6話
「紅葉、紅葉?!」
なんの前触れもなく、紅葉は突然にガタガタと始め、顔を真っ青にして、地面に倒れこんだ。紅葉が地面に伏した瞬間に、憑依が解け、悪霊の姿は見えなくなる。まずい、まずいまずい。攻撃しようにも姿を認識できなければ魔法は使えない。こうなったら……。
「――Realize」
学校で何度も習った呪文を唱えると、右手にはいつも通りの重さを感じる。神器の展開。できなくて何度も何度も練習した思い出がよみがえる。この不器用さには自分でもうんざりだ。見えない敵を前にして役に立つかはわからないが、ないよりはマシだろう。紅葉を物陰に隠して、自分は見えない悪霊と対峙する。
見えないとはいえ、人間に影響を与えられるだけの悪霊だ。物理的な干渉も可能になっている。悪霊の進むところに立つ小さな砂ぼこりを目標に、右手に構えた拳銃を構え、引き金を引く。拳銃とカテゴライズするにはいささか大きすぎるスライドが思い切り後退し、腕に心地いい衝撃を与える。しかし、悪霊本体には当たらず、地面だけが空しくえぐれるだけだった。悪霊はこちらが見えていないことなどお構いなしに、反撃をしてくる。
「くっ……」
不可視の敵の攻撃を、勘と持ち前の運動神経でかわし続ける。何とか移動した痕跡を探して、反撃に出るも攻撃は全て躱されてしまう。撃って、躱して、撃って、躱して。いつまで続くのかわからない。徐々に疲れが足腰にたまっていく。横っ飛びで敵の攻撃を身をかすりながらもかわし、立ち上がろうとしたとき。一瞬、足が言うことを聞かなかった。
「しまっ――」
見えない大きな何かが私の腹を思い切り、えぐるように打った。なすすべもなく私の体は宙を舞い、地面に向かって激しくたたきつけられる。そこはちょうど紅葉を隠した物陰の前だった。意識を失っている紅葉の顔を見て、今までのことを思い出す。こいつのお節介のおかげで、私はまだ生きている。今こそ、その恩を返す機会だろう。
息も絶え絶えになりながら、全身に力をこめる。私が今倒れたら、紅葉は殺されてしまう。だったら立たなければ。立たなきゃいけないんだ。
「……私はどうなってもいい。でも、それでも、こんな私を、家族だと、言ってくれたあなただけは、絶対に死なせはしないんだから!」
「……馬鹿野郎。お前も、一緒に帰るんだろうが!」
振り向けば、いつものように私を叱ってくれる紅葉の姿があった。
「アテナ、憑依!」
「言われなくても!」
すっとアテナが俺の体に入ってくる。まだあの霊への恐怖心が消えたわけじゃない。でも俺にはもうここに立つ理由がある。だからもう負けはしない。
霊は、軋む音が聞こえそうなほどに、歯をかみしめ、こちらに鋭い触手を放つ。その攻撃を走ってよけようとするも、アテナの身体能力の高さに、体がついていかない。触手をよけられたはいいが、盛大に転んでしまう。
「ちょっと、気をつけなさいよ!」
「無茶言うな?!」
膝から血を流すなんていつぶりだろうか。手についた血をぬぐい、来る攻撃に備える。攻撃をよけ続け、アテナも魔法を唱え、必死に応戦するも、霊は平気な顔をして次々に攻撃を繰り出してくる。埒が明かないと、工場の中に隠れる。霊は俺たちを見失ったのか、攻撃が止んだ。とにかく今のうちに何とか対策を練らなければ。
「おい、アテナ! なんかいい策ないのか? ていうかあれはなんだ。本当に霊なのか?」
「うるさいわね! わかってるわよ。それと、あれは霊じゃなくて、悪霊……だと思う」
答えの歯切れが悪いのは、おそらく霊を見ることができないからだろう。しかし、あれが悪霊なのか。人間の憎悪の塊のような存在だ。見るだけでそのおぞましいものが伝わってくるぐらいなのだから。
「ていうか、お前の魔法全然効いて無くないか?」
「まあ、わかってはいたわよ。学校で習ったから。霊に対して魔法、物理の攻撃はほとんど意味をなさないって。唯一例外なのは、霊を解放する魔法と神器だけなのよ」
ふと、さっきアテナが俺に憑依するまで持っていたものを思い出した。アレは武器なのだろうか。
「じゃあ、お前が持っていたあの武器はどうなんだよ」
「あの武器、ああ、神器のことね。あれなら悪霊を倒せるはずよ。でもなんでかあなたに憑依しているときは使えないのよ。さっきから、やってはいるんだけど……」
力をこめるアテナ。だが何も起こる様子はない。だが何か、熱い何かが右腕を流れようとしている感覚があった。通れそうで通れない管の中に何かを通そうとしているような感覚が右腕にあった。ん? コレもうちょっと押してやれば……。
「痛っ!」
一瞬痛みが走ったが、あとは大した痛みはなく右腕に熱い何かが流れ込んでいった。
「あれ、もしかして……あなた、『Realize』って言ってみてくれる?」
意味が分からなかったが、それで神器とやらが使えるのかもしれない。とりあえず、やるだけやってみるべきか。大きく息を吸い込んで唱える。
「――Realize」
「きゃあっ?!」
アテナの軽い悲鳴が聞こえたかと思えば、熱さを感じていた右腕にさらに何かが流れていく。それだけではなく、頭の中に拳銃の設計図のようなものが浮かび上がってくる。これは……。スライド、グリップ、前後のサイトの形状まで事細かに脳に流れ込んでくる。その設計図に従って、俺の腕を流れる何かが形を帯びて、俺の右の手のひらに構成されていく。数秒のうちに完成されたそれは……。誰もが見たことのあるであろう拳銃の形をしていた。
「アテナ? これで成功なのか?」
「……わけわかんない」
つぶやかれた声はいつものように後ろからではなく、前方から、いや正しくは俺の手の中に握られているものから声がした。
「アテナ。お前なのか?」
「そうよ。そうなのよ。どうなってんのよコレ?!」
俺も訳なんて分かるわけはないが、魔法が存在し得たこの世界だ。まあ、そんなこともあるのだろう、くらいに考えることができる。
「アテナ、ここから逃げることはできないのか?」
「それは無理よ。あなたにはわからないかもしれないけど、ここには結界が張られてるわ。というか、私たちが中に入った後に発動するように仕組まれていたかもしれない。だから逃げるのは無理。外側からだって相当な術者がいないと壊せないわ」
「なるほど……」
それなら、奴を倒すことは無くとも、援護が来るまでは持ちこたえなければならない。武器はある、あとは覚悟だけだ。
「アテナ、神器の使い方を教えてくれ。俺たちでアイツをやるぞ。どうせ隠れていてもじり貧だ」
「……まあ、それが妥当でしょうね。今の私たちじゃ逃げ切るのは難しいだろうし。神器の使い方は簡単よ。一回スライドを引けば、あとはもう引き金を引くだけよ。魔力は……多分私が負担するんだと思うから、存分に撃ちまくりなさい」
「了解した」
スライドを引き、放す。重く、長いそれは金属特有の、高く、小気味のよい音を立てる。ゲームや映画でよく聞くその音に若干の感動を覚え、口角が上がる。
「あなた何笑ってんのよ?」
「いやいや、俺の持っているゲーム見ただろ? 銃が出てくるゲーム多かっただろ?」
「まあ、そうね。でも、あなたがよく使ってる拳銃って小さいものが多くなかった?」
「まあ……正直、デザートイーグルは好みじゃないんだけど。デカいし」
あ、ちょっとへこんでるのわかる。正直に言いすぎたかもしれない。本当のことだし、しょうがないよね?
「ただ、本物の銃であることは変わらないし、感動してる」
「……ああそう。銃じゃなくて神器なんだけど」
こんな感じにアテナと一緒と駄弁っていると、また、悪意の塊のような視線がこちらへと向かう。ああ、そろそろ不味いな……。
「アテナ、行くぞ」
「わかってるわ。気張りなさいよ?」
「ああ」
やられる前にやってやる! 物陰から飛び出し、目線とサイトと悪霊とを合わせる。悪霊は俺を見て、裂けた口をさらに開く。夜よりも深い黒を持つ瞳が恐ろしい。ただ、アテナが憑依しているからか、正面に立ってもそれほど恐怖を感じることは無かった。
「食らいやがれ!」
引き金を引く。同時に、耳をつんざくような爆音が耳をつんざき、手が金づちで殴られたかのようにしびれる。悪霊は、触手によって編まれた盾を使いその攻撃を受け止めようとするも、それはいともたやすく壊れた。その顔からは先ほどのような笑みは消え、確かな焦りの表情がうかがえた。ただ、決定打にはならなかったらしく、悪霊はすぐに反撃を仕掛けてくる。その縦横無尽に迫りくる触手による打撃、刺突をかろうじてよけ続ける。
「畜生、効いてはいるんだろうが……」
「……どうしてなのかしら」
「なんだ、何かわかったのか?」
「いいえ、少しおかしいの。私の神器ってこんなに燃費が良くなかったはずなのに……」
「そんなこと気にしてる場合じゃないだろ?! ……あっぶねえ!」
今の今まで自分が立っていた場所に小さなクレーターが出来上がっていた。ダメージを受けてはいないとはいえ、肝が冷える。
何とか決定打になるようなものはないか……。思考を巡らせながら、敵に的を絞らせまいと動き続ける。もちろん反撃はしている。だが、致命傷を与えることはできないでいた。
「なあ、アテナ! なんか策はないのか?! このままじゃ俺の体がもたないんだが!」
実際、俺の体は悲鳴を上げ始めていた。運動神経はそれほど悪くはないつもりではいたのだが、人間を超えた動きにはもちろん非対応だ。無理に動かし続けたせいか、足に力がはいりにくくなってきている。
「あのクラスの悪霊なら……物理攻撃がそこそこに通るはず。何か重いものを上から落としてやれば隙くらいなら作れるんじゃないかしら?」
重いもの……。あ、あるじゃないか。ちょうどいいのが空に。幸い、悪霊はそこまで頭はよくはないようで、誘導は案外簡単にできるだろう。
「アテナ、あのコンテナなんてどうだ?」
あのクレーンの持ち手を壊せば大きなコンテナをぶつけられるかもしれない。
「わからないけど……やってみる価値はありそうね」
「それで十分だ!」
触手の攻撃をかわしつつ、クレーンの直下へ向かう。なかなか仕留められないことにいら立ちを感じ始めているのか、攻撃のスピードが増してきている気がする。急がないと。アテナの魔力もいつ尽きるのかわからない。
クレーンの真下にたどり着く。飛び込んできた悪霊の攻撃を危なげにかわし、神器を構える。
「これで、どうだ!」
放たれた弾丸はクレーンのフックの結合部にあたり、その爆発でフックごとコンテナが落下する。十分な高さから落とされたそれは、悪霊へと直撃した。……と思われたが、悪霊はコンテナを持ちうるすべての触手を使って、両断する。しかし、すべての攻撃手段を用いたことで生まれた隙を二人は見逃さず、再び攻撃する。
「「終わりだ(よ)!」」
今までの中で最大の火力で放たれた一撃は、悪霊を貫き、コンテナを消滅させるような勢いで爆散させた。悲痛にゆがむ悪霊の顔も一瞬で形を無くした。爆発が収まると、大量の黒い蝶が悪霊のいた場所から飛び立っていった。緊張が解け、その場に座り込む。アテナも憑依を解いて、俺の隣に腰掛けた。
「ねえ、あなた。どうして悪霊の精神汚染から逃れられたの? 何かきっかけがあったとか?」
「まあ、そりゃ、あれだよ。何となくだよ」
家族を守るためだなんて、恥ずかしくて言えたもんじゃない。ほほを掻きながらはぐらかす。
「ふふっ。答えになってないわよ。それ」
こいつ……わかって言ってやがるな。それならこちらにも手札がある。
「うるさい。お前だって『私を家族と言ってくれたあなただけは~』とか言ってたじゃないか」
「ちょ、ちょっと待って。その話普通持ち出さないでしょ?!」
「いやあ、嬉しかったぞ? なかなか心に響くセリフだった」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、そっぽを向いたアテナの顔をのぞき込む。だが、アテナのポツリとつぶやいた一言に予想外のカウンターをもらう。
「……だって本心だったもの」
「っ! お前……素面でそういうこと言うなよ……」
「か、勘違いしないでよねっ!」
「どこを勘違いすればいいんだよ?!」
互いに向き合って、大声で笑いあう。手に汗握るような戦闘を終えて、極限まで高められた緊張がやっとのことでほぐれたような気がする。太陽が昇るにはまだ早かったが、もうすでに空は明るみ始めていた。雲の隙間から覗く青い空を見上げながら、心の中でつぶやく。母さん、守りたいもの、見つけたよ。
「なぜだ! どうしてうまくいかない?! クソが……くそったれがぁ!」
モニターには、あの憎き男の娘と、どこの馬の骨とも知らない男がお互いに笑いあって座っている。苛立ちから蹴り飛ばした椅子は、薬品の詰め込まれた棚に当たり、大きな音を立てた。
「足りない……あいつに一泡吹かせてやるまではやめることはできない!」
改めて自らの意思を確認する。そうだ、あの屈辱を忘れてはいけない。アイツだけじゃあだめだ。天界に住む奴ら全員に恐怖を植え付けてやらなければ。
頭の中で思い描く計画に、不思議と笑みが漏れる。失敗はデータとして残せばいい。さあ、新しい物語を考えよう。床に転がった椅子を戻し、先ほどのモニターとは別のものを覗く。ああ、愛しきわが娘よ。あの憎い男の娘を手にかける任務を完遂することはできなかったが、おかげで心の方は大分出来上がってきた。好都合だ。マイクの電源を入れ、彼女の調子を問う。
「調子はどうだ? だいぶ体には馴染んできたか?」
「ええ、大丈夫です。お父様」
「素晴らしい。いい子だ、我が娘よ」
「……はい。ありがとうございます」
モニター越しに見る娘の姿はとても美しい。魂が悪霊を拒絶して、苦痛にゆがんだ顔もそれはそれで美しさがあったのだが、従順な姿も悪くない。
コレを使ってどうやってあいつを負かしてやろうかと、頭の中で考えを巡らしていく。ああ、とても楽しい。これ以上の快楽はこの世にはない。
「次は負けんぞ、ゼウス」
頭の中に浮かべた、あの善人の手本のような笑顔にナイフを突き立てて、宣べるのであった。




