EXと言う名のボツエピソード~媚薬3~
「……?変な目してる」
「気にするな。天華と陸斗はしばらく戻って来ない」
訝しむレンを無視して席に着く。
今日のオヤツは実に豪華だ。ふんだんに盛られたホイップクリームにイチゴを基本にしたフルーツはもはやパンケーキの枠組みからはみ出ていると言って良い。これはパンケーキと言う名の暴力だ。
「皇様?」
フォークで生地を押せばほど良い弾力を感じさせ口に入れればどれだけの至福を味わえるか。
「師匠たちがまだ戻って来ていませんが」
三段重ねられたパンケーキをナイフで切り分ける。
切っているだけなのにこの幸福感は何もかもを忘れさせてくれる。そんな品が二つも余るのだ。皆で分け合おうと皇は無言の笑みを浮かべる。
「……現実逃避?」
「もしや師匠の身に何か…」
「まさかあの媚薬を?」
三人の憶測が飛び交う。
皇は認めたくないが己の過ちを口にする。
「…………………天華が媚薬を溢し、陸斗の頭に掛かった。お前たちも被害に遭いたくなければ私の部屋には近付かない事だ」
現実など知った事かと皇はパンケーキを口にし続けた。でなければやってられないのだ。
元はバカがあんな危険な物を手の中で弄っているのが悪い。入れ物に関しては面倒だからとそこら辺にあった瓶とコルクで蓋をしていた。誰の目にもあんな事をすれば蓋が緩んでしまうと分かる。だから自分は悪くないと心の中で言い訳をし続けた。
「つまり今行けば主に!?」
ノドカは陸斗に美味しく頂いて貰える絶好のチャンスだと気付く。
「「――っ!」」
ガタッ、と立ち上がる三人だが、皇は極めて冷静に諭した。
「一滴で十分なものを頭から多量に被ったのだ。お前たちがどれだけ止めてと騒いでも陸斗は腰を振るぞ?それでも構わんのなら行って来い。私はそんな獣のまぐわいは御免だがね」
スッ、と三人は椅子に座り直る。
媚薬はあくまでもその気にさせる為だけのもの。
人としての行為でないのならどれだけ慕っていても色々思わさせるものがあった。
一応相手をしているのは『武の天災』だ。体力に絶対的自信のある天華であれば媚薬の効果が薄れるまで耐えきれる。
皇は自身の体力のなさを認識しているので今回の事故の対処は正に適材適所。
事故を起こした現場が皇の部屋であり、解毒薬を作りたくても材料等が部屋にあるので作れない。ならば終わるのを待った方が断然良いのだ。
「もう一つオマケで言えばあれだけの媚薬が頭にぶち撒かれたのだ。当然キスなどすればそれだけで媚薬の虜になるぞ。恐らく今頃天華も……」
遠い目をしながら己の部屋の方を見る皇の脳裏には獣と化した二人の姿が頭に過る。
「「「……」」」
果たしてそれは羨ましいと言えるのか。少なくともそこに愛はない。ただただ肉欲を貪り合う姿は男女関係として正しくはない。
交配は自然的と言えば自然的だが人は理性を持つ。ある程度の配慮や慎みを持ってこそだろう。
つまり肝心の理性や慎みの抜け暴走する陸斗や薬の効果に翻弄されているだろう天華を考えれば現実逃避に美味しいパンケーキを頬張りたくもなる。
それに――、と皇はもし仮に陸斗を一人部屋に放置していた場合をシュミレートする。
薬の効果で本能を爆発的に高められた陸斗。
部屋には自分しかいないが、外に出れば数人の雌がいると分かっている。
ならば強引にでも扉か窓を破るだろう。
理性が飛んでも『天災』は『天災』。多少時間は掛かるだろうが強固に作った部屋を破壊して出て来るのは目に見えている。
その間に媚薬を打ち消す薬を作れれば良いが生憎と材料は部屋の中。
開けて出て来られた日には全員が餌食になるだろう。
抵抗は出来るし取り押さえるのも何とかなるだろうが、本能をバカみたいに高める薬だ。抑圧などしてしまえば陸斗が廃人になる可能性もある。
となると誰かが相手しなければならないのだから結果は変わらない。その相手が全員か天華一人かの違いでしかないのだ。
「数時間もすれば十分だろう。それまでは放置だ」
「そうですか」
それに天華とヤレば陸斗の踏ん切りも着く。
起きた事は想定外でありながら全て予定調和だと己を納得させる皇は自身の皿にパンケーキが載っていないのに気付いた。
「陸斗の分は私が半分貰おうか」
「……じゃあレンも」
食欲には勝てない。
陸斗の皿に皇は手を伸ばす。
――メキョッ、メキョメキョメキョ……
その時、何かがへし曲げられる音がした。
「「「………」」」
この音が何処から発せされたのか。
そもそもこんな破壊音が鳴り響くとなれば住民の人数からしてリビングにいない残り二人のいる部屋からか。
「馬鹿な。あんなもんに汚染されてまだ意識があったか……」
自分で作って置きながら、あんなもんとはこれいかに。
驚愕の表情を浮かべる皇は一瞬だけ部外者の乱入による物音も検討したが万が一にもそれは無いと一蹴した。
何故ならこの家はただの木造建築に見えるもののセキュリティの強度は並ではない。
窓ガラスを割ろうものなら照射されるレーザーが対象を分解する。
ついでに窓ガラスの強度は王都の城壁を楽に上回る強度。一発で破壊して侵入しなければレーザーの餌食となる以上は侵入者の可能性は皆無。
となれば当然この破壊音は媚薬塗れとなった二人のどちらかが起こした音。
必然、それは自分たちにも被害を被る可能性を示唆していた。
「はっ!?い、いかん!直ぐに隔壁を――」
ぎぃ……
「「「――っ!?」」」
それはリビングの扉から発せされた。
僅かに開けられた扉の奥。誰もが見てはいけないと分かっていながら凝視してしまう。
奥から現れたのは天華のものと思われる指が静かに扉を掴む。
その指先は艶に濡れ、掴んだ扉をじっとりと濡らす。
どうしてそんなに濡れているのか。その答えなど漂って来る淫臭が全てを物語っていた。
だから分かる。分かってしまう。
あの扉を掴む天華は怒っていると。
躊躇なく生贄にされ、獣としての交わりを強要された事に怒り狂っていると。
「ネェ、皇チャン…」
だが、その声は平坦なもの。しかしながら怒っていると想定していただけに平坦なのが逆に恐ろしかった。
「な、なんだ?」
皇は天華の呼び掛けに応じるフリをしながら扉の強制ロックを試みる。
(くっ、やはりダメか…)
天華の力を込めていないように見える指がしっかりと扉を押さえて離さなかった。
象の牽引よりも強い力で扉の閉鎖を試みているにも関わらず扉はピクリとも動かない。
「皇チャン…。ボク、扉ヲ開ケテッテ言ッタヨネ?」
「ああ、言ったな…」
皇はゆっくりとその場を後ずさりしながら周囲の様子を確認する。
近くにいるのは天華の圧に怯える三人。すぐさま生贄に使えそうなのはこの辺り、と自分だけが助かるために思考が彼女たちを切り捨てに掛かる。
肝心の脱出経路であるがリビングの扉は天華が掌握してしまっており、窓からの脱出も自分で作った強度だけに直ぐには壊せない。
しかしながら皇は心の中でニヤリと笑う。
(この私がもしもを考えていないと思っているのか?後少し下がれば地下へと通じる抜け道が柱に隠されているのだよ)
その地下から地上に出て、それこそ数時間放置すれば皇の勝ちは揺るがない。追いかけられない様に今度は多重ロックを掛けてしまえば今度こそ問題はなかった。
「デモ、ドウシテ開ケテクレナカッタノカナ?カナ?」
こんな時でもネタを入れて来るのは天華クオリティか。それとも本気で言っているのかは皆目見当が着かない。
「そんなもの開ければ私たちにまで被害が出るからに決まっているだろう?しかし天華媚薬の効果はどうした?まだ切れるには早い筈だが?」
もう柱は目の前。ここぞとばかりに開き直るのは勝利を確信してだった。
それでも科学者としての業が天華の肉体の異常に問い掛けをしてしまう。
「ソンナノ脳ヲ操レバ良イダケナンダカラ簡単ダヨ。今モ結構苦労シテルケドネ」
「そうか。ではもうしばらく苦労していて貰おうか」
ガチャンと柱の側面を開けると内部に速やかに滑り込む皇はそのまま地下へと落ちて行った。
「………反省ノ色無シダネ。ソッチデ反省シテルト良イヨ」
皇には天華が最後に何を言ったか聞き取れていなかった。
・・・
「ふぅ、まったく焦らせてくれる」
あらゆる隔壁を降ろした皇は自身の安全を確保した事に、ホッとして胸を撫で下ろす。
今頃上ではまた地獄絵図が始まっているのだろうと顔をしかめながら暗い地下室を歩く。
ここは誰にも教えていない秘密の場所。そもそもが使用予定の無いノリで作ったシェルターだ。
皇自身まさかこんな形で使う羽目になるとは思っておらず、ここには機材も材料もないので何も出来ないがここから地上に抜ける分には特に問題は無かった。
「さて、スイッチはこの辺りだったか」
所詮はノリで作った部屋。明かりとなるライトも自動では入るように作っていない。
手探りで壁に触れると凹凸のあるプラスチック製品を探す。
カチり――
「っ!?」
皇は驚愕した。
何故なら今、皇はスイッチに触れていない。まだ押していない。ならスイッチは誰が押したのか。
皇は明るくなった室内をゆっくりと振り向いた。
「ば、バカな……」
スイッチがある壁にもたれていた全裸の陸斗がそこにいた。
有り得ない。そう断じたかった。しかし目の前の光景が全てを否定する。
「はっ――」
皇は焦りのあまりいくつか見落としをしていたのに気付いてしまう。
何故天華はあっさりと逃がしたのか。たとえ媚薬で理性が飛んでいても脳をコントロールしている天華なら余裕で皇を捕らえられただろう。
何故天華は手だけしか姿を見せなかったのか。姿を見せるのも躊躇われる状態だと思い込んでいたが実は陸斗が背中に付いていなかったのを見られたくないようにしていただけじゃないのか。
そうでなければ説明出来ない状況証拠が揃っている。
何せ媚薬は理性を飛ばしてひたすら腰を振る獣に変えてしまう。にも関わらず、天華の背後からは物音一つしていなかった。
それはつまりあの段階では既に陸斗がいなかったと推察出来る。
そして皇自身あらゆる所に地下への脱出口を設けていたのが仇となった。
脱出口などリビングに仕掛けているなら当然自身の部屋にも仕掛けてある。
天華であれば音の反響からそこに何かあると認識するのは容易いだろう。
これが何かと言っていなくとも何処まで通じてどうなっているかなど『武の天災』にとって察する事は朝飯前だ。
そうなれば理性の飛び掛けた頭で必死に考え、皇を嵌めようとするなら陸斗を地下に落としてからそこに行くように思考を誘導してしまえば良いと踏んだ。
実際に地下に行くかは賭けであったが天華はその賭けに勝った。味方を犠牲にするその姿勢から一人だけ地下に行く可能性が高いと読んだ天華の大勝利なのだ。
「天華め、貴様何処までズルい奴なんだ…」
どの口がそれを言うのか。
ほとぼりが冷めるまでこの地下に潜伏しようとしていた者の言う台詞ではない。
『ジックリ楽シミナヨ。ボクモ後デ行クカラサ』
もう逃げ場はない。観念しなよと音を飛ばす天華に皇は最後の捨て台詞を吐いた。
「貴様絶対に許さ――、ムーーーーーーーーっ!!!!??」
ぬめぬめとした感触が皇の口内を蹂躙し始める。
もうこの時点で媚薬の影響からは逃れられなくなり、こうして彼らは不本意ながら結ばれる。
その後、天華の手により仲間外れは不公平だからと媚薬の餌食になった三人も加わり酒池のない肉林が幕を上げる。
彼女たちが正気を取り戻したのは二日目の夜であったとだけ言っておこう。そしてその一週間、事ある事に枝豆が食卓に並んだのは言うまでもなかった。