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第97話 不安定

 夢の中に知らない女性が出てきた。

「あなたが、聖君の人生を台無しにしたのよ」

 その人が私を責めている。顔もわからない。ただ、冷たく私にそう言ってくる。

「あなたのせいで、聖君は夢をあきらめたの」

「本当は、聖君、きっと後悔してる」

 そんなことない。聖君、幸せだって言ってる。


「そんなのあなたのことを思って言ってるだけで、本心じゃない」

 そんなことない。私は聖君の人生を台無しになんてしていない。

「聖君の荷物になってる。出会ったころからずっと、お荷物になってるのよ」

 そんなこと…。

「出会わないほうが、聖君は幸せになれた」


 そんなことないと言い切れるの?私…。

 ズドン。ものすごく気持ちが沈んだ。苦しい。

「どうして私を苦しめるの?あなた、誰?」

 必死の思いで、その人に私は聞いた。その人の顔がぼやけていたのが、どんどん鮮明になった。

「私は、あなた」

 ああ。目の前で私を責めていたのは、私だ。


 パチ。目が覚めた。横で聖君の寝息が聞こえている。その寝息を聞きながら、聖君の寝顔を見た。

 聖君。本当に私は聖君のこれからの人生を、台無しにしてない?

 いろんな可能性があって、聖君はもっといろんな世界に飛び出していけたのかもしれないのに、私、お荷物になってない?


 心の奥底にそんな思いが、私にはあったの?もしかしてずっと、ひっかかっていたの?

 だめだ。そんなことを考え出したら、気持ちは沈んでいく一方だ。

 私は幸せだ。でも、聖君は私の犠牲になってない?

 聖君は私のそばにいること、本当に幸せなの?ねえ、私、いいの?隣にいていいの?


 そっとベッドから抜け出した。一階に行き、リビングのソファーに座った。まだ、6時だ。

 ぼ~~っとそこで、宙を見つめていた。自分でも何を考えてるのか、わからなかった。

「桃子?」

 母が寝室からやってきて、声をかけた。


「どうしたの?なんでリビングにいるの?」

「あ、目が覚めちゃって」

「聖君は?」

「寝てる」

「そう。具合でも悪いの?大丈夫?」

「うん…」


「何か食べるか、飲むかする?」

「あったかいもの、飲みたい」

「ココア、いれるわね」

「うん」


 母はココアをいれてくれ、リビングに持ってきた。

「何か心配事?」

「え?」

「あなた、たまに心配事あると、眠れなくなるでしょ?」

「…」


「赤ちゃんのこと?それとも、学校?」

「うん。なんとなく落ち込んでる」

「妊娠してると、情緒不安定になるのよね。ホルモンの関係でしょうがないのよ。落ち込んでいても、あまりがんばって明るくしようとせず、そうね、のんびりとゆっくりと、気がまぎれたり、落ち着いたりすることをしたらいいと思うわよ」


「ありがと…」

 私はココアを飲んだ。甘くて美味しい。

「お母さんもあったの?妊娠中に落ち込んでたこと」

「あったわよ。お父さんは忙しくて家にいないし、つわりけっこう長引いてたし。つわりが落ち着いてからは、大阪でできた友人を家に呼んで話をしたり、友達の家に行ったりして気を紛らわせてたけどね。あ、あと母親学級もよかったわよ。友達もできて、いろいろと悩みを共有できたりしたしね」


「そっか。母親学級か」

「桃子だったら、小百合さんがいるじゃない。いろいろと話をしてみたら?」

「そうだね」

 母は聖君に相談しなさいとは言わなかった。

「ねえ」

「え?」

「なんで聖君に話したらって言わないの?」


「男の人だとわからないこともあるでしょ?」

「うん」

「それに、同じ体験してる人のほうが、理解してくれるしね」

「うん」

 母はそう言うと、キッチンに戻り、朝食の準備や、お弁当つくりを始めた。


「おや、桃子。おはよう。早いね」

 父も起きてきた。

「目が覚めたから、お母さんにココアいれてもらった」

「そうか」

 父は新聞をリビングのソファーに座り、広げた。


「学校はどうだ?聖君の話はすばらしかったって、お母さんは感動してたみたいだけど」

「うん。みんな応援してくれるって言ってくれた」

「よかったな」

「うん」


 父は黙って新聞を読み出した。

「お父さん」

「ん?」

「お母さんと結婚したこと、後悔したことない?」

「どうした?マリッジブルーか?ああ、あれは結婚する前に起きることか。でも、桃子の場合、あれやこれやとあっという間に結婚しちゃったからな。マリッジブルーを感じる暇もなかったもんなあ。今頃になってきたか?」


「ううん、そうじゃなくって。ただ、聞きたかったの」

「そうだな。ないかな。お母さんは喧嘩したとき、あなたなんかと結婚しなかったらよかった、なんて言ってたけどね」

「お父さんはないの?後悔したこと。一回も?」

「ああ。お母さんと結婚しなかったら、お前やひまわりも生まれなかったわけだし、結婚してよかったと思っているよ」


「…家族が持てて、よかったってこと?」

「そうだよ。もちろんだ。お父さんは桃子もひまわりも、かわいいからなあ」

 そう言ったあとに、父は少し照れているようだ。

「でも、お母さんと結婚しなかったら、いろいろと好きなことができただろうにとか、思ったことない?」


「そうだな。自由なことをしている独身の友人を見ると、そう思うこともあったけどな。でも、最近はそういう連中を見てると、さびしくないのかなと思うことがあるよ。家に帰ったとき、一人はさびしいだろうなとか、子供がいたら、結婚して孫も生まれる。そうしたら、ますますにぎやかになる。そんな楽しみも増えるしね」


「家族が増える楽しみ?」

「ああ、凪ちゃんが生まれてくるのは、お父さんはすごく楽しみだよ。お前も孫が生まれることを経験したら、わかるさ」

「まだ、生まれてないのに、お父さん、もうわかるの?」

「あはは、そうだな。気が早いな。でも、すごく楽しみだよ」

「そう」


「聖君も後悔しないよ」

 父がいきなり聖君の話をしだした。

「え?」

「彼は本当に、桃子と家族を持つことが嬉しくてしかたないようだし、それに彼はそういう生き方ができる男だと思うよ」

「そういう生き方って?」


「今ある状況を、受け止めて、いいほうへと展開する。なんでもプラス思考というか、楽しい人生にすることができるというか」

「プラス思考?」

「いいかい、桃子。お父さんはこの年まで生きて、すごく感じたことがあるんだ」

 父は座りなおし、私のほうをしっかりと見て話し出した。

「幸せかどうかっていうのは、結局は自分しだいなんだよ」

「え?」


「誰かが幸せにしてくれるんじゃない。自分で今ある状況を、どう意識するかだ。それが幸せなのか不幸なのか、それを選ぶのは自分なんだ。同じ状況にいる人間が二人いて、一人は不幸だと感じている。でももう一人は、幸せだと感じている。同じ状況でもその人の受け取り方、見方、感じ方でまったく違う人生になってしまうんだ」


「…」

 私は黙って首をかしげた。

「たとえばね。今ある聖君の状況。大変で、自分には責任を負えない。明日もどうなるか不安でしょうがないと感じる男性もいるだろう。それに今の桃子の立場でも、不幸だとか、どうしてこんな目にあったんだ、これも彼のせいだと思う女性もいるかもしれない」


「聖君のせいにするってこと?私はそんな…」

「そう。桃子は聖君のせいにはしない。聖君も今ある状況が大変だとか、不安とか感じてるわけでもない。幸せで、嬉しいことだと喜んでいる。あれは聖君のすごいところでもある。だけどね、桃子。聖君が幸せだと感じるのも、今、桃子が幸せだと感じるのも、結局は本人しだいなんだ」


「…」

「桃子は、幸せじゃないのか?」

「私は、聖君が隣にいてくれるだけで、幸せ」

「不幸だと思ってないんだね?」

「うん」

「だったら、それでいいじゃないか」


「聖君は?」

「聖君は自分で幸せかどうかを、決めていくよ」

「それでいいの?」

「いいんだよ。そして聖君はどんな状況でも乗り越えて、幸せだと感じられる力を持ってるよ。お父さんはそう思う。だから、桃子を任せられる」


「…」

「桃子は、自分が幸せであること、それだけを感じて生きていったらいいんだ。お父さんもお母さんも、桃子が幸せであることが幸せだし、聖君もそう思ってるよ」

「私も、聖君が幸せだったらそれでいいの。でも…」

「桃子が幸せなのが聖君の幸せだ。だったら、桃子は聖君が幸せを感じられるよう、自分がハッピーでいないとな」


「…そっか」

「そういうことだ。あ、起きてきたよ」

「え?」

 聖君が階段を、焦って下りてきていた。

「桃子ちゃん?」


「聖君、おはよう」

 リビングに来た聖君に父が声をかけた。

「あ、おはようございます」

 聖君は早口で父に挨拶をして、私のほうを向き、

「起きたら隣にいないから、めちゃ焦った。どうしたの?」

と聞いてきた。ちょっと顔色も悪い。


「目、覚めちゃったから、ここでココア飲んでた。それで、お父さんが起きてきたから、話をしてたの」

「学校での話とかを聞いてたんだよ」

 父が聖君にそう言った。

「あ、そうだったんすか。ああ、俺、具合でも悪くなっちゃったのかと思って、すげ、びっくりした」

 

「おはよう、聖君、朝食もう食べる?」

 母が声をかけてきた。

「あ、すみません。じゃ、顔洗ってきます」

 聖君はそう言うと、洗面所に行った。


「桃子」

 父がそっと小声で、話しかけてきた。

「お母さんにでも、お父さんにでもいい。聖君に話せないようなことは、相談しなさい」

「うん」

 父は新聞を持って、ダイニングに移動した。私はココアを飲みながら、父や母の優しさを感じて、心まであったかくなっていた。


 私が幸せでいることが、両親の幸せ。それは、納得できる。私だって、凪が幸せでいることが、私の幸せになるだろう。

 でも、私が幸せでいることが、聖君の幸せなんだろうか。

 

 洗面所から出てきた、まだ寝癖だらけの聖君を見た。おおあくびをして、伸びをして、ダイニングのいすに腰掛けた。

「お父さん、今日も朝、早いですね」

 父にそう話しかけている。父も嬉しそうに、聖君に答えていた。


 母はそんな二人をにこにこしながら見て、テーブルにお皿やお椀を並べている。なんだか幸せな光景だ。

 母も父も嬉しそうだ。聖君もにこやかに笑っている。

 それをぼ~~っと見ていた。あの笑顔は、本物だよね?聖君は無理してないよね?

 なぜだろう。今までそんなこと考えたこともなかったのに、そんなことを思ってしまう。


「桃子は食べないの?用意したわよ、朝ごはん」

「うん、顔洗ってくるね」

 私は洗面所に行った。顔を洗い、歯を磨いた。鏡に映っている顔は、ちょっと青白い。

 食卓には、少し無理して笑顔で行った。


「今日も電車で大丈夫?桃子ちゃん」

 聖君が聞いてきた。

「うん、大丈夫。菜摘とも、待ち合わせしてるし。また早めに出て、座っていくようにするし」

「そう…」

 聖君がちょっと、心配そうな顔をしている。


 私は、それ以上何も言わず、ご飯を食べだした。父が聖君に話しかけ、聖君は私ではなく、父のほうを向き、話し出した。

 ちょっとほっとした。なんでかな。心配してくれてるってわかっているのに。


 部屋に行き、着替えをして、高校に行く準備をした。

「桃子ちゃん」

 聖君も部屋に来た。そして後ろから抱き付いてきた。

「なんで目、覚めちゃったの?」

「わかんないけど…」


「俺のこと起こせばよかったのに」

「ぐっすり寝てたもん、悪いよ」

「じゃ、俺が起きるまで、隣にいてくれたらよかったのに」

「のど渇いちゃったの。それで下に下りたらお母さんが起きてきて、ココア入れてくれて、お父さんまで起きてきたから、話をしてたの」


「そっか。そうだよね、親子なんだから、話もするよね」

「?」

 なんだか聖君、腑に落ちないって声しているな。

「でも、俺、まじでびっくりしちゃって」

「どうして?」

「だって、起きたらいないんだもん。いつも寝てる桃子ちゃんがいないから、まじでびっくりして」


「そんな驚かなくても」

「そうだよね、そうなんだけど」

 聖君は抱きしめる腕に力を入れた。

「ちょっと、変な夢見ちゃってたから」

 聖君も変な夢見てたの?

「どんな夢?」


「…桃子ちゃんが、いなくなる夢」

「え?」

 いなくなるって?

「俺から去っていくんだ。俺が止めても、どうやっても、桃子ちゃんどんどん歩いて行っちゃって、追いかけても追いつけない」

「…」


「目が覚めて、ああ、夢だったって安心したのに、隣にいないから、俺、すげえびっくりして」

「…私がどこかに行っちゃう夢?」

「うん。すげえ怖かった」


「怖い?」

「怖かったよ。桃子ちゃんがどこかに行っちゃうなんて、俺、どうしたらいいんだって、真っ白になってたよ」

「…私がいなくなったら、聖君、そんなにショック?」

「当たり前じゃん」

「…」


 私は聖君のほうを向いて、聖君に抱きついた。

「私は聖君のそばにいたほうがいいの?」

「当たり前じゃん。なんでそんなこと聞くの?」

 聖君は、ちょっと低い声で聞いてきた。

「…ごめん。私も変な夢を見たから」


「どんな?」

「私が私を責めてる夢」

「桃子ちゃんが桃子ちゃんを?なんて言って責めてたの?」

「…私が、聖君のお荷物になってるって」

「…」

 聖君が黙り込んだ。なんで、黙り込んでるの?


「お荷物って、どういうこと?」

 聖君の声、低い。怒ってるの?

「…」

 今度は私が黙り込んだ。いったいどう言ったらいいんだろう。


「そんな夢を見ちゃったから、一人で下に下りたの?」

「うん」

「まったく。桃子ちゃんがそんな夢見るから、俺が桃子ちゃんが去っていく夢みちゃったんだよ」

 聖君がため息混じりにそう言った。それから、私のあごを持つと、キスをしてきた。それもかなり、濃厚な。


 それから、聖君は唇を離すと、私のおでこにおでこをくっつけ、

「桃子ちゃん、大好きだよ。愛してるよ」

と優しく言った。そして、優しく髪をなでた。

「いいよ。大丈夫。何か不安になったり、変な夢を見たりしても、そういうのも俺に言ってくれていいから」

と言うと、またキスをしてきた。


 ふわ。聖君の優しさに包まれた。

「桃子ちゃんは、俺のそばにずっといて。俺がそれを望んでるの。絶対に離れていってほしくない。だから、お荷物なんてことも考えなくていい。ね?」

「うん…」

 うわ。涙出てきた。

「ぎゅ~~~」

 聖君は腕に力をいれ、抱きしめた。


「まじで、大好きだよ、桃子ちゅわん」

 そう言うと、髪に優しくキスをしてくる。

 ごめんね、聖君。聖君はこんなに優しいのに、なんで暗いこと考えちゃったんだろう。

 しばらく私は、聖君のぬくもりに抱かれて、安心していた。



 


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