67話目 俺たちは負けていた
「俺たちの恨みを受けろ加賀ぁぁっ!!」
またしても【ファイアボール】が俺を襲う。これなら殺さないと踏んでの攻撃を全員が多数撃って来る。
ハガクレさんがその攻撃を対処してくれてはいるがジリ貧だった。
「これは、っく、参りましたな」
「そうですね」
包丁でこの【ファイアボール】は切れない。
エネルギーの塊だからか、武内さんの獣闘法【大蛇】を食べた時の様な奇跡は起こせそうになかった。
だけど対処は出来る。【ファイアボール】の速度はそこまで速くはなく、精々がピッチングマシンと同程度の速度で躱すのは容易だ。
だけどこれが幾つものとなると時に躱し、時に防いで、それでも対処し切れない分をハガクレさんがカバーしてくれる。
そんな状態ではとてもじゃないが誰一人倒せない。しかもそれを分かって安藤たちは魔法による遠距離攻撃を止めなかった。
老いたとは言え、竜人種相手に接近戦をするのは危険だと知ってるからか。
「………ハガクレさん」
「何でしょうか」
「俺を無視して突っ込んだら安藤を倒せますか?」
「それはっ――」
ハガクレさんが驚愕の表情で背後にいる俺を見る。
俺を恩人だと竜人種としてのプライドを掛けてまで守ろうとするハガクレさんには悪いが、この場においてはそれが最善だ。
このままジリ貧でやられて行くよりも体力が残っている間に安藤をやらなければ勝てない。
もしかしたら運良く誰かがここに来て助けてくれるかも知れないが、その可能性を少しでも上げる為には一刻も早く【薔薇の迷宮】をどうにかして解除させるしかない。
出来なければ俺たちは二人とも終わる。
少なくとも俺は生かされるが、ハガクレさんは厳しいだろう。それに俺は生きていると言っても山崎の奴隷コースだ。あいつらと同じ道になど入りたくもない。
「俺なら大丈夫です。そうしなければいずれにしても終わります。俺を守ってくれるんですよね?」
「ですが、しかし……」
それは果たして守ると言えるのか?葛藤するハガクレさんに俺は再度辛い選択を迫る。
「このまま防ぐだけの状態がどれだけ持ちますか?少なくとも俺は俺自身の体力がそこまで持たない。だからやるなら今しかないんです」
守ると言ったのにその約束を破らなければならない行いをするか、しないか。
俺が回避するのも難しいだけ体力を削られればそれだけハガクレさんの負担は増える。
今やっている行為事態は時間稼ぎになっているが、来るかも分からない味方を待つのは得策じゃないのはハガクレさんも理解している。
だが、そうだとしても己が心情を曲げるのは別の問題だ。
ノドカやハガクレさんを見て、竜人種が誇りを大切にしているのは分かる。そんなハガクレさんに俺はその誇りを曲げろと願ったのだ。葛藤もあるだろう。しかしこのままではそれこそ誇りに泥を塗る事になる。
僅かな逡巡。それでもハガクレさんは決めた。
「………恨むのでしたら不甲斐なき私を恨みなされ」
「恨みませんよ。一緒に生き残りましょう」
最善手。ハガクレさんはそれ以外に方法は無いと顔を歪めていた。
それでもこうするしかないと知った上でハガクレさんも覚悟を決めたのだ。だからむしろ恨まれるのは俺の方。ハガクレさんの覚悟を踏みにじった俺こそ恨まれてしかるべきだ。
「陸斗殿、すぐに終わらせます」
ハガクレさんが炎の弾の雨に怯む事なく駆け抜ける。
「「させるか!」」
金田の【粘糸呪縛】が広がるように撒かれ、今井の【水車輪】がハガクレさんの移動を阻害しようとするも僅かな体捌きのみで全てを触れる事なく躱して見せた。
「ぐっ…」
そんな中で俺は炎の雨を躱し切れず、一つ当たって地面を転がるもハガクレさんが振り返る事はない。
ハガクレさんの目にはもう安藤しか映っておらず、確実に仕留めようと拳を握る。
これで決まる。そうなると確信した。
「加賀が火だるまだぞ!!」
「何っ!?」
しかしそれを妨害したのは武田だった。
俺は武田の【精神誘導】を忘れていた。あのスキルのせいでハガクレさんが否応にも俺を意識してしまい、安藤を捉える事は叶わなかった。
安藤を殴り損ないハガクレさんの拳が空を薙ぐ。
その間にも安藤は距離を取って今井と金田が合流して見事に守りを固められてしまった。
能力がチートなだけあって動きが速い。誰か一人の阻害でどうしても間に合わなくなり手が出せなくなる。
今井の【水車輪】が進行を阻害。金田の【粘糸呪縛】が行動範囲を阻害。武田の【精神誘導】が意識を阻害。菊池の【不協和音】が行動速度を阻害する。
徹底した選択の潰し方はチート持ちにしては慎重でとてもやり難かった。
ハガクレさんは俺の所に戻ると全身を確認し、どこも燃えていないと分かるとほっとした表情になる。
ブラフだと分かっていても【精神誘導】はやはり集中力を欠いてしまうのか。
「陸斗殿に怪我がなくて良かった」
「俺は大丈夫です」
振り出しに戻る。最初よりも体力が無くなっているから事態は悪化していると言って良かった。
現状ではまるで包丁が役に立たなかった。何かしら切れると思って出してみたが材料となる類いを見出だす事が出来なかったので『界の裏側』に戻しておいた。
俺は時間を稼ぐ意味でも安藤たちに語り掛ける。
「安藤たちはチートな筈なのに随分と慎重だな。怖いのか?」
臆病とも取れる言い方に怒って連携が少しでも鈍れば良いと思ったがどうなるか。
しかし俺の思惑とは裏腹に妙に達観した五人の姿に気持ち悪さを覚える。
「怖い?そりゃ怖いさ。お前たちは山崎たちの魔の手から逃れたんだ。俺たちにも出来なかった事を成し遂げたんだぞ?怖くなくてどうするよ」
安藤は剣を強く握る。もしも剣が無ければ自分自身を傷付けていただろう強い握り方。一体何がそこまでの憤りを感じさせるのか。
「チートな俺たちが無能なお前たちに形はどうあれ負けたんだよ!そんなに俺たちはお前らにスペックで劣っているのか?!ふざけるなよ加賀!!」
奇しくも山崎たちを退けた事が安藤たちのプライドを傷付けたのか。でもあれは武内さんがどうにかした事だ。やったのは俺じゃない。
だが、それは安藤たちには関係ない。俺たちが結果的に山崎を退けたのが我慢ならなかったのか。
自分たちには出来なかった事が羨ましかったのかよ。
そして俺たちを過大評価した。ある意味では正当な評価だが、こと戦闘に至っては俺は全く向いていないのに警戒心を強め、強力な敵と認識している。
ただでさえチートな相手にそう思われては、ただでさえ薄い勝機がより薄れてしまう。
最初安藤たちが仕掛けて来なかったのは強者の余裕じゃなかったんだ。あったのは敗者としての強い警戒だったのか。
「行くぞ。俺たちは油断しねぇ。どうやってでも山崎の前にお前を引き摺り出してやる!」
「「「「おうっ!!」」」」
安藤を含めた三人が魔法の詠唱を開始する。
「「「湧き出でたる水の精よ…」」」
「やらせはせぬ!」
「それはこっちの台詞だ!」
長い詠唱は魔法の威力をその分上げる。あの魔法はただの【ファイアボール】よりも威力が高いのは明らかであり、まともに食らえば命はないだろう。
そんな魔法を阻止する為にハガクレさんは飛び出すも、今井が壁となって進行を許さない。
【水車輪】のスキルによって強制移動させられるハガクレさんは、金田の待つ方へと走らされる。
しかしハガクレさんはそれも気にしなかった。そうなると分かった上での行動で金田を殴る構えを示す。
「へ、自爆しやがって。くらえっ!」
金田の【粘糸呪縛】がハガクレさんを襲うが今度は敢えて避けずに右腕に全ての糸を絡ませる。
「ふんっ!」
「なっ!?」
そして絡ませた右腕をそのまま金田に叩きつけた。
全身を覆う筈だった【粘糸呪縛】を右腕のみにしか巻けなかった事に驚き、対応の遅れた金田がハガクレさんの拳に耐え切れずに吹っ飛んだ。
そんなハガクレさんに完成した魔法が襲う。
「「「【アクアジャベリン】!!」」」
「カァッ!!」
シュゴッ、と高圧で放たれた水が迫るも、巻き付いた【粘糸呪縛】を盾に当たった瞬間には身体を捻じって回避し【粘糸呪縛】の拘束までも解いてしまった。
とても人間技とは思えない凄技を披露するハガクレさんに驚嘆させられる。
しかし驚嘆ばかりもしていられない。俺は赤い『氣』を使って勝負に出る。
解放された『氣』で速さが上がり、ハガクレさんに気を取られていたあいつらの死角から一気に躍り出た。
「加賀っ!?」
もう驚いても遅い。
安藤の背後に回り込んだ俺は渾身の一撃を見舞おうと殴り掛かろうとしてそれは起こった。
「なっ!?」
突如として滑る地面に体制を立て直そうとするも、俺自身がこの速さを制御し切れていないので転倒して薔薇の壁に突っ込んだ。
まるでスケートのリンクにでも乗った様な不可思議な現象に困惑する。
「がっ!?……っ、一体何が」
安藤たちの足元を見れば今井の【水車輪】が配置されてるだと!?手や足に付けているので全部じゃなかったのかっ!
泥水となって【水車輪】が見事に地面と同化して、よく注意して見なければ気付かない程度に細工されていた。
【水車輪】が踏ん張りを殺してしまったせいで俺は転倒した。ハガクレさんの作った僅かな好機を潰してしまった罪悪感が湧いて来る。
早く戻らないと。
「く、限界か……」
切り札の『氣』を使っての不発は身体中を襲う倦怠感と罪悪感が重なりあってより疲労を増幅させる。
後数秒は『氣』を使えるだろうが、そんな事をすれば俺は身動き一つ取れなくなってしまう。
薔薇の壁から離れながら身体を起こす。
「あっぶな、やっぱり罠仕掛けて正解だったな」
「気付かれない様に【精神誘導】もしといたしな。上手くいったぜ」
今井と武田のコンボか。あいつらを俺は甘く見ていた。
そもそも安藤たちがこうして場を整えた状態で待っていたのだから罠の可能性を考えるべきだったのだ。
【薔薇の迷宮】の中心部。そこで待ち構えているのに罠の一つも張らない方がどうかしていた。
俺と皇さんや武内さんを分断するのもだが、俺とハガクレさんしかいないのに戦う選択をさせたのも【精神誘導】のスキルの効果だったのか。
でなければ二人しかいないのに五人もいるチート持ちを相手にするなんて無謀な事をやる意味が無い。
気付けばまるで蜘蛛が巣を張り巡らせる糸の様に巧みに仕掛けられたあいつらの術中に嵌まり込んでいた。
逃げる選択よりも闘争を。合流よりも打倒を選ばされた時点で俺たちは負けていたのだ。
「ぬぅおおっ!!」
ハガクレさんはまだ戦っている。
迫る炎の魔法を弾きながら何とか一人でも倒そうとしているが、互いが互いを守る強固なチームワークに確実な攻めが出来ていない。
こんな二手も三手も勝っている相手にどうやって勝てばいいのか。
ハガクレさんが死に物狂いで炎の中を前進し、何とか拳が届く位置まで来ようとも今井の【水車輪】によって拳の届かない位置まで追いやられる。
更に上乗せとばかりに菊池の【不協和音】で平衡感覚をおかしくされ、金田の【粘糸呪縛】が放射される。
「ぐぅうっ!」
強引に避ける、いや逃げると称せる無茶苦茶な転がり方でハガクレさんは【粘糸呪縛】を躱した。
防戦一方でどうすれば良いかも分からない。近付けば転がされ、遠くにいても魔法が襲う。
何とか転がらずに接近したとしてもステータスの力があり、赤い『氣』で殴り合いに持ち込んでどうなるか。
歯噛みしたくなる気持ちを抑え、冷静に状況を見るもほとんど詰んでいた。
ハガクレさんは膝を着いて疲労困憊。俺自身も赤い『氣』で勝負に出て、一人も倒せないで体力も無駄に消費した。
俺たちは完全に追い込まれたのだ。