フタリノスベテ
覚悟を決めた俺は、おもむろに妖香に抱きついた。腕をしっかり彼女の腰に回し、絶対に離れられないように密着する。
胸や臀部の膨らみを感じて少し躊躇うが、今更そんなことを気にしても仕方ない。できるだけ考えないようにする。
「どうしたの? ついに私の気持ちを受け入れることにした?」
耳元で妖香の声がした。甘い吐息が首筋を撫でる。
「悪いな。お前には、俺と心中してもらう」
振り切るように強い口調でそう言い放ち、俺はゆっくりと後ずさりを始めた。
「まさか、本当に一緒に落ちるつもり?」
妖香はさして驚いた様子も見せず、俺に引きずられるままに身体を許している。
「ああ、俺は本気だ」
今まで彼女によって殺されたすべての人間に。
俺の近くにいたせいで殺されたすべての人間に。
俺たち2人の死を以って償わなければならない。
2人の死、とは言っても、妖香の魂は死なずに残ると彼女自身が言っていたため、実質死ぬのは俺だけだ。しかし、妖香の魂に適合する肉体を持つ人間がこの場に来るまで、何年かかるだろうか。少なくとも、そのときが来るまでは妖香は死んでいるようなもの。つまりその間だけは、彼女によって悲劇を受ける人間が出ることはない。
こうすることが、せめてもの償い。
踵が屋上の縁に当たった。地面から上昇してくる風が背中を冷やす。
俺は深呼吸をして、両足に力を入れた。
「ふふ、私は君と一緒なら地獄だっていいよ」
妖香は下が見えているだろうに、一切恐怖していない様子だ。対して俺は、恐怖で身体が震え続けていた。それを隠すように、妖香を抱き締める手に力を込めた。
「そうだ、お前が死んだら、今まで奪ってきた記憶はどうなるんだ?」
気持ちをできるだけ眼前の死から逸らそうと、妖香に話しかける。
「私が死んだら、今まで奪った記憶は全部持ち主のところに還るよ。きっと大混乱になるね」
これから死ぬというのに、彼女は楽しそうな表情を浮かべていた。
本当に、俺と一緒なら死んでもいいということなのだろうか。それとも、ただ単純に一時の死には恐怖を感じないだけか。
しかし理由はどうであれ、抵抗されないならやりやすくて助かる。
ふと、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。近所の住民が校内の異変を知り通報したのだろうか。
警察に来られたら、まず間違いなく止められる。すぐにでも実行しなければ。
とうとう覚悟を決め、心の中で3つ数える。
3。
2。
1。
「行くぞ────」
そして俺は、目を瞑って思い切り床を蹴った。
浮遊感。まるで俺達を屋上に押し戻すのではないかと錯覚するほど強く吹き上げる風が背中を押す。
「あははははははははははははははははッッッ‼︎‼︎‼︎」
数瞬後、強い衝撃が身体全体を貫いた。柘榴が潰れたような音が響く。口から何かが飛び出た。
感覚は鮮明だった。恐らく手足が折れ、後頭部も砕けてしまっているだろう。
妖香も顔面からアスファルトに激突しているため、もはやその顔は原型をとどめていない。
混ざり合った互いの血が水溜まりを大きく広げていく。
どす黒い海の広がりを横目に眺めながら、ふと思った。
────そういえば、1人だけドッペルゲンガーから助け出すことができたっけ……。
自分の存在に、少しだけ価値を見いだせた気がした。でも、もう、それも────。
薄れゆく意識の中で最期に見たものは、星ひとつ無い漆黒の空だった。