モミジトヨウト
9月14日、朝。都市伝説研究部部室には、まだ唯山耀人の姿はなかった。
「今日も来てない……」
朝一番に学校に来て、毎日部室で彼を待っている葉風紅葉は肩を落とした。
夏休みが終わり、約半月が経とうとしていたが、彼は一度も学校に来ていない。
今まで、朝どれだけ早く来ても彼はソファに座っていて、パソコンをしながらみんなを迎えてくれていた。
「やあ紅葉。今日も綺麗だね」
部室に来ると、必ず彼はそう言って迎えてくれた。いつのまにかそれが挨拶になっていた。目をつぶると、一瞬でその情景が浮かぶくらい見慣れた光景だった。
「――って何言ってんの私! 別に好きとかじゃなくて部員として来てほしいだけなんだから……ね?」
誰にするでもなく1人言い訳をし、最後には疑問形になっているのだが、そんなことを考える余裕はなかった。
ただ、彼に早く復帰してほしい……。今はそれだけだった。
「今日も早いんだね、紅葉」
ふとドアのほうから声が聞こえた。振り返ると、都市伝説研究部部長である、明智涼太が立っていた。
「早いのはそっちも同じでしょ」
そう紅葉が返すと、涼太は微笑し、言った。
「耀人を待ってるんだろ……好き、なんだよね?」
「ななななんでそそそそうなるの!?」
ピンポイントで当てられたことに驚き、顔を真っ赤にしてすごい勢いで後ずさる。涼太は、ガタンと壁にぶつかった紅葉に答えた。
「傍から見てれば、誰だってわかるはずだよ。優だけは分かってないみたいだけど。まあ、あいつ鈍感だしね」
「うそ……。私、そんなに顔に出てるの……」
口元を手で覆い、恥ずかしさから穴があったら入りたい思いの紅葉は、ふと気付いた。
「……っていうか、見てたの? いつも」
何か危険を感じ、腕で体を抱くようにして胸を隠す。
「いや、ちが……くもないけど、いやらしい意味とは違う!」
「ふふっ、冗談だって。第一、涼太君にそんな勇気ないもん」
「なにげに傷つくよそれ……」
紅葉は、顔の火照りを少しでも紛らわすために冗談を言おう、と思ったのだ。
そんな会話をしていたら、廊下のほうから足音が聞こえてきた。
それに気付いたのか、唐突に、涼太は真面目な顔をして言った。
「とにかく、耀人のことが好きなら、その思いは早く伝えたほうがいいよ……手遅れになる前に」
好きだったのに、告白する前に相手が死んでしまった。そんな経験がある涼太にとって、今の紅葉は昔の自分と重なるところがあった。だからこそ、こんなことを言ったのだ。
「あ……」
2つの足音がドアの前で止まり、そんな声が聞こえた。
そちらを見ると、篠崎優と高瀬真名美が立っていた。
「ちょ……。え……どういうこと……?」
真名美が顔を赤くしてこっちを指差している。
(何か変なものでも見たのか?)
一瞬そう思った紅葉は、はっと気付いた。
「え……2人ってそういう……」
優が目を見開く。
「い、いや、違うんだこれは……」
2人がそういう反応をするのも無理はない。なぜなら、壁に寄りかかった紅葉が顔を紅潮させながら胸を手で覆い隠し、その前には涼太が立っている。
つまり、彼らは思った。
涼太が紅葉を部室に追い詰めて襲おうとしている、と――――。
「紅葉先輩は耀人先輩のことが好きで、涼太先輩はエリス先輩のことが好きだったはず……」
「え!? そうだったの、真名美!?」
「ぎゃあああああああっ!!」「やめろおおおおおおおっ!!」
朝の学校に2人の声が響いた。
■ ■ ■ ■
「あー、なるほど、そういうことですか」
2人に説明すると、すんなり……とは言わないが理解してくれた。
(何だこの羞恥プレイは……)
顔を林檎のように赤らめた紅葉は思った。朝の話を長々と説明し、自分が耀人を好きだということを部員全員に知られるどころか、理解の悪い優のために2回説明しなければならない。しかも涼太は生徒会に呼び出され、紅葉が一人で説明するというおまけ付きだ。
最終的には、2人とも「涼太にはそんな勇気は無い」ということで納得した。
「はぁぁぁぁぁ…………」
キーンコーンカーンコーンという予鈴と共に、紅葉は1人、脱力した。
■ ■ ■ ■
「よし、今日こそ行こう!」
下校中、紅葉はある決意を口にした。耀人の家に行こう、という決意だ。2学期が始まって半月、紅葉以外の部員は何度か行っているのだが――ただ、誠は行こうとすらしていないので例外だが――紅葉だけは一度も行っていない。
なぜなら、家の前までなら何度も行くのだが中に入る勇気がないのだ。
(絶対今日は中に入る! 別に好きとかじゃなくて部員として行くだけなんだから)
どこかで聞いたような言い訳を頭の中でしながら歩く。
――そして、耀人の家に着いた。
家は2階建て、敷地もそんなに広くはなく、比較的一般的なサイズ。例えるなら、の○太の家ぐらいの大きさだ。
「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」
紅葉は何度か深呼吸をして、ドアの横に付いたボタンに指を伸ばす。
(部員として部員として部員として部員として……)
呪文のように繰り返しながら、ボタンを押――――
「あれ、紅葉ちゃん? 久しぶりね」
ピンポーン!
「きゃあああああっ!!」
突然の声に驚き、思いっきりチャイム音が家の中で鳴り響いた。
(ああ……まだ心の準備が……)
後ろから声を掛けてきたのは、耀人の姉・唯山結衣だった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん? ていうか、私のこと覚えてる?」
「は、はい、覚えてます」
紅葉が最後に結衣と会ったのは――というより、最後に唯山家に行ったのは5年前。中一のとき。
耀人と紅葉は小学校から一緒で、仲が良かったから、昔はよく遊んだ。
「そういえば、中学に入ったとたん敬語になったよね。普通でいいのに」
「一応年上ですから」
「一応って…………まあいいか。入りなよ。今日は何しに……おっと、耀人だよね? 何かあいつ急に家を出たくないとか言い出してさぁ。連れ出してやってよ」
「ま、まあ、えっと、一応そのつもりです」
「へぇ、ってことは、ついに告るの?」
「ええぇ!?」
「あれ、ちがうの? てっきりそうだと……てゆうかもう告れ。何年待たせるつもりだよもう。小二の頃からあいつのこと好きだったんだろ?」
「ええええええぇ!!?」
(そんな昔から!? 私自分でも気付いてなかったんだけど!?)
結衣は紅葉よりも紅葉の気持ちに気付くのが早かった。4年ほど。
「ん? あれ? そのときはまだ自分の気持ちに気付いてなかった時期だっけ?」
ドアの鍵をガチャガチャしながら、結衣は首を傾げた。
「エスパー!?」
どうしてそこまで見抜いているのか。もう全ての情報が彼女に知られているんじゃないかと、紅葉は密かに恐怖した。
「あ、開いた。さ、入って入って」
「お、おじゃましまーす……」
懐かしい。紅葉が最初に抱いたのは、そんな気持ちだった。
内装も匂いも5年前とあまり変わらない。
「耀人の部屋も変わってないから。じゃあ、あとは若いもんに任せるとしますか」
結衣は台所のほうに歩いて行った。
大学2年の結衣も若い方に入ると思うのだが、紅葉は口にしなかった。
(わあああぁぁ……何か成り行きで入っちゃったけど、どうしよう……)
紅葉の心臓は、まるで祭り終了間際の大太鼓のように大きく鳴っていた。
緊張しすぎて、心臓が肋骨を突き破って出てきそうなくらいだ、と、紅葉は思った。
(どこのグロ画像か!)
自分で自分にセルフツッコミができるので、まあかろうじて意識を保っていたことが分かる。
(よし!!)
深呼吸をして、階段を1段ずつ、ゆっくりと上がり始める。
13段目で、2階に着いた。
すぐ左のドアが耀人の部屋だ。そこには、子供っぽい字で「ようと」と書かれた歪な形の木の札が掛けてあった。
(まだ掛けててくれたんだ……)
これは、小二のときに紅葉と耀人が2人で作ったものだ。木材をどこかから持ってきて、自分たちで切るところからしたのを紅葉はよく憶えている。
コンコン、とドアをノックする。
「耀人」
「……紅葉か」
あまりにも元気のない声が返ってきた。
「学校には……来ないの?」
しばらくして、耀人は言った。
「……うん」
「……どうして?」
紅葉の問いに、耀人はこう答えた。
「みんなを救えなかった俺が、行く資格なんて無い」
それから、1分ぐらいの沈黙が訪れた。
紅葉の胸中には、2つの感情が渦巻いていた。同情と――そして、怒り。
「…………何でよ……。耀人は私たちを助けてくれたじゃん……! 耀人がメール送ってくれなかったら、みんな死んでた! 耀人のおかげでみんなは――私は生きてるんだよ!」
「でも……………俺は! 俺は4人も救えなかった! 俺がもっと早くロックを解除していたら、みんなは死ななかったかも――――」
「そんなこと関係ない!!」
紅葉の叫びが、耀人の声をかき消した。
「そんなこと言って、あんたは4人の死から逃げてるだけ!! 救えなかったから!? そんなの当たり前じゃない!! あんたはヒーローじゃなければ、主人公でもない、普通の高校生なんだから!! 誰も傷つけずに救い出すなんてこと、できなくても誰も責めない!! あんたは少なくとも5人の命の恩人なんだよ!? 5人もの人間を助けた耀人に資格がないなら、見てただけだった私は――――何もできなかった私は何!? 耀人のやったことは、誇っていいんだよ!! 他の誰よりも――――ッ!!」
一度言葉を切り、紅葉は続けた。
「死んだ4人の分も、生きていこうよ……」
しゃがみこんで、紅葉は泣いていた。
「紅葉!?」
ドアが部屋側に勢いよく開き、パジャマ姿の耀人が現れた。
「ほら、早く涙を――」
しゃがんで紅葉の目元に袖を当てる。
「……ありがと。やっぱり、耀人は優しいね……変態だけど」
「……最後のは要らないかな」
そして、2人は笑い合った。
ふと、紅葉は結衣の言葉を思い出した。
『ってことは、ついに告るの?』
脳裏に蘇ったその言葉を聞くと、自然に口が動き始めていた。
「昔も、たくさん助けてくれたよね……。私は……そんな耀人が好――――」
「す?」
「やっぱ無理いいいいいいぃぃ――ッ! い、今のは噛んだだけなんだからっ!!」
「ええっ!? 言い訳下手すぎじゃない!?」
「うるさいっ! 言い訳っていうな! バカ耀人!」
そして2人は笑い合った。
都市伝説研究部部員、大谷慧、石巻金地、零宮奧真、雷同エリスの命は、テケテケによって奪われた。そんな最悪の現実に絶望した。悲しんだ。すぐには立ち直れなかった。癒えることのない心の傷を与えられた。
だが――それでも、みんなは一歩進んだ。少し立ち止まりはしたが、確実に一歩を進んだのだ。
こうして次の日から、都市伝説研究部の部室には、篠崎優、高瀬真名美、葉風紅葉、石田誠、唯山耀人、明智涼太の6人全員が揃うことになった。