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浮世絵美人よ永遠に  作者: SAKURAI
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第十八話 広重、江戸の空を飛ぶ

 遠くで目覚ましの音が鳴っていた。薄目を開けると、白い二の腕が目の前を過ぎってアラームのスイッチを止めた。

「時間ですよ。起きないと」

 耳元に優しい声が響く。起き上がろうかどうしようか迷っていると、頬に冷たい感触が襲った。さきの手だった。

「起きましょう……ね」

 そんな言われ方をしたら、寝ている訳には行かない。

 上半身を起こして時計を確認する。予定の時間には未だ時間がある。

「先ににシャワーを浴びて来ますね」

 パジャマにバスタオルを肩に掛けてバスルームに消えて行くさきの後ろ姿を眺め、立ち上がり顔を洗う事にする。バスルームの脇の洗面台で顔を洗う。磨りガラスのドアの向こうでシャワーを浴びているさきに

「顔を洗ったからシャワーは浴びないから」

 そう伝えると扉を少し開けて顔を出した。頭をタオルで巻いた姿がいい感じだと思った。

「いいのですか?」

 そんな事を言う。第一寝る前にシャワーは浴びた。その前に汗を掻いたので流したのだ。

「大丈夫だから」

「わかりました」

 そんなやり取りをする時に改めて夫婦だと感じる。

 制服に着替えているとさきが浴室から出て来た。

 ベッドの脇の化粧台で薄化粧をする。さきは基本的に濃い化粧はしない。どんな時でも薄化粧で通している。

 用意が出来ると一緒に食堂に向かう。朝食を採っていると、食堂に蔦屋さんと広重さんが現れた。

「広重さんの健康診断が終わったので、何かお腹に入れようと思いましてな」

 蔦屋さんはそう言って、キョロキョロと落ち着かない広重さんに座るように促した。

「何もかも初めてでして戸惑っております」

 確かに江戸の人がこのセンターにいきなり連れてこられたら戸惑うだろうと思う。

「さて何を食べますかな」

 蔦屋さんはメニューを眺めながら選択をしている。そして広重さんに

「ここへ来たら江戸では食べられない物を食べた方が宜しいと思いますが」

「蔦屋殿は何を?」

「私は、カツ丼にしようと思います」

「カツ丼……ですか……それは如何様なものでございましょうや」

 確かに豚肉を食べた事が無い江戸の人にカツ丼を説明するのは難しい。

「そうですな。豚肉を薄く切り、そこへ衣を着けて油で揚げて、それを今度は汁で煮て卵で綴じたものでございますよ」

 蔦屋さんの説明は確かだった。だが広重さんが何処まで理解出来たかは判らない。

「ま、猪鍋が食べられたら、これも好きになるのは確実でございますよ」

 蔦屋さんに言われて、広重さんもカツ丼にした。

 俺とさきは朝食の定食だ。ご飯と味噌汁、それに海苔とお新香。鮭の切り身に卵がついている。卵は生でも良いし、焼いても良い。さきは焼いて貰い俺は生で食べた。

「これは旨いものでございますな」

 広重さんがカツ丼の丼を夢中になって食べている。

「でしょう。大体の江戸の人間はこれにハマるらしいと聞いております」

 蔦屋さんはそんな事を言っているが、坂崎さんもトンカツは好きでセンターに来る度に食べている。

 食べ終わって暫くすると、蔦屋さんと広重さんが呼び出された。検査の結果が出たという事だった。

 二人共すぐに検査室に向かったが程なく帰って来た。

「広重さんは少し血圧が高いそうですが、大丈夫だそうです」

 蔦屋さんの言葉に安堵感が漂う。

「それでは何の問題もなく行けますね」

 さきの言葉に頷く二人だった。


 転送室の隣の装置のカプセルに最初に広重さんが入る。恐らく何もかも初めての体験だろうが落ちついたものだと思う。

 次に蔦屋さんが入る。ところで蔦屋さんもこの装置は初めてでは無いだろうか、蔦屋さんの口から体験したとは聞いていない。

 それから俺が入り、最後にさきが三人のカプセルを点検して自分も入った。

「それでは行きます。時間は天保六年の江戸の街。上空です」

 小鳥遊さんの声がカプセルのモニターを通じて聞こえる。

「それではカウント始めます」

 今まで見えていた部屋の天井の景色が、真っ暗に変わって俺は意識が遠くなるのを感じた。

 気がついたら空に漂っていた。脇にはさきが同じように漂っている。その向こうには蔦屋さんと広重さんが浮かんでいた。

「うまく行ったみたいですね」

 蔦屋さんも少し興奮しているのか、

「実は初めてでしてね。こんな景色を生きているうちにこの様な空からの景色を見る事が出来るとは思わなかったですな」

 広重さんは口も開かず真剣に自分の足元を眺めていた。

「ここはもしかして、日本橋の上でございますな。はあ~まさに東海道が伸びておりますな。そして右は本所深川でございますな。素晴らしい……」

 俺も江戸を空から見るのは初めてだが、江戸の街が思ったよりこんなに緑の多い都市だとは思わなかった。江戸の大半は武家地に寺社地だ。その殆どは緑の庭となっている。それに江戸の細部まで行き渡った川や水路。水と緑の都と言った趣を感じるのだった。

「それにしても、町人の住んでる所の狭さですなぁ」

 蔦屋さんは半分呆れてそんな事を言っているが、人口の半分以上を締めていた町人が江戸の街の二割ほどの面積の所に住んでいたのだから、無理もない感想だった。

「蔦屋殿、広重殿、ご自分の意識を変える事で何処へでも行けますでござんすよ。目的の場所を見つめて『あそこに行きたいと』念じればそこに行けるでござんす」

 さきに言われて蔦屋さんと広重さんは、それぞれお互いに行きたい場所を意識した。

 すると広重さんは深川の方にスーツと移動して行く。さきがそれに付き添う。蔦屋さんは江戸の街を廻り出した。俺がそれに付き添う。最初は只意味もなく回っていたと思ったが、やがて墨引きに添ってその上を飛んでいるのだと気がついた。

「蔦屋殿、墨引きでございますな」

「お判りですか。一度江戸と言う街の広さを実感して見たかったのでございます。こうして空から飛んでると狭いものでございますな」

 蔦屋さんは気持ちよさそうに飛んでいる。一回りして戻って来ると、広重さんはさきに色々とアドバイスを受けて絵の参考になりそうな場所を巡っていた。

 俺は戻ったら蔦屋さんに尋ねて確かめたい事を整理していた。

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