第120話目 四人の想い
これはマズイ。誰の目にも焦りが浮かんでいた。
ノドカたちは主である陸斗の命令により現れた黒い山羊の群の処理を効率よく行うべく、それぞれが役割を持って対処にあたった。
ノドカとハガクレは竜の威圧と持ち前の身体能力を生かした黒い山羊の追い込み。
レンは追いやられた黒い山羊を自身の複製を作成しての処理能力向上による分解処分。
マイランはノドカとハガクレの威圧から逃れ逸れた黒い山羊の討伐。
これ以上ないベストな人選によって次々と襲い掛かって来る黒い山羊の群に対処は出来ていた。
しかしこれが長くは持たないと全員の思考が一致していた。
「……これ、キツイ」
ボソリ、とレンは愚痴を溢す。
しかしそれも無理はない。
黒い山羊の処理が例え複数のレンで行われているものの本体となるのは一人だけ。向上した処理能力と引き換えにレンの脳は焼け付くような痛みを味わっていた。
これがただの山羊なら分解に手間はかからない。
レンが一人であっても超多数の自身の分身によって処理出来た。
しかしこの黒い山羊はスキル。見た目よりも内包された質量は想像を遥かに上回っている。
例えるならこれは山だ。一つ一つが土砂崩れを起こし激流の如く迫っている。
そんな脅威的災害がレンの限界処理能力を超えて襲い掛かろうとしていた。
ただレンにも『天災』としての意地がある。
レンは一度記憶の一切を無くし、全てを失った。
ノドカに支えられ続け、陸斗との出会いがレンを変えた。
ステータスも無く、買われるだけの魅力も持たなかったレンの存在に意味を見出してくれた。
記憶を思い出して陸斗を傷付け塞ぎ込んでも見捨てないでいてくれた。
何も無かった筈の自分が今ここに居られるのは皆がレンを支えてくれたお陰だと心に刻まれている。
「……でも頑張る」
小さな手を下げようとはせず、気合いを込めて歯を食いしばりながらギリギリの所を耐えていた。
今度はレンがみんなを助ける番だと奮起しながら。
「想像以上に厄介だな、これは」
レンの負担を少しでも減らそうと黒い山羊を追い込みながら手を出すノドカであったが、すぐにその行為が無駄と悟る。
何せレンの方へと追い込みながらの討伐となると一体か二体を倒すのが精々だった。
なのに迫る黒い山羊の群れは数十体同時に倒さなければ後続の更なる質量に押し潰される結果となる。
それに一体や二体に気を取られて追い込みをミスしてしまう方が危うかった。
現に倒すのに一秒しか用いなかったが追い込みを誤り、膨れた黒い山羊によってレンの負担が増大してしまった。
ならば追い込むのに全力を注ぐ方が結果としてレンの負担を軽減させられる。
ノドカは『天災』と並び立った自分の実力がまだまだ底辺であるのを自覚させられた。
思えば力が無いと嘆いたのは何度目だろうか。
呪いによってこの身から竜人種としての誇りを奪い去った。
自身が竜人種として生まれたのは何かの間違いだったんじゃないかと泣いた日もある。
だけどめげずに鍛錬を積み重ね、ボロボロになりなからも強くなれると信じていた。
奴隷として売られた時は己の無力さを恨みもした。
命などこんなにも安いものなのかと買われて行く他の奴隷を眺めながら諦めもした。
だからと己より弱いレンが奴隷として来た時は守らなければと誓いもした。
しかしあれは今にしてみれば自己満足に過ぎなかったのだろう。
自分より弱い者がいると安堵していたのかも知れない。
それでもレンを守りたいと思った気持ちは本物で、陸斗に買われるまで必死に堪えながら日々を過ごした。
だからこそ弱者の気持ちも強者の気持ちも理解がある。
呪いが解け、竜人種の力を取り戻し、『天災』の領域に届いたからこそより明確な目的が出来た。
「だが、この程度で挫けると思うなよ」
ノドカにとって主を守る力を持ててこそであり、今はまだそんな烏滸がましい事は口に出来ないがいつかは並び立つだけでなく主を支え力になれるのを夢見ている。
「中々に参りましたな…」
この面子の中で最も辛いのはハガクレだった。
レン、ノドカ、マイランたちと比べて彼は凡人でしかない。世間一般で考えれば最強の一角と呼べる彼も『天災』に混じればただの凡夫なのだ。
それ故に黒い山羊の取りこぼしが多く、多大な負担をマイランに強いていた。
ならば諦めてしまえば良いように思えるがこの黒い山羊を食い止めるのを発案したのは他でもないハガクレだった。
この黒い山羊を放置すればどうなるかをハガクレは一目見て直感した。
一匹でも逃がしたのなら甚大な被害が出る。そしてその被害は竜人種の里に残した者たちが被害を被ると。
だからこそこの形を提案した。各個撃破ではなく、確実に一匹たりとも逃さない連帯による撃破で里を守るのを。
しかし提案しておきながらもこの体たらくではと自身の弱さを情けないと思う。
「ですがこの程度で終わりはしませんぞ」
ハガクレは己の力の無さを常に実感し続けていた。
もし力があれば若い者たちに苦労させず、里から逃げ出す事も無かったのだろう。
その道中においても餓死しかける選択を取らざる得なかった不甲斐なさを歯噛みする事もなかった。
事実、陸斗たちと出会わなければ確実にハガクレ達は死んでいた。
そうなればマヌケな竜人種がいたと後ろ指を差されながら笑われていただろう。
陸斗たちはあらゆる意味でハガクレの恩人なのだ。
肉体的にもさることながら、精神的にも竜人種の誇りを救ってくれた恩義がある。
ハガクレはまだその恩を一つも返せてはいない。そう、まだ何一つとして返せていないのだ。
同胞を救って貰った恩どころか自分の命の恩さえ返せずにただ傍にいるだけ。
「強くなりたいものです。この年になってまで思うようになるとは思いませんでしたな」
これは試練だ。
ハガクレにとってこのまま傍に居るだけが恩返しなのか。それを見極める為に足搔き続ける。
「自棄にはならないで貰いたいものですね」
ハガクレの命を燃やし尽くさんばかりの奮闘を横目にマイランは黒い山羊を三頭の首を大剣でまとめて刈り取る。
マイランはハガクレの提案に対し反対はしなかった。
当然ながらこの黒い山羊の群れが何処に向かい、最終的に及ぼす被害を認識出来ていないわけではない。
向かうだろう先は追い込みをしなければ確実にモルド帝国は言うに及ばず、エルフの里も根こそぎ飲み込んで行く。
「しかしこの黒い山羊は下僕たちにも向かうのでしょうね」
必然としてパルサ、ミネリア、ルデルフ、マルアにもこの黒い山羊が襲う。
あの四人が全力を出した所で黒い山羊一匹にさえ勝てないのは火を見るより明らか。
四人がバカスカ魔法を放っているにも関わらず、攻撃をそよ風にしか感じないで欠伸する黒い山羊の後ろ脚に蹴られて終わると、マイランは考えていた。
「ギルマスはあそこにいますし」
陸斗に出会うまでの間は言うまでもなくそれなりに冒険者ギルドで過ごしたもの。
頭の片隅に冒険者ギルドのギルドマスターであるランデルも残っていた。もっとも肝心の冒険者ギルドの建物は更地にしてしまったので引っ越しは余儀なくされている。
陸斗たちもここの建物を残して城だけやってしまえば良いのでは、と言う案もあった。
が、蔓延る奴隷制度から何から何までの悪行を潰してモルド帝国に組み込ませるのは一度更地にしてしまった方が人心も掌握しやすいだろうと皇の案から更地化が決定した。
ちなみに王女に一切の相談はない。復旧にはかなりの労力が必要となるだろうがそこまで面倒を見てやる気は全員になかった。
「一人でも欠ければ師匠が悲しみますからね」
マイランの剣を振るう手はいつもより力が入っていた。
それは本当に陸斗だけのためなのか。
心の奥に真意を隠しながらマイランは奮闘する。