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浮世絵美人よ永遠に  作者: SAKURAI
9/21

第九話 弁松と日本東亜美術館

 事務所に帰って来てみると、「弁松」の弁当が用意されていた。「弁松」は文化七年に日本橋の河岸に「樋口屋」と言う食事処として営業を始め、折り詰めの弁当が好評で、嘉永三年に日本初の折詰料理専門店「弁松」として創業された店で、その独特の濃い味が売りになっている。味が濃いのは保存のためと、酒の肴としての事を考えての上だったそうだ。未だに江戸の味を現代に伝えてくれている。落語「子別れ」にも登場している。

「これは、わたしが考えて取り寄せたのでございますよ」

 そう言って蔦屋さんが嬉しそうな顔をした。

「あれ、だって蔦屋さんの時代には無かったはずでは……」

 確かに文化では本当なら生きてはいない。そこまで考えて坂崎さんが教えたのだと推理した。坂崎さんなら元が嘉永の人だから「弁松」は知っている。

「坂崎殿には随分美味しい店を教えて貰いました。これは随分役に立っておりまする」

 そうか、例えば何処かの時代の絵師に繋を付ける時も、手土産で江戸で評判の店のものを持って行けば話は通じやすい。

 蔦屋さんが取り寄せたのは「本七」と呼ばれるお弁当だった。赤飯も付けられるが、今日は普通の白いご飯にした。

「いただきま~す」

 今日は事務所の職員も皆これを食べるのだそうだ。北斎さんが一口食べると

「これは『樋口屋』と同じ味がしますね」

 一発で判ってしまった。それを見てお栄さんが笑いながら

「判るはずですよう。だって『樋口屋』の弁当は三日と開けず買いに行かせ食べているんですからねえ」

 そうだったのか、記録の上でも北斎、お栄親子は食事は全て買って来たか、出前をさせて居たという。

 皆が食べている「本七」とは、おかずとして以下のものが入っている。

 めかじき照焼、玉子焼、蒲鉾、豆きんとん、甘煮(つと麩、蓮根、里芋、穴子八幡巻、帆立、蒟蒻、揚ボール(魚肉)、筍、ごぼう、椎茸、絹さや、いか白焼、生姜辛煮。かなり豪華だ。見て判るとおり、肉は入っていない。これを選ぶとはさすが蔦屋さんだと思った。

「はぁ~この味は癖になる味だなぁ。呑み助なら一杯呑みたくなるだろうな」

 北斎さんがそう言うとお栄さんが

「鉄蔵は殆ど呑めないんですよ」

 確か、春朗の頃は多少は呑めたはずだが。

「一度ひどい目に逢いましてな。それ以来嫌いになりまてな」

 そんな事があったとは何処かの記録で読んではいたが、外観的には呑める感じなのだ。

「食べながら聴いて下さい。午後からは西新宿にある「日本東亜美術館」に行きます。ここでは、ルノワール、ゼザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなどが見る事が出来ます。それに東郷青児も見られます。彼の作品は特にお栄さんに見ておいて欲しいのです」

 蔦屋さんが午後からの予定を話す。蔦屋さんは何時の間にか、本来の美術商としての立場になっている。画家を育成させる喜びを目標にしているのだ。それが組織の目的と合致しているのだ。東郷青児を見たお栄さんの美人画を俺も見てみたい。


 お栄さんも「弁松」の弁当は気に入ったようだ。

「このお弁当、本当に美味しい。江戸に帰っても食べられるかしら」

 よほど気に行ったらしい。さきが

「今は日本橋の河岸に『樋口屋』と言う名前で飯屋をやっていますが、後二十年ほど後に『弁松』と言う店に変わってこれと同じものが食べられますよ」

「後二十年……」

 お栄さんはそのまま黙ってしまった。


 食事を済ませると車に乗って貰って新宿に急ぐ。蔦屋さんは今回も来なかった。恐らく五月雨さんと計画を練っているのだろう。もう完全に蔦屋さんは組織の頭脳となっている。出来る人は違うのもだと思う。 

 新宿に着くと高層ビルに驚くかと思ったが、二人共余り驚きもせず

「この辺りは江戸だと、何処らへんですかねえ」

 そんな事を尋ねるので、

「角筈十二社あたりですかねえ」

 すぐに、さきが答える。俺は新宿十二社と言いそうになった。多分判ったかも知れないが角筈の方が判りやすいだろう。日本東亜美術館は正式には「損保ジャパン 日本東亜美術館」と言う。その昔、ゴッホのひまわりを日本の保険会社が買って話題になったが、その会社が資産を公開しているのだ。

 地下の駐車場に車を置いて、損保ジャパン日本興亜本社ビルの四十二階まで登る。

 早速、ゴッホの「ひまわり」を見る。二人共それまでの目つきと目つきが違って来た。食い入るように絵を眺めている。

「これも浮世絵の手法を使っていますな。同じ使いが判る」

 次はゴーギャンの「アリスカンの並木路、アルル」だ。北斎さんはこれをかなり注目して見ていた。そしてお栄さんを手招くと

「この光と影の使い方を覚えておきねえ。半端じゃねえぞ」

 北斎さんに言われてお栄さんは、それはそれで真剣に見ていた。そして持って来た紙と筆を出して模写し出した。脇から見ていると簡単な模写に思えたが、お栄さんにはそれで充分だったようだ。満足気な表情をした。

「後で絵葉書を買いますよ」

 俺がそう言うと

「ありがとうございます! でも今気がついた事を残して起きたかったのですよ」

 そうか、天才とはそんなものなのかも知れないと思った。

 三番目はセザンヌの「りんごとナプキン」だ。これは風景画ではなく、静物を書いたものだ。だがこれにも北斎さんは

「死んだ物に生気を与えるのは影と光なんだ。良く覚えておきねえ」

 そう言ってこの作品も注目するように言った。

 最後は東郷青児の美人画を見る事にした。俺も何回かは見た事があるが、何時見ても素晴らしいと思う。それを見ると北斎さんは

「これは、新しい時代の美人画だ。この筆使い、色の載せ方、特に白の使い方。色白はどの時代でも美人の特徴なんだ。それを覚えておけよ」

 北斎さんの言葉にお栄さんは深く頷き、これも幾つか写生をしていた。

 この後、お栄さんは美人画でもその名を響かせる事になる。

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