トンネル
こんにちは、葵枝燕でございます。
この作品は、[夏のホラー2017]参加作品です。
あまり、というより全くこわくないとは思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
「ここか」
夏も真っ盛りのある夕暮れ時。僕はそのトンネルの前に立って、そんな言葉をこぼした。生温い風が、僕の肌や髪や服を撫でて通り過ぎていく。
パッと見る限りでは、何の変哲もないただのトンネルに見えた。どこにでもありそうな、ありふれた、そんな印象を受ける。もしかしたら、そこにまつわるこの噂さえも、どこにでもありそうな話なのかもしれない。
「心霊スポット、ねぇ」
そう呼ばれているにしては、ひどく明るい場所だった。電気も点いているし、人っ子一人どころか動物の一匹も通らないことを除けば、何か人ならざるモノが出るような雰囲気はない。それでも、ここは何かと心霊現象が絶えない場所らしいのだ。
曰く、突然全ての電球が点滅する。曰く、突然車のエンジンがストップする。曰く、何かに脚を摑まれる。――そんな、根も葉もないような噂が、いくつもいくつもある場所なのだ。こうしてここに立っている僕でさえも、鼻で笑い飛ばしたくなるほどの、しょうもない噂話だと思う。
そんな僕が、なぜそんな場所に来たのかと言われれば、ただ単に僕もここに足を踏み入れた幾人かと同じなのかもしれない。
こわいモノ見たさ、だ。好奇心と恐怖心を混ぜ込んだこのスリルを味わいたいがためだけの、そんなどうしようもない理由なのだ、きっと。
僕は、背負っていた黒のナップザックの中から、傷一つないデジタルカメラを取り出す。本当は携帯電話とかで撮った方が手早いのだろう。しかし、このご時世にしては珍しく未だにガラケー持ちの僕にとって、ガラケーのカメラの画質は信用できなかった。どうせ撮るなら、高画質に限る。
もし、よく撮れていたら、SNSにでも載せるか――このときの僕は、そんなふうに気安く考えていた。
そうして僕は、心霊スポットと名高いそのトンネルの中へ、一歩を踏み入れたのだった。
デジカメで写真を撮りながら、奥へ奥へと進む。ところどころ、寿命が尽きかけなのか点滅を繰り返している電球はあったが、それでも充分に明るい場所だった。フラッシュなんて必要ないくらいだったので、僕はフラッシュをたかずに写真を撮り続けていた。
しかし、既に中間あたりに差しかかっていたが、何も起きる気配がなかった。全ての電球が点滅するわけでもなければ、何かに脚を摑まれるわけでもなかった。かといって、噂で聞いたそれら以外のこわいことが起こったわけでもなかった。
やはり、よくある噂だったのだ。あるいは、“ここはこわい場所だ。人じゃないモノが出る場所だ”なんていう思い込みが原因なのかもしれない。どちらにしろ、気のせい、ということだったのだろうか。
時々立ち止まりながら写真を撮って、ようやくトンネルの出口が見えてきた。ここに来るまでに、寿命が尽きかけどころか、その役割を終えた電球が増えてきて、トンネルの中は薄暗くなっていた。それでも僕は、フラッシュをたかずに写真を撮り続けていた。
トンネルの先にある外はまだ、僅かではあるが明るさが残っている。かなり時間をかけて歩いていた気がしたのだが、そうでもなかったらしい。
「なーんだ」
トンネルの中に、つまらなさそうに吐いた僕の独り言が反響する。
結局は噂話、根も葉もない――ってことか。
そう思いながら、シャッターを押した。そのときだった。
白い閃光が瞬いたのだ。
「……え?」
僕は、我が目を疑った。そして、自分の記憶を探った。そして確信する。
フラッシュなんて、今まで一度もたいていなかったことを。
「何で?」
無意識に、設定をいじったのだろうか。自覚はないが、そういうことも考えられる。そう思って、設定を確かめたが、フラッシュはオフ設定だ。つまり、無意識にいじったわけでもないらしい。
「……は?」
頼りないそんな声が、さっきと同じように反響して消えていく。頭の中で、言葉がぐるぐる回っている。
フラッシュはオフ設定。つまり、ここに来てから今まで一回もフラッシュなんて使っていない。無意識に設定をいじったわけでもなかった。でもさっき、たしかにフラッシュがたかれた。いやでも、待て。それも気のせいだったんだとしたら……?
「そうだ、そうだよ」
あの白い閃光が気のせいだったってことも、考えられるじゃないか。そう思った。いや、そう願った、といった方が正しかったのかもしれない。
「よし」
頼む。光らないでくれ! そう思いながら、シャッターを押した。
白い閃光が、一瞬辺りを眩しく照らす。
「……何で?」
そう繰り返しながら、何度も設定を確かめてシャッターを押す。フラッシュはオフ設定のはずなのに、フラッシュはたかれ続けていた。それが僕に、焦りと恐怖を与え続ける。
僕はついに気味が悪くなって、逃げるように背を向けて、脇目もふらずに自宅に帰ったのだった。
それから数日後。僕はふと、あのときトンネルで撮った写真を見てみようという気になった。そのときには、あの日あの場所で体験したことに対する恐怖など、ほんの僅かなものとなっていた。
デジカメからメモリカードを取り出し、愛用のノートパソコンに差し込む。トンネルでの写真以外にも、いろいろな場所の風景や、何気ない人々の笑顔や、そういった写真もあった。それらを見ながら懐かしさを感じていると、あのトンネルの写真ゾーンに入った。
「これだな」
ゴクリ、と唾を飲み込む。不意にあの出来事を思い出して、寒気を感じた。それさえも、気にしすぎだと抑えつけようとする。
トンネルの入り口から始まって、実に数十枚に及ぶその写真を一つ一つチェックしていく。驚くほど、何もなかった。何も、写っていなかった。写っているとすれば、壁や床の僕の影くらいのモノだった。
ほらみろ。やはり、何もなかったんだ――誰にともなくそう言ってから、次が最後の写真であることに気付いた。
そしてその、最後の一枚を見て、
「な……っ」
僕は一瞬、呼吸することさえも忘れた。
今見たモノを、信じることができなかった。目を閉じて、深呼吸をする。
今この目がとらえたモノは、何だったんだ?
「……」
呼吸を落ち着けて、もう一度液晶画面に映ったそれを確認する。
見間違いでは、なかった。気のせいだと思い込むには、それはあまりにもはっきりとそこに写っていた。
「何なんだよ、これ」
そこに写っていたモノは、一人の女だった。カメラ目線で、こちらに向かってピースサインをしている。その顔に浮かぶのは、満面の笑み。かわいらしい笑顔だった。これがもし、あの心霊スポットとして有名なトンネルで撮ったものだと言われなければ、写真展で入賞できると思えるほどにいい写真だった。それほどに、その女は被写体として申し分ないくらいに美しかった。
ただ一つ、ある奇妙な点を除けば、だが。
女の肌が、いや、女の身体それ自体が透けていたのだ。女の身体の向こう側、本来見えるはずのないその景色が、そこにははっきりと写っていた。
後日、あのトンネルにまつわるこんな話をネット上で見つけた。
なんでも、一人の若い女性があのトンネルで命を落としたのだという。誰かに殺されたのか、自ら命を絶ったのか、事故だったのか、事件だったのか――そこまでは知らないし、その全ての説が書かれていて、事実はわからなかった。
しかし、共通する事柄はあった。
その女性はアイドルを目指していたこと。その女性が若くかわいらしかったこと。そして、夢を叶えるその直前に死んでしまったこと。
僕はもう一度、あの写真を思い出す。
満面の笑みで写る、身体の透けた一人の女。こちらに向かって、ピースサインをしてみせる。
あれは、夢を叶える直前に死んだという、その女だったのだろうか。
あの満面の笑みを思い出す度に、僕は一度も会ったことのないその人のことを、考えずにはいられないのだ。
読んでいただきありがとうございました!
この話を考えたのは、二〇一六年の夏のある日のことです。多分、芸能人が心霊スポットに行く――みたいな番組を見てて考えたネタだと思います。憶えていませんが。
全然こわくなかったと思いますが、楽しんで(?)いただけたなら幸いです。