第3話
蘇芳の姫君を初めて見たとき。
とても美しい方だと、イザベラは思った。
銀糸の様な真っ直ぐな髪と、濃い菫色の瞳。その見目も我が国では珍しい色だったが、何よりも凛とした佇まいに憧れずには居られなかった。
王妃様の少し意地の悪い問い掛けにも、毅然として持論を展開する。イザベラ達は、お気に召す様な回答をずっと模索してきたと言うのに。
エルグラーナ国特有の衣装を纏い、エルグラーナ国の言葉を話す。それでも彼女は凛として、蘇芳の姫君として其処に居た。エルグラーナ国の未来を、王と共に導く者として。
一度挨拶をしたきり、以来、直接話す機会は遂ぞ恵まれぬまま。遠目に見て、噂話に耳を澄ませる。
時折ご注進とばかりに、此方と異なる考え方や振舞いを悪し様に言う者も居たが、蘇芳国から見れば此方が異国風なのだ。むしろ、形式ばかりを重視したエルグラーナの仕来りよりもイザベラは好感をもった。
エドワードの事が好きだった。
そんな自分の感情にばかり振り回されて、自分に王妃となる覚悟などあっただろうか。
勉強だけなら、誰よりも頑張った。でも、其れすら王太子妃に相応しい人と認められ、選ばれる為にした事で。これ迄の授業の中で確かに学んだ筈の、国の為に、民の為にという視点も思考も、かの姫君は其れを自然体で為す。
考え込むイザベラの姿に、父は不安を抱いたらしい。あの夜以来、父は少し過保護になった。随分、心配を掛けてしまったらしい。
「お前と殿下の事も噂になっている。心ない事を言う者も居るだろう。少し、社交に出るのを控えてはどうだ」
先日の茶会の席で、保守派の令嬢方に囲まれた件について報告を受けたのだろう。イザベラ自身はうまくあしらったつもりだったが、伴った侍女や侍従には報告に値するだけの不穏な要素があったという事だ。
両親からこういった話が出る予感はあったものの、いざ突き詰められれば苦しかった。それでも決断する前に、イザベラに判断を委ねて貰えている。まだ、大丈夫。
「少し早いが、領地にもどるか?」
緩く首を振り、否やと伝える。
本音を言えば、耳も目も閉ざして閉じ篭ってしまいたい。蘇芳の姫君に対して感じる強烈な憧れとは裏腹に、今感じているモヤモヤとした感情に名前を付けるのならば「嫉妬」や「敗北感」と言うのだろうとイザベラは気付いていた。
「お父様、叶うならばもう一度だけ。私、殿下にお会いしたいのです」
イザベラの願いに父だけでなく、母も苦い顔をした。それでもはっきり「駄目だ」と言われなかっただけ、良かったのだと思う。
それでも、二つ条件を出された。出席する夜会は、父か兄と共に出席すること、そして革新派主催の夜会に限るというものだった。
次に会えるとすれば、7日後の、某伯爵家が開く舞踏会だろう。その旨を、侍女たちに告げる。
「7日後のパーティで、殿下にお会いしてくるわ」
それだけで、彼女達はイザベラが望む全てを揃えてくれる。何時もより丁寧に櫛削らせた髪を、オイルで柔らかく整え。日焼けなど知らぬ白い肌も、たっぷりの香油で滑らかに整えられた。
エスコートについては、父も、兄も、どちらがイザベラを伴うのかまるで争うように、一緒に居てくれると約束してくれた。ドレスも、母のお気に入りのデザイナーが、急遽整えてくれている。
準備は着々と進んでいた。
その全ての準備を止めたのは、一通の書状だった。王太子のみが使える一重の薔薇とコマドリを模した封蝋をもって届けられたのは、エドワードからイザベラに宛てた正式な要請文書で。直截に言えばイザベラを某伯爵家の夜会の同伴者に指名するものだった。ピンクの薔薇の花束と共に贈られたのは、柔らかな緑色の生地が幾重にも重ねられ、裾に金糸の細やかな刺繍が施されたドレスだった。
状況が許せば、イザベラの心も歓喜に満ちただろう。ただエドワードの意図を図りかねて、跳ねる心を落ち着かせるようにイザベラはじっと耐えていた。
心が落ち着かぬまま、長い夜を過ごす。最後に会った、あの舞踏会の夜と同じ細い月が西の空に昇っていた。
「エディ、貴方に会うのがとても怖いわ」
呟いた言葉は、誰にも届かない。
ポロリと溢れた涙は、なだらかな頰を滑って夜露となって消えた。