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月の花  作者: 守野伊音
5/12

五.ひとりの旅仲間



 虹の都に辿り着いたとき、身体は予想以上に疲れてきっていた。普通に旅をしていれば何か月もかかる道のりを、たった二週間で越えてきたのだ。

 星の都以外、生まれて初めて見る他国は特に何の感慨も及ぼさない。いつか一緒に行ってみたいねと笑い合った人を探すために、月花は彼との約束を破ってしまった。


 外壁も、巨大な門も、そこにいる門番の服も。七色なのはいただけない。虹の七色は自然が作り出すから美しいのであって、人間が塗りたくっても目に痛いだけだ。

 都といっても、端から端までたどり着くには歩きではかなりかかる。都は一国なのだ。

 門にはたくさんの人間が並び、出身国と名前を書き、中に入っていく。多数の視線に月花は気がつかなかった。見られることに慣れている身分だからだ。自分の番が来て、荒い紙に素早く月の都、月花と記入した。門兵の男は驚いた顔で月花を見ている。

「あの、何か」

「お嬢さん、月の都から来なすったのかい? 俺はてっきり、月の都なんてお話の中だけのものだと思ってたよ」

「とても、遠いので。あの……私は入れてはもらえないのですか?」

「いやいや、そういう訳じゃないとは思うんだけど。俺の判断じゃどうもいかねぇのさ。悪いが、上に連絡つける間ここで待っててもらえるか?」

 中年の男は困ったように髭を掻きながら、ばたばたとその場を離れていった。残った門兵達は、己の職務を遂行しながらも、ちらちらと視線を月花に向けてくる。門を通過していく人々も、列を作っている人々も。皆が一様に月花を見ている。最初は気がつかなかった月花も、通る人全てに見られていては気になった。背筋を伸ばしてまっすぐに立っていると、若い門兵が困ったように眉尻を下げて、椅子を持ってきてくれる。おどおどと、どこを見ていいのか探しているようだ。せっかくだから、椅子の礼を言いながら聞いた。

「あの、私、何かおかしいのでしょうか?」

「うはい!?」

 若い男はとても驚いたように跳ね飛んだ。突然話しかけてしまったからだろうか。それとも月花には分からない何かの文化や理由で恐がらせてしまっているのだろうか。

「も、申し訳ありません。あの、でも、出来れば何故皆さまが私を見ているのか、理由を教えていただければと思ったのですけれど」

 男はあたふたと両手を彷徨わせて、結局宙で止めた。頬が赤くなっている。

「いや、あの、だって、その……あなたの髪が、ですね」

「髪、ですか?」

「はい。そんな色の髪は見たことないです。だって、見てくださいよ。俺もそこに並んでいる人も、都中探したっていないですよ。そんな月みたいに輝く髪。そりゃあ目立ちますって。それに、あなた、その……きれいだし」

「まあ、ありがとう。でも……そんなに目立つかしら、私」

 男は神妙に頷いた。月花は気づいていなかった。まるで月が下りてきたかのようにきらきらと光を弾く長いたっぷりと揺れる髪は、嫌でも人目を引いた。そして、天女のように美しい娘がその髪をしていたら、誰でも目を奪われる。

「あの、天の宮古への行き方をご存知ですか」

「天の宮古? あれこそお伽噺じゃないんですか?」

その本人は自分の髪を一房弄りながら見つめていた。月の都にいれば当たり前だったこの髪は、他国では珍しいらしい。やはり自分は世間知らずなのだと改めて痛感する。

 それをもう一度実感したのは、金に輝く部屋の中で、肉の塊に押し倒された時だった。

 月花はきょとりと首を傾げ、自分の上に圧し掛かっている男を見上げた。見たこともないほど肉を身体に纏い、どこが本来の顎の線か分からない。

 男は虹の都の王だという。全てが金で出来ていて、生けてある花にまで金箔があしらわれている部屋に通されたのは五分前だ。最初に応対してくれた髭の男がなんとも言えない顔で戻ってきて、王が直接話をしたいという旨を伝えてきた。もしかして王族だと言うことが知られたのだろうかと思った。だが、男の言葉を聞いて門兵一同、周囲にいる人含め、皆が最初の男と同じ、なんとも言えない顔をした。

 椅子を持ってきてくれた若い男が、控えめに、戸惑いがちに声をかけてくる。

「あの、帰られたらいいと思いますよ」

「ぜひ、ぜひそうすべきだ、お嬢さん!」

「そうだ、この都もそんなに物珍しい物なんてありゃしない。な、分かるだろ?」

 次々と口火を切った人々に首を傾げた。何が分かるのだろう。それに王に会えるのならばそれもまたよしだ。天の宮古への行き方を聞きたい。一応そこにいる全ての人に尋ねてみたが、一様に呆れられて終わりだった。それより帰ったほうがいいと言われたが、そんなわけにもいかない。何故か悲しげな視線に見送られてこの金の部屋に通された。


 木を主とした部屋作りに慣れている月花にはあまり見慣れないが、どちらかというと星の都の建築に似ている。部屋の中はこんなにも悪趣味ではなかったが。否、月花は首を振った。自分にとっては悪趣味でも、ここの文化ではそうではないのかもしれない。だが、どうして来客を通した部屋なのに、目に見える場所に寝台があるのだろうか。

 訳の分からない居心地の悪さを感じながら待つこと五分、王がやってきた。椅子から立ち上がり、挨拶をした途端、突き飛ばされて今に至る。




 肉に埋もれてほとんど見えない指輪をたくさんつけた指が身体をなぞる。ぞわぞわと触れられている場所から嫌悪が昇る。これは、挨拶ではないはずだ。たぶん。

「あの、私は聞きたいことがあってここに」

「なんと麗しい姫だ。この金の髪のなんと美しい……」

 姫といわれた。やはり一の姫と知られているのだろうか。だが、交流がない都の姫の名前など知るはずもないだろうし。何故だろう、何故ばれたのだろう。何か自分では気づかなかった行動があるのだろうか。

「なんて美しい……夢のような、もしやお前は天女か?」

「違い、ます。あの、王よ。天の宮古をご存知でしょうか」

「そのようなお伽噺は後でも出来るであろう……ああ、なんと麗しい」

 ぶよぶよとした感触は巨大な羽二重餅だ。窒息しそうだ。男の顔が首筋にたどり着き、舐めた。ぞわりとして吐き気がする。首筋を噛まれた段階で、月花はようやく悟った。

「離して!」

 突き飛ばそうにも肉の中にぐにゃりと手が入り込み、効果はない。

「三日月!」

 鋭く叫び、術を発動する。白い光りは真上の天蓋を切り裂いた。蛙が潰れたような声が上がる。……いや、蛙に失礼だ。

月花に衝撃はない。全て目の前の王がクッションになった。圧し掛かられて息が詰まる。なんとか這い出せたとき、衝撃で息を詰まらせていた王が叫んだ。

「であえ! 娘が逃げたぞ! であえ、であえ――!」

 月花は転がるように駆け出した。

 知らない城内を、知り尽くした者達から逃げるには限度がある。どこに逃げても人がいるように思う。追ってくる者も、そうでない者も、月花を見て息を飲んだ。この金髪がそんなに目立つのならば切ってしまえばよかった。けれど、ああ、けれど。華月が好きだったこの髪を目印にしたかったのだ。

 姿を消そうにも、術を乱用してきた強行軍のせいで今使うと倒れてしまいそうだ。

 前からも後ろからも人の声がする。怒声なので追ってきた兵士だろう。いつの間にか中庭に出ていたらしい。どちらから来たのかも分からない。いっそ戦うべきか。だが、術がどこまで持つだろう。比較的力を消耗しない小型の三日月でも、そう何十発も使えない。

「こっちだ!」

 どこからか手が伸びてきた。ぎょっとしたが、よく見ると壁だと思っていた所は建物と建物の間の隙間で、そこから少年と青年の狭間ほどの男子が月花の手を掴んだ。

「なにぼうっとしてんだよ! いいからこっち、走れ!」

 引っぱられるままに細い隙間を縫って走る。三度も曲がれば、もうどこを通ってきたのか分からない。怒声が聞こえるが全て建物を通してだ。彼らの鎧では、これだけ狭い場所を通るには邪魔になる。男子は薄い服一枚ですいすいと狭い道をすり抜けた。あっという間に景色は変わり、いつの間にか再び建物内に入っていた。一度も止まらず走り続けていた男子は、勢いのまま扉を開いて中に月花を押し込んだ。自分もするりと中に滑り込む。しばらく扉に耳をつけていたが、やがて長い息を吐いた。

「……やっと撒いた。あんたバカだろ。あの女好きのとこなんか、のこのこいきやがって。食われちまっても文句言えねぇんだぞ」

 汗を乱暴に拭った男子に、月花も神妙に頷いた。男に首を舐められた時に気づいたのだ。

「ええ……私が愚かだったわ。天の宮古が実在しているからといって、まさか人食い鬼までお伽噺ではないなんて。私、お話の中のことだと思っていたのに」

「……なんだって?」

「食人鬼。だから皆、逃がそうとしてくれていたのに、私、気がつかなくて」

 男子は目を丸くして、その次に凄まじく脱力した。何故だろう、疲れたのだろうか。迷惑をかけてしまった。

「人食い鬼なんていねぇよ」

「だって私を舐めて、噛んだわ。味見をしていたのよ、きっと!」

「…………本気で言ってんの?」

「女、子どもの肉は柔らかいから人食い鬼には好まれると聞いたわ。だって、貴方言ったでしょう? 女好きだって」

 再度脱力した男子の後ろで高い女の声が三つ上がった。きゃらきゃらと心底楽しそうに笑っている。そこでようやくこの部屋にいるのは自分達だけではないと気がついた。

 視線をやれば、意外と奥が深く、大きな部屋だった。月花の暮らした宮に比べたら壁が多いが、奥にはまだ部屋が続いている。豪華な飾りの多いソファーに三人の女性がいた。

一人は寝そべり、二人はそっくりな顔を寄せ合っている。みな豊満な身体を惜しげもなく曝し、妖艶に満ちた笑みを浮かべている。

「シエル。こら、アルカン・シエル。いつまでそんな所に女性を立たせておくの。ほら、こちらにお連れして」

 歌うような声だった。だがまだ笑いが収まらないのか、少々震えていた。シエルと呼ばれた彼は、疲れたように月花を彼女達の傍まで連れて行った。窓際を陣取った大きなソファーの前にある椅子に座らせる。太陽の光が当たりきらりと光った金髪に一瞬だけ目を見張った。彼らは全員、茶の髪だ。

「右から、アルクス(ねえ)、双子のイリス姉、イーリス姉。あんたの噂を聞いて、あの女好きから助けて来いって言われたかわいそうなオレが、アルカン・シエル。シエルでいいぜ。でもあんた、自力で逃げ出してきちまってたけどな」

 アルクスは長く波打つ髪を大きくたくさん巻いていた。双子はストレートだ。月花の髪を見て悩ましげなため息をついた。

「貴女さまほど素晴らしい髪ならば、このように弄らなくても宜しいのに。本当に見事な髪だこと。貴女さま自身も。貴女さまほど麗しい姫を、わたくし見たことがありませんわ」

 ほぅっと息を吐かれる。月花は堪らず気になっていたことを聞いた。

「あの、私が姫とさっきの人食い鬼も言っていたのですが、私、そのように見えます?」

 三人の女性は噴き出した。お腹を押さえて涙目で震えている。

「女性はみな、姫と呼ばれる権利を持っておりますゆえ。姫の地位におらずともそう呼ばれるもの……それにしても、グールですって、あの男」

「あ、あなたって、とっても不思議。素敵だわ!」

 答えるようにイーリスが笑う。まだ笑いの発作は治まらないらしい。困ってシエルを見れば肩を竦められた。気のせいか、あんた馬鹿だなって言っているように思う。いや、気のせいだ。恩人をそんな風に見てはいけない。

「あんた、馬鹿だなぁ」

 全く以って気の所為ではなかった。



 ようやく笑いの発作を治めた三人は咳払いをした。

「久しぶりに笑わせて頂いたわ。ねえ、もう少し貴女さまのお話しを聞かせて頂けないかしら? わたくし達、きっと貴女さまの役に立てると思うの」

「あの、皆さまはどういった方なのですか?」

 女達は顔を見合わせて、くすりと笑った。

「愛妾、ですわ」

 彼女達は誰のとは言わなかったが、なんとなく、彼女達が愛妾となっている相手は、凄く立派な方か、それともとても愚鈍なる者であると思えた。

 胸が揺れるのもかまわず、アルクスは身を乗り出す。

「わたくし、月の民さまを初めて見ますわ。ずっと伝説だと思っておりました。星の都もございますの? 天の宮古も?」

「星の都は隣に。あの、天の宮古への行き方をご存知ではありませんか。言い伝えなどでも構わないのです。なんでも、なんでもいいのです!」

「貴女さま、天の宮古へ行きたいの? 貴女さまは……あら、嫌だわ、わたくしったら。まだ貴女さまの御名を」

 たっぷりとした巻き髪が揺れる。名乗っていなかったと気づいた月花は、慌てて居住まいを正す。

「月花と、申します」

「月の花? あら、いやだ。月花さまは本当王族でしたの? 確か、お話によると、月の民さまは王族だけが月を名乗るを許されていると存じておりますの」

 楽しげに問われて月花は眩暈がした。存在は伝説だと思われていながら、どうして妙に細かいところは伝わっているのだ。名前を変えようかと少し本気で思った。だが、華月と会うときは月花で会いに行きたい。

「王族の姫さまが、何故遠い都を出ていらしたの?」

「たったお一人で? 供の者はいないの?」

「天の宮古をお探し?」

「何故?」

 双子が次から次へと言葉を投げてくる。飲まれないように息を一つ吸って、吐いた。

「あら、警戒しなくて宜しいのよ? わたくし達は貴女さまの御力になって差し上げたいの」

「でも、どうして。会ったばかりの私に」

「わたくし達、とても退屈していますの。それに、覚えておいてくださいませね、麗しい月の姫さま。お可愛らしい方には、誰もが手を貸したくなるものでしてよ?」

「はぁ……えっと?」

 よく分からない。

「それに、虹の民は総じて月の民さまに弱いものなのですわ」

 目の前の三人から悪意は見られない。横でシエルは、頭を押さえてため息をついている。

「話してくださったら、わたくしも知っているお話を教えて差し上げますわ。こんな場所にいるとね、旅人や語り部、吟遊詩人。色んなお話が耳に入ってくるものなの」

 本人のほうが歌うように言葉を紡いでいる。それが羨ましい。月花はぎゅっと拳を握り締めた。言葉にするには、まだ痛い。思い出にするには生々しすぎた。月の都では誰も口には出さなかった。月花も話さなかった。忘れろといわれることが分かっていたからだ。

 だから、自分の中だけで大事に抱えてきた。傷口が乾くことを許さず、思い出し続けた。言葉にするのは、あの日以来の名前だ。

「供はおりません。目的は天の宮古へ行くことです。天の王は九年前に少年を連れ去った。私は彼を取り戻したいのです。華月……華月と、申します。銀髪で月のような瞳をした、可愛い少年でした。私と同じ年なので、今は十六歳です」

「大切な御方、ですのね」

 ああ、なんて痛いのだろう。息を吸うだけで肺が引き連れる。嘗てはその名を呼ぶだけで満たされた心は、抉り取られるように悲鳴をあげた。

「……華月は私の半身です。いつだって一緒で、離れることなんて想像もできなかった。私は華月で、華月は私だった。意味も何も知らず、ただ一緒にいられる約束だと信じて結婚の約束もしました。一緒にいたかった。失いたくなんてなかった。けれど父は華月を諦めた。天の王に捧げられたのだと思えと」

「……天の宮古はどこにあるかも分からない古の宮古。天の王族は年も取らず、何百年と生きる力を持つ絶大な存在。地上を統べる死を知らない王。聞いた話では女王だと、吟遊詩人が歌っておりましたが」

「美しい方でした。けれど恐ろしい力を持って私を切り裂きました。首から、足の付け根まで」

 誰もが息を飲んだ。首元から除く傷跡に視線が集まるのが分かる。決して消えない傷跡。だがそれでいい。華月を救えなかった烙印だ。


「そんな恐ろしい思いをしてまで、それでも行くの?」

「次は殺されるかもしれないのに? 貴女さまは死が恐ろしくはないの?」


 双子は問い、月花は答えた。そこに、躊躇いはない。

「華月を失う以上に恐ろしいものが、この世にあるでしょうか」

 あれ以上の痛みが存在し得るというのだろうか。身体を両断する痛みよりも遥かに勝り、中毒性すら持っているかのように蝕み続ける痛み。世界が終わったような痛み以上のものがあるのなら、そっちのほうがまだマシだ。

 三人の女性は黙り込んだ。月花は答えを待つ。どちらにしても話してもらわなければならない。二つの都以外の行き来が無い場所では到底聞けない話を。

 考え込んでいたアルクスは、何かを決めたように瞳を開けた。一々行動が優雅だ。

「シエル、お前月花姫と一緒に行きなさい」

「んなにぃ!?」

 今まで黙っていたシエルは、目をひん剥いて怒鳴った。驚いたのは月花も同じだ。だが双子はそう言うと思っていたのか特に驚きもない。寧ろ楽しそうだ。

「アルクス姉、何言ってんの。はっ、ぼけたか!」

「お黙り!」

 扇子が飛んできてシエルの頭に突き刺さった。痛みに呻く弟を無視して、アルクスはにこりと微笑んだ。

「月花姫、どうぞこの馬鹿を連れて行ってくださいな。馬鹿ですけれど、生きる術はたくさん教えてあります。父母を早くに亡くし、わたくし達が育てました。馬鹿ですけれど、荷物持ちと踏み台くらいにはなりますわ。ただし、馬鹿ですわ」

「オレは行くなんて言ってねぇぞ! それとバカバカ言ってんじゃねぇよ!」

「お前、前から天の宮古に行きたいと言っていたではありませんか。これも人助け。人を助けながら自分の目的も達成できる。なんと素晴らしいことではありませんか!」

 大袈裟に両腕を広げれば豊満な胸が揺れた。ぽかんとしている月花の前で、姉妹は弟をてきぱきと旅支度にしていく。

「気をつけなさいね」

「お前は馬鹿なのだから」

その様は贅に慣れた女のそれではない。働く事に慣れた女のものだった。

「オレいかねぇぞ!? 離せって、姉貴!」

「いいからお黙り! いいこと、よくお聞きなさい。あの阿呆な鬼……ぷっ……もとい愚かな変態は、次は男の子なぞにも手を出してみたいなどと、アホ丸出しのアホアホしい事を思いついて非常にアホらしいのですけれど、お前はしばらく離れていなさい。大丈夫ですよ、この姉達が、二度とそのようなことを思うことも出来ぬよう、みっちり仕置いてみせましょう……そして、始めますよ、シエル」

「姉貴……オレの為に!」

「三秒以内にこの部屋から出ないと、お前の恥ずかしい思い出を挿絵つきで公開してあげましょう。一枚いくらで売れるかしら」

「こんちくしょう」

 アルクスが、いつの間にか指の間に挟まれていた絵をちらつかせた瞬間、シエルは月花の手を取って窓に向かってダッシュした。入り口よりは窓のほうが近い。

「あの、話! お話は!?」

「全てその子が知っております。どうぞご無事で。そしてどうか願いを叶えてくださいませ。貴女さまの行く先に、幸福と空の加護が満ちておりますように」

 引っぱられるままに窓から飛び降りる。同時に部屋の中に荒々しい声が満ちた。兵士が雪崩れ込んできたのだと気づいたときには、もう走り出していた。一度もふり向かないシエルに叫ぶ。

「私のせいで御姉様が! 戻らなくては!」

「あんの狸やら狐やらの姉貴達がどうにかなるはずねぇよ! どっちかというとやばいのはオレ達なんだって!」

 言葉通り城壁を出る前に兵士に囲まれた。シエルは裏道をよく知っていたし、それなりに腕も立った。だが人数が多すぎる。壁に庇われる形で背を向けられる。

「なんか、初っ端からピンチだぜ。どうすっか。とりあえず投降してぇけど、そうするとオレは姉貴達に殺される!」

「……シエル、私が倒れたら頭を打たないようにお願いできる?」

「はい?」

 怪訝そうな顔がふり向くより早く、月花は叫んだ。

「白道!」

 地面がふわりと崩れる。たくさんいた兵士達の驚いた顔の中に門兵もいた。ありがとうも言えなかったことを詫びたい。そのまま掻き消えた二人組みに、怒声を上げた組と、歓声を上げた組に分かれたことを、月花は知らない。




 回り全てが白の闇に囲まれた道を進む。シエルの手は離さない。術者でない者がこの中で道を失えば二度と出られないからだ。

「すっげ、何これ! すっげぇ。月の民はこんなのが使えるのかよ。もうどこの都で古の術は失われてるってのによ」

「皆ではないけれど、王族の女は使えるわ」

 白い靄のようで漆喰の壁のようで、何一つ確かではない、月の民の為の道。

「……どこに向かえばいいの?」

 そういえば話どころか行き先も聞いていなかった。とりあえず逃げ込んだはいいが、長くはもたない。シエルは姉に似た髪の毛を面倒くさそうに払った。後ろは肩を越えているが、横髪は耳にもかからず邪魔そうだ。

「雲の都だ。天の宮古は空にある。宮古を地上から見られるのを嫌った天の民は、雲の民に頼んで宮古を雲で覆わせたって言われてる。雲の都に行けば、何かしら手がかりがあるはずだぜ。都伝いに行ったほうがいいから、次は土の都を目指せ」

「土の、都」

「その名の通り、土くれで家やら何やら作っちゃう都だってさ。みんな顔色まで土気色だったらどうしようなー……って、お前も顔色土じゃんか!?」

 驚愕したシエルの顔がぼやける。長い間白道を見ていた目がぼやけているのか、それともこの揺れる意識のせいか。視界が薄れ、吐き気がする。術の使いすぎだ。やはり、あまり長い間はもたなかった。

 謝ろうと思ったがそれより早く限界が訪れた。ぱちんと何かが弾けるように術は途切れ、高さ二メートルの位で本来の地上に現れる。

「なんですとぉ!?」

 シエルのよく分からない悲鳴を最後に、意識は途切れた。


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