閑話 王女
私は少しばかり後悔しております。
ぶちっ、ぶちぶちぶちっ、と肉と皮を裂く音を立てる元シェフの残骸を前に絶句せざる得ません。
「この部位に含まれる紫外線残留量がこの数値ならば、腎臓の老廃物に含まれていたあれはあの地域のものか」
顔色一つ変えずに自分より年下に見える悪魔は淡々と切除と解析を行っております。
並行してシェフの脳に差し込んである金属の棒が光を放ったりする光景は一種のアートの様でもありますが私にシュールリアリズムを感じる感性はありません。
ただただ残酷。これに尽きるのですが目の前にいる科学者が真面目な顔で処理を続ける以上は私もそれを見守る義務があります。
何故なら私がそうする様に頼んだのですから。ここで逃げ出す事は王としての責務から逃げるのと道理。
だと言うのに少女は私に甘い言葉を投げ掛けます。
「別に出て行っても構わんのだぞ?いた所で出来る事など無いのだからな」
「いえ、私はここにいます」
誰が逃げ出すか。
私は何時だって全てを背負い続けると決めているのですから。
「ふん、物好きな奴め」
これはこの少女なりの優しさでしょうか。
確かに私は見ている必要はありません。寧ろ集中して行うには酷く邪魔をしてしまっているでしょう。
しかしこれは私にとって必要な事。
勝手に国の大事に巻き込み、勝手に国に属さない者に依頼をした私の責任。
今ここで逃げ出せば私は私で要られなくなる。
だから逃げる訳には参りません。
「王女、一つ聞かせろ」
「なんでしょうか?」
あちらから声を掛けて来るとは思いませんでしたが少女は私に対して質問をしました。
「アビガラス王国とモルド帝国の関係。これは一体なんだ?お前は王になる予定では無かったのだろう?色々聞かせてみせろ」
「一国の王に対して随分な物言いですね。正直その態度の方が気は楽なのですが」
媚びへつらう者は信用が出来ない。取り入る気の欠片のない少女の態度は逆に安堵を与えてくれる。
私は少女に国の内情と状況をお教えします。
「アビガラス王国とモルド帝国の関係を一言で表すなら食い散らかす者と守る者と申せば良いのでしょうか」
「………モルド帝国の周辺諸国は弱小国ばかりでモルド帝国が無くなれば他の国も総崩れになると」
「端的に言えばそうなります」
我がモルド帝国とアビガラス王国は長い間敵対を続けました。
それは先にも言った通り、アビガラス王国の目的が世界の征服。
全ての種族を、全ての民をこの手に掌握する目的があり、それはアビガラス王国の街並みを見ても奴隷が多く存在する負の国となっています。
もし、そんな国に世界を取られれば、間違いなく不幸になる者で溢れてしまう。
それだけは阻止しなければなりません。
「モルド帝国は他国からも支援を受けてアビガラス王国に対抗し、何とか戦線を維持しています。しかしそれも薄氷の上の話。いつこの拮抗が破られるか分かりませんが、そうする為の一手をアビガラス王国に打たれていた様ですが」
そんな状況下に止めの如く用意された異世界からの流れ者たち。
アビガラス王国が本気で私たちの国を潰そうとしているのだと強く実感します。
まだ召喚されたばかりでステータスの値が低いと情報を得られたのは僥倖と呼べるのですが、目の前の埒外を見ればその安心さえ吹き飛んでしまいます。
今まで培った常識を壊す彼女たちの存在は私の警戒心を高めるもの。もしこの様な存在が多くいるとなれば敗北は必死。
苦虫を嚙み潰したように私の顔は歪んで行きます。
「ふむ、君は少し誤解している様だな」
「誤解、ですか?」
一体何を誤解しているのか。
私は冷静な戦力分析をした上で国の行く末がどうなるか結論を出したと言うのに。
少女はカタ、と死体を切り刻んでいた刃物を置いて私に向き直ります。
「まず、アビガラス王国は私たちの召喚でかなり疲弊している。しばらくはパフォーマンスで攻めるふり程度はするだろうが本格的に攻めれはせんよ」
「しかし近くない未来で攻められるのは変わらない筈では?」
だからと言って仮にこちらから攻めたとしても防ぎ切られてしまう。
そもそもこちらもまだ国を立て直したばかり。崩れかけたこの国ではアビガラス王国を倒し切るだけの力はないのです。
「私たちが手ぶらでアビガラス王国を出たと思っているのかね?ちゃんと慰謝料を頂いた。金貨何千枚かは忘れたがね」
「それは信じてもよろしくて?」
「もちろんだ。現物を見るかね?」
「いえ、貴女がそう言うのであればそうなのでしょう」
嘘は言わない。特に無駄と思える嘘はけして言わないタイプだと理解している。こうした手合いは私の国にもいるのでよく分かる。
「つまりアビガラス王国の国庫も大きなダメージを負っているからしばらくは安泰と思って良いのですね」
「そうだ。それにもう一つ。君が最も懸念している事だが、召喚された私たち三人以外の者は凡人も凡人。塵芥以下の存在に過ぎんよ」
「ですが凡人と言えど優劣は多少の差に過ぎないのではないのですか?」
私の言葉に今度は少女が顔を歪めます。
「…………多少だと?はっ、冗談も大概にしたまえ。もしこの優劣が多少であれば私はこんなにも歪んではいないよ」
ゆらり、と私に近付く少女は血に濡れているだけに目を見開いた姿が恐ろしく映りました。
「奴らに私たちと同じ真似が出来るのなら仲間として迎え入れよう。しかしあの愚かな凡人どもはステータスの数値一つに一喜一憂する有象無象だ。不愉快で不可解。他所から貰った力で満足する烏合の衆程度が百も集まった所で私たち一人にも敵いはしまい。まあ召喚されたのは数十人だったがね」
少女の瞳に私の顔が映り込む程接近され、私の頬に血に濡れた手を添えられます。
「そう言う訳だ王女よ。もしお前の国があの程度の輩どもにやられる国だと言うのなら、―――今ここで私が滅ぼしてやるが?」
「………」
………本気だ。
嘘偽りなくこの目の前の少女は国を蹂躙する。大国であるのもお構いないしに潰すでしょう。
その後の事など知った事かと少女は静かに怒り狂っている。
私は言葉の選択を間違えた。次に紡ぐ一言が引き金にも歯止めにも変わる。
ゴクリ、と喉を鳴らして私がしたのは、微笑む事だった。
「なら問題ありませんね。何せ私には貴女方が居られますもの」
「………ほう」
少女の瞳に喜色が混じります。
「つまり私たちを犬として使うと?既に借りのある私たちを更に酷使すると?君は破産するのが怖くないのかね?」
「怖いですよ。でも惨めに死ぬよりはマシね。借金まみれになって貴女方に身を売った方が国の為ですし」
「はっ、言ったな王女。一時だけの付き合いのつもりだったが少しだけ気が変わったぞ」
「本当にそうでしたら私には朗報ですね」
乗り切った。綱渡りではあったが竜の逆鱗を踏み抜くに至らず済んだ。代わりに重い言質を取られたが少女たちとの縁が強くなったと思えば良い。
「なら、もう一つ教えてもらおうか。この国は何故こうも疲弊している?それが君が王になった理由と関係あるのかね?」
「それに関しては少し調べれば分かる事なのですが、モルド帝国の先代の王と王妃、はっきり申せば私のお父様とお母様なのですがアビガラス王国の手の者に暗殺されてしまいました」
「ふむ、なるほどな」
聡明な少女ならこの先を言わなくても分かるでしょう。
アビガラス王国は講和を謳い近付き、お父様とお母様を惨殺しました。
それにより内部は崩壊。講和を謳い近付いた者も影武者の為、処刑にしたもののその価値は無く、アビガラス王国の一人勝ち。
これを機に攻めに転じたアビガラス王国の猛攻になす術もなく小国が一つ、また一つと飲み込まれて行きました。
何せ小国との条約を結んだのがお父様であり、重要な決定権も常にお父様にありました。次に決定権があったのはお母様。その下となると大臣になるのですが、大臣は慎重が過ぎるのでどうしてもアビガラス王国の後手に回ってしまい、手を拱く始末。
そこで立ち上がったのが私。そう私なのです。
弟の方が本来は継承順位が高いのですが赤ん坊だった弟ではこの現状の打破は不可能。強引に王位を拝命し、改めて国の主軸となった私は奔走。
もちろん反感もありましたが、国の一大事に継承順位の問題で国を危機に晒していては本末転倒だと必死に呼び掛け、気が付けば『人形王』などと呼ばれる賢王として名を馳せる様になっていたのです。
そこからはアビガラス王国と常に一進一退の繰り返し。
今の睨み合いが出来上がった訳です。
だから今回の毒殺未遂もアビガラス王国の手の者だと認識していました。
「ちなみに何か分かりましたか?」
「ん?今は精々この男がアビガラス王国の出身でない事くらいだ」
しかし事態は私の想定を超えて厄介な状況のようです。
お父様、お母様、私はどうすれば良いのでしょうか。