第122話目 三人の天災
久々にちょっと無理するよ。
「涅槃法【菩薩千照打撃】」
『ギャァアアアッ!!』
全身を襲う痛みも今はない。けどこれ解除したら寝込むだろうなー。だって今のでボクの手が脹れちゃってるし。
白い狼の鼻先に千を超える打撃を一瞬で与える。が、悲鳴を上げるばかりで倒れもしない。
自信無くすよホント。これ高層マンションも破壊した技の一つなんだけど。
陸斗くんの方をチラッと確認するもまだまだ時間が掛かるのか足止めの兆候は見られない。
つまりまだボクは攻撃の手を緩めるわけにはいかない。緩めた瞬間にこの白い狼の猛威は陸斗くんや皇ちゃんに降りかかる。
ホント損な役割だよね。
身体はボロボロになるし結局この白い狼を一人で倒せないしで嫌になっちゃう。
でも、興奮する。他の世界にはこれだけの脅威が待っていたなんて思いもしなかった。
元の世界に強敵なんていなかった。
皇ちゃんとの戦いも苦戦はしたが、まさかこんな風に誰かと共闘しなければ勝てないと思った敵はいない。
なんだかんだでボクたちはこの異世界ツアーを満喫しているんだなー。
暴れるだけ暴れられる。
胸踊り死を連想させてくれる。
まるで普通の人にでもなった気分だ。
震えそうな恐怖感、湧き出さない全能感、心が彩られる挑戦心。
そうした意味ではあの子は不幸だ。
未だに黒い山羊を出し続けるあの子。
ボクたちは単体であの子には絶対に勝てない。
引き分けくらいは出来そうだけどやっぱり勝つまでいかない。
「もっかい!涅槃法【菩薩千照打撃】!!」
ミシミシミシッ、特別に鍛え上げたボクの身体から嫌な音がする。
痛みは人のエラーを認識するためにあるんだなーって実感しちゃう。今は消してるから何も感じないだけに痛覚を戻した後が怖いや。
視線を両手に向ければ腫れ上がりこれ以上は無理だと叫んでいるよ。ビクビク痙攣してるし。
あーもう、こんだけやってるのにあの狼は破裂もしないし骨折もしてないや。
あんな巨体で殴られた瞬間に後ろに飛び退いて衝撃を散らすなんてどんだけ俊敏なんだか。
『グルルルッ……』
それでも弱っているのは声から分かる。けどそれはボクも一緒だ。これ以上奥義をやるには負担が凄い。
きっとこのまま戦えば死ぬ。
「だからなんだ!!阿修羅法【狂乱化粧】!!」
狂気に堕ちる。
思考の全てを戦闘一色に塗り潰して肉片一つになるまで戦う何もかもが嫌になって自暴自棄になった時に生み出した奥義。
「アアアアアアアアッ!!!」
負ったダメージを急速回復させて誤魔化した両手を握る。
ただしこうなったボクは歯止めが効かない。
「犬畜生が頭が高いんだよ」
『ガァアアアアッ!?』
一気に距離を詰めると白い狼の鼻っ柱を掴んでの背負い投げ。からの回し蹴り。
ブチブチブチッ、ボクの全身の筋繊維が千切れる音がした。
阿修羅法【狂乱化粧】で体内のエネルギーが切れるまで回復出来る。それでも全身の回復が常時となると五分も持てば良い方だ。
でもそんな後の事は今は気にならない。
今はただ目の前の敵をただ倒したくて倒したくて仕方がない。
どれだけ相手が巨大だろうと知ったことかと一蹴してやろうとする気が湧いて仕方がない。
だからこれは今まで使って来なかった。
使う必要も無かったのもあるけど使えば手加減も忘れて勝負にならない。
「かぁああああああっ!!」
『ギャァアアアアアアアアッ!?』
が、今ではこの無駄に丈夫な狼相手に本気で挑んでいる。
獣のような声を荒げて咆哮しながら渾身の体当たりで更に後退させる。
「まだまだーーっ!!」
体当たりからの体当たり。激しい太鼓の殴打の如く流れるメロディーは世界中に届かんばかりに響き渡る。
とにかく狼を下げられるだけ下げ、陸斗くんたちには被害が及ばないようにする。
僅か数秒のメロディーによって大分距離を稼ぐ事が出来た。これだから下がったら十分だよね。
「終ノ法【一切無残】」
終わるのはどちらか。そんな意味も込めた名のある奥義の中でもかなりヤバいやつ。
黒い『氣』を収束させてさせ続けた結果、ボクはまるで生身で相対しているような『氣』が見えないくらいに絞り込まれ圧縮した『氣』を手のひらに落とす。
『ガァアアアッ!!!』
それを今が好機と勘違いしたのかボクを食おうと大口を開けて迫って来る。
まるで小鳥にでもなった気分だ。ワニの口を掃除する小鳥は自分が食われるなんて考えないのかな?ボクならゴメンだよ。
「バイバイ」
放り投げた『氣』が白い狼の額に命中する。
―――― ――――
音を掻き消す音の奔流。
世界を白く塗り潰す煌々とした炎の輝き。
爆発とは違う消滅の力。
もしこれでも生きているのならボクに手はない。
ボクが出来る最大限の――
『アォオオオオオオッーー!!』
……
「……………………うそ、でしょ?」
まだ生きてるって言うの?一体どんな構造してるって言うのさ。
白い狼は片足を無くし、顔も半分は欠けているのに。
そんな状態でいながら息も絶え絶えに咆哮すると黒い山羊の群が白い狼の足元に集まる。
ガシュ、一口で百を超える山羊を飲み込む。
「やっば…」
戦わないと。戦って傷を癒す隙を与えないようにしないとまずい。
「くっ、あれ…?………ああ、時間切れか」
なのに身体がまるで動こうとしない。
阿修羅法【狂乱化粧】の効果が切れちゃってる。体力が全然残ってないや。
『氣』がなくなり空中に浮いていられなくなり逆さまに落下する。その間にも白い狼は回復を続けていた。
せっかくあの上等そうな毛もボロボロにしてやったのに。こんな気持ち初めてだ。今まで負けた事なんて無かったのに。
勝者は狼で敗者はボク。
明確に分けられてしまった差は今まで感じた事のない何かを湧き立たせた。
「……、…これって……」
ポロポロと空に向かって零れる何か。
「そっか、ボク悔しいんだ」
ボクの誇れる武を競い合ったわけではない。
あったのは獣との闘争。野犬同士の噛み合いに等しい行いだったとしても勝負は勝負。
それにボクは負けたのだ。
皇ちゃんと引き分けに終わった事はあったけど、それは完全な勝ち負けで勝敗が決した訳じゃない。
つまりこれがボクにとって人生最初の敗北だった。
「敗北を知りたいって言った事もあるけど、あんまり良いもんじゃないや」
白い狼は黒い山羊をたらふく食べてすっかり回復してしまっている。
ペロリ、と再生した前足を舐めるとボクを一睨みしてくる。睨みたいのはこっちなのに。
「次は勝つからね」
白い狼の赤い口内がボクを覆わんと空に広がる。
「【最終調理・極み地獄塩釜縛り】」
ピンチの時には駆け付けてくれる。だから好きだよ陸斗くん。
・・・
「何やってんだよ」
「えへへ、失敗しちゃった」
涙目で微笑む天華を空中でお姫様抱っこする。
かなり無理をしたのかいつもならこんな体制で抱えれば首に腕を回そうとするのにそんな気配を見せようともしない。
こっちは冷や冷やさせられたもんだって言うのに。
強烈な爆音を出したと思えばどんどん遠ざかる白い狼の巨体に、豆粒になっていく天華。
そこに目を潰さんばかりの光量と今までで最大の爆発音がしたのだ。【最終調理・極み地獄塩釜縛り】の準備が整ったとはいえ気が気でなかった。
『ガァアアッ!!?ギャァアアアッ!!!??』
困惑する白い狼の手足は見えないくらに浸かってしまい、胴体と口に纏わりつく粘性の泥みたいな蔓状の塩は今度こそガチガチに縛り上げる。
前の【一刀調理・塩釜縛り】と違って即席でないから拘束力は比べ物にならないだろう。その証拠に叫ぶばかりで身動き一つ取れはしない。
「一人で突っ走るなよ」
「ボクにもプライドがあるんだよ」
「それで泣いてたら世話ないだろうが」
「うっ……」
天華には言いたい事が山ほどあるが今は後回しだ。
「皇、準備出来たぞ」
耳に嵌めた通信機で皇と連絡を取る。
『流石だ陸斗。これなら私も外さずに済む。お前はそのアホを持ってさっさと避難しておけ』
「了解」
「え、ちょっ、皇ちゃんも酷くない?傷口に塩塗らないでよ。塩まみれなのはあっちだけど」
プツン、と切られた通信機には天華の文句も受け付ける気はないらしい。それだけの事をしたと反省して欲しいものだ。
「それで皇ちゃんは何してたの?」
「やたらと巨大な右腕? だった」
「なにそれ」
・・・
ふん、天華の奴め少しは自重しろと言いたいものだ。
腹が立ったので思わず天華ごとやってしまいそうになったが流石にあの状態の天華をやってしまうと本気で死んでしまいそうなので止めておく。
一応白い狼の気を引き付けてくれたお陰でこちらも用意が完了した。
「しかし私もこんな使い方をした事がないので問題ないとは言えんがね」
エネルギーを過剰循環させて巨腕の右手と化した【有現の右腕】にその出力に耐えられるだけの力場を用意すべく【六翼の欲望】と【悪食の顎門】で私自身が吹き飛ばない様に固定。ダメ押しに【両足の領域】でアンカーを設置したようにしっかりと地面を掴む。
「まあ私も科学者だ。起きる結果がどうなるかは理解しているつもりだ」
恐らく【有現の右腕】は壊れる。
割と気に入っていただけに亡くすのは惜しいが普通の攻撃では死なんのは天華が証明してしまった。ならば私も相応に覚悟するしかあるまい?
「ふはははっ、喜べ犬ころ。天華と陸斗、そしてこの私がこれだけ苦戦させられたのだ。三人もの天災を相手に善戦出来たのを誇りながら死ね」
ギギギッ、と絶命寸前の音が漏れる。早く過剰なエネルギーを放出させろと言うのだろ?良いぞ。あの犬ころに浴びせてしまえ。
「【有現の右腕】過剰射出」
極小の黒い光が【有現の右腕】から放たれる。
点と点を繋ぐように放たれた光が白い狼の胸元に接触。後、陸斗の拘束が壊れる。
「想定内だな」
白い狼が自力で抜け出した?否、あれは私の【有現の右腕】が体内で暴れ回り膨れ上がった結果に過ぎない。
そもそもエネルギーを圧縮するのは基礎中の基礎。放った瞬間に圧縮率が崩れるなどあってはならないのだよ。
白い狼は太りあがり、膨張した身体からエネルギーを逃がそうと上を向いた瞬間に黒い光が口から太太と放たれた。
数十分にも渡る光の咆哮は雲を突き抜け宙へと消える。
『ガ、アアア……』
砂埃がここまで来るほどの風を撒き散らしながら巨体は倒れる。
「がっ…」
神経伝達回路を通しながらビキビキビキと【有現の右腕】は崩壊を告げた。
痛み分けだと言わんばかりの状態に憤慨させられそうになる。
「長い事世話になったな」
しかしそれよりも【有現の右腕】への別れの方が大切であった。
何だかんだと私の右腕を務めていたのだ。最後の最後まで無茶をさせてしまったものだ。
物はいつか壊れるにしても故意に壊していいものではないな。
思いの外私は薄情な人間ではなかったようだ。
もしくはあいつらと関わり変わってしまっていたのか。
どうでもいいか。結局私は私のままなのだからな。
「さて、陸斗たちと合流するか」
痛む右肩を擦りながら私は【六翼の欲望】で飛んで行くのであった。