メヲムクヨウナデキゴト
耀人先輩と紅葉先輩が殺された――。
その事実が、俺の脳内に目粉るしく渦巻いていた。
あのとき、もうこれ以上仲間を殺させないと誓ったはずなのに、いざこんな状況になってみれば足が竦んで動けなかった。それが恐怖からの反応だったなら、まだ少しはマシだったかもしれない。
だが俺は、紅葉先輩が殺されようとしていたとき『自分じゃなくて良かった』と頭の隅で思ってしまった。助けに行けば、自分が殺られる。そう感じたことから俺は動けなくなったのだ。
だから耀人先輩の死は――世間一般から見れば無駄死にと判断されてもおかしくはない彼の死は、行動は、俺の目には眩しく映った。
俺は、殺されていく仲間を前に、動くことができなかった。『自分じゃなくて良かった』と思ってしまった。
それは常人なら普通の反応かもしれない。誰だって自分の身が一番可愛いはずだ。
しかし、そんな自分を、俺は絶対に許せなかった。
「や、やめてよ……、もう死んでるのに……」
真名美の悲痛の声で、俺の思考は現在に戻された。
瞬間、視界に入ってきた光景に、俺は目を剥いた。
口裂け女は、その手に持った鎌を紅葉先輩の顔に振り下ろしているのだ。
何度も。何度も。
綺麗だったはずの紅葉先輩の顔は、すでに原型がないくらいにグチャグチャになっていた。
人間の頭部だけであんなに血が出るのかというぐらい大量の赤黒い血溜まりの中に見えるのは、ピンク色の細長い脳みそのような物や白い欠片――頭蓋骨の欠片だろう――、あとは何なのか分からない赤い肉の塊が落ちている。脇に転がった眼球がぎょろり、とこちらを見ているようで不気味だ。もう1つの眼球は見当たらなかったが、月明かりで光った瞬間、血塗れの鎌の先端に突き刺さっているのが見えた。
口裂け女が鎌を振り下ろしたときに眼球はバシャッと潰れ、液体や薄い膜が飛び散った。
肉は抉れ、血が弾け、骨が砕けていく。それでも、手を止めない。
「も……もう、やめろよッ!! やめてくれ……ッ!」
遺体の顔が形――土台すらも失うと、口裂け女は体にも鎌を突き立てる。
血の染みた服が破れ、白い肌に突き刺さる。深々と刺さった鎌を抜くと、皮膚が大きく裂け、内臓が引きずり出される。
そうやって10分も立たないうちに、紅葉先輩の体は原型も残さないただの肉と骨と血と臓器が入り混じった塊になった。
人どころか、生き物にすらも見えないその塊をグチャリと踏みつけ、口裂け女はこちらに歩いてくる。
「に、逃げるぞ、真名美!」
「う……うん」
いつのまにか座り込んでいた真名美の手を取り、走り出そうとする。その手は生温かく、ぬるっとしていた。細かい固形物のようなものもある。立ち上がった真名美の口元には、唾液のようなものが付着していた。
たぶん、嘔吐した跡だろう。当然だ。あんなもの目の前で見れば、誰だって吐き気を催すだろう。ましてや女の子なんだ。仕方ないことだ。この非常事態に、汚いなんて感情はなかった。
俺だって吐き気はあるが、何とか持ち堪えている状態である。
唾を飲み込み、走り出す。だが、真名美がふらついてうまく走れない。でも、置いて行くなんてできないのでとにかく走ろうとした。
鎌を振り上げた口裂け女は、もう、すぐ後ろにいる。
真名美が殺される光景が、脳裏にちらついた。
瞬間。ほぼ無意識に、俺は真名美と口裂け女の間に入っていた。
耀人先輩と同じ行動を起こしたのである。
「優……くん……!?」
好きな人を守って死ぬ。最高の最期じゃないか……。耀人先輩も、こんな気持ちだったのかな……。
真名美の叫び声が聞こえた。鎌が振り下ろされる。
そして俺は―――――――。
「おりゃああああっ!」
声が聞こえたとほぼ同時に、口裂け女が吹き飛んだ。
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
「ふう……。危なかったな、2人とも。教室にバットが置いてあってよかった。今のうちに逃げよう」
汗を拭い、声をかけてきたのは涼太先輩だった。右手には金属バットを持っている。
このバットで、口裂け女の顔面を殴りつけたのだ。
「涼太先輩……。生きてたんですね……」
涙を浮かべる真名美。
クラスに何人か、体育倉庫から用具を盗んで教室に隠し、休み時間のときに教室内でスポーツをしたりする奴がいることがある。おそらく、彼らが隠しておいたバットだろう。
いつも迷惑してる行為だが、今回そのおかげで助かったのだ。微妙な気分だ。
「ア……ガッ……! ウグゥ……!」
血塗れになった鼻を押さえ、低い声で唸る口裂け女。血走った目をこちらに向けている。
やはり、口裂け女にも痛覚はあるのか……。
……よし。
このときから、すでに理性が吹き飛んでいたのかもしれない。
俺は涼太先輩からバットを奪い取り、口裂け女に歩み寄る。
「ゆ……優……。何するつもりだ……?」
涼太先輩の問いには答えず、口裂け女の方を向いてバットを振り上げる。
「優くん……! やめて――」
真名美の制止も聞かず、俺は思いっきり振り下ろした。
「ガァッ!!」
グシャっという感触と共に、口裂け女が悲鳴のような声を出した。
構わず、何度も殴りつける。何度も、何度も、口裂け女が紅葉先輩にしたように。
「くそッ! お前なんか死んじまえっ!! 2人を殺しやがって! くそッ……! くそッ……! 2人を返せよッ!! この野郎! くそぉッ!!」
何十回も殴りつけて、口裂け女の顔は顔と判断できないほどになっていた。アスファルトには血が広がり、肉が飛び散っている。
「優くんやめてッ!」
真名美が抱きついてきたことで、俺は正気に戻った。
「――ッ!? 俺は……何を……」
バットを取り落とし、膝を付く。
現実を認識した俺は、無意識に呟き始めた。
「なんだよ……。これじゃあ、こいつと同じじゃねぇか……」
涙が溢れる。口裂け女は妖怪だが、見た目も能力もただの人間だ。そんな奴を、俺はバットで殴り殺した。化け物と同じことをやってしまったんだ。
「仲間を殺されたからって、こいつを殴り殺して……。これじゃ俺は……ただの人殺しじゃねえかよ……ッ」
雨は、強さを増していった。