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浮世絵美人よ永遠に  作者: SAKURAI
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第十四話 二人の新居

 よく考えて見ると誰と誰が一緒になろうと、構わないのだが、その人物が問題なのでこんな会議をやっている。

「二人が何処で所帯を持つかが重要だと思うがのう」

 山城さんがお茶を飲みながら意見を言うと坂崎さんが

「いっそ、センターで暮らすとかどうじゃな?」

 そう言って二人でセンターで暮らす事を提案する。俺はそれも良いが、現実にお栄さんは北斎さんの助手をしている事が多いのでは無いかと思った。それに調べると、あちこちに絵の指導をしに行っているそうだ。その辺の事もある。

「お栄さんの仕事に障害が出るならセンターで暮らすのは不味いと思いますが、二人で組織が借りてる神田の長屋で暮らすと言うのは如何ですか」

 俺は今まで考えていた事を述べた。神田の長屋は天保の頃は誰も住んでいない。俺が最初に転送された嘉永の頃でもそうだった。やはり治安が良くても無人は良くないと思った。

 すると五月雨さんが

「神田の長屋を組織が借りてる理由は、あそこが次元的に有利な場所だから、あのあたりに場所を確保しておきたかったからなんだ。それに神田だと本所まで遠い。いっそ近くにもう一軒借りても良い。長屋で無くても一軒家でも良いし」

 五月雨さんが言った「次元的に有利」と言うのは転送し易い空間になっていると言う事で、これは何処でも良いと言う訳には行かないらしい。それに「次元的に有利」な空間は一種のパワースポットでもあり、その当時の人にとっては入り難い空間でもあるそうだ。

 ここで今まで黙っていたお栄さんが口を開いた。

「父、鉄蔵は今は『富嶽百景』を書いています。これは数年続くと思います。実はそれが終わったら旅に出たいと言っているのです。これには弟子が付いて行くと思いますが、それまでは近所に住んでいませんとなりません」

 現実的にはセンターで暮らすのは難しいと言う訳だ。すると蔦屋さんが

「わたしも、正直、江戸で暮らせるなら、その方が嬉しいですね。センターの生活も快適なんでございますが、何というか刺激が無さすぎて」

 確かに、それは言えるかも知れない四季が判らない空間で暮らすとボケる恐れもある。

「医療の事さえクリアしたら、江戸で住むのも悪くはありませんぞ」

 坂崎さんが腕組みをしながら意見を言うと山城さんも

「そうですな。病の治療は何と言っても未来が有利なのは当たり前だし、組織が定期的に診察をしていればそれも良いかも知れませんな」

 山城さんの意見には俺も賛成だ。蔦屋さんは転送のタブレットを与えられているのだから、診察もし易いと思った。

「結論が出たようだな。お二人、それで良いですかな?」

 五月雨さんの質問に二人はそれぞれ

「構いませぬ」

「一緒に住めれば何処でも」

 そう言って了承した。

「では、本所に近い場所で一軒家を探さねばならないな。光彩夫婦にそれはお願いしよう。坂崎くんも手助けしてやって欲しい」

「了解致しました」

 こうして、俺たちが蔦屋さんとお栄さんの新居を探す事になった。現実的には二人の意向に添って探す事になる。

 江戸では女は家を借りられないので蔦屋さんの名前で借りる事になる。蔦屋さんは戸籍的には喜多川氏の養子になっているから、既に亡くなっているが、喜多川重三郎が本名でもある。まあ、明治以前は勝手に武士や苗字帯刀を許された者以外以外は勝手に名前を変える事もあったから、そんなに重大な事では無いらしい。

 実際は、組織が何処からか戸籍を用意したらしい。何か問題が起きたら坂崎さんに保証人になって貰えば良い。これほどしっかりとした保証人も居ないだろう。

 何回か江戸に行って、坂崎さんの見回りの地域で探す事にした。この頃の坂崎さんは本所から深川、更に日本橋あたりを見回りしていた。この地域から選ぶ事にした。

 町奉行所の支配地域は「墨引」と呼ばれ、江戸の範囲を定めた「朱引」よりも小さい。これは明治になるまで変わらなかった。


 吾妻橋を渡った先は寺社地と武士の拝領屋敷、それに町人地が入り混じっていた。その中に寺社と松浦肥前守の屋敷に取り囲まれた所に荒井町と言う所がある。そこに妙源寺と言う寺が建てて貸している一軒家があった。

「ここだ。どうかな?」

 坂崎さんの知り合いの寺社奉行の同心の紹介だった。寺社は借り手の身分を詳しく調べるが、ここでも問題は起きなかった。

 紹介された一軒家は、歌の文句ではないが、粋な黒塀見越しの松と言う訳には行かなったが、塀に囲まれた瀟洒な一軒家だった。

「いいじゃありませんか。ここなら北斎さんの家にも近いし。お栄さんはどうかな」

 蔦屋さんがそう言ってお栄さんの感想を尋ねると

「そうですね。ここなら丁度よいと思います。余り近過ぎると年中鉄蔵が来る気がしますからね」

 お栄さんも、そんな事を言って笑っている。俺は

「嫁に行っていた時も年中来たのですか?」

 そんな事を尋ねてみた。すると

「そうですね。三日と空けずにやって来ましたよ。南沢等明の描いたものを見てはあたしに『下手だ』って言うのですよ。夫婦仲が悪くなろうものじゃありませんか」

 確かに、お栄さんは居心地が悪かったろうと思う。

 手続きは、坂崎さんの指導の元に俺とさきで進めた。勿論家主である妙源寺には蔦屋さんが挨拶に訪れた。

 それから暫くして蔦屋さんが借りた家に引っ越して来た。そんなに荷物は無いが、資料は多いらしい。タブレットは他の駐在員と同じようにソーラー充電器で充電することになった。問題はそれ以外の文明の利器が使えない事なのだが、それは蔦屋さんがセンターか、八重洲の事務所に来る事になった。

 借りた家の間取りは二階建てとなっており、入った所が玄関で右が台所、左に階段がありまっすぐした廊下の左が八畳となっている。驚いたのはこの家には内風呂が備わっていた事だ。この当時、これは珍しかった。

「まあ、余程のことが無い限り湯屋に行きますよ。その方が慣れていますから」

 確かにそうなのだろう。未だまだこの時代は火事が多かった。二階は四畳半と六畳となっていた。二階の窓から吾妻橋と大川が眺められた。

「いい場所ですね」

 俺の感想に蔦屋さんが

「でしょう。一目で気に入りました。お栄さんも生まれた場所に近いですし、本当に良かったと思います」

 お栄さんの荷持は俺と坂崎さん。それに蔦屋さんとさき等皆で少しづつ運んでこれも片付いてしまった。大体江戸の人は荷持が少ないのと火事が多いから家財を余り持たないのだ。

 こうして二人の暮らしが始まった。

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