第121話目 一瞬の隙も与えてくれない
白い狼は見上げる程に大きく成長し、踏まれるだけで致命傷になりかねない。
ただ問題はそれだけではなかった。
「まだまだ成長するねー。この狼」
「何処まで成長するか見てみたいものだ。自重で潰れないのは生物として間違っているように思えるがね」
「二人とも随分と余裕だな」
殴りたいだの解剖したいだの呑気に言う二人を尻目に俺は包丁を構えてみるも、何処から解体して良いかイメージが湧いて来なかった。
今の全長は特撮映画に出て来る怪獣並だ。ギラつく前歯に絡みつく黒い山羊はまともに咀嚼もされずに飲み込まれている。
この程度の大きさであればアビガラス王国を出る前に遭遇した森の主とやらの巨大な猪も解体した経験があり出来る筈。
なのに内包されている質は見た目通りには収まらない。
圧縮された炭素がダイヤモンドになるように、これは獣の形をした何かとしか形容出来ない。
まともにやりあえば死ぬと直感した。
「【一刀調理・塩釜縛り】」
だからまともにはやりあわない。
ゴッ!勢い良く包丁を地面に突き立てると白い狼の周りの土が窪み、足元を津波のように押し寄せた泥で急速に固めて動きを封じた。
「陸斗くんナイス!」
黒い『氣』を纏った天華が飛び出す。
「犬にはやっぱりこれだよね!お座り!!」
白い狼の頭蓋を粉砕する勢いで殴り倒した。
悲鳴を上げる白い狼は口元から黒い山羊の残骸を撒き散らし、痛みに悶絶しながらも得物である俺たちを睨んでいる。
その様はあそこで未だに黒い山羊を放出し続ける神様と重なっていた。
「馬鹿め天華。それでは伏せだ。お座りはこうだ!!」
赤い蜘蛛を操作する皇は今度は白い狼にアッパーを繰り出すとその姿はまさに”お座り”そのものだった。
『ガァアアアッ!!』
白い狼もやられっぱなしではない。俺の作った拘束から抜け出した右足を振るとそれだけで衝撃が襲う。
咄嗟に【両足の領域】で空中に逃げる。二人も同じ様に空を飛んで白い狼の攻撃を回避した。
空中に逃げられない黒い山羊の群れがその一撃だけで無残にも散り散りに引き千切れて死んでいく。
「一撃でこれか」
百は軽く死んだか。まともに受け止めようと考えない方が良いだろうな。
「ここに来て初めて苦戦って言葉を覚えそうだよ」
「何?私の時は苦戦しなかったとでも言う気か?」
「あ、忘れてた」
「天華、貴様には後で説教してやる」
「はいはい、漫才してないで次が来るぞ」
白い狼は俺の【一刀調理・塩釜縛り】から抜け出すと大口を開けながら飛び掛かって来る。
気分はワニの口に入る小鳥の気分か。
全員がその場を離脱するとガッキン!!と閉じた口が強烈な音響兵器となって耳を襲う。
鼓膜を持って行かれそうな轟音に眉をひそめながらも立体軌道で白い狼の背後に回る。
この死角で一気に解体を…っ!?
「ぐぁっ!!」
「陸斗くん!?」
やられた。想定よりも伸びて来た尻尾にかすった俺は意識が飛びそうになりながらも姿勢を立て直して『氣』を張り巡らせる。
「やっぱり動きを止めないと危険か」
「それなら私に任せろ」
皇が赤い蜘蛛を空中からばら撒いた。
「【悪食の顎門】による全身の咀嚼だ。地味に効くだろう。……ん?」
白い狼の様子がオカシイ。
散布された赤い蜘蛛に対し、全身を丸めて一個の塊となる。
確かに動きは止めたがこれが一時的なものだと俺たちは思い知る。
『ガルァアアアッ!!!』
タイヤのように高速で回転し、赤い蜘蛛の全てを振り払ったと思えばそのまま俺たちの方へと突っ込んで来る。
「「獣闘法【大蛇】!!」」
俺と天華が咄嗟に放った二匹の大蛇。
しかし俺たちからすれば大蛇であっても白い狼にとってはミミズにも値しない。
「「っ!?」」
意図も容易く大蛇を跳ね除けるとそのままの勢いで走り込んで来た。
「くっ…」
どうにかして白い狼の突進を回避するも、当然ながらそれでは終わらない。
射出された白い狼の毛がまるでハリネズミの針の如く鋭さを持って襲い掛かる。その針もまた剛毛であり、何百本からなるバリスタを想起させられた。
飛んで来る針に対して各々で迎撃して難を逃れる。白い狼も赤い蜘蛛を払い切ったのを確認すると動きを止める。
互いが振り出しに戻った状態となった。
「あれは何でもありか?」
「ふん、所詮は獣と思ったが意外と手強いな」
「しかも結構頑丈だよねー。三人でやっても傷付いてないんだけど」
ペロペロと自身の体毛を舐める獣の姿は俺たちを侮っているからか。
「いや、傷付いてはいるみたいだな」
だが違う。あれは修復のための動作だ。
「どうやら舐めて傷口を塞いでいるらしい。お前たちが放った【大蛇】も存外嫌だったようだ。入念に舐めている」
特に天華の【大蛇】は呪いまで込められた特別仕様だ。
相応のダメージが入ったとなれば続けていれば勝てる。
だがそれを許してはくれそうにないな。
傷を舐め終えた白い狼は剥き出しの牙を一層鋭くしてこちらを睨む。
獲物としてではない。こちらを敵と認識した上での行為だと直観的に分かった。
「どうやらここからが本番だね」
何がそこまでの衝動を駆り立てるのか。
俺にはあの神様の気持ちは分からない。
何故そこまで憎むのか。必要以上の殺気を放つ神様は何を思って世界を壊そうとしているのか。
ただ俺には分からなくても神様にとってこれは大切な行為なのだろう。
自身の大切のために暴れた天華や科学者である前に一人の少女としてもがいた皇の様に。
「…止めてやらないとな」
彼女を神様として見るのを止めよう。
最初と違い彼女は人として目の前にいるのだから。
・・・
第二ラウンドはとても急な展開となった。
「ちょっ、これスピードアップしてない!?」
天華の言う通り、あの白い狼は速さが桁違いに上がっていた。
生命の枠組みを超えたリミットの無さは正にスキルならではと呼べる。
「防御力も上がっている。面倒な…」
皇の放つ赤い蜘蛛など知った事かと言わんばかりの猛追に俺たちも回避を余儀なくさせられる。
防ぐのは不可能。そもそも体格差からして対比がおかしい。
上から迫る前足は大津波の如く視界を覆う。
このまま潰されればあっという間にミンチに変わる。――一瞬だけそんな高性能なミキサーが欲しいと現実逃避してしまう。
慌てて逃げるも余波で起きる風圧が暴風となって襲い掛かり、【両足の領域】で空中に足場を作れなければ死んでいた。
まさか自分がこんな怪獣と戦う日が来るとはな。異世界に来てから驚くばかりで疲れてしまう。
「おい陸斗。もう一度あれの動きを止めろ。【有現の右腕】を最大出力で止めを刺す」
空中で合流した皇が無茶な注文をして来る。
「無理言うなよ。そんな隙があるか」
最初と違い全力で暴れる白い狼は拘束する一瞬の隙も与えてくれない。
大掛かりなものであれば出来なくはないが、その間の俺は無防備になってしまい結局やられてしまう。
「だったらボクが一人で時間を稼ぐよ」
「出来るのか?」
「ボクを誰だと思ってるの?」
疑問を疑問で返す天華がウィンクしながら微笑んだ。
「――頼む『武の天災』」
「まっ、かせてーーー!!」
飛んで行く天華は黒い『氣』を再度全身に纏うと急に動きが良くなり白い狼とぶつかった。
どうやって時間を稼いでくれるのか分からないが、今までの劣勢からして全うな方法ではないだろう。
「………っち、あの馬鹿め。リミッターと痛覚を外したな」
天華の動きを見た皇が舌打ちしながら苦い顔をする。
「おい、それって……」
「あいつは肉体を扱うプロフェッショナルだ。それくらい簡単にやる。私とやった時もそうだった」
マジか。なら急がないとマズイだろうに。
「私も加わりたいが【有現の右腕】を最大出力で放つための準備に入る。最悪の時は陸斗が助けに行け」
「分かった」
皇はそれだけ言い残すとそのまま遠くに飛んで行った。
俺も足止めの細工に時間がいる。悪いが頼んだぞ天華。