28話目 強くなるには
翌朝。
俺は枕を涙で濡らしていた。
事の顛末は毒殺未遂の件について皇さんの示した二つの選択肢以外の可能性が薄いと判断した事で、時間的に区切りも良く王女との会談を終え、全員が食事を終わった辺りまで遡る。
『氣』によって身体を動かせない俺は食事も尽くしたがりの二人の手によってフォアグラを作られるガチョウの様に夕飯を食べた。
ここまではまだ良かった。食べている最中に身体を密着させて来たり、味が分からなくなる程顔を近づけて来たりとあったが、まだ良かった。
問題はここからだ。
『さて、今日も遅い。天華も陸斗も暴れたからか砂埃が酷い。風呂にでも入ったらどうだ?』
お 前 は 悪 魔 か。
ニヤリと笑う皇さんの提案は尽くしたがりたちの心が一つになった。
『主の背中を流す絶好の機会。さあ行きましょう』
『師匠の背中を流すのは弟子の役目と決まっています。私にお任せ下さい』
二人によって両脇を押さえられて立ち上がらせられる俺の気分はまたもやグレイ。MIBに運ばれる俺に人権など無いのだ。
『どっちもやらなくて良いからな?動ける時になったら適当に入るからな?』
俺は必死に説得した。
しかし聞く耳など持ってはくれない。
『そのままでは主が不快でしょう。綺麗にしてから寝られた方が良いに決まっています』
『いや大丈夫だから』
『そうです。師匠はやせ我慢をしなくても良いのですよ?全身隈なく綺麗に致しますので』
『それはホント止めてくれないか!?』
洗われました全身隈なく。尊厳と羞恥心まで洗い落とされたさ。
俺の前で堂々と脱ぐ二人に俺は目を瞑る事くらいしか抵抗出来なかったよ。
そして今に至る。
早めの就寝もあり目覚めは良好。ただし、心の傷が悲壮感を促してベットから起きる気力が湧いて来ない。
「あああ…」
漏れる声に覇気がない。
「本格メイドエルフと献身武士風ドラゴン娘のご奉仕だよ?普通男の子なら嬉しいんじゃないのー?」
「それは状況に問題が…、って元凶が何の用だ?」
朝早くから俺の部屋に入って来ていた武内さんに首だけ動かす。
「あー、それ酷くない?ボクはもう大丈夫かなーって様子を見に来て上げたのに」
「それは悪かった。身体なら、よっと」
俺はベットから起き上がると腕を回す。
「この通り問題なく動くよ」
昨日のあれは間違いなくガス欠と筋肉疲労だった。
想定外の酷使に身体が耐えかねたのと、『氣』の異常放出は身体の機能を停止させる酷いものだったが一晩寝てすっかり回復した。
今では『氣』も何となく捉えられているし、使おうと思えばまた使える気がする。二度とやりたくないがな。
「そっかそっかー。なら問題ないよね?」
「ナニガデスカ?」
「急に片言になってー。分かってるくせにー」
嫌だ。分かりたくない。
「今日からやろっか。あ・さ・れ・ん。部活みたいでいいよねー」
「いやだぁあああああああーーーーーーーーーっ!!!」
心から叫んでダッシュ。
しかし回り込まれた。
回り込んだ武内さんは俺の両手を握り締める。
「ボクを甲子園に連れてって♪」
「それ絶対球技じゃなくて格闘技の方の甲子園だろうが!また動けなくなるわ!」
二度とご奉仕などされてたまるか。
「大丈夫だって。最初は土台作りからだから。ちゃんと動ける余力は残すから」
「………本当か?」
「本当だって。無茶しても強くなれないよね」
なら信じるか。俺もこのままおんぶにだっこの状態は良くないと思っていたしな。
「無茶しないって言ったよな!!?」
「言ったよー。ほら無茶じゃない」
俺たちは広い場所として訓練場に来ていた。
「ほら次は右からだよー」
「おおっ!」
俺は浅はかにも武内さんの言に信じて着いて来れば、予め用意していただろう刃の潰れた剣を持たされた。
そして武内さんのゆっくり振る剣に対応して防いでいたが次第に速くなり、今はもう『氣』を使わないとマズイんじゃないかの一歩手前までギアを上げられていた。
たちが悪いのは武内さんが俺の限界ギリギリを知って加減しているのだ。倒れたくても倒れられない。
「はい、左ー」
「くそっ!」
ギンッ、と弾く剣の音が耳を掠める。
剣から伝わる振動が腕に来て、一瞬取り落としそうになったもののしっかり握って構える。
「うんうん。ちゃんと防げてるねー」
「いや、うんうんじゃなくて最初から剣の打ち合いとか可笑しいだろ」
「変かな?ほら、実戦に勝るものは無いって言うし?」
「それは基礎がちゃんと身に付いてる奴が言う事だ!俺は土台から軟弱だからな!」
「主の身体は軟弱ではありません。しっかり確認して触れましたから」
「ありがとうノドカ。でも風呂の時を思い出すから言わないでくれ」
自分で言ってて虚しい。
まともに身体を動かしていない奴よりは肉体労働に従事していた手前、筋肉は多少ある方だが武内さんの求めるレベルになるには剣で打ち合うには早い気がした。
「君は傍から見ている分には十分軸が作れているよ」
「あ、ルミナスさん。おはようございます」
俺たちが剣で打ち合っていると訓練場にルミナスさんが顔を出した。
「おはよう。三人はいつもこうしているのか?」
「ううん。いつもはノドカちゃんと二人でやってるよー」
「主が昨日素晴らしい動きを見せたそうで。私も一度見てみたいのですが」
「やらないからな」
ノドカは皇さんの方にいたから見れてないんだったな。
でもあれをやれば俺は動けなくなる。だからそんな期待する目をしないでくれ。
「えー、やろうよー。あ、ルミナスちゃんもやる?『氣』は使えるに越した事はないし」
「簡単に言われるが『氣』の修得など難しいのではないか?」
ルミナスさんの心配も武内さんには問題にならないのか。
満面の笑みを浮かべたまま俺の肩に手を置いた。
「先生、出番ですよー」
「俺かい」
昨日の様にやれと言いたいらしい。
「ってか、俺に出来るなら武内さんでも出来るだろ?」
「うーん、ボクだとごり押し感が強くなって感覚を教える前にパンクしちゃう的な?」
「武内様は性格が大雑把なので教えを理解するのが難しく。つまり肉体言語以外の方法を知らないのです」
「あー、ひどーい。肉体言語は優れた語学だよ」
「伝わる人にしか伝わらないと言うのが分かった」
『氣』を覚えようにも武内さんを見て覚えるしか無く、本人もこんな感じ、としか説明出来ないので相手に伝わらないのか。
しかしそれで俺に任せるのはどうなんだろうか。
俺も感覚的にしか『氣』を認識していないから微妙だろ。何せカツオのたたきとしか思っていない。
「陸斗くんなら大丈夫だよ。ほら、今回は素材を生かして味付けはしない方向で」
「あれを私にやるのか」
引き気味のルミナスさんに俺は戸惑う。
「やっぱり止めないか?」
「いや、構わない。存分にやってくれ」
「流石女騎士は潔いね。早速やってみよー」
楽しそうにする武内さん。ただ単に犠牲者を増やしたいだけな気もするがどうなんだ?
「主、私はその次にお願いします」
「ノドカもか」
「ノドカちゃんは出来るから要らないんじゃない?」
「いえ、『氣』の強化と言うものを体感しておきたいのです。感覚さえ掴めればいつでも出来るようになりますから」
「それもそうだね。じゃあやってみよっかー」
「軽いな、おい」
良いのか、それで?
しかし武内さんは何ら問題ないと言う。ならやるしかないか。
俺はまずルミナスさんの前に立って昨日と同じ状況を再現する。
ルミナスさんは食材、ルミナスさんは食材。
今俺はキッチンに立っているイメージを強く持つ。
武内さんに言われた通り下ごしらえだけして終わるか。
「な、なんだこの威圧感は…」
「驚くよねー。これ体感してる時はまな板の上に乗った気分になるもん」
目の前にあるレモンは薄くスライスして蜂蜜に漬けて置こう。デザートや紅茶を彩るアクセントになる。
「ぐぅっ、やめ、これは…」
「うはー、人の見てるとエロいねー。あれ?ボクもこうだったのかな?」
「それはレンたちに聞いて見ないと分かりませんが」
薄くスライスしたレモンの種を丁寧に取り除く。
料理にすぐ使える様に種は面倒がらず取る方が良い。
「ひゃぁ、そんなところを、だめっ…」
「いいね!」
「これを私もやって頂けるのですか」
種を完全に取り除いたレモンを蜂蜜がしっかり浸る様に入れる。
これで完成だな。
「……………」
「だから何で倒れてるんだ?」
「陸斗くん、世界を狙えるよ」
「どんな世界!?」
取り合えずちゃんと青白いオーラがルミナスさんから出ていた。
まあやる事はやったし良いよな?
「気分はどう?」
倒れているルミナスさんに武内さんは意気揚々と聞いている。
今からでも戦いたいと言わんばかりの高揚とした表情。
「め、目覚めてしまいそうだ」
「それ『氣』の事を言ってるんだよな?」
立ち上がるルミナスさんは武内さんと向き合った。
「手合わせを求めても?」
「もちろんだよ!大歓迎、ドンと来い!」
「ふっ、今ならどんな不条理な攻撃も受けられそうだ」
「いいね、その意気だよ!ボクに死技の一つでも使わせて見せてよね!」
あ、消えた。
相変わらず本気を出すと見えなくなるな。
空から喧々(けんけん)たる轟音が響き彼女たちの居場所を教えてくれるが、肝心の空を見渡しても何処にいるかさっぱり分からなかった。
よし、これで朝練は終わりだな。
「ノドカにやるのは今度な」
「あ、主。生殺しですか?」
「単に指導者もなくやるのはどうかと思ったんだよ。竜人種だし俺の時と違う結果になるかもしれないからな」
「うう、なら仕方がありませんね」
ノドカがスカーフのズレを直しながら反抗的な感情を顕にする。
チラリと首の周りを一周して付けられた奴隷証が見えてノドカが奴隷であったのを再確認する。
俺は奴隷として求めていないから自由に感情を出してくれるのは嬉しく思う。
しかしだからって俺の意志に反し続けるのもどうなんだろうか。
命令をすればノドカは奴隷証の効果で言う事を聞く。けどもそれを一度でもすればノドカは俺に反感しなくなるだろう。
それは果たして人としてどうなのか。
でも無理矢理一緒に風呂に入ろうとしたりするのは止めても良かったのか。
「主、でしたら朝食の準備をしませんか?お手伝いをさせて頂きます」
「そうだな」
うーん、と色々と主人として在り方に悩む俺に声を掛けて来たノドカに俺は考えるのを止めた。
自由がいいと決めたんだ。だったら最悪の出来事でも起きない限りこれは使わない。それでいいか。
俺とノドカは武内さんたちを置いて部屋へと戻るのだった。