ごしていた。いつもと変わらない休日だったが、少しアテナとの距離が近かったような気がした。ふと気になって、俺が天界のことについて話題を振る。

「なあ、アテナ。天界の学校ってどんな感じなんだ?」

「そ、そうね。まあ、こっちの学校と同じようなものよ。決められたカリキュラムに沿って授業をこなしていくだけ。科目は全然違うけどね。魔法とかこっちにはないでしょ?」

「下界学、なんて科目も必修なのか?」

「いや、それは自由科目だったわ。ほかにも結構あるのよ、面白いのが」

 話を聞く限り、アテナはいろいろな科目に顔を出していたらしい。かつ成績は全ての科目でトップだったという。……天才め。

「ところでお前の、唯一の、友人はどんな奴なんだ?」

「唯一をそこまで強調する必要あった? ねえ?」

「気にするな、それで? どんなやつなんだよ」

 うーん、と少し考えた様子を見せるアテナ。

「一言で言うと、いい子って感じかしらね。成績もいいし、運動もできて、交友関係も広い。しかも家事に万能。非の打ちどころがないわ!」

 まるで自分のことのように話すアテナ。その女の子のことを本当に大切だと思っていたことが伝わってくる。しかし、アテナはなぜそうならなかったのか。運動神経と勉学に能力値を全振りしてしまったんだろう。だが、もしその友人が家に来ていたらと思うと、それはそれで嫌かもしれない。完ぺきな人間が隣にいるというのは凡人には辛いものだ。自分の劣る部分まで細やかに照らされてしまうから。だから、不完全同士がちょうどいいのかもしれない。

「何よ、ニヤついて」

「別に、何でもない」

 むくれるアテナを放っておいて、再びアニメの鑑賞に戻る。アテナも諦めたようで、テレビの方に向きかえっていた。先ほど淹れてきたお茶をすすりながら、画面の中の世界へ没頭するのだった。

 アニメを数話見終わって、外を見ればもう日が沈むような時間だった。時計を見れば午後七時。大きなあくびをして、ずっと同じ姿勢だったからか、凝り固まった肩を鳴らしながらキッチンへ向かう。

「どこ行くの?」

「飯だよ、飯。作らなきゃ夕飯ないだろ?」

「私もやりたい」

「いやいいよ。お前得意じゃないだろ? 前手伝った時は散々だったじゃないか」

 アテナの料理はなかなかにひどいものだった。教えたのはみそ汁とおにぎり。これらならまあ、何とかなるだろう、と思っていたのが甘かった。出汁は俺がもともととってあったものを使ったからいいものの、具材に火が通っていないのにみそを入れ、しかもその量は間違える、熱を入れすぎて沸騰させる、おまけにおにぎりは塩の塊と化していた。噛んだ時ジャリって音がするおにぎりを食べた経験はなかった。以前からわかってはいたことだが、アテナは不器用だ。ただ、その諦めの悪さは一級品で、自身の欠点を乗り越えようとあがくさまは立派だと思う。しかし、折角炊いた米が全て塩分の塊に帰られては困るので、料理には手を出させないでいた。

「いいじゃないの。材料切るくらいならできるから!」

「まあ、そのくらいなら」

 キッチンの冷蔵庫を開けて中身を見る。余っていた野菜とソーセージを見つけた。今日はポトフでも作ろうか。冷蔵庫と棚の中にしまってあった野菜を取り出して水で洗い、まな板の上に置く。ついでに包丁もさっと水で洗ってアテナに渡す。それを受け取ったアテナは緊張の面持ちで野菜と対峙する。

「いや別にとって食われるわけじゃないんだから」

「静かにして! 真面目にやってるんだから」

 俺の小言が天使様には耳障りらしい。注意を受けてしまった俺は、野菜を煮込むためのお湯を準備することにした。もちろん横目でアテナのことを見守りながら。その様子は見ているこちらの方が緊張してしまうような危なっかしいものだった。ザクッ! ザクッ!とまな板に恨みでもあるのか、といった感じで勢いよく包丁を振り下ろしていた。お湯が沸騰し始めたころ、アテナもなんとか材料を切り終えたらしく、額をぬぐい、満足気な表情を浮かべていた。彼女は野菜とは違う何かと戦っていたのだろうか。そんな風に思わせるほど、晴れやかな表情を浮かべていた。

「切り終わったわ! 私だってやればできるのよ!」

「はいはい。偉い偉い」

「……なぜかしら。褒められている気が一つもしないわ」

 むくれるアテナを適当になだめながら、野菜を茹でていく。不揃いな切り方をされた野菜たちはゆであがりの時間が読めない。まあ、もう、形になればいいか、とやけになってコンソメを適当な量をつかんで投げ入れる。味見をしてみると、これが驚いたことにいつもと味が変わらなかった。もはや感覚で調理ができる域にまで達していたとは。最後にソーセージを加えて再び煮立てる。

「あとは……」

 レタスを盛り合わせた皿にトマト、キュウリ、チーズを並べ、ささみをほぐして簡単な付け合わせを作って夕食は完成。今日も我ながらまずまずの出来と言えるだろう。

「アテナー。これ頼む」

「任されたわ!」

 狭い部屋を飛ぶようにこちらへ駆けてくるアテナ。サラダとポトフを乗せた盆を渡して、俺は軽く片付けを済ませる。キッチンを出ると、アテナが俺のことを、いや食事が始まるのを今か今かと待ちわびていた。待てと言われた犬の姿が重なったが黙っておくとしよう。

 挨拶を済ませて、二人で残りのアニメを見ながらゆっくりと食事をした。途中、アテナは物足りなかったのか、冷凍してあったごはんにふりかけをかけて食べていたが。夕飯を終えて、食器をそのままにアニメを見続けていた。

「んー。アニメ終わっちゃったわね」

「そうだな。結局ワンクール見てしまった……」

 時計を見ると午後九時を回ったところだった。アテナに風呂を任せて洗い物を済ませておく。大きくあくびをしながら、明日の朝食の準備を済ませておく。大量の米を炊いておくことだけだが。

 そうこうしているうちにアテナが風呂から上がってくる。少し前とは違い、行水状態で出てくることもなくなった。人間じゃなくとも成長はするものだ。風呂上がりの艶やかな柔肌にもはや何の感想も抱かなくなってきている俺も、成長しているといえるのだろうか。いや、これは枯れているというべきか……?

「な、なによじっと見て」

「別に。何でもない」

 ああそう、と言ってアテナは部屋へ戻っていった。少し不機嫌そうだったのは気のせいか。まあ、気にしても仕方ないことだ。俺もアテナに続いて風呂に入る。アニメの見すぎか、かすむ目を休めるように、目をつぶりながら湯船の温かさに浸った。

 就寝の準備を終え、薄手の毛布に身を包んで電気を消す。明日はアテナの初めての登校日だ。どうせ波乱万丈な一日になるだろう。そう思った俺はすぐに眠りについた。



 胸の鼓動が収まらない。けれども傍を離れたくない。そんな矛盾が私の意識を眠りの世界から遠ざけ続けていた。温かい何かが私の中で渦巻く。しかし、その熱の中でも一つ、解けることのない氷があった。その冷気は暖かな何かを蝕んでゆき、胸に確かな痛みをもたらす。

 私の中で私が叫ぶ。一人は嫌だと。もしかしたら、母と同じように紅葉もいなくなってしまうんじゃないか。私は紅葉にとって替えの利くような存在なんじゃないか。私がここにいてもいい理由はない、なら私はいつか捨てられてしまうんじゃないかと。

 違う、違う。そんなことは無い。彼が私をそんな風に思っているはずはない。と自分に言い聞かせるも、私は聞く耳を持たず、胸の痛みは強くなる。締め付けられ、突き刺されるような痛みを手で押さえる。それでもなお、忘れかけていた孤独の痛みが引くことは無い。

 紅葉の存在が大きくなっていくにつれて、彼を失うことを考えてしまう。だから、何とか役に立とうと、私のできることを探した。でも、私には料理すらまともにできやしなかった。私の存在理由を示すことは、私にはできなかった。先への不安と過去の絶望が混ざり合った何かが、あたたかいものを飲み込んでいく。

 怖い、怖い……怖い。部屋の隅で一人で座っているのはもう嫌だ。誰も私を見てくれない。誰も私の話を聞いてくれない。そんなのはもう嫌だ……嫌だよ。

「……紅葉。紅葉。紅葉」

 名前を呼ぶだけで胸の締め付けは強くなる。温かい何かと冷たい何かがせめぎあうように。自然と私はベッドから這い出して、紅葉の寝ているソファーへ歩みを進めていた。自分で自分を抑えることができなかった。彼の近くにいたい。離れたくない。傍にいてほしい。そんな気持ちが私を動かす。

 気持ちよさそうに眠っている彼の背中に抱き着く。温かくて、大きなその背中に安心感を覚える。心の中にある冷たい何かの痛みは遠ざかっていく。それとともに、私の意識も遠く、遠くへと離れていった。


 鳥のさえずりがうるさいほどに響く朝。俺はいつものように目を覚ました。朝食の準備をしようとソファーから降りるととアテナはもうすでに起きていた。

「お早う。珍しいな」

「ちょっと緊張しちゃって」

「そうか。もうちょっと待っててくれ。すぐ朝飯作るから」

 慣れた手つきで総菜を作り、昼食用の弁当にそれとご飯を詰めていく。改めて見てもアテナ用の弁当は大きい。俺の弁当箱は男子として普通の大きさだと思うのだが、アテナはそれを一回り上回るようなサイズのものなのである。女子同士で初対面にこんな弁当を持ってきている奴と、友達になってくれるような奇特な人間はうちのクラスにいるのだろうか。

 まあ、なるようにしかならないよな、と諦めてその大きな弁当箱を仕上げていく。手早く具材を詰め終えて、朝食をアテナのもとへ運ぶ。二人並んでテレビを見ながら学校について話す。

「さて、今日は登校初日なわけだが。お前大丈夫か? なんか顔色悪い気がするんが」

「だ、大丈夫よ。ちょっと不安だけど。こっちの学校行ったことないし……」

 友人の少なさはもうすでに聞いている。加えて、不慣れな下界での学校だ。不安になるのも仕方がないだろう。だが、今回だけは俺も力を貸してやることはできない。俺も友人と呼べる人間は一人だけしかいないからな。

「悪いんだが、今回ばかりは俺は何もできないぞ?」

「なんでよ?!」

 唐突に逆切れするアテナ。しょうがないだろ……。

「……言わせるな」

「えぇ……もしかしてあなた友達いないの?」

「一人ぐらいはいるわ! でも女子の友人は一人もいない。だからお前の力になれないと思う。悪いけど今回は自分で何とかしてくれ」

「……わかったわ。でもなんであなたみたいな人に友人がいないの? 優しいのに」

 こういうことを素で言うから困る、この天使。曇り一つない真顔でこういうことを言うんだもんなあ。全く心臓に悪い。

「色々あったんだよ。別に嫌われている訳じゃないとは思うけど」

 怖がられているだけだろう。まあ、嫌われているよりはマシか。なんて考えてもみたが、空しい気持ちが心の中に渦巻くだけだった。

「色々……ねえ。どうせあなた、妙な正義感で変なことに首つっこんだんじゃないの?」

「妙だとか変なこととか失礼だなお前は。俺にそんな正義感とかないぞ」

 実際、俺は一度通り過ぎようと考えた。でも無視した後に抱える罪悪感と戦うくらいなら、あの場で一歩踏み出した方がマシだった。だから結局は自分の為にやったことに他ならない。

「嘘ね。そうじゃなきゃ突然空から降ってきた天使を居候なんてさせないでしょ?」

「それは、金をもらってるからだって」

「まあ、そういうことにしておきましょ」

 ふふっ、と朝起きてから初めて笑うアテナ。そういえば、今日はアテナのお代わりが少ない。まだ二杯目を食べ終わっていない。……なんてことだ。

「なあアテナ、お前本当に具合悪くないか? まだ飯二杯も食い終わってないだろ」

「だから大丈夫だって。少し緊張して食欲が湧いてないだけよ」

「ならいいが……」

 少し心配になってきた。今までアテナは、飯は俺が食べ終わるまでに三杯は食べきっていたはずなのに、今日は二杯も食い終わっていない。本当に大丈夫だろうか。

 不安を残しながら食事を終える。片づけを手早く済ませて学校へ向かう準備をする。シャツに袖を通し、ネクタイを締める。シャツ一枚とはいえ、ネクタイを外せないのは暑苦しい。湿気の多い季節になってきたからか、布が肌に張り付いてくるようだ。腕まくりをして、そろそろ出発しないと不味い時間になったころ、いまだにアテナは自分の部屋から出てこなかった。

「おいアテナ、そろそろ出ないと不味いぞ! まだ準備終わらないのか?」

 大きめの音でノックをするとすぐに返事が返ってくる。

「ネクタイが結べないの! ちょっと手伝って!」

 大きな音を立てて開いたドアの先で、アテナは涙目になりながらネクタイを結ぶのに苦戦していた。昨日あれだけ練習して、明日は一人でも大丈夫よ、なんて豪語していたというのに。やはり無理だったか。

「ほら、ちょっと動くな」

 自分のネクタイを結ぶのと違って、人のものを結ぶのは少し難しい。さっき自分のものを結んだ時よりも少しばかり時間がかかってしまったが、何とか結ぶことができた。

「……ありがとう」

「気にすんな。学校行くぞ、ゆっくり歩いて間に合う時間じゃなさそうだが」

 時計を見ると、もう歩いて間に合うかどうかギリギリのラインだった。自転車が使えれば余裕で間に合うんだが、アテナが使う自転車がない。だが二人乗りでもして、また警察の厄介になるのはごめんだ。小走りで行くしかない。

「アテナ、軽く走るぞ」

「うん!」

 緊張と期待の見え隠れする、満面とは言えない笑みを浮かべるアテナとともに、晴れ渡る空の下へ走り出した。



「ちょっと待て! ちょっと待てって! 速い、速いよお前!」

「おそいわよ! 何してんの!」

 アテナは何食わぬ顔で、家から学校の付近まで全力で走ってきたのだった。人間離れしてやがる。いや、人間ではないから当たり前と言えば当たり前かもしれない。ただ、そのペースに人間を巻き込むのはいかがなものだろうか。おかげで予想よりも大幅に早く着きそうではあるのだが。

「もう……もう大丈夫だから。間に合うから。歩こう、な?」

「息絶え絶えじゃない。もう少し運動した方がいいじゃないの?」

「無茶言うなあ!」

 運動したところで種族の差は埋められまい。流れる汗をぬぐいながら、呼吸を整える。しかし暑い。俺の住んでいた地域じゃこのくらいの時期はまだ涼しかったんだが。

「ねえ、あなた。あれが学校なの?」

「ああ、そうだ」

 アテナが指をさした方向には、見慣れ始めた校舎の姿があった。ふと周りを見回すと、もうすでに何人かから奇異の目線を向けられている。

「ね、ねえ。なんか見られてない? 私何かおかしいところある?」

「多分大丈夫だと思う。ゼウスが魔法でどうにかするって言ってたしな」

 大方見られている理由に見当はついている。おそらく人間の基準で言えばトップクラスの容姿、体型を持つアテナへの羨望の眼差し。加えてそんな美少女が俺の袖先をつかんで隣を歩いているということの疑心から向けられた視線だ。もう慣れたものだが、アテナには少しこたえるようだ。珍しく相川に会わずに校舎の中に入る。職員室にアテナを置いて来ようとするも、俺の袖を放そうとしないアテナ。

「おい、教室いけないだろうが。放せ」

「一緒に行くんじゃないの?」

「行けない。どうせすぐ会うんだからほら、早く行け」

「……わかった」

 渋々了承したアテナを置いて教室へ向かう。涙目になっているアテナを置いていくのは若干心苦しかった。そんなことを考えているうちに教室へ着く。自分の席に座り、いつも通り、スマホに刺さったままのイヤホンを耳に当てて、机へ伏せる。お気に入りの曲が流れ始め、自分の中のテンションが上がり始めたころ、後ろから声を掛けられる。

「おはよう紅葉。ひどい顔してるな。寝不足か?」

「別に、そういうわけじゃないが……。色々と心労がな」

 アテナはちゃんと自己紹介できるだろうか。緊張して天界のこととかぽろっとしゃべってしまうんじゃないかと心配だ。そんなことをすれば初日から変人扱いをされてしまうだろう。一応、朝食の時に注意はしておいたが、あの様子じゃ……考えてもどうにもならないか。

 相川と他愛のない会話を交わしていると、担任の先生が入ってくる。そろそろか……。適当に朝の挨拶を済ませた先生は転校生のことについて触れる。湧き上がるクラスメイト達。転校生ごときでここまで盛り上がれるとは。立ち上がってガッツポーズしている奴までいる。ノリのいいクラスなんだな、と再確認する。先生の入れ、という声とともに扉が開く。ああ、胃が痛い。

 扉を開けて入ってきたアテナを見て、再度男子も女子も騒ぎ出す。まあ、見かけは美少女だから。知らぬが仏という奴だろう。先生が指示した通り、黒板に名前を書いていくアテナ。天界なんておとぎ話のような世界に住んでいたのにも関わらず、文字は達筆だった。背筋をそらすほどに立てて気を付けの姿勢を取る。

「私は、小野寺 アテナと言います。こちらにはまだ来たばかりで、わからないことも多くあると思いますが、どうかよろしくお願いします」

 アテナの声をきいて三度クラスが湧き上がる。いやお前の喜びようはなんなんだ、と思うほど喜んでいる奴もいた。しかし、相川の言った何気の無い一言で場が凍った。

「あれ? 紅葉と苗字同じだな」

 相川ァ! やられた。敵は味方の中にいたというわけか。アテナに集められていた目線はすぐさま俺の方へ向きかえってきた。いつものようにおびえるような目線ではなかったのがせめてもの救いだったが。収集がつかなそうだったので、俺が説明をする。

「俺とアテナは遠い親戚だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 ため息をつきながら弁明する。これでアテナが余計なことを言わなければ――

「お、同じ家に住んでるけど別に何にもないんだからね?!」

 ――まあ、わかってたよ。やらかすとは思っていましたとも。自分の頭でシュミレートしていたことに不具合が起きたせいか、アテナの思考は正常に回っていないようだった。目を回しているアテナを無視して視線は俺へと向かう。それはもはや嫉妬とか疑惑とかなんか色々と混ざり合った視線だった。特にあのガッツポーズしていた奴からは、なんかこう、言葉では言い表せないような何かをひたすらに投げつけられているようだった。

 俺はおもむろに立ち上がり、アテナのもとへ。パニック陥ったアテナの頭に手を置いて落ち着かせる。

「おい、落ち着けって。大丈夫だ」

「あ、ありがとう」

 そのやり取りを見たクラスメイト達は何か納得した様子で、騒ぎ立てるのをやめた。担任の先生の指示通り、簡単な質問を終えて、アテナの波乱の自己紹介は幕を閉じた。

 俺の席は窓側の一番後ろで、その前に相川が座っている。朝には気が付かなかったがいつもなら空席どころか、座席そのものが置かれていない場所に、机が置かれていた。もしかして、なんて思う頃には先生の指示でアテナはその場所に座っていた。最近魔法が恐ろしい。

 予想に反して、アテナは授業をいたって真面目に受けていた。全く居眠りをしないし、先生の話をきちんと聞いている。それ比べて相川は一時限目から、首が座っていないような状態だった。こんな授業態度でも成績は抜群によい。この間あった中間テストではトップテンには入っていた。俺の順位も悪くはなかったが、この成績と比べると見劣りしてしまうものだ。天は二物を与えるんだなあ、と思う今日この頃であった。

 さて、学校も半分の授業を終えて昼時を知らせるチャイムが鳴る。授業を終えた先生もそそくさと教室を出ていった。俺はチャイムの音が鳴りきる前に、俺は弁当の包みを鞄から出し、席を立とうとすると、アテナに袖を引かれる。

「ちょっと。どこ行くの?」

「……屋上だよ屋上。別にどこで食べてもいいだろ?」

「ここでいいじゃないの」

「そういうわけにも……」

 そんなことを話しているうちに、アテナに興味を持ってかクラスメイトが大勢寄ってきていた。彼らからアテナを引きはがすのは、アテナにとってもよくはないだろう。友達を得ることができるいい機会かもしれない。

「わかった。ここで食べる」

 諦めて自分の席に座る。水筒の中身をあおりながら窓の外を見ていると、相川に話しかけられる。

「あれ、紅葉。珍しいな教室で食べてるなんて。探しに行く手間が省けるのは嬉しいが」

「色々あってな」

 購買で買ったであろうパンとパックの牛乳を袋から出しながら相川は言う。前の席に座り、俺の席に買ったものを広げる。俺もそれに習うように弁当を広げる。アテナもこの前かった鞄から大きな弁当を出す。それを見て相川が指摘する。

「紅葉、弁当間違えてないか? アテナちゃんとお前の弁当逆じゃないのか?」

 フッとシニカルな笑みを浮かべながら相川の質問に答える。

「それが逆じゃないんだよ。滅茶苦茶食べるんだよコイツ。どんぶり一杯の飯、三杯ぐらいは裕に空にするからな?」

 当の大飯ぐらいは質問攻めにされている中で、顔を赤くして答える。

「そんなにはっきり言わなくてもいいでしょ?!」

「いやいや、お前食いすぎだから。周りを見てみなさい周りを」

「……普通じゃない」

「いや普通じゃないんだけど。お前の弁当の四分の一くらいだろ」

「まあまあ、紅葉。その辺で」

 相川に止められたのでいったん休戦する。アテナも他の人からの質問攻めに戻ったようだ。

「しかし、お前ら本当に仲いいな。親戚って言葉に疑問を抱くほどだぞ」

「仲がいいわけがあるか。マジで大変なんだぞ? 主に家事」

「別にいいじゃないか。紅葉、料理得意だろ? それに最近弁当のクオリティも上がってきてるし――」

「このお弁当小野寺君が作ってるの?!」

 名前は憶えてはいないが同学年と思われる人が唐突に声を上げた。どうやらアテナの弁当を少し分けてもらったらしい。その顔は本当に信じられないようなものを見ているような目だった。

「あ、ああ。そうだが」

「この煮物も?」

「ああ」

 それはよく作りおいておく自信作だった。しかし、昔食べた母さんの味に近づこうと努力しているものの、どうしても近づくことができないのだ。味には自信があるのだが、そこが問題だ。

「この揚げ物は?」

「ああ。全部俺が作ってるが」

 俺も私も、というようにみんなアテナの弁当から惣菜を略奪していく。アテナはあたふたしながら取られていく総菜を見ている事しかできなかった。その惣菜を食べたクラスメイトは口々に美味い、美味しいと言葉をこぼした。先程ガッツポーズしていた彼はこちらへ寄ってきて、素晴らしいものを食べさせてもらった、ありがとうと一言だけ残して去っていった。そのなにか懐かしいものを見るような瞳の縁から一粒こぼれた水滴は、頬に線を引いた。何だったんだあいつは……。

一瞬のブレイクを挟んだ場は再び盛り上がりだした。その話の流れで、春先に起きた事件のことについての話題が出た。クラスメイトの一人が俺に質問をする。

「なあ、小野寺。お前、四月の頭に謹慎してたのってチンピラと縄張り争いしてたからって本当なのか? それに相川が巻き込まれたってのは?」

「え。そんなふうに伝わってんのかよ。相川お前ちゃんと誤解は解いたから、って言ってたよな。これ解けてなくないか?」

 無言で目をそらす相川。

「いや、無視すんなよ。ちゃんと説明しろよ。おい、目をそらすんじゃないよ」

「だってさ! もう俺が説明したときは遅かったんだよ! すでに噂というか、常識みたいになってたんだよ!」

 苦し紛れの言い訳をする相川。その後、しっかりとクラスメイトたちに説明をさせた結果、数ヶ月に渡る誤解は今やっと一部で解くことができたと言えるだろう。クラスメイトだけではあるが、何人かは普通に話せるようになった。いつもより騒々しい昼食を終えて午後の授業は少し晴れやかな気持ちで受けることができた。


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