第98話 にらみ合い
聖君が駅まで送ってくれた。
「車出さないでよかったの?」
駅までの道のり、聖君が聞いてきた。
「うん、だって歩いても10分しかかからないし」
「そうだけど」
「あまり動かないでいるのも、よくないんだって。体重増加も体に悪いらしいし」
私がそう言うと、
「そっか。大事にしすぎるのもよくないってことか」
と聖君はつぶやいた。
「聖君、凪のこともあるから、ちゃんと無理しないようにする。だから、安心して」
私がそう言うと、聖君は一瞬黙り込み、それからにこって笑った。
「桃子ちゃんはほんと、もうお母さんだよね」
「ええ?」
「俺、過保護になりすぎてるね」
「うん」
「…でも、気持ちが今朝みたいにめいったら、なんでもいいから言ってね?」
「うん」
聖君は手をつないできた。私は聖君に寄り添って歩いた。
駅に向かう道、私たちのことをちらちら見ながら、通り過ぎるサラリーマンや、OLがいた。
朝から、制服姿の女子高生と、私服の男子が手をつなぎ寄り添っていたら、目立つのかな。でも、いいや。私のお腹が目立つようになれば、もっとみんなが注目してくるかもしれないけど。抵抗ないと言えばうそになる。だけど、聖君もどうどうとこうやって手をつないで歩いてくれるんだし、私もどうどうとしていよう。
駅に着くと、もう菜摘がいた。
「兄貴?桃子のこと送ってきたの?」
「うん、おはよう、菜摘」
そんな会話をしていると、うちの高校の生徒が、私たちを見て、
「あ!榎本さんと旦那さんだ」
と声をかけてきた。
「昨日の話、感動しました~~」
「わあ、こうやって間近で見ても、かっこいい」
聖君は、頭を掻きながら、ぺこって軽く会釈をすると、
「ありがとう」
とお礼を言った。
「駅まで送ってきたんですか?それとも、学校まで一緒に?」
一人の子が聖君に聞いた。
「学校までは、妹の菜摘がついていってくれるから。俺はここまで」
聖君はちょっと、顔をひきつらせながらそう答えた。
あれ?お店でお客さんに見せる笑顔じゃないんだ。この感じは、あ、そうだ。文化祭で女の子に話しかけられ、そっけなくしていた聖君に近いかもしれない。
「あ、妹さんって話にあった?へ~~」
その二人は見ない顔だ。2年生か、1年生か。
「じゃ、兄貴。行ってくるね」
菜摘が元気にそう聖君に言った。
「うん、よろしくね、菜摘。桃子ちゃん、気をつけて」
「うん。行ってきます」
私がそう言うと、聖君はにこっと最上級の笑顔を私と菜摘に向けてくれて、それからくるりと後ろを向き、来た道を帰っていった。
「うわ~。素敵な笑顔だった!」
さっきの女の子が、思わず口に出ちゃったのか、そう言った。
「かっこいいよね~~」
もう一人の子も、しばらく聖君の後姿を目で追っている。
菜摘は私の腕をつかんで、
「さ、行こう」
と改札口をどんどん進んだ。
「うん」
女の子たちを置いて、私たちは駅構内へと入っていった。
「あの子達につかまって、いろいろと話しかけられたら、面倒くさそうだもんね」
菜摘が、エスカレーターを上りながら、そう言った。
うん、確かに。
学校までの道にも、数人生徒がいて、私たちを見て、こそこそと話している。中には、
「おはようございます」
と挨拶をしてきてくれる子もいた。多分1年生だろう。
「おはよう」
と、挨拶をすると、嬉しそうに笑って、
「あの、私、応援してます」
と言ってくれた。
ああ、こういうことを直接言ってくれるのは嬉しい、遠巻きで、こそこそと言われるのは、ちょっと嫌だな。
そんなことを思いながら、下駄箱に行くと、
「おはよう!」
と元気に、蘭が声をかけてきた。
「蘭、早いじゃない」
菜摘が驚いている。
「早くにきてこれからは、桃子のことを守ることにしたのさ!」
「へ~~。いつもギリギリに来てる蘭がね~~」
菜摘がそう言うと、蘭は、
「ちょっと気になることがあったからね」
と、そんなことを言った。
「何?」
上履きに履き替え、教室まで行く階段を上りながら菜摘が聞いた。
「昨日の夜、クラスの子が教えてくれたの。帰りの電車でね、桃子のクラスの子が、桃子の悪口を言ってたって。私が桃子と仲いいの知ってて、教えてくれたの。あの連中から、桃子ちゃんのこと守ってあげたらって」
「うちのクラス?」
菜摘が眉をひそめた。
「うん。私は同じクラスになったことないから、顔もわかんないんだけど、椿と果歩っていったかな」
「あ~~あ。あの連中ね」
菜摘が納得って顔をした。
「苗って名前も出てこなかった?」
菜摘が聞いた。私は昨日、苗代さんから聞いた話を、そのとき初めて、二人にした。
「桃子、そういうことは早くに話してよ。私たちもちゃんと、注意するようにするから」
菜摘に言われてしまった。
「うん、ごめん」
「そっか。苗代さんは、桃子の味方か。ってことは、苗代さんも、二人から攻撃されるかもしれないってことか」
蘭がそう言った。
「攻撃?」
私が驚いて聞き返すと、
「うん。大げさな言い方かもしれないけど、でも、苗代さんのことも菜摘、ちょっと気にかけてみてあげたら?」
と蘭が、菜摘に言った。
「うん、わかってるよ」
菜摘がそう答えた。蘭と菜摘って、ほんと、思い切り心強いな。
「あ、小百合ちゃんだ。おはよう!」
ちょうど教室に入ろうとしたとき、菜摘が廊下の向こうから歩いてくる小百合ちゃんを見つけた。
「おはよう」
小百合ちゃんが小さな声で、挨拶してきた。あれ?ちょっと顔色が悪いかな。
「大丈夫?つわり?」
私が聞くと、
「うん、ちょっと朝、気持ちが悪くなって、車できたんだ」
と小百合ちゃんは答えた。
「ええ?大丈夫なの?保健室で休んでいたら?」
菜摘が聞いた。
「うん、どうにか大丈夫。もっとひどくなってきたら、保健室に行くね」
小百合ちゃんがそう言った。
教室には、まだ4人しか人がいなかった。
「おはよう、榎本さん、西園寺さん」
その4人が声をかけてきた。みんな小百合ちゃんの顔色がすぐれないことに気がつき、大丈夫?って心配していた。
「ありがとう」
小百合ちゃんは、お礼を言っていた。
教室にぞろぞろとみんなが入ってきた。昨日の帰りに比べたら、そんなにみんな話しかけてくることもなかったが、時々、
「体の具合どう、大丈夫?」
と私たちに声をかけてくれる人がいた。
そんな中、
「車で来たんだって。いくら理事長の孫だからって、いい気になりすぎてると思わない?」
という声が聞こえた。あ、この声。
「富樫果歩。わざと聞こえるように言ってる」
小声で菜摘が言った。それを聞き、
「ああ、あの子が果歩」
と、蘭がその子をちらっと見ながら言った。
「小百合ちゃん、気にすることないからね」
私がそう言うと、小百合ちゃんはこくりとうなづいた。
「妊娠してるってだけで、すごい待遇。病気でもなんでもないのに、何様って感じよね」
また、嫌味たっぷりの声が聞こえてきた。
「あれが、平原椿」
また小声で菜摘が言った。
「ふうん」
蘭がまたちらっと平原さんを見て、冷めた表情で相槌をうった。
「蘭ちゃん、菜摘ちゃん、あまり相手にしないでね。ほっておくのが一番だと思うよ。桃ちゃんや、小百合さんのためにも」
どこから現れたのか、いきなり私の横から顔を出し、花ちゃんが言った。
「花、いたの?わかってるよ。そんなこと言われなくても。ことを荒立てないから、心配しないで」
蘭がそう言った。
「小百合ちゃん、桃子の言うように、気にしちゃだめだよ。あんなのほっときな」
菜摘が小百合ちゃんにそう言うと、蘭も、
「でも、万が一、直接何か言ってくるようなことがあったら、私たちに言ってきていいから。まあ、直接言ってくるような、そんな度胸は持ち合わせていないと思うけどね」
と蘭が、小声でぼそぼそと小百合ちゃんに言った。
小百合ちゃんはまだ、顔色が悪いが、でも、蘭と菜摘の言葉に嬉しそうにうなづいた。
「おはよう」
苗代さんだ。
「おはよう、苗代さん」
私が答えると、菜摘と蘭が苗代さんを見た。
「おはよう、苗代さん」
菜摘も挨拶をした。
「苗!」
平原さんが苗代さんを呼んだ。
「ちょっと行ってくるね」
苗代さんが私にそう言って、平原さんのほうに行った。
「なんで、おはようなんて声かけてるの?」
平原さんの声だ。
苗代さんは何か話しているが、小声だから聞こえてこなかった。あまりじろじろ見るのも悪いと思い、私は見ていなかったが、菜摘と蘭は、じっと苗代さんのほうを見ていた。
「昨日も、あの3人、桃子のこと悪く言ってなかったっけ?」
蘭が菜摘に聞いた。
「うん、あの3人だよ。前から、なんか嫌な感じでさ、クラスの他の子ともあまり、なじんでいなかったんだよね」
「ふうん」
蘭がまた冷めた相槌をうった。
苗代さんは、そのまま平原さんと富樫さんと話をしていたが、
「苗、じゃあ、いいよ。もうあんたとは行動しないから、勝手にしな」
という平原さんの大きな声が聞こえてきた。
「うわ、仲たがいか」
菜摘が言った。
苗代さんを見ると、二人から少し離れたところで、どうしたらいいんだろうって不安な顔をしていた。
そのときチャイムが鳴り、先生がすぐに入ってきた。
「席に座って。ホームルーム始めますよ」
先生がそう言って、みんな席に着いた。蘭と花ちゃんは自分たちの教室に戻っていき、苗代さんも自分の席に座った。でも、暗い表情をしていた。
先生は特に私たちのことを話すこともなく、連絡事項を言うと、ホームルームを終わらせた。
1時間目が終わると、小百合ちゃんはさらに青い顔をしていた。
「小百合ちゃん、保健室に行ってきなよ」
私がそう言うと、小百合ちゃんはこくりとうなづいた。菜摘は保健室まで、小百合ちゃんについていってあげた。
苗代さんが私の席に来た。
「大丈夫なの?西園寺さん」
「うん、保健室いってくるって。きっと、相当気持ち悪いの我慢してたんじゃないのかな」
「つわりってそんなにつらいの?」
「うん。けっこう大変だったよ、私も」
苗代さんは、私の顔を見て、
「そんなに妊娠するって大変なんだね」
と、眉をひそめてそう言った。
「それより、苗代さんは大丈夫なの?」
私は小声で聞いた。
「え?」
「平原さんと、富樫さん」
私がそう言うと、苗代さんは、暗い表情になった。
「…さっきね、もっと榎本さんや西園寺さんに対して、優しくなろうよって言ったんだけど、苗はあっちの味方になったんだって言われて。なんか、本当はね、もうどうでもいいの。あの二人とも離れちゃってもいいんだけど」
そこまで言うと、苗代さんは黙り込んだ。それからため息をつき、
「だけど、人の悪口を言ったり、批判して、それを楽しむのは、結局自分を苦しめたり、不幸にするだけなんだって、私も榎本さんの旦那さんが言うように、そうだなって思ったから」
と続けた。
「え?」
ああ、そっか。聖君、言ってたっけ。
「私も椿と果歩と一緒になって、人のこと悪く言ったり、いろんなことに文句を言ってきてたんだ。どこかで、それが楽しいってそんなふうにも思ってた。でも、てんでそんなの、楽しいことでもなんでもなかったんだよね」
苗代さんは、淡々と話している。
「榎本さんの旦那さんの話を聞いててね、友達との絆とか、兄弟や親子の絆とか、そういうのを私も感じたいなって思ったんだよね」
「兄弟や、親子も?」
「うん。私、兄がいるけど、あまり仲良くないの。榎本さんの旦那さんは、萩原さんと血のつながった兄妹だってわかってから、仲良くなったんでしょ?それに、実の妹さんのことも大事に思ってるんでしょ?」
「うん。あれはもう、過保護って言うくらいに、大事にしてるよ。ちょっとうざがられてもいるけど」
「でも、羨ましいな。私の兄なんて、最近は口もきいてないもの」
「そうなの?」
「大事な人を大事にしていきたいって言ってたでしょ?私も大事に思われたいし、大事に思いたいなって、そんなこと感じてたの」
そうか。聖君の話が本当に、心に響いたんだな。
「私、椿や果歩のこと、大事な友達とは思ってなかったかもしれない。でも、今はあの二人にも、生き方を変えてもらいたいなって思ったんだ」
「今は、大事な友達って思ってるの?」
「大事って言うか…。うん。私も変われたから、変われるって思うんだよね。そうしたら、あの二人も、大事な人ができたり、大事って思うことができるかもしれないじゃない」
「…」
「椿のお母さん、PTAの役員やってるけど、なんていうか、頭固いって言うか。椿はお母さんのこと大嫌いなんだけど、家じゃいい子のふりしてるんだよね」
「そうなんだ」
「いい子にしてたら、うるさく言ってこないから、それでいいんだって」
「…」
なんだか、さびしいな、それ。
「果歩のお母さんは、看護士してる。ほとんど家にいない。子供のころからかぎっこで、一人っ子なんだよね」
「それ、さびしいね」
「私も似たようなものかな。うちコンビニなんだよね。両親とも働いてて、ほとんど家にいないの。兄はたまに手伝ってるけど、私は全然。両親ともあまり、話をしないんだ」
「聖君のところも、お店やってるよ」
「そうなの?」
「江ノ島でカフェ、お母さんが経営してるの。聖君もそこでバイトしてるし、たまに妹の杏樹ちゃんや、お父さんも手伝ってる」
「家族の仲、本当にいいんでしょ?」
苗代さんが聞いてきた。
「うん、すごく仲いい。私もたまにお手伝いしてるけど、みんなあったかいんだよね」
「いいな…」
「苗代さんだって、きっと家族と仲良くなれるよ。うちだって、父親が忙しくて、家族みんなが仲がいいってわけじゃなかったけど、聖君がかかわるようになって、みんな仲良くなったし、父も変わってきたんだよね」
「そうなの?」
「うん、私も父と前よりも仲良くなった。いろいろと話もするし、私を励ましてくれるようになったし」
「そうなんだ」
「聖君がね、心開いたらいいよって教えてくれたの。一回、聖君とのことで、父親にたたかれたことがあって、私も大嫌いって言っちゃったんだけど、そのあとにね、聖君が、お父さん今頃、すごく落ち込んでるから、桃子ちゃんから、ちゃんと大好きだって言ってあげてって言われたんだよね」
「ええ?たたかれたのに、榎本さんのほうから大好きだって言えっていうの?」
「聖君もね、お父さんに一回だけたたかれたことがあったんだって。そのあと、聖君のお父さん、すごく落ち込んじゃったらしくて、そういう経験してるから、たたかれたほうより、たたいちゃった人間のほうが、落ち込んでるもんなんだよって、そんなふうに言ってくれたの」
「それで、榎本さん、ちゃんとお父さんに大好きだって言ったの?」
「うん、言った。聖君がね、お父さんは桃子ちゃんのことが、大好きなんだよって。それに桃子ちゃんも、お父さんのことが好きでしょって。それ、ちゃんと素直に言ってごらんって言ってくれたの。私もはじめ、ええ!お父さんなんか大嫌いなのにって、ちょっと思ったんだけど、でも、心に聞いてみたら、やっぱりお父さんのことが好きなんだよね。だから、素直になって言ってみた」
「それで?お父さん、なんて?」
「やっぱり、私をたたいたこと反省してたし、私が大好きだって言ったら、嬉しそうだったし。そういうことを聖君がアドバイスしてくれたって言ったら、聖君に対しての気持ちも、変わったみたいで。今は、本当に聖君とお父さん、仲いいの。二人で釣りにも行っちゃうくらい」
苗代さんは驚いていた。
「なんか、聖君ってすごいんだね。あ、ごめんね。旦那さんのこと君付けして呼んだりして」
「ううん。旦那さんって言われるより、聖君って言ってくれたほうがいいな。これからはそう呼んで」
私がそう言うと、苗代さんはうんってうなづいた。そして、また、
「聖君って、ほんと、すごいね」
とそう言った。
「私も、両親や兄と、仲良くなれるかな」
「なれるよ」
「心開くって、どうしたらいいのかな」
「…素直になることかなあ」
「そっか」
苗代さんはそれからしばらく黙り込んだ。チャイムが鳴り、苗代さんは自分の席に戻った。
息を切らして菜摘が、教室に戻ってきて、その後ろから、やっぱり息をきらしながら、平原さんと富樫さんが教室に入ってきた。
菜摘の顔は、なんとなく怒っていて、平原さんと富樫さんも、菜摘のことを睨んでいた。
もしかして、何かあったんだろうか。
息を切らしたまま、席に着いた菜摘は、小声で私に言った。
「絶対に、桃子のことは守るからねっ!」
菜摘は鼻を膨らませ、ほっぺたは真っ赤だった。
やっぱり、何かあったんだ。
私のことで、もめたのかもしれないと思うと、胸がぎゅって痛んだ。
聖君。なんだか、菜摘を巻き込んじゃってるみたいだよ、私。どうしたらいいのかな。私は何をしたらいいのかな。
菜摘を見ると、まだ鼻息が荒かった。どうやら、今度の息は、怒りから来る鼻息のようだ。