56話目 科学者VS料理人②
その背中はあまりに遠かった。
飛行する皇さんの背中を追う俺はその距離が詰められない事に焦っていた。
この【両足の領域】が後どれだけ飛ぶ事が出来るのか、ではなく単純に俺の体力が底を突き始めていた。
当然だ。度重なる皇さんの攻撃を回避して最後に使った『氣』の消耗はバカにならない。
それにこの【六翼の欲望】の飛行能力に追い縋るだけの飛行は【両足の領域】の力場の補助があってもかなりキツかった。
「来るなぁぁっ!!」
そこから追撃として迫る【有現の右腕】による多数の黒い光は体力をより奪う要因となっていた。
俺はこのまま落ちてしまいたい衝動に駆られる。
お前は頑張っただろ?もう十分じゃないか。
疲労から来る甘言にも似た囁きまで聞こえて来る。
だけどここで終われば皇さんは救われない。
奥歯を噛み締め瞳孔を見開く。
ああ、そうだよ。俺は諦めたらダメなんだ。
あの意地っ張りな科学者を止めなければ後になって後悔するのは皇さん自身なのだから。
きっと全てを破壊して俺を殺し。武内さんを殺し。何もかもを殺し終えて、また皇さんは一人になる。
「っ、そう言う事か」
そこで初めて俺は気付く。皇さんが何を求めていたのか。
ヒントは幾つもあった。
どうして皇さんは俺と武内さんには自分の発明品を渡したのか。
マイランさんやノドカやレンには自分の発明品を渡していなかったのか。
この違いは何か。
何故皇さんは対価を拘るのか。
モルド帝国の王女には対価として貸しを一つと提示した。
エルフの里では長老に対価として魔法の知識と物を提示した。
この違いは何か。
皇さんは一緒にいた時に何を言っていたか。
師事を乞う者や科学力を欲しがる者は山といた、と。
そしてそこに良い出会いなど無かった、と。
最後に皇さんは暴れる前に何と言っていたか。
対価は確かに求めていた。
そして同時に対等を示せとも言った。
そこから導き出される結論。
「欲しかったんだよな。頼れる人が」
皇さんにはまるで似合わない存在を口にする。
だけどこれがきっと正解だ。
でなければ対等を示せと言わない。
対等こそ最低条件なのだ。
対等以上となるには自身が出来ない事、自分以上の能力を持つ者に限定される。
それが『武の天災』である武内さんであり、『料理の天災』である俺なんだ。
だから皇さんは俺たちには自身の発明品を渡せたのだ。
渡しても関係は対等のままだから。
ノドカたちに渡せなかったのは彼女たちが皇さんより上である証明を出来ていなかったから。
魔法は使えても皇さんの科学がそれを超える。
武術で戦えても皇さんの科学がそれを超える。
原子を操作出来ても皇さんの科学がそれを超える。
それでは対等には成り得ない。
そして皇さんの拘った対価。
モルド帝国の王女に貸しで済ませられたのは、それだけの権力と対価を払える可能性を持っていたから。
しかしエルフの里は違う。
何も後ろ盾もなく縋る事しか出来ない彼らでは物々交換が精々で、そこにやって来た元クラスメートたちを追い払うに見合う対価をエルフたちは示せなかった。
エルフたちは藁にも縋る思いだっただろう。
今まで里の為にやって来た皇さんは救世主だ。きっと今回も何とかしてくれると縋ってしまった。
それが本当に藁の様に脆く、幼い少女である事も気付けずに。
皇さんは今まで年老いた金持ちや若い女の研究者等と一緒にいたと言っていた。
だが、彼らも同じだったのだろう。
対等を示し切れず、未熟で成長も儘ならない少女を頼り過ぎた。
だから皇さんは最後に世界を壊そうとした。
支えが欲しかった彼女に誰もが寄りかかり、その限界に気付かずに折ってしまった心。
今、皇さんを襲っているのはトラウマだ。
どうしようもない人たちの手によって壊された心を自分なりに修復した結果、歪になった彼女はいつも傲慢振る舞う事で均衡を保っていた。
その均衡を壊されたが故に、記憶も正しく機能しないくらいに乱れているのだ。
「バカだよ本当に」
何故それを口にしなかった。
どうして最初に助けを求めようとしなかった。
「そんなに俺たちが不甲斐ないか皇さん!!」
俺の心に呼応するように【両足の領域】が強く唸りを上げる。
強烈な推進力を得て俺は走る。
涙を流し続ける少女の元へと辿り着く為に。
「っ、【六翼の欲望】最速展開っ!」
しかし皇さんも速度を落とすどころか上げて来た。
必死に悪夢から逃げようとする痛ましい姿に俺まで痛みを覚える。
左腕の骨の痛みも今では感じない。
それ以上の痛みを俺は覚えてしまったから。
だから俺はもっと無茶をする。それで皇さんを救えるのなら安いものだ。
「はぁああああああーーーーーっ!!」
高く、寄り高く俺は昇る。それこそ世界の全てを見渡せてしまう高さまで。
これだけの高度と浮上速度に【両足の領域】が悲鳴を上げる。
その証拠にどんな所でも歩行可能な【両足の領域】の補助が追い付かず呼吸が苦しく視界が赤く染まり、頭痛にまで襲われていた。
だけどまだ持ってくれ。俺はまだ救っていない。救えていないんだ。
「ガハッ、はぁ…はぁ……、すぅっ!」
呼吸を荒く吐いて、一気に空気を吸う。
ここからが勝負だ。
「はっ!」
俺は落ちた。しかもただ落ちるだけでなく【両足の領域】の能力もフルに使用しての落下。
そして『氣』の使用で更に落下の速度を上げる。
これが俺の最大だと言わんばかりの速度を持って皇さんに差し迫った。
「~~~~っ!!」
声にならない声を上げる皇さんは使い慣れた【有現の右腕】で撃墜しようと黒い光を放つ。
だが俺には効かない。
前方に使用して空気抵抗に対抗していた俺の『氣』は【有現の右腕】に対する防御にもなる。
「おぉおおおおおおおおおおーーーーっ!!!」
呼吸するのも辛い。
下手をすればこの【両足の領域】も壊れてしまったんじゃないだろうか?
だけど知った事か。俺はあの分からず屋を捕まえる。
こっから先は説教の時間だぞ。
「くそっ!」
皇さん。お前は悩み過ぎだ。少し休もうぜ。
「ぁああっ!!!」
何度も掴もうとして掴めなかった小さい手。
誰も彼もがその手の起こす奇跡に縋り、押し潰してしまった彼女に俺は触れる。
「捕まえたぞ皇さんっ!!」
もう離さない。
その意志を強く持って俺は手元に引き寄せて抱きしめた。
落下の衝撃で俺たちは錐揉みしながら地に落ちる。
そこに痛みは無かった。
まだ【両足の領域】が壊れてなかったのか。それとも【六翼の欲望】の効果か。
でも、今はそんな事どうでも良い。
「離せ!離せぇええっ!!」
「っぐ、っあ」
ボカボカと癇癪を起した子供のように背中を叩かれる俺はそれでも離すのを止めなかった。
「離せ!離せ!離せっ!!」
「誰が離すかっ!」
ぎゅぅっ、と痛くなる程強く締め付ける俺は必死に叫ぶ。
「よく見ろ!俺は誰だ!皇さんはいつまで昔に浸ってるつもりだ!!」
強引に腕を掴んで、押し倒した姿勢のまま顔を上げる。
もう泣くな。
もう泣く必要は何処にもないんだ。
「……………りく、と?」
「そうだ陸斗だ!」
ようやく誰と戦っていたのか気付いた皇さんの顔を青く染まる。
「あ、ああ…。陸斗、私は…、私は何を……」
彼女は全てを見ているようで何も見ていなかった。
誰よりも聡明でありながら、自身の事には無頓着。そんな皇さんを俺はもっと分かって上げるべきだった。
なのに俺はいつだって料理をしているばかりで頼りない存在でしかなかった。
「悪かったな。一人にして」
「ち、ちが…」
首を横に振って否定する皇さんに俺はその頭を胸に押し当て抱き締める。
今はこれくらいしか出来ない。
だけど知って欲しかった。
頼りにはならないかも知れない。けど俺は寄り添い支えていると。
「もっと皇さんの事を考えて上げれば良かったな。俺よりも賢いし、やる事も凄いから盲目になってた」
「だから違うと…」
「いや違わない」
断言してやる。それだけはっきり言わないと伝わらない。
「頼り過ぎて悪かった。負担を掛け過ぎて悪かった。辛いのに止めさせられなくて悪かった」
「止めてくれ…、謝罪は要らない。これは私が、私が……」
また勝手に背負おうとする。
「皇さんは悪くない。俺は、俺たちは皇さんをよく見てなかった。こんなになるまで放っておいた俺たちの責任だ」
だから今度はこっちが勝手に背負う。
もう頑張らなくて良い。やりたい事だけすれば良い。それこそ子供のように。
「皇さんはもっと自由にしていい。そうやって生きられなかったんだからな」
皇さん自身が両親の生死も知らないと言っていた。
そして同時に両親は皇さんの科学を持っていたと言っていた。
それは皇さんの科学の虜になったに等しい。
皇さん自身が生死も気にしない関係ともなればそこに愛は無かっただろう。
愛されず便利な道具を生み出す娘として生きたとなれば、そこに自由はあったのか?
恐らくは無い。
ただ必要な物を生み出す装置としてそこに生を受け、誰からも科学力を求められる日々に己の意志は無い。
安らぎの一切もなく、理解もされない生き方に自由なんてある筈もない。
「もう辛い思いをしなくてもいい。もっと俺たちを頼ってくれ。そんなに俺たちは頼りないか?」
十七年。
それだけの歳月を積み重ねたにしてはあまりに幼い彼女は、何時からか停滞していたのだ。
心を育てる時もなく、ただ無為に科学者としての生き方を許容させられていた。
だから彼女は自身が人であるのも忘れてしまったのだろう。
「ああ…、ぁぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーッ!!!」
だけどそれも今日で終わる。
皇さんは胸の中で泣き叫ぶ。
俺にはまるで産声のように聴こえ、その頭を静かに撫で続けるのであった。
いつまでそうしていただろうか。
気が付けば皇さんは泣き疲れて寝てしまった。
「あー、遅かったか」
「武内さんか」
皇さんを横抱きにしていると武内さんが姿を現した。
「あっちは問題ないのか?」
「うん、楊ちゃんとおじいちゃんにお願いして来たから」
「それ誰だ?」
「昔からの知り合いだよ」
「何故に?」
ここ異世界だよな?何処から知り合いを持って来たんだ?
「そんな事より凄い事になってるよ」
「まあな。でもいいさ。皇さんに寂しい思いをさせてた罰だと思っておく」
左足には痕が残る見事な切り傷。それに左腕が今になって痛みを訴えて来る。
酷いもんだが罰だと思えば気にもならない。
「でも、うん良かった。皇ちゃんを助けられて」
今では寝息を立てて眠る皇さんに武内さんは胸をなで下ろす。
そして俺の身体を念入りに見てから笑顔で言った。
「大丈夫。陸斗くんの腕はヒビしか入ってないよ」
「それ大丈夫って言わないよな?」
「ボクがやった時はお互い凄かったよ?」
「右腕食った本人だもんな」
「やだなー、ただ噛み千切っただけだよ」
「鮫かよ、おい」
あー、頭がガンガンする。
急降下なんて二度としないぞ。
俺の服を掴んで離さない皇さんには申し訳ないが俺もここで限界だ。
「悪い武内さん。後頼んだ」
「え、陸斗くん?」
せめてもの抵抗として皇さんを起こさないように俺はゆっくりと横になるのだった。