82話目 緩やかな始まり
この戦争を終わらせる。
そう決意した私の前には多くの兵たちがいた。
「私たちは今だかつてない危機に陥っています」
兵の数は不足し、食料や武器も心許ない。
対してアビガラス王国は兵だけでなく、奴隷や冒険者に傭兵まで使い増やした規模はおおよそ私たちの倍の戦力。
フレグラン王国、ブルエル王国、エネリエス王国、メドリニア王国の四国にモルド帝国を合わせた計五国からなる連合軍であっても厳しいものがあった。
「このままいけば全ての国は壊滅し、アビガラス王国に服従するしかなくなるでしょう」
しかもこの連合軍は名ばかりであり、半分以上の兵がモルド帝国の兵で構成されており、他の四国の兵はもはや控えと言って過言ではなかった。
それだけ国力に差があるとも言えるが、それぞれの国が兵を出し渋り防衛に回しているのもある。
全力で兵を出しているとされているが、ネイシャからの情報ではまだまだ余裕はあると聞いている。
もしもの時は後退して他国を巻き込む形も辞さなかった。
「そうなれば破滅は必至。他に大国がない以上、事実上アビガラス王国が世界を掌握したと言っても良いでしょう」
怪しい結束の元での戦争は不安でしかない。
それに最善とされた谷間からも離れ、見通しの良く広がった地域での戦闘には大きな不安もある。
ですが――
「ですが私たちは勝たなければならない!父のため!母のため!家族のために!!友と明日を迎えるために!!」
武器を手に掲げる者たちが雄たけびを上げる。
誰もが勝てねばならないと灼熱の炎に似た熱を帯びた目で私を見つめる。
私はこの者たちに報いねばならない。
どれだけの者が命を落とす結果となるのか。それが怖くてたまらないが、やらなければ私たちに明日は来ない。
「勝ちましょう!!」
『ウオオオォォーーーーーーーーーーッ!!!』
兵たちは奮起し、高まった闘志を宿しながらそれぞれの部隊が動き出す。
敵兵は既にあの谷間を超えて来ていると斥候から情報は得ている。敵兵が目視出来るラインまで来れば戦闘は始まる。
「流石です姉上」
「ファーバルですか」
天幕に戻った私を迎えたのはファーバルだった。
ファーバルは緊張した面持ちで帯刀した剣に触れながら不安を隠せない様子を見せる。
「姉上は凄いですね。僕は先から震えてばかりで。これから戦が始まるのに怖くて怖くてたまりません」
それは命を奪われる事に対してか。それとも奪う事に対してか。どちらにしても初めての戦場で余裕でいられるのは余程の狂人か戦闘狂のどちらか。
ファーバルの緊張をほぐすために私はその頭を優しく撫でます。
「姉上?」
「大丈夫よファーバル。最初は皆そうなのですから」
むしろ初陣でこの状況下を作ってしまった私に問題があった。
もっと策を用意し、万全の体制を組んでいれば良かったのですけどね。
しかしそんな時間をアビガラス王国は与えてはくれなかった。
戦っては引いてを繰り返す間が絶妙であり、守りは万全に固めたものの攻撃に対して不安は残る。
何よりも相手方の最初に先行している集団は老若男女種族関係なしの奴隷たちだ。
武器と言うにはあまりに貧弱な鍬や包丁など農民の一揆に近いものがあり、それが列をなして迫って来ている。
彼らを倒す分には楽でしょう。しかし兵の士気は落ちてしまう。
こんな初陣では気が滅入ってしまい次に支障が出るのは確実だ。
「貴方はやるべき事をすれば良いのです。今はまだここにいなさい」
私は襲って来る敵を一つのコマとして見ている。
そうして全ては数の足し引きでしかないと割り切っているが、ファーバルにはまだ無理だろう。
これがまだ悪意ある敵ならやりやすいだろうが、強制された敵を討つのは痛みを伴う。
だからまだファーバルは前には出せない。今からやる行為は戦争ではなく、ただの虐殺行為に過ぎないのですから。
「それでルミナス。どうでしたか?」
ファーバルにまだ天幕にいるよう指示をすると私は外に出て相手の様子を聞いた。
「奴隷たちの編成は老人は老人、子供は子供と分けずに寧ろ敢えて混ぜ合わせてます。これでは魔法も撃ちにくいかと」
「やはり貴女もそう思いますか」
第三騎士団長であるルミナスを連れ歩く。騎士に畏怖してか私の威光を恐れてか近くにいた他国の兵が慌てて距離を取る。
こんな状態では連携は無理ですね。そう見切りをつけつつ迫って来る奴隷たちの考察を行う。
アビガラス王国は老人や青年、女子供を分けずに進軍させた。
正しく運用するならば老人、子供、男、女と分ける方が戦力が均一化出来る。
そうすれば戦力になりにくい子供や老人を先に消費して効率良く戦闘が出来ただろうが、敢えてそれをしなかった。ならば狙いは一つしかない。
「私たちに一人として救わせない気でしょうね」
「おそらくは」
もしも戦力が均一化していたのなら耐久力も均一化しているのと同じ。弱めの広域魔法を放てば、範囲にいる者はもれなく気絶する。そうすれば奴隷紋であっても命令を強制させ続けられない。
しかしこうして種族から性別まで違いを多くすればするだけ同程度の威力でも気絶する者としない者が分かれてしまう。
前進する事を余儀なくされる彼らは気絶した奴隷を踏みつけて前に進む。踏まれた者は間違いなく死ぬでしょうね。
かと言って全員が気絶するだけの強力な魔法を放てば老人や子供は確実に死ぬ。確実に助けるのなら接近戦にて一人一人に合った適切な倒し方をしなければ助けるのは難しいでしょう。
だからと言ってその選択をすれば兵を無暗に傷付けられ、今後の前線の維持に支障が出る。
私の甘さに付け込んだイヤらしい見事な作戦。
つまり私に選べと言うのだ。我が国の者たちか、奴隷となった哀れな者たちかを。
「もしも奴隷たちの皆殺しを命令したら貴女は私を軽蔑しますか?」
「いえ、兵の命と今後を考えれば当然の判断です」
当然の判断。それは理性では確かにそうなるでしょう。しかし現場の兵は堪ったものではない。
強制されて戦う奴隷たちは悲壮感に濡れながら死んでいく。
「そうですか。それでも、救える者は救いたいですね」
兵を危険に晒さず、最大限で奴隷たちを救える方法。
そんなものがあれば良かったが現実は非情。常に最善の選択を迫られる戦場において悠長な考えでは生き残れない。
それにもう私は指示をしている。
雷系の広範囲魔法で倒せ
それがどんな結果を招くかなど理解しています。
子供や老人は頑丈な種族でしか生き残れない。生き残ったとしても先に述べた通り、気絶した者たちは後続の者たちに踏まれて命はない。
つまり殆どの者が死ぬと決定している。生き残れるのは幸運にも後ろにいた奴隷たちのみ。
ただそれも確定ではない。
次に控えた冒険者たちがどのタイミングで現れるかによっては、後ろにいた奴隷たちも命を落とす結果になる。
それでも私は選択をした。襲って来る奴隷よりも自国の兵士の命の方が私には重かったから。
「あの方たちなら全てを救えたのでしょうね」
「それも自分たちは無傷で、ですか」
あの方たちが誰を示すのか肌で知っているルミナスが私と意見を同じくする。
そう、アビガラス王国の王と敵対しても涼し気な顔でいられるあの方たちなら全てが救えたでしょう。
たった三人でアビガラス王国の国庫を荒らし、無事に脱出出来た事でさえ本来であれば奇跡と呼べる偉業。それさえも彼らにとってコイントスと同じく気軽に行えるものでしかない。
もしもモルド帝国にいる者たちがやったと仮定すれば、その者たちは城から出るのもままならず死んでいる。
それは例えルミナスであってもだ。
堅牢な守りで覆われた城に入るのも困難を極め、ましてや国庫の中身を略奪して出ようなどルミナスが十人いても足りないでしょうね。
そんなあの方たちなら瞬く間に難解な状況を打破出来るでしょう。
しかし今は何処にいるかも分からない。それに力を貸して頂けるかも怪しい上に下手をすれば逆にアビガラス王国に牙を向く可能性だってある。
そういった意味ではここにいないのは不確定要素が混じらないだけ有り難いとも言えた。何せ一度は気に入らないとした理由で敵にまわったのだから。
「今はあの方たちがいなくて戦況がおかしくならないのを喜びましょう。誰にも止められず気ままに振る舞われては災害と変わりないですから」
「確かに」