54話目 絶望に沈む科学者
俺は全力で皇さんの後を追った。
ふらふらと迷子になった子供の様に空を泳ぐ皇さんは危なっかしいが、今はそうしてくれるお蔭で追い付ける。
もう少し。もう少しで皇さんを助けられる。
「やっと追い付いたぞ皇さん」
やっとの思いで皇さんと向かい合う。
ポロポロと涙を流して顔を濡らす皇さんは心ここに在らずと言えばいいのか。正面に立ってもまともに焦点を合わせてはくれない。
それでも俺は皇さんに語り掛ける。
「帰ろう。皆が待ってる」
だが、皇さんは何の反応も返さない。
どうしたんだ?
もうここには皇さんを脅かす者はいない。
皇さんに詰め寄って追い詰める者は誰一人も……。
「……るな」
しかしそれでも皇さんは落ち着いてはくれなかった。
「来るなっ!来るな来るな来るなぁっ!!」
普段の冷静さを失った皇さんは癇癪を起こした子供の様に叫び続ける。
「お前らはいつもそうだ!私はお前らの道具じゃない!」
「皇さん?」
「ひっ…」
どうなってるんだ?
俺たちが皇さんを酷使した事はないのに。
訳が分からない叫びを上げる皇さんに手を伸ばせばビクッ、と身体を震わせて距離を取った。
「ああ、天華、陸斗、何処にいる。私はお前たちがいないとダメだ。私は、私は……」
「え?」
俺は目の前にいる。
なのに皇さんはまるで俺の事が見えていなかった。これは何かがおかしい。
皇さんは頭を抱えてヒステリックに頭を振る。
「あ、ああ…。あああああああああああーーーーっ!!!」
「皇さん!?」
マズイ。それだけははっきり分かる。
何が皇さんを襲っているのかはさっぱりだが、このまま放置すれば皇さんは戻って来ない。そんな確信で俺の心は埋め尽くされた。
「死ね。全部消えろ!私を求める奴は全員死ね!!」
皇さんが『界の裏側』から刀身の無い日本刀の柄らしきものを取り出した。
あれを俺は見た事が無い。一体何をする気だ?
振り上げた柄から粒子状の粉が溢れ出したと思えばそれは忽ち刀身の形と成し、雲さえ切り裂かんばかりに伸び上がる。
「【型無しの刀】ッ!!」
「なっ!」
振り下ろされた刀は雲を割りながら俺の頭上に落ちる。
――――――ァアアアンッ!!
咄嗟に回避すれば、それは森林を崩して大地を切り裂き、そして津波の様な衝撃が地平線まで走っていった。
「崖が出来ただと…」
冷や汗が一筋落ちる。
威力は申し分ないどころか過剰も過剰。
僅か一振りで人間を真っ二つにするのは余裕、何せその威力は大地を割った。
比喩ではない現実に起こった事象に驚くが、そこは『天災の科学者』。その程度はやれるだろう。
しかし問題なのはその攻撃を俺に向けられた事。そして皆がいるエルフの里にまで向けられた事だ。
そんな事をすれば誰かが死ぬのは目に見えているのに今の皇さんには何も見えていない。
もしかしなくても目の前に俺がいる事さえ視認されていない恐ろしい状況下に俺は緊張を禁じ得なかった。
「【決意の鉄槌】ッ!!」
「がぁっ!?」
なんだよこれ?!
頭の中を揺らす鐘の音が突如として襲い来る。
咄嗟に耳を押さえるも効果は無く、ガーンガーンと頭に直接打ち付けられている様な衝撃に意識が飛びそうになった。
皇さんの手元を見れば先の刀の柄は消えており、その代わりに全てが白銀の裁判で使われる類の小槌が左手に握られていた。
効果はまるで分からないが、あれのせいで俺は異常なまでの罪悪感を覚えるのを実感する。
「まだ死なない?私は早く陸斗たちを探さないといけないのに…」
「俺は、ここにいるだろうがっ!」
膨れ上がる罪悪感を跳ね除けて叫ぶ。
生気を失い、正気を失った皇さんは止めなければ疲れて倒れるまで世界を壊すのを止めない。
武内さんが危惧した通り、これはとてもヤバかった。
このままだと皇さんは正気に戻った時に後悔する。
だから俺は目の前にいると必死に叫んだ。
「何処だ天華、何処だ陸人……」
なのにまるで聞く耳を持たない。
どうしてなんだ。皇さんは何を怯えているんだ。
恐怖の対象となったエルフたちはいないのに、まるで虚構の迷宮に一人でさ迷っている。そんな印象だった。
過去を顧みない生き様をする皇さんだが、本当は嫌な過去を振り返りたくないから顧みようとしないんじゃないか?
俺のそんな有り得ないと思われる予想は的中する。
「もうやだ。作りたくない。あいつらになんか私はもう……」
幼児化し始めてしまう皇さんに俺はどうすれば良いのか分からなかった。
武内さんは俺と自分なら止められると言った。
しかしこっちが姿を現しても皇さんは俺を見ようとしないのに止められるも何もあったものじゃない。
聞き分けの無い科学者にどうすれば通じるか。
「あっ」
そう考えて俺はある一つの可能性にたどり着く。
「証明しろって言うのか。俺が加賀陸斗だって事を」
それもこんな状況下で、だ。
話を聞いて貰えるのであれば目の前で料理を作って食べさせれば良い。何せ俺と同じ物を作れる者はいないんだから。
だが、そんな事を目の前でしようものなら、その隙に逃げられる。最悪は俺自身がさっき出来た崖の様に真っ二つにされてしまう。
「どうしろって言うんだよ」
ギリッ、と奥歯を噛み締めるが良い案など浮かぶ筈もない。
その間にも皇さんは俺を敵と定めて、右手を空に掲げる。
「これで終わりだ」
あれは【有現の右腕】っ!
黒い光りを放つあれを俺は避けられるのか?!
【両足の領域】があったとしても、基本的に戦闘においては普通の人間と変わらない。
多少料理に関係する事があれば突如として『天災』としての才を発揮するがあれは無理だ!
「死ね」
「くっ!」
上空へと放たれた黒い光は幾重にも散らばり屈折すると、俺の肉を抉ろうと迫る。
俺にはこの黒い光に対して避けるしかなかった。
何故ならこれはとても食材にはなり得ない。
言い換えれば料理をするのに火は使っても、火そのものを食材にはしない。
だからこれを調理するのは無理だった。
「ぁああっ!!」
力場を最大にして全力で避けるも黒い光は真っ直ぐ飛んで来ると思えば直角に曲がったり、緩急のついた意思の有る行動に翻弄させられる。
それでも直撃は免れた。
所々掠りはしたものの、薄っすらと血がにじむ程度で骨に異常はなかった。
「いい加減にしろ!またイングランドの旗立てるぞ!」
お子様ランチのクオリティを上げてキャラ弁みたいな見た目重視のものでも作ってやろうか。
「それは遠慮すると言っている………。あれ?私はいつそんな、なぜだ……」
片手で頭を押さえ始める皇さんに俺は少なくとも声を掛ける価値があると確信した。
もっと皇さんの心を揺さぶり戻って来させる事が出来ればいける。
「プリンにクッキー!ホットケーキも用意してんだぞ!冷める前に戻って来い!!」
ホットケーキに関しては生地のみだが用意はある。
嘘ではあるが形振りなんて構ってられなかった。
皇さんはお菓子の名前を言う度に身もだえしているのでそこに確かな手ごたえを感じた。
「ぐぅ、なんだこれは。あたまが痛い。おまえは………危険だ」
目を血走らせながら睨む皇さんはまた新たな発明品を取り出した。
今度は一体何をする気だ?
取り出したのは一本の先端に幾つも輪っかの重なった皇さんの身長程ある錫杖。
その錫杖を持つとその場で一回転させてシャン、っと澄んだ音を鳴らす。
「【静寂の錫杖】」
「 っ!」
今度は何をっ!
そう叫ぼうとして声が全く響かない事に気付く。
あの錫杖は音の伝達を妨害させるのか!?
こんな事をされては折角声に反応してくれて突破口が見つかったと思ったのに台無しにされてしまった。
「 」
向こうの声も聞こえない完全な静寂。
それこそ風の音も、遠くから聞こえていた喧騒も、逃げる動物たちの騒めきも一切が遮断された。
まるで世界の時が止まったかの様な静けさに俺は恐怖した。音がないのがこんなにも怖いのかと。
しかし恐怖は続く。
「 っ!?」
今度は完全な闇。自分の手のひらも視認できない暗闇に叩き落された。
一体何をしたのかも理解するのも叶わない闇はまるで夜そのものを強制的に呼び出したかの様な不思議な気分であった。
「っ!」
強烈な衝撃を背後から感じて俺は吹き飛ばされる。
そして俺は初めて自分が何に捕らわれていたのかを理解する。
それは完全な球体の闇そのもの。影と言う影を合わせて作った様な純黒は炭よりも黒く、光をまるで通さない球体はこの世で一番黒いとさえ感じさせた。
「 ーーーーーーーっ!!!」
落下する俺はそこで【静寂の錫杖】の効果範囲から脱出した。
ただしこの距離では大声を張り上げた所で皇さんには届かない。
俺は一体どうすれば良いんだ。
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ギャグをお望みの方には申し訳ないのですが、後2、3話くらいはギャグ控えめになってしまいますので何卒ご勘弁を(/≧◇≦\)