第124話目 少女の足が早い
何も入っていない鍋が空焚きされているような暴れ狂いだった。
「あっぶね!?」
重く鋭く、こちらの命を刈り取らんとする拳の重さに俺は派手に吹き飛ばされる。
天華のような美しさのある殴打じゃない。それこそハンマーでガムシャラに殴ったような技術も何もない獣特有の荒々しさ。なのにその拳の一つ一つには流れるような流麗さを感じさせた。
何とか空気を調理し壁とする事でダメージを無くしたが、その壁ごと飛ばされてしまった。
皇たちはこんなのと戦っていたのかと感心する。だってぶっちゃけ今からでも逃げたいし。
しかしそんな事は言ってられない。俺は今、あいつらの代表としてここにいる。
だから俺は全力であの少女と戦わなければならなかった。
「どうした!?我が認めた力はそんなものか【金の枝葉は枯れ落ちた】!!」
悄然とした表情を浮かべ、しかしながらも期待に満ちた笑みも浮かべる少女はいつのまにか手にした金の槍を投擲して来た。
金の槍は投擲された瞬間に幾重にも枝分かれされ視界の全てが槍で埋め尽くされる。
これは空気の壁だけじゃ耐えられないっ!
「そんなわけないだろ!一刀調理【汚泥灰汁抜き】!」
金の槍は物理法則を無視して地面に落ちる。
これだけの力を連続してやられてはどうにもならない。こちらからも反撃しなければ勝機はなかった。
「行くぞ!一刀調理【千華串打ち】」
落ちた幾つもの金の槍に包丁を入れる。
生きているかの如く槍先が多数持ち上がると少女に向かって走り出した。
「それは我のスキルだ。その程度の刃で我が傷付く筈がなかろう」
「いや通るぞ」
「ぬぅっ!?」
避けようとしなかったが故にダイレクトに突き刺さる。
ギリギリ致命傷は避けているがその肉体はそれこそ樹木のように槍を生やした。
「な、何故?」
「串打ちは柔らかい所に通すのがコツだからな」
「ありえん…」
少女は驚きに染まりながらもニヤリと笑う。
「…ふふ、これでも硬さには自信があったのだがな」
「全身硬い訳じゃないだろ?それに硬ければ柔らかくすれば良い」
少女は自身の周りに起こっている気圧の変化に気付いていない。
適度に加えた圧力が少女の持つスキルかステータスかは知らないが肉体に及ぼした効果を変質させた。ごく一般的圧力を用いた調理法だ。
これが普通の人間であればその苦しさのあまり膝を着くか倒れていただろうが。
それでも倒れるどころか気圧の変化さえも感じていない少女の頑丈さからこの方法をとった。少女の肉が絶妙に柔らかくなる圧力の掛け方だ。
「悪いが俺は料理人なんでな。まともに戦う気はないぞ?」
「ああ、それで良い。お前はそうやって戦い抜いておるのであろう?なればそうするが良い。我の求めているのはそう言った存在だ」
金の槍を右肩から引き抜いた少女は地面に槍を放り投げる。
「【老婆はそれでも肉を喰らう】」
「なっ!?」
唐突に地面が割れた。突然消えた足場に【両足の領域】の発動が間に合わず落下する。
ヤバい挟まれる?!真っ二つに割かれた地面が閉じられて行く。
「黙ってやられるか!」
すぐさま地面に包丁を入れるとつっかえ棒が入ったように止まる。
俺は【両足の領域】で割れ目から飛び出すと次に待っていたのは視界を覆う葵色の液体だった。
どんだけ人を追い詰めれば気が済むんだよ?!
「これも当然回避するのであろう?」
妙な信頼どうも!!
この程度では死なないと分かっての行動が辛い。
これで殺さないレベルに抑えているらしいが普通なら何回も死んでておかしくなかった。
目の前に広がるのは恐らく高濃度の酸。これを防ぐには包丁を入れるだけでは無理だ。
俺は取り出した三つの調味料で液体に味付けをしてから切り裂いた。
「本当に不可思議な戦い方をするのだな。そんなもので我のスキルを回避したのはお前が初めてだ」
「これしか能が無いもんでね!」
黙っていればやられてしまう。
ならば今度はこっちの番だ。まだ仕込みは終わっていないしな。
「特殊調理【加熱砂糖】!!」
ドロッとした濃いオレンジ色の粘液が俺の周りで蠢いた。
『氣』によるコントロールで形を造り上げ極細のワイヤーへと仕立て上げると少女の上に放り投げる。
「こんなもの…」
「まとめ上げるぞ」
飴細工職人が織り成す技巧。手の指先の感覚だけで砂糖を操りながら檻を作り周囲を覆いながら逃げ場を完全に無くすと一気に収束して束縛する。
割と強固に仕上げた砂糖はそこらの魔物では引き千切るのも容易ではない。
「っ…、だからどうした!」
なのに少女は容易く引き千切る。化物としか言えない力強さはそれこそ世界最強だからか。
もっともそんな事はどうでも良かった。
少女は未だに気付いていない。何度もそうであると宣言しているにも関わらず気にも留めていなかった。
俺がやっている一つ一つが苦し紛れの反撃で少女はその技を一々受け止めながら破っている。
優勢は少女。劣勢なのは俺。誰もがそう思う図式であるが実際は違う。
まだまだ完了まで程遠いが全ての工程に意味があった。
「ふふふ、ここまで奇怪な事をする者は本当にお前が初めてであろうな。見ていて飽きぬ。調味料や調理道具を駆使して戦う者などこの世界にはいない。何故ならそんなスキルは存在し得ぬからな」
「それ褒めてるのか?」
「褒めてるとも。もっと我に見せてくれ」
「ライブクッキングは得意じゃないんだけどな」
「次はこっちの番だぞ料理人。【少年の笑みは暁に濁る】!!」
…っ、身体の動きが水の中並に鈍くなった!?
いや、それだけじゃない。空気の流れが重く、蹴った小石の落ちる速度が遅い。時間の経過を遅くしたのか!!
なのに少女は構わず突進して来る。向こうの動きは正常で時間の停滞は無かった。
………………マズイ。ここに来て初めて焦る。
どんな事でも可能とする少女からそんなスキルもあると予測はしていた。だが、実際にやられるのを想定はしてはいない。
「うぐっ!」
「さあこれからも切り抜けて見せろ!!」
出来るか!?そう叫べればどれだけ楽か。
何とかして包丁を動かして止めるも、全ての動きが鈍くなっただけに空気を調理したものの効果を発揮し切る前に懐に入られ殴り飛ばされる。
口の中から血の味を感じ取るも気にしていられるものではない。
急ぎ調理過程を組み立て直さなければこの状態はあまり良くない。
俺と世界が遅く、少女の周りは正常に動く。それは言い換えれば『少女の足が早い』だ。
そうなると緻密に組んでいた調理工程は台無しになってしまう。
本来なら既に冷却を加えて肉を引き締めてやる必要があったのだがその工程をするにはもう遅すぎる。
だから一回湯切りして…、ダメだ。時間の停滞した今の状態からじゃ次の香辛料の香り付けで失敗をっ、くそっ、まずはこの空間からどうにかしないと…。
「一刀調理【塩抜き流し】」
的確にただ一点の空間を刺し貫く。
それだけで重かった身体と世界は正常な動きをし始め…
「は?」
…たにも関わらず再度同じように全ての動きが鈍くなった。
工程に失敗は無かった筈。なのに何でだ?!
「いやはや凄いな。これさえも一瞬とはいえ突破しかけるとは恐れ入る」
困惑する俺に対して少女が答えを述べる。
「しかしながらまだ甘いぞ。このスキルは常時使用スキルに変えてある。どれだけスキルを解こうとも我が何もせずとも勝手に修復するのでな」
「反則かよ…」
つまりどれだけこっちが解除しようとしても単発ではどうにもならないのか。
「だったら――」
「させると思うか?」
「そうなるよな!」
スキルそのものを解除ではなく調理によって変質させようと調味料を取り出すが少女もさせまいと接近戦を選ぶ。
これでは調理をしている暇がない。
拳打の質は天華よりも劣る。ただし、獣みたいな姿になったからか直感力が凄い。普通に避けようとするだけでは捕らえられてしまう。
だから『氣』で肉体を覆い強引に時間の流れに対抗しながら躱したり捌いたりするものの傷は一つ二つと増えて行く。
やはり同じ『天災』であっても自身のその『天災』性を使いこなすだけの年季は圧倒的に向こうの方が上だ。
それにスキルと調理の決定的違いは直ぐに効果を発揮出来るかどうかだ。
スキルを使う少女はスキル名をトリガーにしているのか叫ぶだけで行使する。
その点俺は包丁ないし調味料を駆使しなければ何も出来ない。料理の『天災』とする俺では調理と言う過程が必要とするだけに少女の後手に回ってしまう。
だからなるべく調理工程の少ない技を駆使して戦うわけだ。
そんな制限された状態から更にこの時間を遅くする空間は俺にとって致命的と言えた。
「どうした?!その程度か!!」
「っ…」
落胆にも似た焦燥感を少女は顔に張り付ける。
その瞬間俺は思い出してしまう。
――ああ、くそっ…。同じかよ。
天華がそうだった。
皇がそうだった。
この少女はありとあらゆる体験をその身に宿している。
それこそ天華のような強力な力を持ち合わせ、行使するだけ孤独になっていく自分自身。
それこそ皇のような国や人に頼られ振り回され、人格を狂わせられた。
そして長い時を一人で待っていたのだろう。この時が来るのを。
なら俺は、俺が出来る事は…。
「………それはなんのつもりだ?」
殴られ距離が開けた瞬間に俺はある用意をした。
俺の奇行に少女の猛攻が止まり、代わりに問い掛けが入る。
「なんのつもり、か」
本当に何のつもりだろうな。
俺自身、これはやる事はないだろうと高を括っていた。
けれどそれは間違いだった。
どうにかなると思い、少女と対峙した結果、少女を落胆させてしまったのだ。
料理でいえば飾りばかりで味のなっていない三流料理を出してしまったのと一緒か。
それでは料理人の名が廃る。
少女が全力を望むのなら俺も全力を尽くしてやるしかない。
「こっからが本番だ」
俺は自身の首に添えていた包丁を一気に引いた。
やばい…。毎日書けなくなってから改めて向き直ったら自分がどうやって書いてたか忘れたΣ(゜Д゜)