72話目 準備と覚悟
レンを救う。私はその思いを胸に準備を進めていた。
皇様から頂いた分厚い手袋の様なグローブを嵌めて握りを確かめる。
「いいかノドカ。お前の付けたグローブがレンの原子干渉領域を緩和する。これがあればマシだろうが油断はするなよ?こと原子の分野に関しては私よりもレンの方が上だ」
「はい、分かりました」
まさか皇様がレンに負けを認めるとは。
レンの成長を喜ぶ半面、こうなってしまった状況に複雑な気分になってしまう。
グローブは私の手にしっかりフィットし、動きを邪魔しない。軽く突きを打ってもいつもと同じように動けた。
「問題ないようだな」
「ありがとうございます」
これでレンに近付いても大丈夫なようだ。見た目はただの手袋にしか見えないだけに皇様は相変わらず常人とはかけ離れた思考をしていると感心させられます。
これでレンを助けられる。そう思えば気が早ってしまうが焦ればそれだけ危険性は増す。
レンを皇様と同様に一種の災害として認識し挑まなければ砂になるのをグローブだけでは防ぎきれないだろう。
「慢心はするなよ」
皇様も懸念している。
「それは確かにレンの原子干渉を食い止めるが限界はある。一定以上の出力を出されれば砂になるのは止められん。下手をすれば髪の一房も残らず消される可能性がある」
私に渡したグローブの注意事項を淡々と説明するが、私への気遣いが見え隠れしていた。
それだけレンの力は危険だ。近付くだけでも魔物の口に飛び込む覚悟がなければいけない。更にレンには砂にする以外の力もある。
それが錬成。無から有を造る力は驚異だ。下手をすれば近付く前にやられてしまう。
皇様から聞いた話だがレンは主の元いた世界の近代兵器を造り出した。
大砲の威力など私の本気で殴った力と同じ威力を持ち、かつ多数生み出す事で連射を可能とした。
これだけでも驚異になるが、遠目でもはっきりと見えた骸骨の巨人は災害級の魔物に等しい。あれを意のままに操れるのだ。現れただけで誰もが絶望視する凶悪さ。
鉄の雨を降らせ、災害級の魔物を生み出し操るレンの力は皇や武内様と同等の『天災』だと思うのだ。
「十分に注意しろ」
「分かりました」
「あ、それとボクからもひとつ」
武内様からいつもの軽い雰囲気が消える。
一体何を、と思った時には私は心臓を掴まれたと錯覚を覚えた。
「ノドカちゃんはやれる?」
「何を、でしょうか……」
質問を質問で返すものの、私は武内様が何を言いたいのか理解していた。
武内様は私に問い質している。レンをこの手で殺せるかを。私の読みは悲しくも当たる。
「ノドカちゃんはレンちゃんを殺せるの?」
言葉にされると途端に重く伸し掛かる現実。
殺す必要がない。今のレンはそう軽く言えないのだ。
着実に進む砂化は一体どこまで行くのか分からない。しかし砂になればその分資源も消え、生態系にも影響を及ぼすようになるだろう。
だからどうにもならない時は殺さなければならない。
守ると決めた、この手で救って見せると息巻いておきながら私は殺せるか?
私はグローブの嵌った両手に視線を落とす。
幸いにもこの手が汚れた事はない。いや、逆に汚れていた方が幾分かマシだ。何せ私の手が汚れる初めての相手がレンになる。
両親を殺され、主までも手を掛けていたとしても私はレンに恨みも無ければ憎しみも無い。それどころか愛しさや大切に思う気持ちの方が強い。
そんなレンを私は………。
両手を強く握り、拳に力を込める。
強く握った拳には何も乗らない。恨み、憎悪、嫌悪の一切がなく、あるのは孤独になったレンを救い出す気持ちだけだった。
「出来ません」
「ノドカちゃん本気?」
意外でも何でもない。
私はレンを救う為に向かうのだ。なら何故私がレンを殺さなければならないのか。
「はい。私はレンに殺されてもレンは殺せません」
私は救う。これで私が死んだのならそれまでだ。私はレンを殺す為に鍛えたのではないのだから。
はっきりと述べた答えを聞いた武内様から、ふっ、と胸を鷲掴みにする圧力が消えた。
「うん、合格。いいと思うよそれで」
いつもの軽い雰囲気の武内様に戻ると私の肩をポンと叩いた。
「ノドカちゃんがそう決めたなら問題無いよ。『武』なんて弱い者を守る為にあるんだから」
ボクは『武』を間違って使ってばっかりだったし、と何か投げやりにも聞こえる呟きをした武内様はそのまま主の様子を見て来ると部屋を出て行った。
「まあ、何だ。天華はお前みたいになれなかった側だからな。羨ましいんだろう」
「はあ…」
何を羨むのだろうか。武内様程の者であればあれだけの領域の『武』を持てばそれこそ自由を手に入れたのと同義ではないのだろうか。
困惑する私に皇様は武内様の過去を教えて下さった。
「天華はこの世界に来る前に二人殺している」
「二人?それは実に…」
実に少ないと思った。
殺生を好まず、勝負を好むと知っているがそれでもあれだけの力を持てば加減を出来ずに殺めてしまうのも有り得る筈だ。
しかし私の予想を覆される。
「ノドカには分からないと思うが私たちの世界はステータスなんてものが無い。いわば上乗せのない状況下で天華を相手する、相手になれる者など皆無に等しいのだ」
それは実に生き辛い世界か。
ステータスがあってこそ私たち竜人種は強い。逆にステータスが制限されれば呪われた頃の様にただの人にさえ劣るのだからステータスの重要性は言わずもがな。
なのにステータスがゼロであるにも関わらずステータスの高い私に連戦連勝を積み上げる武内様。それはさぞ苦痛だっただろう。
目に見える全てが児戯でしかない。振り上げた拳を降ろせば簡単に壊れる世界は窮屈であったに違いなかった。
「そんな中で出会ったのが山伏姿の世捨て人のような爺とチャイナ服のエロイ女だ」
「ああ、閻魔法【裁】で出て来られた方ですか」
「知っているのなら早いな。そいつらだ」
そいつらが天華の殺した二人だ。そう皇様は語ってくれた。
「天華はお前と違って守るものが無かった。ただそいつが強いと聞けば走り飛んで行くのがあいつだからな。大抵がデマで終わりだがこの二人だけは別格だったそうだ」
「それで最後までやってしまったと…」
「いや、最後までやって欲しいと懇願されたのだよ」
何故?とは聞けなかった。武人として武内様の前に立ったのであれば望むのも当然か。私もきっと師事されている立場になく、レンもいなければ同じ事を望んでいたかも知れない。
・・・
ボクは陸斗くんのいる部屋の前まで来ていた。
コンコンとノックし、部屋に居るマイランさんからの返答も待たずに扉を開ける。
「何やってんの?」
「………額の汗を拭いておりました」
「それほぼ頭抱えちゃってるよね。まあ良いけどさ」
殆ど肉体の修復を終えた陸斗くんを胸で抱きしめるように抱えていたマイランさんに少し呆れつつ部屋に入る。
陸斗くんは身体を半分砂にされたとは到底思えない程綺麗な状態になっていた。右腕がまだ完全に治り切っていないものの、肝心な胴体は修復されて今では上半身を晒したままベットに寝ている。
このベットそのものが自動修復してくれるみたいで大きな傷は全部皇ちゃんが治したからもう死ぬ可能性はないって言ってた。
だけど陸斗くんが砂になった時は本当にゾッとした。溢れた血液が砂を汚し、零れた臓器が生々しく『死』を連想させた。
ボクと皇ちゃんが早く現場に行けて良かったよ。そうじゃなかったら確実に陸斗くんは死んでいた。
閻魔法【裁】に至る基礎が魂魄の制御だったから、ほぼ死んだ身体に繋ぎ止める荒業を行えたんだよね。
………もしも、山伏のおじいちゃんや楊ちゃんにもやれてたら未来は変わってたのかな?
陸斗くんを救えたからどうしても考えちゃう。
でも、そんな未来が来ないのは自分でもよく分かってた。皇ちゃんがいなかったし、何よりも死ぬのを望んだのがあの二人だったから。
『やめんかい。ワシが武人として挑み負けたんじゃ。勝ったもんらしく笑っておれ。泣き顔で見送るなんぞお主らしくもないわい』
あの二人はとても強かった。それこそボクがいなかったらあの二人のどっちかが『武の天災』なんて言われてたんじゃないかと思えるくらい強かった。
でもボクは存在が理不尽だから足元にも及んでなくて、でも命を賭した戦いは最後の一瞬だけボクの足元に届いてた。
目を閉じれば今でも思い出せる彼らとの思い出。
死に物狂いで挑みかかる彼らにボクはあのツマラナイ世界で本気を出せたと感謝した。
だからあの二人には死んでほしくなかったし、治す手立ては無くても必死に繋ぎ止めて病院に突っ込めばなんとかなったかも知れない。
でも、二人はそうさせてくれなかった。
『あー、楽しかった。って、そんな顔しないでよ。私が望んだんだしさ。ほら笑ってよ。天華は笑って私に勝った事を喜ばないとね』
似た者同士だった二人。特に楊ちゃんはボクのお姉ちゃんのような存在で戦うのがとても好きだった。
二人して相手になる者がいなくて飛び出した変わり者たち。まあボクも一緒なんだけど、そんな二人を手に掛けた時は悲しかった。
二人ならもしかしたらと思っただけに武人として最後までやったのを悔やんじゃった。
それは二人に対する侮辱だったかも知れない。でも、ボクは二人に生きてて欲しかった!
もっと研鑽を積んで高みまでのぼって来て欲しかった。でも、そんなボクのワガママは聞き届けては貰えなかった。
結局二人は武人として死ぬ事を受け入れた。
大切だった二人の死はとても悲しく、今でも思う所がある。
だからノドカちゃんにはそんな想いはさせたくない。それにレンちゃんはもうボクの大切でもあるんだ。絶対に死なせたりはしないからね。
「陸斗くん、ボクも頑張るから。ちゃんと戻って来てね」
ボクは陸斗くんの側に近寄ると、まだ欠けたままの右手を両手で優しく包み込む。
レンちゃんは陸斗くんをこんな姿にしたけど怒るに怒れない。それは陸斗くんだってそうだと思ってる筈だ。
だから連れて帰るよ。迷子の家出猫を皆で迎えに行くからね陸斗くん。