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浮世絵美人よ永遠に  作者: SAKURAI
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第三話 上野で想うこと

 国際ビルのエレベータで、地下の駐車場まで降りて行く僅かな時間に、お栄さんは

「この乗り物も最初にセンターで乗った時は驚きましたが、仕組みを教えて貰って、芝居の舞台の迫り(せり)と同じだと思いました。迫りでは人が動かしていましたが、今の世では何か別なもっと大きな力を出せるものが動かしているのだと思いました。そして、自分の居た江戸とここは繋がっているのだと感じたんです」

 人、それぞれ想うことがあり感じ方も違う。俺は江戸に行っても最初は自分の居た世界の過去だとは思えなかった。それをひっくり返したのが、人の気持だった。自分と同じ様な価値観を持ち、それが日本人特有のものであると思った時に、素直に思う事が出来た。

 駐車場に着いて車に乗る時に次に行きたい所を尋ねた。

「お栄さんもう時分ですから、何処かで食事をしましょう。何か食べたいものはありますか?」

 さきが尋ねるとお栄さんは少し考えて

「センターでレクチャーを受けている時に色々なものを食べました。でも正直余り口に合うものはありませんでした。今の世にも蕎麦とかありますか? あるなら細くて腰のある蕎麦が食べたいです」

「江戸前ですね?」

「えどまえ? なんですかそれ」

 そうだった。江戸から来たお栄さんには江戸前と言っても通じない。なんせ当時は全てが江戸前だったのだから。

 車のエンジンを掛けながら、何処の蕎麦屋が良いか考える。神田藪、松乃家、砂場、更科……幾つも蕎麦の名店が頭に浮かぶが、どれも決め手に欠ける。食事をしてから行く先を聞いて場所を決めようと思った。

「午後は何処か行きたい場所はありますか?」

 俺の質問にお栄さんは嬉しそうな表情をして

「出来れば、私の時では未だ完成していない、歌川広重さんの『東海道五十三次』が見たいです」

 お栄さんが居た時代は確か天保四年頃だったと思うが、広重の「東海道五十三次」はこの年から刊行され始めたのだった。

「揃った所が見たいのですね」

「そうなんです。それで江戸に帰ったら、鉄蔵に自慢したくて」

 その時初めて彼女の笑った顔を見た。

 結局、浅草に行く事にした。俺の知ってる限りで、今この時に「東海道五十三次」を揃って見られる所は上野の国立博物館だったからだ。上野には藪もあるが、それなら少し足を伸ばして浅草の並木藪に行っても良いと思った。浅草の並木藪は神田藪、池之端藪と並んで東京三大藪蕎麦とも言われているからだ。

 車を中央通りに出して北に向かう。すぐに高速が見えて来た。その下には日本橋がある。

「お栄さん。これから渡るのが現在の日本橋です」

 そう言ってみたが、正直江戸から来た人には自慢出来ない。高速の下で一日中陰になっているのはどう考えてもおかしいと思うからだ。

「そう……今は人より車の方が多いのですね。日本橋は鉄蔵と一緒に芝神明の黄表紙屋まで行く時に渡った事があります。今は石の橋ですか……なんだか息苦しそうです」

「息苦しさを感じますか?」

 さきが不思議そうに尋ねると。

「何となくですが、そんな感じがします。でも、『美人鑑賞図』素晴らしかった。今のあたしには、あそこまで描くことは出来ない……でも何時かはきっと、あれを乗り越える絵を書きたい。だからこちらに居る間に色々なものを見たいのです」

 流れる車窓を見ながら、そう俺達に教えてくれた。


 浅草について、車を駐車所に駐めたのだが、並木藪は表まで並んでいた。

「この人達はどうして並んでいるのですか?」

「蕎麦を食べる為です」

「は、蕎麦を食べるだけで並んでいるのですか! 呆れた」

 確かにお栄さんから見ればそうなのであろう。すぐに食べられる代表の蕎麦に並んでまで食べると言う行為が理解出来ないのだろう。

 でも、どうしようか考えた。すると、さきが

「尾張屋さんへ行きましょう。本店なら雷門の先ですから、それほど人も多くありませんしね」

 尾張屋と言うのは古くから浅草にある店で、贔屓も多い。有名なのが天麩羅蕎麦と天丼で、上に乗っている海老の天麩羅が大きいのが特徴だ。だからといって蕎麦が不味い訳ではない。細くて腰があって藪系統とも違う更科系の蕎麦を出す店だ。尤も、さきが常連で、俺はさきと付き合う事になってから来たのが初めてだが。

 並木から雷門前のスクランブル交差点を渡る。さきがお栄さんの手をしっかりと握っていて案内役をしてくれている。

「雷門ですね。あたしの居た頃と少し違っていますね」

「これは昭和になってから再建されたものですよ」

 さきの説明に

「再建? と言うことは」

「慶応元年に消失してしまったのです」

「火事ですか……慶応って?」

「お栄さんが来た時より三十年後ですね」

「そうですか……」

 お栄さんは歩きながら何時迄も雷門を見ていた。

「それにしても人が多いですね。異国の人ばかり」

「最近特に多いんです。この辺りは日本人より多いですよ」

 さきは歩きながらお栄さんの疑問に答えて行く。程なくして尾張屋本店に到着した。店自体はそう大きくは無い。引き戸を開けて中に入る。「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」と案内してくれる。俺達三人は店の真ん中にある四人がけのテーブルに座った。女子従業員がお茶を運んでくれる。

「何にします? 蕎麦は温かい方が良いですか、それとも冷たい方位が良いですか?」

 さきの質問にお栄さんは

「冬なら間違いなく温かい方ですが、今日は陽気も良いので冷たい方が良いですね」

「じゃあ、『天ざる』にしましょう」

「天麩羅が付くのですか?」

「ええ、この店の名物でもあるんですよ。大きな海老の天麩羅が付きます」

「はぁ~そうですか。お任せします」

「『天ざる三つ」

 さきが慣れた様子で注文した。

「次は上野に向かいます。上野にある国立博物館なら何時でも『東海道五十三次』を 揃って見る事が出来ます」

 俺が今後の予定を言うと

「上野ですか、寛永寺さんの桜が見事でした。今の時期は桜が咲いていますかね」

 お栄さんが居る事の上野の山はその殆んどが寛永寺の境内だった。あの広大な敷地全てに末寺も含めて寛永寺の色々な建物があったのだ。

「今は寛永寺も大分縮小されました。今も寛永寺はありますが、規模としては問題になりません。その敷地だった所に博物館や動物園が出来ました」

「動物園?」

「色々な動物を一箇所に集めて見せている所です」

「それは一度行ってみたい。行って色々な動物を写生したいですね」

 また一箇所行く所が出来た次第だ。その時、注文したものが運ばれて来た。

「お待ちどう様」

 置かれた長方形のお皿には皿いっぱいの海老の、切り込みを入れられた天麩羅が乗っている

「確かに大きいですね。でも一口大に切ってある。親切ですね。それにしても、あたしの頃から随分経っているのに、蕎麦の食べ方が同じなんて何か不思議」

 俺は江戸の蕎麦屋に入ったことは無いが、蕎麦猪口やザルなどが当時と同じようなものだったのだろう。何の抵抗もなくお栄さんは蕎麦を慣れた手つきで手繰り出した。

「あ、あたしこれ好き!更科みたいで食べ易くて腰があって。汁も辛すぎないで美味しい……」

 横ではさきが自分の連れて来た店が好かれたのが嬉しいのか、しきりに頷いていた。


 蕎麦を食べ終わると浅草寺に参拝をした。スルーする手もあったのだがお栄さんがお参りを希望したのだ。それに俺たちとしても、観音様を前にして横切るだけとは行かない。

「境内の感じも変わっているけど、善男善女の感じは変わりませんねえ。願うことはいつの時代も同じなんでしょうね。何時か、この感じも絵にしてみたいですね」

 そんなお栄さんの言葉が心に残った。

 再び車に乗り込み上野に赴く。山下の駐車場に車を駐める。そのまま脇のエレベータで登っても良かったのだが、お栄さんに位置関係を判って貰う為に三橋の方に向かい、正面から登る事にする。

 上野は風に乗って桜の花びらが舞っていた。そんな風に吹かれながらお栄さんは

「このあたりは見覚えがあります。確か小さな橋が連なっていたのです。そこから三橋と呼ばれていました」

 そうなのだ三橋は決して甘味処の名前では無いのだ。

「上野には良く花見に来ました。飛鳥山や向島と違って上野は静かに花を見られたので、俳句を作る人やあたしと鉄蔵のように絵を描く人などが大勢いましたね。何かすると山役人に怒られるので皆静かなものでした。随分描いたものでした」

 上がって行くと、道の両側一杯に花が咲いていていた。但し今は上野でも酒を飲みながら花を見る事が許されている。それを見たお栄さんは

「ま、仕方が無いのでしょうね」

 そう言って笑っていた。

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