第125話目 蛇足だらけの泥仕合
やる必要が無かったのではないか。もしかして自分はとんでもない事をしているのではないかと思わなくもない。
他人から見ればこれは自殺だ。首に刃を当てて引くなど正気の沙汰じゃない。
現に俺の首からは今も尚、勢い良く血が飛び出しており数分も放置すれば出血多量で死ぬだろう。
あー、痛い。やっぱりやらなきゃ良かった。
「お前、何を…」
「黙って見てろ」
目を見開く少女を他所に自身の調理を続けた。
大量の香辛料を首に塗り、激痛を無視して更に包丁で手足を刻む。
人としては間違いなく禁忌の領域。
そもそもこんなバカな真似する奴は他にいないよな。
きっとこんな事したって言ったらあいつら怒るわ。
だけどそうしないと俺は勝てない。
強さの上で圧倒的に負けているなら上乗せして対処する以外に方法がないんだ。
肉体を冷却。次に一瞬の高熱と高気圧の圧縮。
「がはっ…」
血反吐を吐き出し胃に溜まった余分な血を撤去して――完成。
口元を拭って残った血を払い除けた。
「待たせたな」
痛みで意識が飛んでしまいそうだがそれではカッコ悪い。最後までやると決めた事は貫き通す。
「最終調理【自己食精製】」
「格好付けている所悪いが涙が出ているぞ?」
「うるせぇ。男のやせ我慢くらい見逃してくれ」
俺は目元の液体を拭う。
そもそも自分自身を調理するなんて今まで無かったんだ。これだけキツイなら次は絶対にやらない。
ただこれをしただけの価値はあった。
視界は良好。身体も『氣』を巡らせている時よりも軽い。人生で最高のパフォーマンス状態だ。
見た目にはただ血濡れの男が立っているだけにしか見えないだろうが、少女は俺の変化を敏感に感じ取っていた。
「それが本気か?」
「ああ、と言ってもやるのは初めてだけどな」
時間の停滞はそのまま。なのに俺は普通に動いていた。
「初めてやっているのか。いやはや凄い。が、しかし――」
――どうやって時間の檻を躱している?か。
自身のスキルを回避されているのを疑問視するのはもっともだ。
本来であればまだ動きが鈍くなくてはならない。
しかし俺の周囲の時間は停滞していない。だけど雲の動きは鈍く、風もノロノロとし世界の時間はまだ遅く少女のスキルは発動し続けていた。
「タネを明かせば指先だけで常に調理を続けている。スキルがまた発動して時間が停滞する前に調理してしまえば良い」
「ほう…、なんとも面妖な」
面妖なのはどちらか。
これだけ調理しているにも関わらずスキルそのものを変質させて貰えないために常に停滞した時間を調理し続ける羽目になっているのだ。
とにかく物量頼みのごり押しで時間を普通に戻しているに過ぎなかった。
少女の笑みが深くなるも、俺としては精一杯やっているだけだ。
これ以上何を見せてくれると期待した目で見ないで欲しい。
「では行くぞ【焼けたパンプキンは味が悪い】」
「それは単に料理人の腕が悪いだけだろ」
ただのスキル名でも思わずツッコミを入れてしまった。
・・・
あれから一時間は経ったか。
互いに地形を変える攻防を繰り返すも、まともに有効打を入れられずにいた。
「はぁ、はぁ、息が乱れているぞ!!」
ドロドロと熱により溶けた地面を手づかみで少女は投げる。
「はぁ、はぁ、うるせぇ!そっちも息切れしてるだろうが!!」
投げられた地面に包丁を刺し、一瞬で冷やし固めて切り落とす。
二人ともが立っていられず座り込んでの攻防は最早蛇足も蛇足。泥仕合も甚だしい内容で子供が雪合戦でもするような空気間にだんだん戦う必要性を見出せなくなって来た。少女なんて見た目相応に女の子座りで投げて来たので子供の癇癪にしか見えない程だ。
あれから互いに全力を出し続けた。
それこそ短距離走をずっとやり続けるような後先を無視した行動は寧ろよく一時間も持ったと褒めてやりたくなる。
そもそも一時間も戦っていれば否が応でも決着はつく筈。
だけど決着となる筈の決め手を互いに防いでしまっていた。
俺は包丁で全ての攻撃を捌けてしまう。それこそ空気であろうと重力であろうと思うがまま。
少女はスキルで俺の攻撃を封じてしまう。熱調理、冷却、包丁による近接戦さえスキルが邪魔をして調理を潰して来る。
しかも最初から全力なだけにもう『これが俺の最終奥義だ!』とかどこぞの週刊誌みたいなノリにはなれない。そもそもそんな技ないしあったとしても出すだけの体力も残っていない。
それは少女だって同じだ。なにより少女はとっくに最終奥義を使っている。
【黒い山羊に明日は来ない。だって全てを白き獣に食われるのだから】
このスキルに大半の力を注いでいる少女。それでも尚俺をかなり苦しめる力は災害も災害。『天災』以上と呼んで良かった。
そしてこれで終わり。端から少女と対等になった時点でやる必要など何処にも無かった。
「あー、もう止めだ止め!これ以上無理しても仕方ないだろ」
「なんだもう終わりか?我はまだやれるぞ?」
「小鹿みたくプルプルしてる奴の言う台詞じゃないな」
立てないから腕で身体を支えているも、その手さえもプルプルさせる。やせ我慢はすさまじかった。
「これは全身が喜びに満ちているに過ぎん」
「喜び過ぎだろ」
「ああ、現に我は生まれて来てこれ以上嬉しいと思った事は…」
と、ここで予想していなかったイレギュラーが起こる。
「む?」
「げ!」
パリン、と薄いガラスが割れる音と共に少女の纏っていた白い毛皮が脱げた。
着ていた服に戻っていれば良いものの何故か全裸であり、一糸まとわぬ姿を晒してしまう。
「限界か…」
「いや黄昏るなよ。取り敢えずこれでも着てくれ」
着けていたエプロンを仕方なしに放る。
哀愁漂う前に羞恥心を持って欲しいと思うのは俺だけだろうか?
「すまんな」
パサリと羽織り、見事なまでの裸エプロン。
「流石陸斗くんだね。狙ってるねー」
「陸斗のフェチが何であっても構わんがな」
「酷い言い掛かりだな」
一時間も戦ってたのだ。この二人なら来るに決まっているか。
天華も普通に歩けるまでに回復している。
皇の右腕も元に戻っていた。どうやら僅か一時間であらかた修理し終えたようだ。
「主、ご無事ですか」
「…….ご主人様大丈夫?」
「無理をなされましたね」
「いやはや大変でしたな」
皆も来たか。
全員がボロボロ。包帯も至る所に巻いて満身創痍。
それでも目立った大怪我は誰もなく、無事な事にホッとさせられた。
「ふふふ。こんなにも強い者たちで溢れているとは。私は夢を見ているようだ」
何らかのスキルで四人を見通したのか。少女は皆が何をしていたのか知ったらしい。
四人にはあの黒い山羊を食い止めて貰っていた。
その代償が身体中の怪我であったが逆に言えば怪我だけで済んでいるのだから十分に凄いと言える。
数はそれだけで脅威。黒い山羊は単体では白い狼に劣るにしても群れとなって迫られては対処する者としては苦難を強いられる。
何よりもあれは少女のスキルの中で最も強い力だ。そう考えればスキルなんて使わなくてもあの脅威を退けた四人が優れていると分かるだろう。
「今日はなんて良い日だ」
その笑みは時の止まった少女の少女らしい笑みだった。
感情の欠落した能面じみた顔ではない。
全てに絶望し、諦めた焦燥感も何処にもない。
あるのは時を取り戻した満面の笑み。そこには悲壮感の一欠片も見られない純然たる笑みであった。
「そうか。それは良かったな」
ホッと一息吐けば身体はもう限界だと叫び、地面へとこの身を投げ出していた。
もう二度とやらない。『天災』同士が戦っても周りへの被害が増えるだけだ。
空は満天の星で埋め尽くされている。視界の隙間に入る崩落し崖となり、熱でドロドロに溶解し、所々冷気で凍結した生物の住めない土地に変わってしまったのを除けば良い景色だ。
ホントこれは被害が大きくなり過ぎた。
見える景色の全てがそうなっているのだ。ここに人が住めるようになるのは数百年の歳月が必要だろう。
「おい陸斗」
「もう良いよね?」
なんだ?皇と天華が二人して人の顔を覗き込む。
「どうした?」
二人の意図が分からない。
顔を近付けて来る二人はもう待ち切れないとした貪欲な目をしている。
その迫力に慄きながら二人の言葉を待つ。
「「お腹減った」」
「……あー、もう飯時過ぎてるもんな」
ぐ~、と鳴り響く腹の虫は誰のものか。
日もすっかり暮れてしまっていれば誰と言わず全員が空腹だろう。俺自身も暴れ過ぎて腹が減った。
「じゃあ飯にするか」
「主、手を」
「ありがと」
俺はノドカの手を取って立ち上がる。
まだ休憩し足りないが今から飯ならその時に休憩出来る。
「ほら」
「ん?」
俺はまだ座り込む少女に手を差し伸べる。
「飯にするぞ」
「………我も良いのか?」
「ああ、こうなると分かってたから用意してあるしな」
どうせこうなるだろうと予想していた。
少女が『天災』以外の何者でもない限り、それこそ別次元の神様でもない限りは和解出来る。
俺たちはそうやって集まって来た。
だから少女も仲間になれると信じていた。
結果として皆ボロボロになったが『天災』同士の本気のスキンシップならこんなものだろう。一人一人が国一つくらい潰せるしな。
「そうか。なら行こう」
少女は俺の手を取った。
これで蛇足だらけの泥仕合に幕が下りる。
後は歓迎会だ。どちらかと言えば俺の本領は料理だからな。