81話目 弟は王子
「姉上がそうされるなら構いません」
「あら?」
私がこれからしようとする事に対して反対するであろうファーバルを説得すべく出向いた私はファーバルの思っていたのとは違う反応に困惑をする。
ここはファーバルの私室の為に傍にいるのは私と第一騎士団長だけ。第一騎士団長はどんな入れ知恵を?
「私は何も。王子自身が気付かれ、察しているのです」
私が何を言いたいかを感じ取った第一騎士団長は解答のみをさらりと話す。
しかしあのファーバルが私のやりたい事に理解を示すなど、思いもよらなかった。
ただ、ファーバルの考えは私も看過出来るものではなかった。
「僕も戦場に立ちます。これでも王子ですから」
「ダメです。貴方を戦場に立たせる訳にはいきません」
もしもファーバルの身に何かあればモルド帝国は死ぬ。
最悪を想定すればファーバルには逃げてもらい、王族の血を絶やさないようにしなければ全てが終わる。
私がここに来たのもファーバルを逃がす為。なのに王子としての責務からかファーバルの目に決意が宿っているのを感じた。
「姉上が戦場に立たれるのに何もせずにはいられません。僕も王子としての役割を果たします」
「なりません。私は女王として貴方を戦場には立たせられません」
「ですが僕にも姉上と同じ【王族の矜持】のスキルがあります」
「認められる訳ありません。そのスキルも万能ではないのですから」
【王族の矜持】は指揮する軍の攻撃力と防御力を上げ、更には味方全体を鼓舞させる極めて戦場で役に立つスキルです。しかし同時にこのスキルの発動は敵からも発見されやすく的になる危険性の高いスキル。
無暗に使えば死期を早めてしまう使い所を考えなければならない。
「でも僕は王子として…」
「お願いだから言う事を聞いてファーバルっ!!」
「――っ!?」
否が応でも戦場に立とうとするファーバルに思わず声を荒げてしまう。
………ええ、モルド帝国が死ぬからなんて所詮は建前。たった一人の私の身内をなるべく死から遠ざけたいと思う私自身のエゴでしかない。
どこの世界に弟を笑顔で戦場に送れる姉がいると言うの?
私は甘い。本当に甘い。ここはファーバルを駒として使い、僅かでも勝率を上げてこそ王として正しい判断。
肉親であろうと、いや肉親だからこそ情の一切を捨てて国を優先するべき。でも、私には無理なのよ。
「ファーバルは幼かったから覚えていないでしょう。両親が死んだ時の事を」
私でさえ曖昧な記憶ですが私たちの両親はとても優しかった。
分け隔てなく民を愛し、国を愛し、そして私たちに沢山の愛情を注いでくれた父と母。
王としての責務を全うしながらも世界の全てに優しくあろうとした姿に私は憧れた。いつか私もこうなりたいと思い勉学にも励んだ。
そんな、父と母は暗殺された。
私は精神的支柱を無くしたようなものだった。
ただ呆然となり、起きた事実を飲み込み切れず膝を着いて無残な死体となった父と母を見つめました。
周囲の反対を押し切りアビガラス王国と融和を図ろうとした結果がこれだったのです。
暗殺者は騎士たちの手により捕縛されましたが、全てがもう遅かった。
世界平和を謳った父と母の偉業は確かに凄かった。
奴隷制度の廃止と労働力の補填に国庫を開き、争いを止めないアビガラス王国と何度も交渉を繰り返し平和に導こうとした姿は人としては素晴らしかった。
だが、為政者としては間違っていたのです。
この二つを同時に行うにはあまりに必要な金が多過ぎた。
奴隷制度廃止が終盤に差し掛かった頃には国庫など空にも等しく、言い換えればそれだけ国が弱っている状態。
そこに国王と女王の暗殺は国を揺るがす絶好のタイミングでもあった。
考えれば考えるだけこの暗殺は必然ではないのかと思ってしまいました。
事実戦況は不利になり、アビガラス王国の思惑通りに事が運んでしまっていました。
国は奴隷制度を機に内部から食い荒らされ、外部からは押し寄せるアビガラス王国の兵による重圧で逃げ出した者もいました。
国は揺らいだ。モルド帝国が大国であっても、この崩壊の危機に誰かが立たねば終わっていた。
私はそんな危機に颯爽と立ち上がった、と言えれば聞こえは良いのですが実際はただのやせ我慢。
この時私は自身を旗本に国を先導出来たのは、民のためでも、兵のためでも、騎士のためでも、ましてや国のためでもない。たった一人となってしまった肉親のファーバルのためでした。
両親の死に呆然とした私はまだ幼かったファーバルの姿を見た事で新な決意が生まれます。
『なんとしてもこの子だけは生かしてあげないと』
このままアビガラス王国の手による蹂躙を許せば私はもちろんファーバルまで処刑は免れない。
それだけはどうしても避けたかった。残された唯一の肉親がこのままでは父と母の起こした偉業を知る事もなく死んでしまうなんて嫌でした。
暴君として国に殺されても私は構わない。そんな覚悟を持って女王として君臨し、国を立て直しに大臣を振り回し奔放した私は気が付けばこの見た目から『人形王』と呼ばれるようになりました。
「私はファーバルを守るために生きて来たのに、そんな貴方を戦場に送って何かあれば私はもう立ち上がれない」
ファーバルを生かすためには国の立て直す必要があっただけ。もっとはっきり言えば国なんてどうでも良かったのです。
「だからお願い、ファーバルは逃げて」
それが私の唯一の望み。
もしもアビガラス王国がファーバルを生かす確約をしてくれるのなら私は国を売り渡していたでしょう。
ですがそれは有り得ない。アビガラス王国が不穏分子となるファーバルを生かす理由は何処にも無く、契約したとしても何かしら理由を付けて処分するのが目に見えていた。
だから私は戦場に立つ。
ファーバルを守りたい。もう家族を失いたくない。そんな気持ちでこの数年を生きて来た。
だから私はどうなっても構わない。この戦争で勝つ手段は選べず、どうしようもなくともファーバルを駒として使わない。それが私の本音だった。
「それが姉上のお気持ちなんですね」
分かってくれた?それなら。
「僕をバカにしないで下さい」
しかしファーバルは私の望みを切り捨てた。
「バカだバカだとは思っていましたが、ここまで姉上はバカになっていましたか」
「ファーバルそれは酷いわ」
私はちょっと人よりも暴走しやすいだけ。だけですわよね?
人を散々バカにしたファーバルは私の前に立つ。
「どうして姉上は人の気持ちも汲んで頂けないのですか?」
「私はファーバルの為に…」
「それが間違っているんです」
間違い?私は何を間違えたと言うの?
ファーバルの意図を読めない。それにたった一人の弟を生かしたいと思うのは普通じゃない。なのにどうして否定されてバカにされなければならないのか。
ファーバルは己の胸に手を当てて叫ぶ。
「僕だって姉上には生きて欲しいのですよ!」
「っ!!」
ああ、そう言う事なのか。それは確かに私は間違えていた。
「姉上のいつだって突拍子もなく我が道を突き進んで行く姿に何度頭を抱える思いをしたか」
私に対する不満を爆発させるファーバルはこれを機にと心情を吐露し始める。
「税率を勝手に変えて、最終的にはそれが良くなりましたが不満を抱えた民に反旗を何時翻されるかと冷や冷やさせられた事もありました」
「あの時は大臣が泡を吹いて倒れました」
横から援護、と言うよりも溜まっていた不満をついでとばかりに吐き出す第一騎士団長。
確かに今思ってもやり過ぎたと自覚はあるが、やらなければ国が持たなかったのも事実なのだから仕方ないでしょうに。
「戦場に自ら何度も足を運んで内政を放り出す始末。いつ怪しい貴族が首に食らい付かれるか分からない状況だったにも関わらずです」
「あの時は大臣の隈が凄くなり新種の魔物と化していました」
ぐっ…、で、ですがあれは前線で戦う兵たちを鼓舞する為に必要な事。そうしなければならない事態だったのですから。
お陰でこちら側に来てくれた敵兵もいたのです。それで数の差をなくせたのですから良いじゃありませんか。
「地方で大量発生した魔物を自ら騎士たちを率いて潰し周り、しばらく城に戻って来なかった事もありました」
「あの時は大臣が酒に溺れる一歩手前まで行きました」
ガハッ…、だ、だってあの時はそうしなければ騎士を動かせなかった上に冒険者や兵士だけでは対処し切れなかったのだからどうしようもないでしょう。
確かに大臣に仕事を全て丸投げしたのは悪いとは思っていたし、帰って来たら大臣がかなりヤバめのクスリを使う寸前まで行っていたのを見た時は流石に反省しましたけど、そこまで言わなくても良いでしょうに。
「そんな姉上でも僕にだってたった一人家族なんです。僕だけ逃げて姉上だけ戦うなんて耐えられない」
「ファーバル…」
弟はいつの間にか成長していた。あまりに忙しくて気付けなかった。
私がただ守らなければならない存在じゃない。王子としての責務と私に対する情を持って戦場に立とうと奮起する男の姿だった。
「僕は王子だ。出来る事をしないで逃げるなんてしませんから」
大きくなったわね。この姿を父と母にも見せてあげたい。
今思えば私もファーバルと同じくらいの時に奮起して国を立て直したのでした。
無鉄砲な事をした私がとやかく言うのは間違っていたのかも知れないわね。ただそれでもファーバルに一つだけ願う。
「分かったわ。だけど、せめて私の隣にいてくれないかしら」
「もちろんです。姉上の暴走を止められるのは僕なんですから」
……それ立場が逆じゃないかしら。
もう後戻りは出来ない。これで負ければ私たちは死ぬ。そうなればモルド帝国は歴史の闇へと消えるでしょう。
負けられない。国のためにも民のためにも。そして目の前の弟のためにも私は勝つ。
「倒すわよ。アビガラス王国を」
「もちろんです」
姉弟に絆が深まる。
王としては間違っているのかも知れないが、私は自身を変えられそうにはなかった。