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月の花  作者: 守野伊音
2/12

二.ふたりの約束

 宮に戻ったら想像していた以上に凄まじく怒られた。

 ゆず子おばばの小さな曲がった背が大きく見えるほど、怒りで膨らんでしまったように見える。でも、二人は平気だった。すぐに引き離されて、それぞれの場所で延々と何時間も正座でお説教をされても、ちっとも泣きもしなかった。何を言われても、夕飯まで抜きにされても、おやつも一週間抜きでも、にこにこと笑えてしまう。だって、これは全部今だけなのだ。十六歳になったら結婚して、ずっと一緒にいるのだ。月花はにっこりとした。よりにもよってゆず子おばばが本日一切々と語っていた時に笑ってしまったので、これまた本日一の雷が降った。


 どんなに会えなくても平気だった。ずっと一緒の約束をしたのだから。

 さみしくても今だけだと我慢した。十六になったらずっと一緒なのだから、今会えなくても大丈夫だと思った。みんなにも偉いねと言われた。さすが六つになったのだと。

 


 けれどそれも、一ヶ月経てば話は別だ。

 一ヶ月、華月に一度も会えなかった。ご飯も一緒じゃなくなったし、お勉強も全部ばらばらだ。しかも、抜け出そうにも華月は昼の間、宮の外にいる。飛びぬけて優秀なため、少し早めに小学に通うようになったのだ。だが、月花は知っている。彼がとても優秀なのも知っているが、月花が華月を連れて外に出ないように、ゆず子おばばが、かくさく、したのをちゃんと知っているのだ。

 顔を見ることすら出来なくなった。ずっと一緒の約束がなければ、とっくにへこたれてしまいそうだ。飾り帯のたくさんついた舞用の扇子を手に、月花はため息をついた。すぐに講師の先生から叱られた。だが、気分は晴れない。開かれた障子窓から外を見れば憎らしいほど晴れ渡っている。ちっとも外に出られないのに、そんなときに限って外はとってもいい天気だ。この空の下、華月は小学に行っているのだろうか。月花の知らない、行ったことのない場所でいじめられていないだろうか。いじめられて泣いていないだろうか。いつも、どんなにいじめられてもやり返したりしない彼は、会えないこの時間で、泣きたくなったらどうするのか、月花は知っている。

 彼は一人で泣くのだ。月花がいなければ誰もいない場所で泣く。今も一人で泣いているのだろうか。それとも月花じゃない人が彼を慰めているのだろうか。


 ちくりと胸が痛んだ。でも、いじめられるよりはいいかもしれない。けれど、彼に友達がたくさん出来たら、少し、とても、さみしい。月花の知らない、華月しか知らない子が出来たら、月花のことなんて忘れてしまうのじゃないだろうか。こんな、外にも出られないで、一緒にもいられない月花なんていらなくなってしまうのではないだろうか。

 そう考えたら居ても立ってもいられなくなった。なのに舞の先生は変わらずさっきの型を舞えとうるさい。腹が立って、殊更きれいに舞ってやった。なんて素晴らしい、なんて優美なと絶賛された姫が、心の中ではこんちくしょうと思っていたなんて、きっと彼女は一生気づかない。



 その夜、宮が寝静まるのを待って、月花は寝具を抜け出した。部屋は広い畳が広がり、天井も同様だ。天井から垂らされた薄絹が覆う世界からそろりと抜け出し、障子窓から入る、薄い月明かりを頼りに小箪笥に手を伸ばす。絹の寝巻きはとても肌触りが良いが、このさらさらと流れる衣擦れの音はどうにかならないだろうかといつも思う。引き出しに入っていた簪で長い金髪を不器用な手つきで乱雑に一つに纏めて、裸足のままそろそろと部屋を抜け出す。長く続く廊下を歩き出してすぐに、足袋を履いてこなかったことを後悔した。秋の夜はまだ浅く、思っていたほど冷たくはなかったが、素足は板張りの廊下にぺたぺたと音を残してしまう。

 宮の奥深くにある寝所は人気も少なく、音だけに極力注意をしながらそろりそろりと歩みを進めた。途中で月明かりが美しく照らした庭園を通った。渡廊下から見下ろした庭はそれは美しく、夜でも白い花は目を奪うほど輝き、水には月がはっきりと映る。どこかにある金木犀は香り高く少女を誘った。けれど月花はそんな庭をちらりと見ただけで、歩みを止めることはない。庭には時々見張りが回ってくるということを知っているからだ。

 中に住まう者以外は迷ってしまいそうな宮の中を、すいすいと歩き、ぐるぐると回るような廊下を渡り、ようやく目的の場所にたどり着いた。廊下には漏れた明かりが映り、それに照らされた影が揺れている。

 誰もいないのをもう一度確認して、月花はなんの前触れもなく目の前の障子を開いた。

「華月!」

 寝具をかぶり、ロウソクの光を頼りに本を読んでいた小さな背中が、びくりと飛び跳ねる。銀色の髪が揺れて、大きな瞳が月花を見た。

「またよんでる。夜によんだら目がわるくなるって、またゆず子おばばにおこられるよ」

 ゆず子は躾けに厳しく、たとえ二人が主の子どもであったとしても小言は飛び、罰も与える。だからこそ彼女がお目付け役となったのだが、当事者の子ども達にとってはいい迷惑だ。月花の父のお目付け役も彼女だったものだから、父王もゆず子には頭が上がらない。

 音をたてずに素早く障子を閉めて、まだ固まっている幼馴染の寝具を捲る。月花が使っているものと同じくらい軽い布団は、とても温かい。

「……月花……びっくりしたぁ」

「おふとん、いれて」

 ずかずかと部屋に入ってきた月花に、少年は困ったように眉尻を下げた。

「月花ぁ」

 泣きそうな声に構わず、温かい布団にもぐりこむ。本の匂いがした。視線を下げれば、布団に隠された本が三冊ある。にんまりと笑う。

「ゆず子おばばに言わないから、ここで寝ていいでしょ?」

「だめだよ、月花。だって月花も六つになったんだよ。だから男の子といっしょに寝ちゃだめなんだよ。いっしょでいいのは五つまでだって、ゆず子おばばが言ったじゃないか」

 ぐいぐいと頭を押してくる手を、ぴしゃりと叩く。

「いやよ。だってひとりじゃつまらないもの。ひとりであんな広いへや、さみしいもん」

「月花。ぼくが六つになったときもそう言って、月花が六つになるまでいいよって、とくべつにゆるしてもらったじゃないか。もうだめだよ、きっと。六つになったんだから、今までよりおねえさんにならなきゃだめだよ」

 たった三ヶ月年上だというだけで、彼は時々兄ぶったことを言う。

 そこら辺の女の子より可愛い顔を見たくなくて、柔らかい色の藤の刺繍の掛け布団を頭からかぶる。華月の匂いがする。前まではこの匂いに包まれて眠っていたのに。

 華月は困ったように一生懸命に布団を揺する。いつもなら仕方がないなぁと、ここら辺であきらめてくれるのに、今日はまだ、だめだを繰り返す。

「月花、ねえ、月花ってば」

「やだ」

「ゆず子おばばに怒られるよ。おしりたたかれるよ」

「やだ」

「おやつも抜きにされちゃうよ」

「っ、やだ!」

 思ったよりも大きな声が出てしまい、慌てて両手で口を閉じる。放された布団は、あっという間に華月が剥いでしまう。せっかくの華月の匂いが、ぱっと霧散してしまった。

「けっこんしてない男の子と女の子が一緒に寝たらだめなんだよ」

「い・や!」

 白い寝巻きを着た華月は、困ったように布団を抱えている。

「月花。へやにもどって寝なきゃだめだよ。ここはぼくのへやだもの。月花はこの月の都のお姫さまなんだよ。ちゃんとお姫さまの勉強して、りっぱにならなきゃだめなんだよ。それなのに、ゆず子おばばを怒らせることしちゃ、だめだよ」

「やだやだやだ!」

 可愛らしい顔が、くしゃりと歪む。べそをかくと思ったときにはもう遅かった。

「月花ぁ……」

 泣き虫華月と思ったけれど、言うとよけいに泣かれるので黙っておいた。仕方がないので、むくりと起き上がる。

「……けっこん、したら、ずっといっしょだもの……」

「だから、ぼくらちゃんとしようねって、約束したじゃないかぁ。なのに、なんでここにくるの。だめじゃないか。怒られるよ」

「だって……」

 今まで一緒にいた温もりがなくなって、代わりに夜の闇が寝所の友となった。無駄に広い部屋の中に、ぽつんとある寝具はぜんぜん寝たいと思う場所じゃない。そこで一緒に寝転がり、他愛もない話をして早く寝ろと怒られていた夜は、ただひたすら朝を待つ時間になった。昼間は泣き虫華月で、夜は月花も弱虫だ。

「…………さみしい」

 もっと狭い部屋ならよかったと、一人になってからはいつも思った。使用人の布団部屋のような場所だったら、きっとこんな風には思わないはずだ。月花の部屋は広すぎて、さみしさがたくさん入ってしまう。布団を敷いたら一杯一杯になってしまうような場所なら、さみしさが入る隙間もないはずだ。そう思うのに、誰も聞いてくれない。

「……月花、ぼくだってさみしいし、やだよ。ねむれないし、こわい。けど、けどね、仕方がないから、だからね、こう考えることにしたんだ。夜が明けたら月花に会えるんだよ。月花に会うためにねむるんだよ。朝になるのは、月花に会うためなんだよ」

「……わたしはいっしょにいるのがいいもん」

「ぼくだってそうだけど……仕方がないなら、たのしく考えようって、まえに月花がぼくに言ったんだよ。だから、ぼくも、たのしくなるように考えたんだよ。ね、月花。あしたの朝、ぼくに会うためにおやすみしようよ」

「……だって、あえないもの。七つになるまで、もうちゃんとあえないもの。こんなんじゃ七つになったってあわせてもらえないにきまってる。おへやまでこんなにとおくなって」

 べそりと視界が潤む。華月が慌てたように手を振るが、あまり意味を成していない。

 月花も夜はとても弱虫だ。弱虫と泣き虫が、しゅどうけんをにぎる、から、強くなって出てきてしまう。今まで夜は全然平気だったのに、一人の夜は、闇の音が大きすぎて眠れない。一人ぼっちの秋の寝具は、自分だけの体温では温もらない。大きな布団をぬくぬくとさせてくれるのは、寄り添った同じくらい高い体温なのだ。


 べそをかき始めた月花に、華月は困ったように眉を下げた。

「でもね、でもね、月花。ぼくら大きくなったらけっこんするんだよ。そしたら一緒にいても誰もおこごと言わないんだよ。だから、それまでがんばろうよ。おんなじことをがんばるなら、離れていても一緒にがんばってるから一緒なんだって、月花がぼくに言ったんだよ。ね? だからぼくもがんばれるんだよ」

 前に月花が言ったこと、彼は全部覚えているのではないだろうかと思うときがある。

 温かい両手で月花の手を包み、まっすぐに見つめてくる月と同じ色の瞳は、不思議なことに太陽よりもよっぽど温かく見えた。あまりに温かく見つめてくるので、冷たくて悲しかった気持ちが少しずつほどけていく。

「……じゃあ、お話ししよう? ねなかったらいいんだよ。いっしょにねたらいけなくても、ねなかったらいいんだよ、きっと」

「あ、そっか。月花かしこい!」

 明かりを吹き消し、二人で頭から布団をかぶる。手を繋いで出来るだけ近くに寄り添うが、顔は少し離す。そうしないと互いの表情が見えないのだ。ほんの少し布団を開けて苦しくならないようにして、顔も見えるように月明かりを入れる。

 今日あったこと、昨日あったこと、これからあるはずのこと。何でもよかった。自分しか知らないことだったら何でも話したし、何でも聞いた。分け合うように、与えるように、何でも求めた。一ヶ月間で相手が成長した分を埋めるように、自分が成長した分欠けてしまった相手の分を埋めるように。

「あのね、学級の子が言ったんだけど、けっこんのやくそくをした人は、よびぐん、じゃなくて、こんやくしゃ、っていうんだって」

「こんや行く? もういっしょにねてもいいの?」

「こ、ん、や、く、しゃ。けっこんのやくそくした人って書くんだよ。だから、ぼくらはこんやくしゃなんだよ」

「ふーん。学校っておべんきょうじゃない、他のことも分かるんだね。あ、そーだ、華月いじめられてない?」

 布団の中でぴきりと小さな身体が固まった。月花は大人ぶったため息をついた。頬に片手を当てて深く息を吐く。母の真似だ。

「そんなことだろうと思った。泣いてもいいけど、負けちゃだめよ、華月!」

「……泣いてないけど、勝てないよ。月花がいないとむりだよ」

 月花は指を一本立てて、知ったかぶった顔をする。

「だーめ! けっこんは、たいとう、な人同士がするんだよ。どっちかにかたむいてたら長く持つのがしんどくなるの。だから華月もわたしがいなくても勝つの」

「……むりだよ。ぼく、月花みたいに強くないもん。いじわるな子にげんこつでなぐって泣かしたりとか、できないもん」

「あれは華月をいじめるから! いつもそんならんぼうなことしてないもん。わたしは、でんとう、ある月の都一のひめですからね!」

 華月はしょぼんとなってしまった。鼻をすする音がするから、またべそをかいているのかもしれない。月花は慌ててさらさらの銀髪を撫でた。少し癖のある月花の髪とは違って、彼の短い銀髪はまっすぐでやわらかい。

「あー! 泣いちゃだめ。えっと、あのね! わたしは月花だから、華月の月の花になってあげる! せんねんに一度咲くんだよ。お願いなんでもきいてくれるんだよ!」

 涙に潤んだ目が、ぽろりと雫を零しながら見上げてくる。



 月の花は、月の都に伝わる伝説だ。

 千年に一度咲き誇り、相応しい人物が手折ればその者の願いを叶えてくれえるという。幻の美しい花だ。そして、そのお願いは一生に一回しか叶えてくれない。だからこそ、ここぞというとき、たった一回を使ってでも叶えたい願いを祈るときに使うのだ。


「わたしは華月の月の花よ。華月のためにさいて、華月のためにちるわ。ね? 華月だけのお花になるわ」

 また零れそうな涙を慌てて袖で拭ってやる。月のように儚い瞳は、あんまり泣いたら溶けてなくなってしまいそうだ。

「……でも、わたしはわたしが月の花だったら、わたしの月の花はないんだ」

 今度は月花がしょぼんとなった。そして慌てるのは華月だ。

「わ、え、あ、大丈夫だよ! じゃあ、あのね、ぼくが月花の月の花になる! ぼくだって月の華だよ、大丈夫だよ! 月花のために咲いて、月花のために散るね!」

 目を見合わせて、にっこりと笑い合う。少しかいてしまったべそのせいで鼻をすすり、額をあわせてくすくす笑う。同じくらい高い体温と、久しぶりの互いの香りが幸せを作ってくれているようだと思った。


 月の花の伝説になぞらえたまじないの言葉を呟く。


「月の花、千年の花。叶えてください。一生に一度の、わたしのねがいを叶えてください」

「月の花、千年の花。叶えてください。一生に一度の、ぼくのねがいを叶えてください」


 両手で互いの手を包む。強く、優しく、温かく。決して離れないよう、離さないよう。

 幼い二人は知っていた。互いがどれだけ大切か知っていた。どんな大人が思うより、二人は本気で互いを必要としていた。月花は華月で、華月は月花だった。それ以外の何かが間に入ることを想像もできなかったし、必要としなかった。

 声を揃えて月に祈る。互いに誓う。


「ずっと、一緒にいられますように」


 それは小さな子ども達の、幼い幼い本気の約束。結婚の意味すら碌に知らず、ただただ共にいたいと願う。幼いが故の脆く儚くされどいっそ純粋な。照れたように小さく微笑み、初めて重ねあった唇さえ清廉で。

「一生に一回、使っちゃったね」

「いいんだもん。他のおねがいはぜんぶ自分で叶えるもの。自分でやらなきゃいけないことまでおねがいしたりしないように、一生に一回なんだよ、きっと」

 小さな指をぴっと立て、月花は胸を張った。華月は眩しいものを見るように月花を見た。

「そうだね。一番だいじなおねがい以外はぜんぶ自分でがんばるんだよね!」

「うん!」

 幼いだけの愛情で真摯に互いを求めた。それだけがこの場の真実で、それは二人にとって何より大切な宝物となり、その中に根付いた。

 それはどんな時でも輝き、いつまでも、決して消えない光となって刻み込まれた。


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