【1】夢とうつつ
[ゆう]
呼ばれて『ゆう』は振り返った。
そこには男の子が立っている。
ふわっと笑顔を浮かべて、彼の元へ駆け寄る。
目線は彼女より少し低い。まだまだ幼い男の子は、子供らしくないしっかりした口調で言う。
[何してるんだい]
「うん」
裕は答えた。
「おままごと!」
[ひとりで?]
「うん」
床の上には、積み木やら人形やら、庭で拾ったどんぐりやらが散らばっている。
中には母が縫ってくれたお手玉や、父手製の折り紙細工もある。
[さびしくないかい?]
「さびしい?」
[ひとりっきりでつまらないかと思ってさ]
「ううん」
彼女は答えた。
「だって、ひとりじゃないもん。
あなたがいる」
[かわいいこと言うんだね、ゆうは]
「うん」
はにかんで、裕はおままごと道具の茶碗を差し出した。
「はい、どうぞ。おちゃです、どうぞ」
[ありがとう]
彼は手を伸ばす。
差し出された茶碗を、少年はとらえることができない。
「はい、どうぞ」
「どうぞ」
「ねえ、どうぞ!」
裕は繰り返す、何度も何度も。
リフレインされる言葉は、ぴぴぴ、と小鳥がさえずるような電子音が取って代わる。
「朝――かあ」
ぱちんと時計のフックを押しながら、彼女、尾上裕はむっくりと身体を起こす。
「またあの夢だよ」
裕は長い髪を掻き上げ、寝台から降りた。
「しばらく見てなかったのになあ……」
引いたカーテンの向こうは、薄ぼんやりとした空が朝を告げている。
きっと、環境が変わったから、身体が慣れなくてびっくりしてるんだ。
あの子が心配して来てくれたのかもしれない。
いつまでも小さいままで、大人になるはずがない、あの子が。
ぶんぶんと頭を振った彼女の耳に、タイマーセットしていたラジオ番組のテーマ音楽が届く。
これからずっと毎朝、この音に起こされるんだ、億劫だよ!
「あーもうやだやだやだ!!」
馬耳東風で済ませたくても済ませられない。
彼女は袋から買ったばかりのテキストを引っ張り出す。
と同時に、岡部仁の仏頂面と不機嫌な声がぽんと浮かんだ。
『兄貴はツライよ』
ふんだ、あんたなんか兄貴じゃないもん。
勝手に人の兄弟になんかならないで。
仁なんて。
「大キライなんだからあーっ!!」
心の中で山ほどの悪態をついて、裕はテキストを目で追った。