68話目 …返せ
王手と告げられても不思議ではなかった。
策も無く攻めた結果がこれだ。慢心していなかったと言えば嘘になる。
「もう終わりか加賀?」
「まだ、やれ……っく」
身体に負傷はない。それでも体力は根こそぎ奪われ足がキツく膝を着いた。
まるで要塞の様な守りをどうにも出来ず、ただ一方的に弄ばれて誰が見ても勝敗は決していた。
気丈に強がって見せても何が出来るか。
そう思い試案すると思い浮かぶ唯一の手段が一つだけあった。しかしそれをするのは俺のプライドが躊躇いを覚えた。
………だけどやりたくないが贅沢を言っている暇も無いか。
俺の奥の手。出来れば本当にやりたくない行為だが、ハガクレさんがあれだけ傷付いているのだ。背に腹は変えられない。
「………」
俺はある物を取り出して手の中に潜ませる。
チャンスはまた訪れる筈だ。その証拠にハガクレさんも諦めてはいない。
受ける炎の弾が途切れる事なく打たれ、膝を着いて肘をクロスしたまま動かない。でもその目は好機を静かに伺っていた。
「っち、何で老人なのにこんなにしぶといんだよ。こっちの方が参るぜ【ファイアボール】」
「がっ!」
焼かれた腕から焦げる臭いが辺りに広がる。
ハガクレさんを助けたいが、ここで焦って動いてもまたハガクレさんを窮地に追いやるだけだ。
「老いても竜人種だしな。【ファイアボール】。でも使い勝手悪そうだから奴隷としては要らないな」
「ぐっ!」
好き勝手に言いやがって。湧き上がる怒りに捕らわれそうになるがここは我慢だ。
勝利を確信してか無駄話も多くなるあいつらだ。必ず隙が出来る。
「【ファイアボール】。奴隷ならやっぱ女だって。竜人種の奴隷はまだ手に入れた事がないから次の機会にでもここに来るか」
「っ!」
まだだ…。まだ待て。
「こんな辺境にまた来るのかよ。【ファイアボール】。嫌だぜ俺の【水車輪】はタクシーじゃねぇんだからよ」
「っ…」
まだ……。もっと喋って間隔を開けろ。
「【ファイアボール】僕も態々手に入れる気にはならないな。女の子ならウサギだよオッパイも大きいし」
「それならエルフも良いだろ?あいつら噂どおり美形ばっかだから部屋に置いても華やかで、おっと【ファイア…」
今だっ!!
うっかり途切れさした菊池の凡ミスに付け込んで俺とハガクレさんは同時に動く。
俺は最後となる赤い『氣』を使い、【水車輪】を踏まない様に【両足の領域】であいつらの頭上を走ると、パキパキパキッ、と手の中で砕いたある物を振りまいた。
「「「「「なんっ…」」」」」
それは俺の手作りクッキー。
粉に近くなるまで砕いたクッキーは自然とあいつらの口に含まれる。
その量がたとえ微量であっても今まで食べた事のない美味いクッキーを口に含めば一瞬でも我を忘れる。何よりこのクッキー事態が目くらましとなる上に、粉にしたから魔法も唱えるのが辛くなる筈だ。
その証拠に魔法は見事に止まって、ハガクレさんの拳が安藤に当てる直前まで行っていた。
「いけぇぇええええーーーーーーーーっ!!!」
「おぉおおおおおーーーーーっ!!!」
その拳は安藤の頬を見事に穿った。
「ぶべぇっ!!」
「よしっ!!」
変な声を漏らしながら錐揉みする安藤は自身の【薔薇の迷宮】の壁に頭から突っ込んだ。
俺は喜びの声を上げると共に赤い『氣』を使った反動で地面に倒れ伏した。
一矢は報いた。これで全てが終わる。安藤が倒れた事でこの【薔薇の迷宮】は喪失して皇さんたちとも合流が出来るんだ。
「………あ、あれ?」
眼だけ動かして辺りを見ても生い茂った薔薇は枯れる事なく、この【薔薇の迷宮】は健在していた。
何でだ?安藤は倒したんだぞ?その証拠に【薔薇の迷宮】の壁から頭を抜けずに身動き一つ取っていない。
「何で【薔薇の迷宮】が消えないんだ!?」
その答えは意外でも何でもなかった。
「それはな加賀。俺がまだ倒れてないからだよ」
「なっ!?」
安藤は【薔薇の迷宮】から頭を引き抜くと少しだけ腫れた頬を撫でながら悠々と立ち上がった。
そんな、ハガクレさんの攻撃が効いてなかったのか。
「あー、痛ぇ。久々に食らったぜ。だけどな加賀。俺たちのステータスは防御力もチートなんだよ。一回殴られた程度で気絶するかよ」
「私は全力で殴ったのですよ?」
「そんな震えた腕で殴っても力が入ってないんだよ」
「っく…」
答えは簡単だった。ステータスの差とハガクレさんの限界にあった。
高いステータスを持つあいつらの防御力が低い筈もなかった。レベルを上げただけ強くなっているあいつらが竜人種さえも追い越している可能性を視野に入れていなかった。
そしてハガクレさん自身、威力のある【アクアジャベリン】を強引に対処し、あれだけの【ファイアボール】を腕に受ければ疲労も蓄積して当然だった。
端から勝負になりはしなかったのだ。
そこに入念な罠と安全圏からの攻撃で更に優位に立たれ、ますます差は広がる一方でしかなかった。
なのにまだ勝負出来ると思い込まされていた。僅かでも勝算があると思った俺のミスだ。
「さてこれでもう何も出来ないだろ?もう立ち上がれやしないもんなっ!」
「がはっ!!」
「陸斗殿!!ぬぅっ……」
俺は近付いてきた安藤に腹を蹴られ地面を転がる。
ハガクレさんが俺を助けようとするが、体力はもう残っていないのか走り出そうとして膝から力が抜けていた。
「しかしさっきのは冷や汗出たぜ?なんだよあの粉。お陰で一瞬気が抜けたなっ!」
「ぐぁっ!」
何度も執拗に蹴られる俺は動くのも儘ならない。
ハガクレさんは立ち上がろうと気張るが、直ぐに膝を着いてしまう。
もうどうにもならなかった。
気付けば腕を掴まれ、今井と金田に拘束されている。
「これで確保完了だな」
「安藤も気持ちは分かるが早く行こうぜ。今から【水車輪】出すから【薔薇の迷宮】消してくれよ」
「ああ、分かってる」
安藤は【薔薇の迷宮】を枯らし始める。
直ぐに消す事は出来ないのか、薔薇の花が散り、草木が消える姿はビデオの早回しを見ている様な不可思議なものだ。
「あっちから出るぞ。もうすぐ幼女がここに来るみたいだ」
レンが近くにいるのか?
安藤は一ヶ所しかなかった出入口とは逆の方向を指差して、そちらを急速に枯れさせる。
「この爺さんはどうする?」
「ほっとけよ。邪魔になるだけだ」
「はいよー」
くそっ、傷みもあるが『氣』を使い過ぎたせいで身体を動かせない。
そんな俺を守ろうとハガクレさんは足掻こうと立ち上がっては崩れ落ちるの繰り返しだった。
「まだ私はやれるぞ、っ…、まだだ」
「もう終わりだってあんた。……よし皆乗ったな」
今井の【水車輪】が組み上がり、荷車の様な不恰好な乗り物が出来る。
俺は武田と菊地に運ばれ無理矢理荷車に乗せられる。【薔薇の迷宮】も崩れ始め、後は走り去るばかりとなった。
「これで俺たちはもう山崎の被害を受けなくて済むんだ」
「ああ、悪夢が終わる」
「うぅ…、やったよ。ついに僕らはやったんだ」
感極まって泣いているが俺の方が泣きたい気分だ。
連れ去られれば助けは来るだろうが、その間にこいつらと同じ狢に入り兼ねない。
「さて、加賀。お前に別れのあいさつをさせてやるよ」
「は?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべた安藤がアゴで指すと入口にレンは立っていた。
「…ご主人様?」
「レン……」
今、レンの目にはどう映っているのだろうか。
先まで泣いていたと思われるレンの充血した瞳は大きく見開かれ、ズタボロになった俺を目の当たりにし、その胸中は混乱しているだろう。
そんなレンが親を求める雛の様にふらふらとこっちに歩み始める。
「レン、来るな!」
俺の制止も耳には入っていない。
なのにその目は真っ直ぐ俺を見つめており、何処か狂気めいたものが騒めいていた。
「…返せ」
ポツリと呟く一言は重く。ズシリと空気までも押し潰す重みをもたらす。
レンはノドカの両親を自分の手で殺してしまったと知ってしまった。その記憶はないにせよ、事実として受け止めるにはあまりにも辛い過去だ。
そんな不安定な心情を更に掻き回す、安藤たちによる俺の誘拐はレンの中の引き金を引くのに十分な威力を持っていた。
「…返せ」
歩んだ一歩で砂が生まれる。
石ばかりの地面が突如崩れ出し、呼応するように【薔薇の迷宮】もゆっくりと砂に変わり始める。
「おい、安藤?お前の【薔薇の迷宮】ってあんな崩れ方しないよな!?」
「当たり前だ。あの幼女何かヤバい!目的は達したんだ。逃げるぞ今井、今すぐ出せ!!」
「分かった!!」
【薔薇の迷宮】は安藤が崩し掛けている状態であり、出口としては【水車輪】の荷車がギリギリ通れる程度には広がっていた。
水の車輪が高速で回転し【薔薇の迷宮】の壁を掠めながら脱出する。
レンが一瞬で遠くなった。
ハガクレさんとも離された俺は早く皇さんたちが助けてくれるのを祈った。しかしその予想は別の意味で裏切られる。
「…返せ」
ゴゴゴゴゴゴゴッ、と強烈な地鳴りと天を突かんばかりの巨大な砂のフォルムに俺は目を見開かされる。
あれは骨?砂で出来た骸骨の巨人。その頂点にレンはいた。
いつの間にあんな事が出来るようになったのか知らないが、その巨人がハイハイをする様に前に出る。
「うおっ!」
「何だよあれは!?」
その一歩があまりにも大きかった。
地響きを鳴らしながら進む骸骨の巨人はカチカチと歯を開閉させながら迫り来る。
悍ましい姿に度胆を抜かれた安藤たちは魔法で威嚇するのも忘れ、呆然と頬けていた。
「…返せ」
巨人が一際大きく手を振り上げて地面を叩く。
岩場も僅かに生えていた草も関係なしに全てが砂に変わり、まるでそこに隠されていたかの様に黒光りする筒がいくつも姿を現した。
「た、大砲?」
数は力だと政治家は言った。しかしこの数は『力』と端的に表現するにはあまりに足りない。
大小合わせ、百は下らない大砲の出現は『力』の一文字に集約するにはあまりにも小さすぎる。
これは『力』じゃない。『災害』だ。
「伏せろぉぉおおおっ!!」
重厚な砲撃音が過剰なまでに打ち鳴らされ、辺り一面を鉄の雨が降り注ぐ。
「今井【水車輪】は使えないか?!」
「無理だ!この荷車を全力で走らせるので使い切ってる!!」
爆撃の行進曲に大声を上げてそれぞれが叫ぶ。
「【精神誘導】はどうだ!!」
「無茶言うな!こんな何も無い所じゃ誘導するものもない!それより【不協和音】だろ!?」
「この爆音に消されてる!意味が無いよ!!」
安藤たちのスキルは人には確かに有効だった。
対人戦においてこれ以上厄介なスキルは無いと言える強力なスキルだ。
【薔薇の迷宮】【精神誘導】【水車輪】【不協和音】どれを取っても俺やハガクレさんを翻弄して敗北に導くだけの強さがあった。
しかし今は無意味だ。
陣地を構築する【薔薇の迷宮】は逃走時に使えない。
見回しても岩しかない現状で【精神誘導】も意味をなさない。
逃走に全ての力を使った【水車輪】は迎撃も叶わない。
大砲による轟音と骸骨の巨人の進行音で聞こえなくなる【不協和音】はやる価値もない。
圧倒的物量がなす大規模戦闘となった今では安藤たちのスキルは無価値にまで落とされていた。
出来るとすれば魔法だけだ。砂を相手に剣を浸かった所で無駄に終わるのは目に見えている。
「…返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ」
レンが返せと呟く度に放たれる防弾の嵐に安藤たちは初めて自分たちの策が危険なものだったのかを悟る。
「…ご主人様返せ」
ガパっ、と骸骨の巨人の顎が外れ、何かが放たれた。
「「「「「なに!?」」」」」
射出されたのは身の丈を遥かに超える剣。それもこんなチャチな荷車など押し潰してしまう程の超大規模な大剣だった。
レンはいつの間にこんな物を作れるようになっていたんだ。………いや、違う。これはレンの暴走だ。
全力で避けようとする荷車に揺らされながら俺は視界にレンを捉える。
レンの瞳は輝きを失っており、皇さんが追い詰められた時に見せたあの目によく似ていた。
レンには俺の言葉は多分届かないだろう。俺がいるのに攻撃を止めないのが何よりの証拠だ。
どうすればレンを止められるか。考えても浮かばない上に、自分自身が身動きの取れない状態ではやれる事など一つも無かった。