【4】お誘い 1
裕が通う白鳳学園は、私立でも難関の看板を長く掲げ続けている。下は幼稚園、上は大学院・研究所を擁する大きな団体だ。
大学の学生は、下からそのまま入って来たエスカレーター組と、大学から入ってきた外部組とに分断される。どこかに気兼ねをしてしまう外部者である裕は、学生達にも派閥のようなものがあるのに気付いた。
慎一郎へのつなぎを呼びかけていた学生は、裕と同じく大学から入った外部組。就職だなんだと口にしていたが、彼なりに考えてのことだったんだろうか。
アルバイト情報誌を買った翌日、プレゼントしたらすごく喜んでいた。
そして――
今日の講義も一段落した昼下がり。いつものように扶桑館の尾上研究室にいる裕は、ちらりと真向かいを見る。
机を挟んだソファーにふんぞり返って座っている仁を。
彼は、外部組の対極に立つ側にいる。生え抜きのエスカレーター組だ。幼稚舎からそのまま大学へ進める学生は、実はさほど多くない。推薦枠から漏れれば、中学部や高等部でも落とされる。
エスカレーター=ボンボンというのが成り立たないのが白鳳の特徴だ。
もっとも、中学・高校も落とされた人間分補充をするので、後から入って来る学生も優秀だ。
つまり、どの学年でも入った人間は皆それなりにできる学生だと言えた。
一番学生の入学が多い大学組が一番ダメ……というのが学内の評価だった。
例えば、裕は、叔父や両親、そして本人も否定できないくらい、まぐれで合格したようなものだ。担任の先生など、裕が合格した知らせを持っていったら、涙にむせびながら喜んだ。失礼な話だが、怒れないものがあった。
だから、こうやって、毎日毎日、足りてない科目の補講を受けなければならない。
彼女の仇敵・英語を。
ぼきっ。
ノート取る手につい力が入り、シャープペンシルの芯が折れた。
情けないや。
そしてため息をついた。
「眠いのか」
仁が言う。
「誰が?」
「欠伸、しただろ」
「してない!」
「じゃ、もう少しピリッと緊張感持て」
「……はい」
「気が乗らないようだから、テキスト読め。そうだな、今日のラジオ、例文が長かったな。それでいこう」
「はあい」
裕は中学三年生向けのテキストをぺらぺら開き、音読をする。
外は名残の桜と葉桜が共に楽しめる春の日。
なのに、私は教室にこもって中学英語を学習中。
こんな大学生いるかい。
ちぇ。つまんない。
口元がどうしてもへの字になるのを堪えきれなくなった時だった。
「はいはいはいー、そこまで!」
ドアが勢いよく開かれる。
両手一杯に袋を下げているのは、増沢要だ。
足取りは軽やかで、まるでモデルかダンサーのよう。スレンダーな身体にタイトなファッションを纏わせている。
さらりと癖のない栗色の髪を流れるに任せて首を振ると、しゃらんと音が鳴りそうなくらいの美髪だ。
「仁、まだ終わらないの?」
仁は、あ、と口をぽかんと開け、あーーーーと、間延びした声を上げる。
「来るの、早すぎないか?」
「ううん、早くない。これでも遅い方。まいて終わらせて、って言ったっしょ」
「忘れた」
「いつもこれだもんねえ」
どっこいしょ! と袋を、裕と仁の間にある机の上にどすどすと置く。さらりとした明るい色の髪を耳にかけながら小首を傾げると、線が細い少女のようだが、机の上に並ぶ品々は見かけ通りに大きく重い。
ペットボトル入りのドリンクにアルコール。山程のつまみ類は乾き物だ。つまみ類は軽いかもしれないが、それでもレジ袋のてんこもりを複数持ち込むのだから、とても軽いとは言えない。
要は、吹けば飛ぶような見かけは見かけ倒しな、中身は立派な日本男児である。
「はい、今日のお勉強はここまで! これからは僕たち研究室のメンバーが使うよ!」
「え?」
裕は反射的に返事をする。
「あれ、聞いてない? 今日はね、ゼミの新人歓迎会なの。ここでやるから裕もどうぞって言っといて、って仁に頼んだんだけどな。その様子だと、もしかして?」
「聞いてないよ!」
「言ってないしな」
裕と仁は同時に声を上げる。裕はとっさに片眉を上げた。
「お前はうちのメンツじゃないからな」
仁はソファーに背を預け、組んだ足をぷらぷら揺すっている。
「意地悪だねえ、あんた」
「そりゃどうも」
「何? そんなに言いたくなかったんだ」
要はにんまりと笑う。
「知らないね」
「何の話?」
裕はひとり、お互いの顔を見比べた。
「うふふ、まあいいや」要は言う。
「とにかくさ、ここは予定が埋まってるから、明け渡して。続きするなら別の日にして。仁に用事頼んでるんだし。あんた、わかってるよね?」
「わかってる。尾上」
「は、はい?」
「今日のところはこれで終わる。できなかった分は……」
「次まとめてやる、でしょ? わかってますよっ」
ぷーっと唇をとがらせ、裕は本をまとめる。
「あれ、帰っちゃうの?」
要は袋から物を出す手を止める。
「うん。私、呼ばれてないもん」
「いいよ、いいよ、気にしなくても。今さら何言ってるの」
「うーん、でも、今日は帰ります。遅くなる時は、下宿先に一言言っとかないと」
「良い子なんだね、裕は」
要は笑う。
「君らしくていいや。じゃ、日を改めて集まろうよ。連絡する」
裕は肩をすくめてその場を後にした。