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浮世絵美人よ永遠に  作者: SAKURAI
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第十話 吉原へ

 新宿の日本東亜美術館から帰って来た。北斎さんは途中の景色を眺めていたが、お栄さんは美術館で写生した下絵に手を入れていた。それを脇から眺めながら北斎さんは

「今まで、お前には随分手伝わせてしまった。今度は本格的に自分の絵を描いちゃどうだ。それだけの力量もあるだろう。特に美人の絵なんざ俺より上手い」

「描けるかな……挿絵や小物じゃなくて、ちゃんとした奴……」

 俺は先日の国立博物館に行った時に、わざと「月下砧打美人図」は見せなかった。見れば自分の作品だと判るだろう。それが良いか悪いかは判らない。特にあの絵は一度押した落款を削って父親の作品として売ろうとした事がある。それを止めさせたのは蔦屋さんだ。蔦屋さんは早くから彼女に注目していて、幼い頃からしばしばタイムスリップして色々と教えていたらしい。お栄さんの身元引受人が蔦屋さんだったのもそのような事情があったからだ。

「一度江戸に帰りたい」

 下絵に手を入れながらお栄さんがポツリとそんな言葉を漏らした。

「なんだ、お前こっちに住むつもりだったのか?」

 北斎さんが驚いて訊くと

「違うよ。書きたいものが出て来たんだ。それはこっちの世界じゃ駄目なんだ」

 そう言って運転している俺をミラー越しに見つめた。

「事務所に帰ったら相談しましょう。北斎さんはこのまま帰らえるのでしょう?」

 俺は北斎さんの都合を口にすると

「じゃあ、その時一緒に帰りたいな」

 彼女がどうしても描きたくなったものとは何だろうか?

 俺は運転しながら考えていたのだった。


 事務所に着いて、これからの予定を確認する。さきが予定表を眺めながら

「鉄蔵さんはこのまま江戸の自宅に帰る事になっています。正直お疲れだと思います。一旦休まれて、次の機会に来られても良いと思いますが、如何ですか?」

 さきに尋ねられた北斎さんは

「そうさなぁ~ 疲れたのは正直、そうだな。一旦帰ってしたい事もあるしな」

 恐らく、北斎さんも何かしらの刺激を受けたのだと思う。あれだけの絵画を見たのだ。絵師としても考える事があるのだろう。

「お栄さんは着替えないとなりませんので、わたしと一緒に一度センターに向かってください。そこで着替えてから江戸に向かいましょう」

「おい、鉄蔵さんの帽子と着物は?」

 確か北斎さんもセンターで着替えていたはずだった。

「帽子だけこちらに置いておけば宜しいかと思ったのですがねえ」

 さきはそんな呑気な事を言ってるが

「万全を期した方が良いと思うがな」

 五月雨さんの言葉で北斎さんも一旦センターで着替えてから江戸に向かう事になった。 そう決まるとお栄さんが蔦屋さんに何かを耳打ちをしている

「手形を貰えば一人でも大丈夫でございましょう」

「でも夜だから一人では……」

「ではこうすけさんにも一緒に行って貰いましょう。何かあった場合、頼りになります」

 何処に行く相談なのだろうか。兎に角俺も一緒に連れて行く腹積もりらしい。

「お栄さん、何処に行って何を書きたいのですか?」

 はっきりと尋ねてみた。すると

「夜の吉原の光景を描いてみたいのですよ。本当の夜の女達の様子を描いてみたいのですよ」

 何と言う事だ。これは「吉原格子先図」を描くと言う事ではないか。俺は自分が歴史の真っ只中に居る事を意識したのだった。


 センターで手短に着替えを済ませる。さきもここまでは同行して来た。そんな行動をお栄さんは勘違いしたのか

「さきさん。大丈夫です、ナカに入っても見世には上がりませんから」

 ナカとは吉原の遊郭の事で当時の隠語だ。

「それは一応大丈夫だとは思いますが、なんせこの人も男ですから」

 そうか、それで、さきの視線が冷たかったのかと理解した。

「馬鹿だな。仕事で行くんだ。そんな事する訳が無いだろう」

 当たり前の事を口にする。俺としては「吉原格子先図」をちゃんと描いて貰うのが先決で、自分の事なぞどうでも良い。

 さきは一応納得した。俺は、正直、何処の誰とも判らない人間とそんな気にはなれない。


「では蔦屋さんもお願いします」

 さきに、そう言われて転送室に入る。俺と蔦屋さんとお栄さん、北斎さんの四人は江戸の北斎さんの自宅に転送された。

「へえ~こりゃまた驚いた。この前食い掛けだった饅頭が未だそこにある」

 北斎さんが驚いている。

 一応自分の時計で確認する。今は、この前ここからセンターに向かった時間から三分後だ。

「前とほぼ同じ時間ですよ」

 そう教えてあげると、納得した。すると北斎さんは

「そうか、何だか時を儲けた気がするねえ」

 そんな事を言って上機嫌だった。

「俺は少し横になるから」

 北斎さんはそう言うとゴミを片付けた所でゴロリと横になった。そしてすぐにイビキをかき始めた。

 江戸の時間は未だ朝の内だ。一種の時差ボケになっているのだ。北斎さんとすれば丸々一日東京で美術館を見て廻ったばかりで気持ちは夕方なのだ。そこで我々は、この時代の組織が借りてる神田の長屋に行く事にした。そこで夕方まで雑魚寝をしよう言う事になった。お栄さん曰く

「昼のナカなんて見ても仕方ない」

 と言う事だった。それに確か長屋には寝具も用意されていたと思う。俺は兎も角、お栄さんと蔦屋さんにそのままの格好で寝さす訳には行かなかった。

 長屋に着いてみるとどうも先程まで坂崎さんが来ていた様だった。連絡のメモが残されていた。それを見ると

「布団は三組あるから安心して使うように」

 と現代語で書かれてあった。変体仮名なぞ使われたら全く読めない。それにしても、惜しい事をしたと思う。でも考えて見ると天保の頃の坂崎さんは未だ結婚はしていない。したのは嘉永の頃の坂崎さんだ。何だか面倒くさい。

 布団はたしかに三組あったので、それぞれが困らずに寝られる事が出来た。横になり布団を掛けるとすぐに意識が無くなった。


「そろそろ良い時間でございますよ」

 蔦屋さんの声で目を醒ます。お栄さんは既に起きていた。

「何処かで蕎麦でも手繰ってから行きましょうか」

 蔦屋さんの言葉に頷いて、布団を畳んだ。気のせいかも知れないが一組が綺麗なままの様な感じがした。

 長屋から大通りに出た所の蕎麦屋で蕎麦を手繰る。この頃の蕎麦の量は今のより少し小ぶりで。当時の大人は男女でも二杯食べたらしい。蔦屋さんは

「ここの蕎麦は結構行いけるのでございますよ」

 そう言って俺とお栄さんを店に案内した。

 店は思っていたより広く、店内は朝から賑わっていた。

「何が出来るのですかね?」

 俺はそんな質問をすると

「こうすけさんの時代のものは大抵ありますよ、カレー南蛮とかはありませんけどね」

 確かに幕末の頃には今とそう変わらないものが食べらたらしい。そこで俺は

「しっぽくを食べてみたいなぁ~」

 そう口に出した。落語好きなら一度は本物の「卓袱」を食べてみたいと考えるのでは無いだろうか。

 結局、三人とも同じのにした。

「やっぱり二杯食べるのかな?」

 俺がそんな事を言うと蔦屋さんが

「これからナカに繰り込もうとしてるんですよ。一杯がいいのでは無いでしょうかねえ」

 確かにそれはそうだと思った。そして蔦屋さんは

「お栄さんは女性ですし、こうすけさんは歩き慣れていませんから、そこの和泉橋の袂の船宿から猪牙舟ちょきぶねを仕立てて、船で乗り込みましょう。実際に見世に上がる訳ではありませんから、それぐらいは奢りましょう」

 その考えに俺もお栄さんも賛成した。

「和泉橋の袂の神田川から大川へ出て、あとは見物しながら上流へと上っていくのでございますよ。舟は山谷堀の入口で止まるので、そっから土手を歩いても良いと思います。距離はすぐですからね」

 蔦屋さんの説明を聞いて俺はちょっと楽しみになったのだった。

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